インド発・文学日記

今のヒンディー文学が映し出すインド社会、日本とインドの文学や翻訳などについて書き残しています

「世界ヒンディー語の日」国際ヒンディー語セミナー

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1月10日は「世界ヒンディー語の日」(विश्व हिन्दी दिवस)。この日は、インド国外でのヒンディー語の普及と発展を祝います。
また、インド憲法でヒンディー語が公用語と定められた9月14日も「ヒンディー語の日」として記念日です。
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本年1月10日にNCERT(National Council of Educational Research and Training 国立教育研究訓練評議会)にて開催された国際ヒンディー語セミナーに参加しました。
朝10時から、4部構成で、インド、日本、韓国、ウズベキスタンの研究者が講演します。
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私は一部の担当で「भारतीय ज्ञान परंपरा और हिन्दी, वैश्विक अवदान के संदर्भ में, भारत और जापान की सांस्कृतिक–साहित्यिक चेतना का संवाद」(インドの知の伝統とヒンディー語・その世界的貢献ーーインドと日本の文化的・文学的精神の対話) という題材で講演しました。
以下のような内容をヒンディー語でお話ししました。
「インドは知の源泉です。数千年前、世界に先駆けて知が育まれてきました。その目的は常に人間に向けられてきました。知を基盤として人間の全人格を育み、絶えず人間性を高めてきたのです。無知の闇の中をさまよう人々は、優れた知によって啓発され、「人間」として確立されてきました。
ヴェーダ文献をはじめ、多くの文献を通して知は確立されてきましたが、インドの知の伝統は書物にとどまらず、民衆の生活、言語、文化、文学を通して流れ続けてきました。そしてその流れは海外へと広がり、世界各地の文化に影響を与えてきました。古代より多くの人々がインドを訪れ、ここで学んだ知を携えて自国へ帰り、自国の文化に影響を与えていったのです。
本日は、インドの知の伝統を世界との関係の中で捉え、そして日本人として、日本を中心に据えながら考察したいと思います。
インドの知の伝統は極めて広大ですが、ここではその主要な特徴のいくつかに焦点を当てます。
1) 総合性・多様性を一つに結ぶ力
インドの知の伝統は、今日、世界各地の文化に見ることができます。世界の文化がインドの知を受け入れることができた理由は、そこに「多様性を尊重しつつ統合する力=सामासिकता samasikta」があるからです。インド国内には多様な思想、言語、民族、地理的条件が存在しますが、それらを一つに束ねてきました。この総合性こそが、インド国のアイデンティティでもあります。この総合的視点では、人間・自然・環境が常に一体として捉えられます。
この考え方は日本の文化や文学にも明確に見られます。日本では、人間と自然は分離された存在ではなく、相互に結びついた存在として描かれます。例えば、11世紀に成立した『源氏物語』は、日本最古の長編小説とされていますが、当時の日本社会には仏教を通じて伝えられたインドの思想の影響がすでに見られます。作品の中では、愛や悲しみ、喜びといった人間の感情が、季節や自然の情景と一体となって表現されています。その一例として、次の和歌を紹介します。
ながむれば 山より出でて 行く月も 世に住みわびて 山にこそ入れ
また、俳句も挙げたいと思います。俳句は、日本の伝統的な詩形であり、現在では世界中に愛好者がいます。わずかな言葉の中に、自然、時間、音、心が同時に表現されます。松尾芭蕉の有名な一句を、インドの著名な文学者अज्ञेय アギャーエ氏がヒンディー語に訳しました。
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
“ताल पुराना, कूदा दादर, गुडुप” (tal purana, kuda dadar, gudup)
この句は、静寂、突然の動き、そして音によって、深い哲学的世界を描き出しています。簡潔でありながら、高度な芸術性を備えているため、今も読み継がれています。

2)「世界は一つの家族」(वसुधैव कुटुम्बकम्ヴァスダイヴァ・クトゥンバカム) と「和」
「ヴァスダイヴァ・クトゥンバカム(世界は一つの家族)」という思想は、インドの世界観を端的に表しています。この思想は、日本文化における「和(わ)」の概念にも通じます。「和」は調和と共生を意味し、日本文化の根幹をなす理念です。和服、和食、和歌などに見られるように、「和」は日本そのものを象徴し、共生の精神を表しています。

3) 師弟関係と「生き方としての修行」
インドは世界に師弟関係の伝統をもたらしました。そこでは、知は単に蓄積されるものではなく、修行(साधना サーダナー)を通して身につけられてきました。日本文化においても、修行は師弟関係を基盤として、日常生活の一部として根づいています。
例えば、日本には茶道、華道、書道といった伝統芸術があります。茶道では、茶を点て、もてなし、味わう一連の所作が大切にされます。華道では花を秩序ある形で生け、書道では筆と墨によって文字の美を表現します。これらはいずれも「道」という字を用い、「道」は修行の道、すなわち生き方を意味します。これらの芸術では、師から学ぶ過程そのものが修行とされ、技術だけでなく、集中力や身体の所作、空間の美が一体となって養われます。そのため、茶道や華道、書道は芸術であると同時に修行でもあります。日本文化においては、茶を点てること、花を生けること、書くこと、歩くことや座ることまでもが、意識的に行われ、生活そのものが修行ともいえるのです。日本人が規律や礼儀正しさを重んじるのは、ここに源があるのかもしれません。

4) 仏教・翻訳・鳩摩羅什
インドの知がどのように世界、そして日本へと伝わっていったのかを考えるとき、仏教が果たした役割の大きさは言うまでもありません。とりわけ、偉大な仏教学者であり翻訳者であった鳩摩羅什の功績は、歴史的な意義を持っています。鳩摩羅什は、サンスクリット語、パーリ語、中国語に精通した学僧であり、仏教経典の卓越した翻訳者でした。ヒンディー語の代表的詩人であるクンワル・ナーラーヤン氏(कुँवर नारायण)は、鳩摩羅什の生涯を題材とした詩集『कुमारजीव クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)』を著しています。その中で彼は、次のように述べています。
「鳩摩羅什は、サンスクリット語の仏教経典を翻訳しただけの人物ではありません。仏教思想とインド思想を、アジア全体に広めた、偉大な学者であり思想家でもあったのです。」「サンスクリット語と中国語のあいだに思想の往還をもたらし、サンスクリット語が内包する文化を、中国語の中に実現させた」とも語っています。
このように、鳩摩羅什の経典翻訳は、単なる言葉の置き換えではなく、原典に根ざした文化や精神をも伝える営みでした。以下に、詩集『クマーラジーヴァ』より詩を紹介します。

わたしの第一の願いは
仏教哲学の経典を
サンスクリット語とパーリ語から
中国語へと渡すこと
そのすべての感受性と文化を携えて

サンスクリット語の響きの中で聴いた
あの甘美さを
中国語のうちにも
余韻として守りとどめたい

****

敬意をこめて謹んでお招きします
如来を その時代から
わたしたちの時代へ

一冊の書物をひらくように
かの時代を
この時代の中へとひらく

時の襞に隠れて
見えなくなっている
多くのものが
あの文字の中に
押し込められている

織り目をそっとゆるめると
その隙間から
光が差し込んでくる
それは今日の
まばゆい瞬間的な光とは
まったく異なるもの

あらゆる書は
閉ざされた扉であり
わたしはそれを開いて
言葉の内へと入っていく

そして
言葉のほとばしりの中で
「時」という水を浴びる
それは
その言語が生きてきた
時間そのものなのだ

結論
本日、私はインドの知の伝統と日本文化のあいだに見られる深い共通性について考察してきました。日本を含むアジア諸国の文化的精神の根底には、インドの知の伝統が息づいており、これらを結びつけてきた重要な媒介が、仏教とサンスクリット語でした。
インドの知の伝統の根幹には、「सामासिकता samasikta(総合性)」という視点があります。これは、多様性を排除するのではなく、尊重しながら調和させ、一つの全体として捉える考え方です。分断が進む現代において、他者の文化を理解し、違いを超えて共生へと向かうために、きわめて重要な理念であると言えます。
この思想は、「वसुधैव कुटुम्बकम्(世界は一つの家族)」という概念にも象徴されます。この考え方によって、私たちは国境を越えた「世界市民」としての在り方を思い描くことができます。
また、インドの師弟伝統は、人生そのものを修行と捉える視点を育んできました。この修行を通して、人は内面の強さを培い、自信と精神的な力を身につけていきます。そのような内的基盤を持つ人間こそが、真に充実した人生を生きることができるのです。
さらに、仏教に貫かれた人間中心の思想は、すべての生命をかけがえのないものとして尊重します。この思想に立つかぎり、人間の尊厳を損なう暴力や殺害は決して正当化されません。今日の世界の多様な文化は、あらためてこの仏教思想の源流から学ぶ必要があるのです。人間を中心に据え、共生と尊厳を重んじるインドの知の伝統は、対立と不安に満ちた現代世界において、未来への確かな指針を与えてくれるものと考えます。
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第1部で、私の前にはデリー大学のAnil Ray教授が、「ヒンディー語の世界的広がり(हिन्दी भाषा का वैश्विक परिदृश्य)」と題して講演されました。
「ヒンディー語の存在が危ういのではないか、という声を耳にすることがある。しかし、私はその見方には賛同しない。ヒンディー語は常にマーケットとともにあり、そこで確かな存在感を示してきた。実際、マーケットにおいては約70%がヒンディー語を使用していると言われており、広告表現を見ればその事実は明らかである。また、ヒンディー語は非常に柔軟性に富んだ言語である。外来語を自然に取り入れ、自らの言語体系の中で消化し、活用する力を持っている。「ヒンディー語を世界に広めなければならない」とよく言われるが、私はすでに十分に広まっていると考えている。SNS上の言語使用を見れば一目瞭然であり、ヒンディー語によるコミュニケーションは極めて広く浸透している。そうした状況の中で、私たちにとって最も重要なのは、自国の言葉を尊敬し、大切にする姿勢ではないだろうか。」

後の第2部で、私は突然議長に指名され、また壇上に座ることになりました。インドのセミナーではよくあることで焦りましたが、なんとか大役をこなしました。
Rameshwar Ray教授が、「公用語・国語・世界語の概念とヒンディー語 (राजभाषा, राष्ट्रभाषा एवं विश्वभाषा की अवचारना और हिन्दी)」との題材で、非常に興味ぶかいお話をされました。
「いったい、独立とは誰のためのものなのだろうか。
1949年、ヒンディー語は国語(राष्ट्रभाषा)と定められた。憲法上はそう位置づけられたものの、当時の社会とのあいだに、生きた関係が十分に築かれていたとは言いがたい。言語の力は、経済的な力と比例する。経済力をもつ国の言語が、主流の言語となるのが現実である。言語とは、国民が日常的に使い、同じ言葉を国会が用いることによって初めて、国語――すなわち国家を象徴する言葉となる。物売りも、小学生も、教師も、国会議員も、同じ言葉を使ってこそ、それは国の言葉と呼べるのである。
また、ヒンディー語は多様な方言の集合体でもある。そのため、ヒンディー語はしばしば駅のプラットフォームにたとえられる。多くの人が行き交う場所ではあるが、そこに定住する「家」にはなりえない、という見方だ。しかし一方で、ヒンディー語にはきわめて包括的な性格があり、文化を豊かに育む力を持っている。たとえば、タミル語的な響きをもつヒンディー語、マラーティー語的な表現を含むヒンディー語は、日常の中で自然に存在している。ヒンディー語は、あらゆる言語と結びつくことのできる、開かれた言語なのである。」

私は議長コメントとして、次のように発言しました。
「日本語にも多くの方言があり、場合によっては互いに理解し合えないこともある。しかし、メディアなどを通じて標準語が全国的に浸透しており、教育言語も日本語で統一されているため、社会生活のあらゆる場面が日本語だけで完結している。一方で、社会人になってから外国語が十分に使えず苦労する人も少なくない。そのため近年では、将来を見据えて子どもをインターナショナルスクールに通わせる親も増えている。」
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広島 長崎 平和祈念式典 2025年 8月 

原爆投下80年を迎えた 広島と長崎の平和祈念式典から、書き残しました。

*広島平和祈念式典 2025年8月6日
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ナレーション
120か国の大使等に今年から案内を送付。招待を廃止した。イスラエル・パレスチナ両代表も参加。
「6月、イランの核施設を攻撃したアメリカ。トランプ大統領は『広島と長崎を見れば、あれが戦争を終わらせたことが分かる』と発言し、攻撃を正当化しました。原爆投下を肯定するような発言に、被爆者からは怒りの声が上がりました」

平和宣言 松井一実 広島市長
世界中で軍備増強が続き、核抑止論が勢いを増している。
各国の為政者に問いかけたい。自国の安全保障だけを考えてはいないか。
核保有国こそが、核兵器に依存しない世界をつくる責任があるのではないか。
日本政府は、今年のNPT会議にオブザーバー参加をしてほしい。

石破首相(広島)
記念館の入場者は200万人を超え、そのうち3割以上が外国人である。

湯崎英彦 広島県知事
核抑止論とは、頭の中の概念にすぎず、簡単に破られる。歴史的にも抑止論が成功した例はない。抑止力は核や武力にだけに限るべきではなく、対話や交流を含むべきであり、さらには、そこから核という要素を取り除かなければならない。
概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末があり得る安全保障にどんな意味があるのか。
核兵器廃絶は遠い未来の話ではない。かつて、被爆者があきらめず、光に向かって這い、命を取り留めたように、これは実現しなければならない具体的な目標である。


*長崎平和祈念式典 2025年8月9日
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平和宣言 鈴木史朗 長崎市長
80年という節目の年が、このような状況になるとは思いもしなかった。
武力には武力で対抗する戦いをやめなければならない。核戦争になってしまう危険がある。
次の世代は、同じ悲劇を経験してはならない。
No more Hiroshima. No more Nagasaki. No more war. No more Hibakusha.
人類は核兵器をなくすことができる。被団協は1956年に始まった。
私たちは「地球というひとつの街の住人=地球市民」として、ともに平和な世界を築こう。
ひとりの力は小さくても、それが結集すれば大きな力になる。
対話と交流が重要だ。市民社会の役割も大きい。スポーツや芸術、インターネットを通じた交流も可能だ。
国連創設80年の節目にあたり、法の支配を取り戻してほしい。
来年開催予定のNPT会議は重要な節目であり、先延ばしは許されない。
日本政府に訴える、核兵器禁止条約に署名・批准してください。
平均年齢86歳を超えた被爆者。
長崎の使命は、永遠に長崎を最後の被爆地とするため、世界に原爆の記録を伝え続けることだ。

石破首相(長崎)
NPT会議に向けて、現実的かつ実践的に取り組むことを表明。

国連事務総長 アントニオ・グテーレス(代読)
核軍縮は最優先課題のひとつである。

大石長崎県知事
広島の「黒い雨」に打たれた人々と同様に、政府に対し、長崎の原爆体験者への保障を要請。

ちいさなできごと

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小学校の舞台発表会に招待されました。
छोटी छोटी बातें(chhoti chhoti baten) 「ちいさなできごと」と題して、教育庁が各小学校に推奨する文化行事です。
ホールいっぱい300名近くの保護者が見守る中、子供たちは、お父さんお母さんへの感謝、国を愛する心、お祭のダンスを元気いっぱいに披露しました。
いくつかのプログラムには、保護者も出演。

初等教育部の校長先生と、25年の教員生活についてお話する機会がありました。
子供は今も昔も変わらず、まっさらな心で学校にやってきます。
保護者はだいぶん変わりました。あまりにも忙しく、子供と過ごす時間がとれず、子どものしつけや教育はすべて学校の責任だと考え、学校に対して多くの期待や要望を寄せる方も見られます。SNSを通じてのご連絡も多く、迅速な対応や即時の返答を求められることが増えています。保護者とのかかわりでご苦労が多いようでした。
また、小さな子供たちもSNSや携帯を使う時間が増え、悪影響も避けられないとのことでした。

原爆投下から80年の8月6日、インドの7歳の子供たちのプログラムに招待していただいた縁を心から感じました。
挨拶では、ヒンディー語版「ひろしまのピカ」の7歳のみーちゃんを紹介し、朝ごはんという日常が一転したこと、日常のちいさなできごと、家族や子供たちと過ごす大切な時間を、原爆が一瞬で奪ったことを、お話させていただきました。
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アラプナ・ミシュラ「太陽と桜と旅」日本旅行記

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インドの著名な女性作家 アラプナ・ミシュラさんが日本の旅日記「太陽と桜と旅」を発刊しました
2月5日の発刊式が、デリーの選挙のため、延期になってしまい、とても残念です。講演原稿に私の所感を述べました。

物語の国、伝承伝統の国、インドで育ったアルパナさんの「幼少期には、私を眠らせるためのお話が私を目覚めさせた」そうです。
寝る前に大人が楽しい話を聞かせてくれたり、楽しい本を読んでくれたりすると、子供は眠くなるどころか、目が覚めてしまうこともありますね。
本に深い愛情を持つ彼女は、「若い世代の本離れは深刻で、読むよりも見ることが増えている」と危惧します。時代の流れや技術の進歩には逆らえませんが、読書はとても特別な行為です。視覚情報を受け入れるだけの作業か、活字を追って自身で想像する作業か。自分の心で何かを作り出すという作業は、自分の人格を深めるものであり、他人への共感力や想像力をものばしてくれます。人間の共生には必要不可欠な能力といえます。あえて活字を読むという作業は人間の未来のためにも必要なことと思います。
彼女は語ります。「今の時代を見つめると、無数の不安が私を取り囲み、押しつぶされそうになる。心がかき乱されるような、そんな時、私が使う武器は…創作(表現)だ。書くことは、私にとって闘うことでもある。」あらゆる不安の中、暗闇の真っ只中であっても、彼女は「暗闇の中で灯火のように揺らめき続ける」希望を忘れません。この文章を読んでいると、ヒンディー文学草創期に女性の問題を描いたマハーデーヴィー・ワルマーを思い出します。彼女の作品には、マハーデーヴィの勇気、共感、慈悲、そして鋭い観察力と深い洞察力があります。彼女は作品を武器に、社会をより良い方向に導くために戦っています。こうした文脈において、彼女の書いたこの「日本紀行」は非常に重要な位置を占めています。なぜなら、彼女自身がこの本の中で「作家は時間を創造し、時間もまた作家を創造する」と述べているからです。つまり、アルパナさんの創作の中に現実が表れているからです。
文学者は、非常に感性が豊かで、時を作り、時に作られる。彼女の作品には、インドの今の時、文化をみることができます。彼女が日本の今の文化に触れ、著したこの本は、二つの文化の融合であり、真の文化交流を代表しています。文化交流は平和へと繋がる一番の近道です。彼女の平和への素晴らしい貢献に心より感謝申し上げます。そしてすべてのインドと日本を愛する人々に呼んでいただきたい一書です。

“सूरज, साकुरा और सफ़र (जापान कथा यात्रा)” 
फरवरी 2025 
अल्पना जी कहती हैं कि भारत कथाओं का देश हैं, श्रुति परंपरा का देश हैं और वे कथाओ के देश भारत से जापान गई हैं। अल्पना जी को कथा इतनी पसंद थी कि कहती हैं “कथा के द्वारा उनको सुलाने के लिए जगाया जाता था” (पृ20) मैं इस वाक्य से पूरा सहमत हूँ। मैं भी कथाओं से प्रेम करने वाला बच्चा था और अक्सर रात को कहानी पढ़ते-पढ़ते मुझे नींद नहीं आती थी। 
अल्पना जी पुस्तक की मोहब्बत के बारे में भी कहती हैं और आजकल की युवा पीढ़ियों में यह मोहब्बत कम होने की ओर चिंता भी करती हैं। “आज कल पढ़ना कम,पर देखना बढ़ गई।” (पृ125), यानि इंटरनेट का दृश्य मेडिया हैं। 
समय के प्रवाह और तकनीकी प्रगति का विरोध नहीं किया जा सकता, लेकिन वास्तव में, हम मानव जाती के लिए, पुस्तक पढ़ने की जो क्रिया है, उसका अत्यंत महारवपूर्ण स्थान है। दृश्य मेडिया इंटरनेट के साथ आँखों से देखकर उसे सिलफ स्वीकार करने की प्रक्रिया होती है, लेकिन पुस्तक पढ़ने की प्रक्रिया में अक्षरों के माध्यम से हम कल्पना शक्ति को सक्रिय करने का प्रयास करते हैं । यह कल्पना शक्ति, न केवल पाठकों के व्यक्तित्व को गहराई प्रदान करती है, बल्कि दूसरों के प्रति सहानुभूति को विकसित करने में भी सहायता देती है। अर्थात्, यह क्षमता मानव-जाति के सह-अस्तित्व को इस पृथ्वी में बनाए रखने के लिए अनिवार्य है। अतः हम कह सकते हैं कि पुस्तक पढ़ने की प्रक्रिया मानवता के भविष्य के लिए आवश्यक है।
अल्पना जी कहती हैं, “जब मैं अपने समय को देखती हूँ तो हजार चिंताएं घेर लेती हैं । चिताएं, जो हमें जीने नहीं देती हैं, इतना बेचैन करती हैं, इतना कि तब यही हथियार काम में लाना पड़ता है .. रचना । लिखना लड़ना भी है मेरे लिए ।“ (पृ126)
वे उन चिंताओं के बीच, अंधेरे के बीच उस आशा को भी नहीं भूलती, “जो अंधेरे में दीपक की लौ की तरह टिमटिमाती रहती हैं” इस वाक्य को पढ़कर, मुझे महादेवी वर्मा जी की याद बहुत आती है । निश्चित रूप से अल्पना जी की रचना में महादेवी जैसी साहस, सहानुभूति और करुणा पाई जाती हैं, साथ ही उनके पास तीव्र अवलोकन शक्ति और गहरी अंतर्दृष्टि है । वे समाज को बेहतर दिशा में ले जाने के लिए अपनी कृतियाँ को हथियार बनाकर लड़ती हैं । इस संदर्भ में उनके द्वारा रचित इस “जापान यात्रा कथा” का अत्यंत महत्वपूर्ण स्थान है, क्योंकि स्वयं अल्पना जी इस पुस्तक में कहती हैं, “रचनाकार समय को रचते हैं और समय भी रचनाकार को रचते हैं ।“ (पृ125) अर्थात, अल्पना जी की रचना में वास्तविकता प्रदर्शित होती है । और यह रचना पाठकों के जीवन को और समाज की वास्तविकता को प्रभावित करती हैं । लेखक और साहित्यकार अत्यंत संवेदनशील होते हैं, वे समय को रचते हैं और समय भी उन्हें रचता है। उनकी कृतियों में हम भारत की वर्तमान संस्कृति को देख सकते हैं । और हाल ही में उन्होंने जापान की वर्तमान संस्कृति का अनुभव किया, फिर इस पुस्तक को लिखा । स्पष्ट है कि यह पुस्तक दोनों संस्कृतियों के संगम का प्रतीक बन गई । यह पुस्तक वास्तव में सांस्कृतिक आदान-प्रदान का प्रतिनिधित्व करती है। जब हम सांस्कृतिक आदान-प्रदान को प्रोत्साहित करते हैं तब शांति की दिशा में हमें ले जाने वाला सबसे निकटतम मार्ग तैयार हो जाता  है। इस पुस्तक के शांति के अद्भुत योगदान के लिए मैं हृदय से आभार व्यक्त करती हूँ। जो पाठक भारत और जापान से प्रेम करते हैं, उन सभी लोगों के लिए यह पुस्तक पढ़ना आवश्यक है । 
तोमोको किकुचि 





 

ありふれたインドⅡ #4「並木道」

毎朝歩く通勤路はずっと木々が並んでいる。

ニーム、アショカ、菩提樹、グルモハル、マンゴー、などなどに護られて、少々の雨なら楽しみながら歩くことができる。

高層マンションやモールに場所を取られて、木々は減り、空が狭くなっていくグルガオンに比べて、デリーはまだまだそれぞれの住宅地で緑が護られている。

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ヒンディー語記念日

9月14日はHindi Diwas ヒンディー語記念日です。

National Council of Educational Research and Training(略称: NCERT国立教育研究訓練評議会)の「ヒンディー語記念日」ライブ配信に参加しました。

NCERTは教科書を作るなど、インドの中心的教育機関です。

登壇者は日本、南アフリカ、ウズベキスタンから参加しました。

ヒンディー語話者は今世界中にいます。これからもその数は増えていくでしょう。

インドは大きな国です。主に北インドの地方や村では英語よりもヒンディー語が多く話されます。その地域の莫大な数の子供たちの教育環境を整えるためにヒンディー語は絶好の言語です。

世界の未来は、今の子供たちにかかっています。

今回私を招待してくれたニールカントはネルー大学時代の同級生で、NCERTで長年教科書を作るなどの事業にかかわっています。

私の訳した「ひろしまのピカ」と「さがしています」のヒンディー語版をみて、インドの小学生の教科書に取り入れる検討をしてくれています。

ライブ配信は以下のリンクから見れます。

https://www.youtube.com/live/CXFHE-L-SFY?si=xuNunFZCooKX5pF6


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ロバート・キャパ写真展 MUSEO Camera

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久しぶりにMUSEOCameraに行ったら、偶然ロバート・キャパ写真展の初日でした。

戦場の人間と市井の人間を映した写真の配置とコントラストから思いが伝わってきます。

戦場では戦士の表情を間近からとらえ、彼が兵士と一緒に見ている戦場、その銃の先にある景色が見えてくるようです。

避難中の民、難民キャンプの民。彼彼女らが見ている、その前に広がる景色も見えてきます。

写真に映っていないフレームの外にある景色から、メッセージが送られているようです。

彼はベトナムで地雷被爆し40年の短い生涯を閉じました。

その日に撮った3枚の写真は、

地雷で爆死した市民の死体とその横を歩く兵士

地雷探知機を手にした兵士

畑を歩く牛

隣り合わせの日常と戦争は
戦争はいつでも起こりえると教えてくれているのかもしれません。

彼の名言は

「良い写真が撮れないのは充分に近づいていないからだ」

名言通りの写真と人生が展示されていました。

彼の短い生涯を無駄にしてはいけないと心から思いました。

 

1月31日まで開催中のようです。
お近くの方は是非。

Bookaroo 絵本フェスティバル 紙芝居「ちっちゃいこえ」

BOOKAROOフェスティバルは、絵本の読み聞かせやアクテビティ、作者と子供たちが直接触れ合うイベントです。毎年この時期に開催されます。
今回の会場はRAIL MUSEUM。大使館のたくさんあるチャナキャプリにあります。
もう10年近くになるでしょうか。開催当初私が参加した頃とは、くらべものにならないほど大規模なイベントに成長しました。
いつも感心するは、若者や学生のボランティアが、てきぱきと笑顔で頑張っていることです。
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入り口はこんな感じです

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ブックストアや、小さい子供たちのアクテビティも敷地内何か所かで開催されています。

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入口には巨大なプログラム表。

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たくさんの絵本作者や読み手が参加します。

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イベント会場には26,27日の予定表があります

BOOKAROO代表はswati とvenkatesh。国内外の絵本作者を招待し、ここまでの大イベントに育ててあげたのは本当に快挙。

今年は、アーサー・ビナードさんの紙芝居「ちっちゃいこえ」のヒンディー語版を紹介しました。この作品を紹介するのは2度目。いつもジャパンファウンデーション・ニューデリーの皆様にお世話になっています。
一度目はコロナ禍の中、オンラインイベントをしました。
今回は念願の野外イベント。本当にわくわくしました。野外でインドの子供たちの前で、紙芝居舞台のかみしばいを披露。
いつ終わるかもしれないコロナ禍を過ごしていたころからすれば、夢のようなイベントです。

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たくさんの子供たちで大賑わいです。学校単位での参加もたくさん!
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今回も紙芝居を披露するのは、ワスンダラーさん。
さらにパワーアップ、レベルアップして、圧巻の紙芝居でした。
子供たちのこころをぎゅっとつかんで離さない「語り」は本当に素晴らしい。
愛くるしい微笑み、おどけた表情、きりっと悲しくなる声。
今回は、おじいさんの子守歌や、細胞の呪文も子供たちと一緒に歌いました。

前半楽しそうに紙芝居を見ていた子供たちも、
後半になると、ハラハラし始め、悲しい顔になっていきました。
最後の 「サイボウの声がずっときこえていたら きみはきっといきていけるんだ」をきいた子供たちはほっとしたような表情をしました。メッセージはしっかりと子供たちに届いたようです。

AUDIENCE

紙芝居の最前列には補聴器をつけた子供たちが座って待っていてくれました。家庭で学習するこの2人は指導員と参加してくれました。

おじいさんのこもりうたの様子は
こちら

サイボウに魔法をかけるはこちら

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ありふれたインドⅡ #4「はやく元気になってほしい」

ガーンディー・ジャヤンティ(生誕日)

マハートマー(偉大な魂)の尊称をもつ、国民の父、ガーンディーの誕生日(1869年)です。

世界平和を祈る日です。

 

インドに来てからずっと、もう20年以上もお世話になっている方が入院しました。

集中治療室でもうすぐ一か月になります。

先週はしっかり目を見開いて、

人工呼吸器でふさがれた口の代わりに、

まばたきで応答してくれました。

今週は、目が少し疲れているようでした。

起き上がろう、話そうと無理に体を動かししてしまうので、

あまり長居せずに治療室を出ました。

 

まだまだ教えてほしいことがたくさんあるので、

早く元気になってほしいです。

元気になられたら、聞けるように、リストをつくろうと思います。

時間を無駄にせずに、今できることを、感謝しながら果たしていこうと思います。

Mahatma-Gandhi-11


ありふれたインドⅡ #3「インド、現地校の15年間」

娘の通う学校には、スクールバス任務が2か月に一度あります。

保護者は、当番の日は朝6時過ぎに学校に行き、

スクールバスに同乗して生徒たちを見守るのが役目。

オンライン授業が続いたコロナ禍以来、2年ぶりの任務に行ってきました。

 

娘が保育園に入学してから15年。

スクールバス係もベテランです。

当初は学校設立5年で、小型バスが数台、児童数も少ないものでした。

今や大型バスが20台以上ずらっと学校正門に並んでいます。

校庭では大勢の生徒たちがサッカーやクリケット、朝の部活に励んでいます。

学校の方針や子供ひとりひとりの個性重視の素晴らしい哲学は15年間一貫して変わらず、

むしろ充実してきたように思います。

学校外のイベントや部活試合では入賞が多く、

高校生の統一試験結果も高レベルの成績を出しています。

かなりのゆとり教育ですが、

じっくり子供のやる気を育む教育システムが

15年かけて開花してきているようです。

 

インドの学校には、子供たちの身の回りの世話をするお手伝いさんのような女性職員がいます。

幼稚園や低学年の児童たちのトイレの世話や見守りなどが役目です。

この女性職員がスクールバスには必ず同乗します。

 

今日一緒になった職員さんは、職歴3年目でした。

2年生の娘が学校に編入できたそうです。

以前は娘を家に残して仕事に来ていたから心配だったけれど、

今は娘も職場の学校に一緒なので安心です、と笑顔。

彼女の収入では到底入学できない学校なので、

RTE枠(注参照)で入ったのでしょう。

外部から5名、彼女のような内部職員から5名、毎年RTE枠があります。

 

「娘さんは楽しく学校に通っている?」と聞くと、

「なんとかがんばってるようです」とのこと。

RTE枠の生徒はクラスに1名ほどなので、

家庭事情や経済事情の全く違うクラスメートと学校生活をおくるのは容易ではないでしょう。

当事者の子供の気持ちを考えると複雑ですが、

なんとか頑張って、良い教育環境に恵まれたたことを将来に生かしてほしいです。

 

早朝のバス任務はとても気持ち良く、

約一時間ゆっくり朝の景色を楽しむことができます。

といっても後半は乗車してくる生徒たちでにぎやかになります。

いつもは通らないルートでたくさんの発見もあります。

 

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路上に空気清浄機を発見したので調べてみたのですが、設置は2019年。

その後2年間、コロナで大気汚染は改善されていたので、

この路上空気清浄機の貢献度は微妙なところです。

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昨日、家政科の教科書を読んでいた娘が突然ゲラゲラ笑いだしました。

聞いてみると、

前の項では、「現代では、家事は女性だけの仕事ではなく男性も身に着けるべき仕事だ」 

みたいなこと書いてあったのに、

次の項では冒頭から「HOUSEWIFE(主婦)は洗濯、掃除、食事作りなど家事一般をします」って。

いきなり女性限定の仕事になってるし、「HOUSEWIFE」以外の単語ないかな。

とのこと。

 

分厚い教科書なので、項ごとに別々の専門家が書いているのでしょう。

編集者も大変ですが、論調に統一感を出さないと

生徒がやる気をなくしてしまいそうです。

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(注)二〇〇九年に「無償義務教育に関する子どもの権利法」(RTE)*⒖が成立し、社会的弱者層や社会的不利益層に属する子どもたちが差別による教育の機会を奪われないよう、無償の基礎教育を与えることが政府に義務づけられた。私立や政府の補助を受けている学校は少なくとも二十五%、社会的弱者層および社会的不利益層に属する子どもを受け入れなければならないと規定されている。

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プロフィール

shraddha

1992年よりインド在住。アグラ、ジャイプル、デリーの留学を経て、ジャワハルラルネルー大学でヒンディー文学博士号を修得。
2012年 第9回世界ヒンディー語大会賞受賞(インド政府主催)
ヒンディー語の自著「महादेवी वर्मा की विश्वदृष्टि 」(MAHADEVI VARMA KI VISHVADRISHTI・マハーデーヴィー・ワルマーの世界観)をPARMESHVARI PRAKASHAN社より出版。絵本「ひろしまのピカ」、漫画「夕凪の街桜の国」、「わが指のオーケストラ」、写真絵本「さがしています」ヒンディー語訳。平和アニメ「つるにのって」ヒンディー語吹き替え版。
現地で平和や文学関連のプログラムを企画、インドと日本のヒンディー文学関係誌等に執筆。
https://about.me/indiatkikuchi/getstarted
indtmc@yahoo.co.jp