インド発・文学日記

今のヒンディー文学が映し出すインド社会、日本とインドの文学や翻訳などについて書き残しています

アシーム・アーシャー・ファウンデーション賞

今日は68回目のインド共和国記念日。毎年この日は天気が悪く、今日も朝から雨。この時期は雨ごとに暖かくなっていきます。

雨の中、asheem asha foundationAAF)の授賞式に出席してきました。

メトロで2時間かかってオークラの会場に到着。去年は、同じくオークラのAAFセンターまで車で出かけ大変な目にあった(記事はこちら)ので、今回はメトロを利用。でも雨だったのでこれも結構大変でした。

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AAF2008年設立のNGO。地元オークラに住む子どもたちの教育支援のために狭いセンターと数人の子どもたちで出発しました。学校授業の補修の他、アート、メディア、映像、写真などを通して子供たちの世界を拡げる活動を行っています。

オークラにはスラムがとても多く、インド全土から職を求めてデリーにやってくるムスリムが集まる一大ハブの町。北デリーのチャンドニーチョウクと並ぶムスリム居住区で、公害、貧困、DVなど深刻な問題を抱えています。いわゆる出稼ぎや移住者が多く、どうしても治安や環境は悪くなります。学校教育の質も悪く、きちんとした授業が行われる学校はあまりないとのことです。このような地域に暮らす子供たちの支援としてAAFは当初より、今も最高50人までの子供を集め、学校授業の補修を行っています。センターの広さやアシーム氏がほぼ一人で教えているため50人が限度なのだそうです。職業訓練プログラムもあり、ニュースコラムの書き方、写真撮影の仕方などメディア向けの就職に向けて全般的な訓練を行ったり、アート、ショートフィルム制作などをとおして、学校教育以外の世界と触れ合う機会を子供たちに提供しています。今まで作成した2000以上のショートフィルムはYOUTUBEで公開したり、様々なイベントで上映しています。アート・プロジェクトで子供たちは絵画の才能を伸ばし、ある女の子の描いた絵は合計35000ルピーの値が付きました。両親はお世話になったAAFに全額寄付。デリーの遺跡や史跡を訪れ、デリーの歴史を紹介する体験学習も取り入れています。地域にはムスリム特有の因習の縛られた女性たちも多く、女性のエンパワーメントキャンペーンも行い、地域の多くの女性が参加しています。当地の深刻な水不足問題の解決に他のNGOの協力も得て貢献しました。こんなふうに、AAFは地域密着型のNGOです。

 

AAFは、今年で3回目のaseem asha art excellence and community leadership awards 2017の授賞式を開催しました。さまざまな受賞カテゴリーがあります。

TAGORE VETERAN ARTIST AWARD受賞者のQAMAR DAGAR(カリグラファー)は、代々続くアラビア文字の書道家の家系の方で、アラビア文字とデーヴァナーガリーを融合したデザインが彼女の作品の特徴です。

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(ウルドゥー文字とデーヴァナーガリ文字のniをデザイン) 

同賞受賞のFOUZIA DASTANGOは語り部。彼女の姓でもあるDASTANGO16世紀から伝わるウルドゥー語の語りの伝統。彼女はその伝統を引き継ぎ、学校や団体に紹介、伝える活動を行っています。

LIFE TIME ACHIEVEMENT AWARDの受賞者は、MOHD YASIN 氏とIRSHAD HUSSAIN FAROOQI氏。ともにウルドゥー語の書道家です。

私はASEEM ASHA PEACE PRIZEを受賞させていだきました。

HELPING HAND HONORは、地域の水事情を改善したNGO代表MALTI BHANDARI氏やライターで活動家のSADIA DEHVI氏、AAFで育ち今は社会活動家となり同団体を影で支えるkiran rai氏など実質的にAAFを支援した人々に贈られました。

 

授賞式の会場となったIC’s HOTEL XENIOUSにも同賞が贈られました。ホテルのオーナーのあいさつの直前、アシーム氏がこう言い出しました。

「どういうホテルなのか、どうしてこのホテルを始めたのか、とか話してください。」

 

宣伝も兼ねてホテルについて説明しようとしていたオーナーは、「どうして」という言葉に困惑。「どうして」って?、と思わず笑いがこぼれます。

会場にも笑い広がります。

 

「どうしてって、この授賞式の会場にするためにこのホテルをつくったんだよ」との冗談に会場の笑いはさらに。

「このホテルを計画してた時、みんなに言われたんだ。高級でおしゃれな隣町のフレンズコロニーみたいなホテルをどうしてこの町に作るんだ?って。その時思ったんだ。自分の町、ジャミアナガルをフレンズコロニーみたいにすればいいじゃないかって。だからこのホテルを作った。ホテルの内装もデザインも全部自分でやった。」

アシーム氏「それが聞きたかったんだよ」

会場は大拍手でした。

 

AAFの子どもたちがダンスを披露

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その後、勉強や職業訓練や活動を頑張っているAAFの子どもたちがたくさん受賞しました。

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AAFに学んだ子供たち、とくに女の子たちは女性の権利や自立など、このコミュニティの中にいるだけでは決して知ることのできない情報、知識を得て成長します。彼女たちの将来を大きく左右する団体です。実際前述のkiranさんは、AAFに学び、結婚、今は女性やジェンダーに関するフォーラムの仕事をしてます。同問題に関するコラムをたくさん執筆しています。このような仕事に就いたのもAAFと出会えたからではないでしょうか。午後2時からの授賞式も5時過ぎに終わり、帰り道一緒になった彼女と、冷たい雨の中30分近くオートに乗り、最寄のメトロ駅到着。これからLGBTのワークショップに向かうと、LGBTや自分の思いなどさまざま話してくれました。本当に頼もしくて嬉しくなりました。

AAFは子どもの支援だけではなく、女性や地域の発展に貢献するオークラの土地にしっかりと根付いた団体です。素敵な団体から賞をいただくことができて本当に光栄です。

 

IC’s HOTEL XENIOUSです。

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環境問題・国際セミナー in バローダ

1910日は、Hindi Diwas(ヒンディー語の日)を記念してバローダで開催された国際セミナーなどに出席してきました。

 

今回も一泊二日の強行軍。午後2時発の便を目指して、早朝から子どもたちのランチやおやつを作り置き。あれこれグッタリ疲れて空港着したのに、搭乗時間になっても何の表示もアナウンスもありません。ボーディングパスに指定のゲートはものすごい混雑で、自分が並んでいる列がいったいどこに通じているのかも分かりません。ゲートの電光パネルには行き先も表示されず、さらにカオス。列の前後左右、誰もがみんな不安そう。品の良い老夫婦が「あなたはどちらへ?」と列の数名に聞いていて、みんなが「プーナ」「プーナ」と答えるものだから、さらに不安になってくる私。となりの女の子に「どこに行きます?」と聞いてみると「バローダなんだけど、大丈夫かしら・・・」 とこちらも心もとない。挙句に老夫は「もうバローダ行きは締め切ったはずだよ」と妻につぶやき、自分もバローダ行きなのに自虐し始める。物凄く不安だけれどこういう場合はなんとなく身を任せているとなんとなくいつも上手くいくと直感が働き、とぼとぼ列を進んでいたら、やっぱりウマくいった。機内に入ってさあ座ろうと思ったら、隣が先ほどの女の子で二人で苦笑い。

やっとテイクオフ。結局説明も無いまま1時間遅れ。

1時間半のフライト中、機内でズーーーっと泣叫ぶ子ども。私は眠くてうつらうつらしていたけれど、奇声で時々目が覚めた。かなりの大騒ぎなのに機内は特にイライラした空気もない。お母さんにも申し訳なさそうな様子はなく、子供を連れて機内を行ったり来たり。後席の年配男性はきっと他人だけれど、楽しそうに子供をあやし続ける。私はその心の広さに、スゴイなあと感心するばかり。

あっという間にバローダ空港到着。出来立ての新空港は、とてもきれい。

外にはshobhana jain校長の姿が。座れるような場所もなく、一時間以上も遅れたので待ちくたびれているはずなのに、満面の笑顔で迎えてくれました。道中のモールでイドゥリサンバル+南インドコーヒーというヘビースナックをいただいてから、ホテルに到着。最近はどの街にもモールがありますね。

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車中で色々とお話。バローダの長距離バススタンドは物凄くて、アジア一だとのこと。(なんかこういう話、別の街でも聞いたことがあるような。。。)shobana氏はとても暖かく包容力のある可愛らしい方。私が参加するセミナーがたまたまそうなのか、主催の女性というのは、いつもこんな感じの方が多い。

 

午後7,Pashchimanchal Hindi Prachar SamitiPHPS)主催のHindi Diwas International Seminarに出席。Hindi Diwasは、1975110日インディラ・ガンディー首相によって第一回が開催されました。インドのほぼ全州、ざさまざな地方にそれぞれのHindi Prachar Samiti(ヒンディー語普及協会)があり、ヒンディー語の普及に貢献する活動をしています。Pashchimanchalは地方の名称。PHPS2010年設立の比較的新しい協会。代表はManik Mrigesh氏。プレームチャンド、カビールなど文学者や、グルナーナクなど宗教者の生誕日を祝ったり、さまざまな文学文化プログラムを開催しています。特に女性のエンパワーメントに力を入れている団体です。現在の会員数は150名。

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今回のセミナーでは、著名な作家Damodar Khadse氏が「サヒティヤアカデミーのヒンディー語普及への貢献」と題し講演。モーリシャスの作家Raj Hiraman氏は同国におけるヒンディー語事情について講演。モーリシャスでヒンディー語は非常に重要な役割を担っており、我が国はヒンディー語を国連の公用語にしたいと考えていると熱弁。私は日本のヒンディー語事情について、言語教育と文学や翻訳の視点から紹介しました。

Manik 氏は、オーストラリアを訪れた際、ATMの表示言語の多さに驚き、その中にヒンディー語もあったと紹介。しかし国内をみると、各州の高等裁判所の公的言語は、北インドの数州でヒンディー語、タミルナドゥ州でタミル語が使用される以外、すべて英語が使用されていると指摘。同氏の書籍「hasya vyangya shatak」(風刺詩集)の出版会もあわせて行われました。

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この時点で午後9時すぎ。終了かと思いきや、第二部・詩の朗読会にうつりますとのアナウンスを聞いて耳を疑う。え、これから?

3,4人の詩人が自作の詩を延々11時過ぎまで披露。楽しく良い詩だったようですが、もう眠くてほとんど覚えていません。その後夕食が供され、写真撮影がまたまた延々と・・・。

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両親と参加していたかわいらしい6年生の男の子。私よりもずっと元気な様子。「日本人のあなたにお聞きしたいことがあるのですが!」と勇気を振り絞ったように丁寧なヒンディ語で話しかけられ驚く。何?と聞くと「helloは日本語でなんというのですか?」とのこと。あまりの可愛さに眠気もふっとびました。

明朝は8時半に会場に入る予定。


日付が変わってからホテル到着。さあ熱いシャワーで疲れを癒そう(バケツと手桶の沐浴だけど)と思い、蛇口をひねるとやっぱり冷水しか出てこない。インド人は朝シャワーが基本なので、中級ホテルは夜温水が出ないのが常。

そうだった。。。と思い出してがっかり。ダメ元でレセプションに内線してみる。「朝6時にしかボイラーを動かさないので、今は無理です」と予想通りの答え。「そうですか、残念ね。。。」と受話器を置くと、またベルが鳴る。「今朝のお湯がまだ残ってると思います。バケツに2杯くらい出しっぱなしにしてみてください」とのこと。「まー、無理だろうなあ、社交辞令だろうなあ」と思いながら試してみると、本当に出た、熱湯。この辺がデリーとかとは違う。相手を思いやる気持ちというか、誠実さというか。こんなふうに夜中の1時に対応してくれる中級ホテルはデリーにはなかなか無いと思う。

そしてベッドに入ったのは午前2時過ぎ。熱いお湯のおかげでぐっすり眠れました。

 

翌朝、「Antarrashtriya Sanghoshti / Vaishvik Paryaavaran Samasyaen evan Samadhan(国際セミナー・世界環境問題と解決策)」のため、朝9時に会場入り。9時半開会予定でも全くそんな雰囲気はなく、雑然とした会場。

Damodar 氏と私はすることも無く、寒い会場の客席最前列に座り、大詰め作業でてんややわんやの関係者を眺めながら、ただ待つ。大きなイベントではありがちな、訳もなくせかされ理由も分からず待たされる展開。主催者側の状況もよくわかるので、のんびり待つことに。会場で朝食と通達されていた私たちはお腹もすいてきました。Damodar氏は持病の糖尿病の薬を飲む時間になり、なんと飲んでしまう!服用後15分以内に何か食べなくてはいけないと焦りだし、心配になった私もいろいろ聞いてみるものの、いつものようにのらりくらりと対応され事は進みません。ようやく場所を移動してパコーラ(フリッターのような揚げ物)とお茶が供されました。ここバローダ料理は甘いのが特徴。パコーラも甘くておいしい。

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1時間押しでやっと開会式。来賓のひとりが「国際セミナーだから英語で話す。英語であるべきだ」と話しだし、(ヒンディー語の日を祝うイベントなのに?)と私もあれ?と感じた途端、「違う!」と大声で舞台から異議を唱えたモリシャスからの参加者。「じゃあ貴方がここから話して下さい」と落ちついているがキレ気味の来賓に焦る主催者陣。という一幕もありましたが、どうにか収まりました。

そんなこんなで、その他来賓スポンサー等々のスピーチはやっぱり長く、さらに時間は押しまくります。

私のフライトは当日の午後4時だったので、こんな展開をみこして事前に自分の発表を 2番目から1番目に変更してもらいました。主催者はもともと1番目に発表予定だった偉い女性の逆鱗に触れて大変だったようです。でも、やっぱりおねがいしておいてよかった。

「3・11大地震と日本の文学」と題して、東日本大震災について、原発事故とその後について、震災後に書かれた文学について「持たざる者」「献灯使」「バラカ」を中心に紹介し、今まで翻訳出版した自身の本についても話をしました。

他の方々の発表が聞けず本当に残念だったのですが、時間も無く、話終わってすぐ会場を出てお昼をいただきました。今度は土地のものを使った本格的なグジャラート家庭料理。初めて食べる野菜のカレーやスナック。ダール。やっぱり甘めでおいしい。早く出発する私のために急いで用意していただき感激。おかげで主催のshobana氏とゆっくりお話しすることができました。セミナーの最中なのに、私のランチに付き合ってくれる余裕がすごい。このショーバナ校長は落ち着いていてどんなに張りつめた状況でも笑顔。懐の深い女性です。そしてバローダの人は誰もが誠実で柔らかい印象。南インドに行った時のことを思い出しました。

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バローダの英雄は「マハラジャ・サヤージー・ラオ・ガーイクワード三世」(18751935)。教育普及、特に女子教育に力を入れていた民衆の王。1892年にはバローダ全域に上水道システムを確立、市民全員が飲料水に困らない社会を作り上げました。今日もこのシステムは活躍しています。青年期のアンベードカルに出会った王は、城での雇用を条件に彼を援助します。しかし不可触民のアンベードカルは城の人々にひどい扱いを受け、最終的に王の援助を辞退せざるを得なくなりました。このような高い文化的背景があるからか、バローダの人々は皆「わが町は夜中でも女の子一人で出歩ける安全な町」と胸を張ります。デリーやグルガオンでは考えられない。午後7時、人通りの多い交差点で女の子がSUVに引きづり込まれる社会です。バローダには年中夜中まで営業している飲食店があり、若者などでにぎわっていました。グジャラート州でアムダーバード、スーラトに続く3番目に大きな町、バローダ。どうしたらこんなふうに安全な町ができるのだろうか。どうしてこうも気質が違うのだろうか。

 

今回も人生の財産となる貴重な出会いを重ねることができました。

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バローダ観光は全くできなかったので、また家族とぜひ訪れたいと思います。

今回私が出かけている間、冬休み中の子どもたちは丸一日家でお留守番。二人でお留守番できるなんて大分成長してくれたものです。

 

そして、帰りの機内もズーーーっと騒いでいる子が数名。人数が増えても相変わらずリラックスモードがブレない機内。インド人の子どもに対するしつけの甘さはよく非難の対象になります。確かにマナーのない傍若無人な子供(成長後の大人)もいます。自分の子どもに対しても、他人の子どもに対しても許容範囲が広いのです。幼い子供を育てる側にとっては、こんなありがたい環境はありません。私もよく昔は機内や公共の場でインド人に助けられたなーと思いだしました。

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インド福島県人会 ニューデリー日本人学校夏祭りに参戦

先日、インド福島県人会に入会させていただきました。

3月11日に、東日本大震災関連企画が国際交流基金ニューデリーで開催され「女川カレー」を紹介しました。記事はこちら。「東日本大震災5年 女川カレー プログラム」

その時、県人会の中心者の方とお知り合いになり、お誘いいただいのです。

福島出身もしくは福島の酒が好きな人はどなたでも入会可というゆるい規則の会なのですが、とても楽しい福島愛にあふれる県人ばかりのグループです。福女出身を探されていたようで(笑)入会できました。

懇親会が活動の中心ですが、このたび、9月24日(土)ニューデリー日本人学校夏祭りに県人会が参加しました。

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毎年9月の終わりには、ニューデリー日本人学校で夏祭りが開催されます。おみこし、盆踊り、出店、花火、と日本の祭を体験できる貴重な行事です。

子供たちは大好きで、毎年とても楽しみにしています。

よちよち歩きのころから行っているので、今年はもう5,6回目くらいでしょうか。

当初は日本人なら誰でも入場できたのですが、

3年前くらいから日本人学校と日本人会会員、およびその紹介者のみの入場となりました。事前に無料の入場券を入手しないといけません。

ちょっと手間が増えましたが、子供たちが大好きで私もとっても楽しみにしているので、いつも入場券を手配して参加しています。

そのために日本人会会員を続けているようなものです。

が、今年は9月になっても、日本人会から夏祭りのお知らせEメールが来ない。

おかしいなあ、と思いながら、日本人会事務局に問い合わせてみたところ、システムミスで私の名前が会員登録からなぜか削除されてしまったとのこと。。。。。信じられない。。。。

再登録してくださいと言われました。家族の期待を一身に背負っているので、夏祭りに行けなくなっては大変とすぐさま登録しました。こんなことってあるんですね。2000年に登録入会したのに。

結局入場券は友人にお願いして無事入手。

 

さて、県人会の参戦が決まり、最初の打ち合わせに参加しました。場所はグルガオン京都レストラン、カラオケルームという県人会らしい集合場所。試食を兼ねたとても楽しい打ち合わせ。長い年月をかけて開発された猪苗代産のお米「天のつぶ」(20キロ!)を「ふくしましの水」(モンドセレクション受賞)で炊いたご飯の「おにぎり」、福島人なら誰でも知ってる「芋煮」(自家製お味噌で作った豚汁風)、今年採れたての桃果汁100%のジュース「伊達の蜜 桃ジュース」が出展メニュー。なんと、福島県、福島市、猪苗代町、JAふくしま未来の在福機関の協賛です。ありがとうございます!!

海苔、塩昆布、塩(有名な会津山塩)などなどたくさんの必要品は、帰国機会のある県人の方々による持ち込み。素晴らしい連携プレーです。芋煮のみそは県人の方の手作り。人参、玉ねぎ、サトイモ、豚肉など具材はインドの物を使いました。こんにゃくは粉から手作り。

おにぎり型を使用してまずは試作。なかなか難しいものですが、できあがりの感想第一声は、「福島のお米おいしい!!」飲んで食べて楽しい打ち合わせでした。

福島県人会「夏祭り事務局」が発足し、当日までの準備日程は中心者の方が献身的に事細かく計画。それにしたがって行動すれば万事うまくいく、という手筈です。県人会には様々な職種の方がいるのでとても頼もしい。

当日は、熊本大分震災への募金も募ることに。

募金箱は日本人学校の小学生が作ってくれました。指導の先生は県人会です。

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そして、募金して頂いた方には福島の民芸品のをもれなく贈呈。あかべこ、三春駒などのキーホダー、コースターなどなど。どれもこれもかわいいです。これら約1000点も関係団体からの支援!当日ブースに貼るtokioの福島宣伝ポスター、パンフレット、クリアファイルなどなど、応援物資がぞくぞく届きます。

募金と当日売上は、関係機関を通じて熊本地震の復興支援等に寄付される予定。熊本県人会の方も一緒にブースを盛り上げることになりました。くまもんと福島ののぼりがブースに二つ並ぶことに。キビタンがいなくて残念。

 

2回目の打ち合わせもレストラン京都。今度はシェフのお任せイタリアンコースを堪能しました。おいしい。日本料理じゃなくて、イタリアンレストランにすればいいのにと本気で思いました。

呑んでいただきながら、打ち合わせ。

すでにキレイに出来上がっている計画表をひとつひとつ、呑みながら確認。

福島県人はみんな呑み方が似ていて、とにかく呑む。店のウイスキーとソーダを飲みつくしてしまう勢いです。(他にそんなに客もいないのに。。。)

みんながデキあがってしまわないうちに確認完了しないといけません(笑)

当日の集合時間は朝10時。販売開始は520分なので、長―い仕込み作業がまっています。熊本県人会の方から伝統手作りお菓子「いきなり団子」を提供いただくことになり、楽しみ!

 

当日は京都の関連レストラン「たむら」グルガオン店に集合、仕込み開始。持参の包丁やピーラーで芋煮の具材をどんどん切って行きます。


 
私はおにぎり班だったので、まずはのんびり見物。

そうしているうちに、おにぎり型とシェフが夜中から炊いてくれた20キロのご飯が到着。3つ同時に作れるおにぎり型が三つ。いくら作っても作っても鍋の20キロ「天のつぶ」は無くならない。2時間以上おにぎり型にご飯を詰め続け、やっと終了。思ったより大分時間と労力かかりました。450個近い梅と塩昆布のおにぎりが完成。すぐさま試食まかない。おいしくてビックり!

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ちょっと休んで日本人学校会場に午後2時半到着。

暑い(あづい)!

炎天下のブースで飾り付け班ががんばっていました。

とっても素敵な福島感たっぷりのブースに感動。

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ひとつひとつのアイテムの背景が分かるだけに、苦労のほども分かり愛着がわきます。

やっぱり福島はいいですね。福島、熊本県人会の方々も献身的で素敵な人ばがり。

ブース裏でみんなでまかない試食開始。

おにぎりの感動はもう味わっていたのですが、芋煮でまた感動。

子どもの頃は家の裏の松川で、高校の頃は水林の川原でよく芋煮会をしました。

あの頃と全くおんなじ味。

これが再現できるなんて本当にすごい。

材料調味料具材まで細かくみんなで話あって、最高のものを持ち寄ったからですね。

 

県人はこの辺からだんだんと、ビール呑みながら作業(暑いので控えめ)になっていき、

あっという間に開店時間。

もうその頃には、すでにお客さんの長い列ができています。

私は福島の法被を貸していただき、募金班に。

たくさんの人が快く募金に協力してくれます。

お願いします、と声をかけると断る人はまずいない。

民芸品もとても喜んでいただきました。

私も真っ先に募金してあかべこ箸置きを手に入れました。

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8時が閉店ですが、7時ごろには全品完売。

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暑い日だったので芋煮の売れゆきが心配でしたが、県外の人にもこの絶品は伝わるのですね。

東京育ちで芋煮を知らない夫もいつの間にか食べていて絶賛。家で作ってと言われましたが、きっと再現はムリです(笑)

売り切れになっても最後まで募金は続きます。

県人の方が民芸品の重いトレイを持ってブース外へ。通りすがりの方々が立ち止り、民芸品に目をとめ、募金をしてくれました。

私も日本からたくさん届けて頂いた福島のパンフやクリアファイルを手に皆さんにお願い。本当にたくさんの方が協力してくださり、民芸品をとても喜んでいました。

 

長い一日でしたが、

本当に楽しく充実した一日でした。

素敵な会に混ぜて頂き本当に嬉しいです。

これからも、さまざまご一緒できる日が楽しみ。

 

いままで夏祭りは受け身?参加でしたが、

今回企画側になって、更に夏祭りが大好きになりました!

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福島民報に掲載になりました!
https://lin.ee/6A0hWsF?utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none&share_id=nes74946043073 

写真絵本「さがしています」ヒンディー語版 読み聞かせ

89日長崎忌は、「さがしています」(मैं ढूंढ रहा हूँ main dhoondh raha hoon)のヒンディー語の読み聞かせを国際交流基金ニューデリー日本文化センターで行った。

 

この時期はモンスーンなので、今年もやっぱり雨が降った。ボーパールではさんざん降られたが、ニューデリーでは比較的少なめだったように思う。

 

当日は、以前ブログで紹介したアシーム・アーシャーファウンデーションから8歳~20歳の男女50名が参加してくれた。先日同団体を訪れた時に見たかわいい顔もあった。

アシーム・アーシャー・ファウンデーションで学ぶ子供たちは、今日の会のために原爆や佐々木禎子さんについて事前に勉強し、禎子さんのストーリーや広島の原爆についての絵を描き、みんなでたくさんの折鶴を折ってくれた。

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当日の会場にはそれらが飾られ、子供たちが絵や折鶴に託した各々の祈りに囲まれて、私は「さがしています」を朗読しだ。子供たちも自分の作品に囲まれ、心の準備もできているせいか、1時間近くの長いプログラムにもかかわらず、しっかりと受け止めてくれた。アシーム氏の準備に費やす労力は大変なものだったに違いない。心から感謝申し上げる。日ごろから子供たちの心を豊かにする地道な活動を続けているだけに、子供たちと氏の信頼関係の強さと素晴らしさは、子供たちのプログラムに望む態度や姿勢から明らかだった。映像制作を教育に取り入れているNGOなので、レコーディング班まであり、担当の子供たちはたのもしく任務追行していた。

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「さがしています」は、広島平和記念資料館の展示物がカタリベだ。日本人には分かりやすいが、外国人には広島、資料館、この本などについて事前に丁寧に説明する必要がある。

同著には、カタリベひとつひとつの詳しい紹介が掲載されている。読み聞かせでは、ひとつひとつを紹介してから詩を朗読した。モノたちが、その瞬間まで、どんなふうに存在していたのかを知ることで、その声が子供たちの心により一層響いていることを感じた。

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今回参加してくれた子供たちは全員イスラム教徒。女の子はしっかりスカーフを巻いている。年長の18歳の女の子は、原爆を題材にした絵を描いてくれた。前回同団体を訪問したときに彼女といろいろ話した。今回のプログラムで彼女を見た時、すぐには彼女だと分からなかった。すっぽりかぶっていたスカーフはなく、美しい巻き毛の黒髪姿だったからだ。とてもおしゃれで素敵だった。帰りはまたスカーフをすっぽり被り、私に手を振りながら会場を出て行った。

彼女は、原爆はとても悪い兵器だがインドは抑止力として持ち続けなければならないと力説していた。絶対に使用してはならないが、自分たちの力を表明し、自国と国民を守るために保持しなければならない、と。

以前アシーム氏のセンターで私の話を聞いた後、原爆や平和についてもっと知らなけれならないと感じ、その時から他のどの子よりも学んできたはずだ。その彼女の意見がこれだ。

一方、同年代の男子たちは一様に、絶対に核兵器は無くさなければならないと主張していた。

子供たちは皆、以前は広島と長崎の名前くらいしか知らなかったが、今は原爆投下がもたらした大惨事を知ることができたと語っていた。

 

すべてのプログラムを終えた帰り際、アシーム氏は「さがしています」は本当に素晴らしい本だと語り、子供たちと絵を書いたり、写真を撮ったり、似た話を創ったりと活動を広げる手助けをしてくれると話してくれた。私もまさにその通りだと感じている。子供たちとさまざまな活動を展開するきっかけになる本。

素晴らしい本をヒンディー語を解する人々に届けることができた。

翻訳出版を助成いただいた国際交流基金、童心社、現地出版社エクラヴィヤ、そしていつもプログラムに全面的に協力してくださる国際交流基金ニューデリー日本文化センターに、心から感謝申し上げたい。

 

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写真絵本「さがしています」ヒンディー語版完成

「さがしています」はアーサー・ビナード作、岡倉禎志写真の写真絵本。ビナードさんはアメリカ生まれ。自国の大学卒業後、日本語を学ぶために来日。日本語を自分のものにしたアーサーさんは、日本語でたくさんの詩や作品を書いた。たくさんの受賞作品が生まれた。アーサーさんは広島に通い、平和記念資料館に何度も足を運ぶうちに展示物たちの声が聞こえてくるようになったという。みんながあの日に別れてしまった主人をさがし、楽しかった時間、失った日常をさがしていた。その声をアーサーさんは詩にした。岡倉さんがモノたちの素晴らしい写真を撮影した。そうしてできあがったのが「さがしています」。

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2016年8月「さがしています」ヒンディー語版「मैं ढूंढ रहा हूँ (main dhoondh raha hoon)」が完成した。

企画開始から完成までが1年半という超速。翻訳本でしかもインドで!かなり珍しいケースだが、現地出版社がとても意欲的だったことが最大の理由。
出版社エクラヴィヤは、マッディヤプラデーシュ州の州都ボーパールにある。当初はこの距離を心配していたが、このサイバー時代、真面目で素早い対応の出版社なら、距離など全く関係ないことが分かった。むしろ面と向かって会う必要など考えてみれば特に無い。


広島忌86日の本著紹介イベントの会場はボーパールに決定。8月5日から2泊3日でボーパールに向かった。
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日夜、雨降る中、ボーパールに到着。着いて初めて、こんなに大きな湖がここにあることを知った。全長35キロメール。小さめの湖もいくつか隣接している。

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滞在中はずっと雨模様。
2日目は盛りだくさんの日程で、まずはRemember Bhopal Museum を訪れる。
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年に起ったガス大爆発事故の資料を展示している博物館だ。

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博物館は、事故をおこした化学工場のすぐ近くにある。
工場は事故後のままの姿で立っていた。内部はまだ汚染物質の処理もされておらず、地下に染み込み、水の汚染は続いている。
周りは最低階層の人々が暮らすスラム。小屋がいくつも並んでいた。



















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住宅地の一角にある小さな博物館には、事故当日の貴重な写真や当時の状況を物語るモノたちが展示されている。たくさんの被害者の証言を音声で聞くこともできる。政府に対して何度も行われているキャンペーン活動が詳しく紹介され、現在も続く汚染による身体的被害について強く訴えている。

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ガス大爆発事故については知っていたけれど、事故処理が殆ど行われていない事、汚染の被害が今も続き、世代をこえて市民を苦しめている事実を私は知らなかった。
今も汚染水を飲まざるをえない人々がいる。目や皮膚の異常や病気に悩まされる人も多く、身体に障がいをもつ子供が生まれている。


この博物館の近くには診療所Sambhavanaがある。被害者を対象にした医療機関で今年で20周年。

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爆発事故の10年後、市民や被害者の中には改善されない状況に対するあきらめや無力感が広がりだしていた。それを打開するべくsambhavanaは設立された。sambhavanaはヒンディー語で「共感」や「可能性」の意味をもつ。伝統医療アーユルヴェーダと現代医療を組み合わせた治療法を患者に施している。敷地内には広いハーブ園があり、アーユルヴェーダに必要な薬草などが全てそろっている。処方箋を片手に患者は園を訪れ、庭師が処方箋に従って、取れたての新鮮なハーブを手渡す。ハーブから作る錠剤などの製造も同院で手がける。

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運営は個人の寄付金からなり、企業などからは受け付けていない。それで年間約35百万円相当の金額が集まるのは驚きだ。政府や企業の手を借りず、市民が自分たちで運営する頼もしい病院には女性や子供の患者が目立った。日に約200 人が訪れ、うち10%は新規の患者。問題がいまだに続いていることは明らかだ。


午後は出版社エクラヴィヤを訪問。

10エクラヴィヤ


ここ一年以上、ずーーっとメールでやりとりしていた編集者たちにやっと会えた。彼女・彼らのおかげで、一年半という信じられないほどの短い時間で「さがしています」ヒンディー語版を完成することができた。
エクラヴィヤは教育支援活動がメインのNGO。村部の教育普及や教員養成、教材発行などに取り組んでいる。この活動に乗って「さがしています」はたくさんの子供たちまで届いていくことだろう。

いよいよ6時からはプログラム。エクラヴィヤと国際交流基金の共催。デリーから離れた地で開催できたのは同基金のおかげだ。ニューデリー日本文化センター所長も出席くださった。

土砂降りの雨の中、沢山の人が集まってくれた。
会では、ボーパールのガス爆発事故についてもさまざまな発表があった。
私は、広島、長崎、原爆について話し、広島の爆心地は今は大きな平和公園になっていること、そこの資料館には2万1千点の被爆した貯蔵品があり、展示もされていることを話した。
毎年広島と長崎では原爆の影響で亡くなった方々の数を発表していて、20158月までに広島で297684人、長崎で168767人の方が亡くなったこと、毎年その数は増え続けていることを伝えた。 

インド人は学校でヒロシマとナガサキについて学ぶため、その名は広く知られている。でも原爆の実情を知る人は少ない。ちょうど私が今日ボーパールに来るまで、ガス工場爆発の被害が、現在まで世代を超えて人々を苦しめ、水の汚染が今も続いていることを知らなかったように。何が起こり、何が今も続いているのかを知ることは、繰り返さないために非常に重要なことだと再確認した。

「さがしています」は世界でも珍しい形の写真絵本。広島平和記念資料館に保管展示されている21千点の中から14点が選ばれ、モノたちがカタリベとなり、86日に別れてしまった主人をさがし、一緒に過ごした愛する時間をさがし、私たちに語りかける。あの日、かけがえのない人、時間、モノ、事が、一瞬にして奪われてしまった。誰にでも起こり得る現実。もし私が明日消えてしまったら、私の愛するモノたちや人たちは、取り残され、私のためにどんなことを語るだろうか。

作者アーサー・ビナードさんはアメリカ生まれ。日本の大学で日本語を学び、日本語の詩人となった人。広島と資料館に何度も足を運ぶうちに‘モノ’たちの声が聞こえてくるようになったそうだ。平和のメッセージがこれ程つまった本が他にあるだろうか。‘繰り返してはならない’この一点につきる

11スピーチ


会では、3人の子供たちが「さがしています」からひとつづつヒンディー語で詩の朗読をしてくれた。

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12子供詩


ボーパールの有名な詩人ラジェーシュ ジョーシー氏は、ガス爆発に関連した自身の詩を披露。悲しいけれど、前向きな心の伝わってくる詩だった。

会では、翻訳の詩とは思えないとお褒めいただいた。ビナードさん原作の詩が素晴らしく、万国共通のことばで語られているからに他ならない。わかりやすく、心に響く言葉。カタリベたちの言葉は、どんな国のどんな年齢の人の心にもすんなりと入っていく。もっともっと多くの言語に翻訳されることを望む。


この本は、本当に一風変わっている。出会ってすぐに、絶対に翻訳したいと思った。国境や言語を超えて、誰の心にも響くに違いないと確信した。その確信はやっぱり本当だった。ボーパールでも、読み聞かせでも、みんなじっくりと自分のものにしてくれているのを感じた。ボーパールで朗読を披露してくれた子供たち、練習は2回だけとのことだったが、男の子は「はじめておめにかかります」の朗読中、心がいっぱいになってしまったようで、何度もぎゅっぎゅっと両目を閉じては開け、言葉に詰まりながら最後まで頑張って読んでくれた。カタリベたちの言葉は子供たちの心にずっと残っていくだろう。


原爆の問題とガス爆発事故の問題は同じではない。一緒に語ることは難しい。でもそこから伝えなくてはならないメッセージは一つ。もう絶対に繰り返してはならない。
そのためには、何が起こり、人々がどんなめにあったのかを正しく知る必要がある。ボーパールの博物館「Remember Bhopal Museum」や「さがしています」は大切な役割を担っている。


当日についてボーパールのたくさんのメディアが紹介してくれた。

13報道

9患者

 

 

 

 

 


 

パリ・コルシカの旅 <1>

6月16日~28日 パリとコルシカ、そしてロンドンへ行って来ました。

パリ

6月16日午前デリー発。同日夜9時パリに到着。この頃のパリは、夜10時ごろまで明るい。思ったよりも寒くて驚く。



空港近くのホテルを予約したので、空港内の所定の場所でシャトルパスを待つけれど、全然来ない。空港なのに英語の通じる人が見当たらない。ウオサオしているうちに、ホテル名の入ったバンがちょうど目の前に停まる。たぶん最終のシャトル。これを見逃していたら大変だった。陽気な運転手は15分ちかくの道中ずっとフランス人年配夫婦とおしゃべり。パリでこの後も折々に見かけたが、シャトルバスなどでは、乗客は助手席から座っていくのが礼儀のようだ。インドなら無料のシャトルであっても、乗客が運転手の隣に座ることはない。



ホテルはウィークリーアパートで、2間・キッチンつき。ホテルというより、郊外の団地に入り込んだように思える。


regidhom

翌日は早速ルーブル美術館。空港近くのホテルなので、パリ市内までは30分くらいかかり、しかも片道10ユーロ。朝食は駅の売店でクロワッサン、サンドイッチ、コーヒーなどを買う。おいしくてびっくり。


ルーブル

ルーブルに着くと、子供たちはエジプトセクションが見たいと言いだし、見始めたものの、広過ぎてとても見きれない。途中であきらめ、ミロのビーナス、モナリザなどの有名どころを見て退散。


ミロ

日中の気候の変化がとても激しい。雨が何度も振り、何度も晴れ間が現れる。そのたびにすごく寒くなったり、汗ばむほどになったりする。50度近い国から来た者には冷たい雨の寒さで芯まで冷えてしまう。


凱旋門

3日目は、オルセー美術館。ここは比較的最近の美術品が多い。有名なゴッホの自画像などを観賞。ルーブルでは全く見かけなかった日本人も多い。


ゴッホ オルセー

お昼はおいしいクレープを食べて、エッフェル塔へ。長女がとても楽しみにしていたエッフェル塔。さて上まで登ろうということになったが、夕方の一番混雑する時間で長打の列。寒風と冷たい霧雨の中2時間近く並び、やっと入場。すると、なんと次女が高所恐怖症で2階くらい階段を上ったところでギブアップ。私と次女は下で夫と長女を待つことに。とにかく寒い。1時間以上過ぎても出てこないので、もしかしたら外にでてしまったのではと心配になりいろいろ聞いてみるが、英語があまり通じず状況がつかめない。心細くなってくる私を次女が「あのふたりはのんびりチームだから遅いんだよ」と勇気づけてくれる。彼女の予想どおり、程なく、頂上まで行ってきたと満面の笑みで帰ってきた二人。


エッフェル

パリの天気はころころ変わる。雨が降ると寒くて、晴れ間が出ると汗ばむほど。調整が難しい。とにかく英語が通じないのが大変。パリだから大丈夫だろうと油断していた。16年前イタリアに行ったときも同じ油断をして大変な目にあったのに。ちょっと道を聞きたい、ちょっとお尋ねしたいという時、周りに英語を解する人がなかなかいない。

英語が不得手なのは日本人だけじゃない!

そう考えると、インドのほうが英語を流暢に話す人が多い。

発音は別として。



19日は、いよいよコルシカへ移動。


コルシカ

パリでも思ったほど英語は通じなかったけれど、コルシカはもっと通じない。

ホテルには「英語が話せるスタッフがいます」の看板。でも決して流暢な英語とは言えない。

一応国際観光地なのに。

到着したホテル受付の女性は、途中で「あー脳が疲れた」と笑いながら、英語で一生懸命対応してくれた。彼女曰く、

「東京に行くのは私の夢。でもパリは好きじゃない、買い物しかすることがないし。」とのこと。買い物の点は東京もパリも同じような気もするけれど。日本が好きだと言ってもらえるのは嬉しい。

コルシカでは一度もアジア系の人に会わなかった。

どこに行ってもまずはボンジュールであいさつ。メルシーの連発。パリでもコルシカでも。丁寧な国民だなと思う。
インドでは人にぶつかりながら突進するのが常だけれど、ここでは大変な失礼になるようだ。少し触ったくらいでもsorry, excuse me。自分がどれだけガサツになってしまっていたかを思い知る。



エメラルドグリーンと濃紺の海。砂浜近くは海とは思えないほど透明な水が美しい。全く同じ画が、アイフォンの待ち受けイメージにあったなと思いだす。

パリでもコルシカでも公共交通機関を使ったので、そのシステムを把握するまでは時間がかかる。慣れてしまうと楽しい。


コルシカ2

旅行前半はパリ、コルシカともにキッチン付きの部屋だったので、野菜、果物、冷蔵食品、チーズ、ピール、ワイン、ジュースを買いこみ、簡単な夕食を作った。野菜も果物もささっと洗えばいいだけなので、インドでの料理に比べて半分の手間もかからない。しかもおいしい。トマト、レタス、キュウリ、ルッコラなどの野菜が、日本ともインドとも少しづつ違う。トマトはヘタ付きのまま4,5個くっついて売っている。トマト!の香りがたっぷりする。祖母は福島の農家で、幼い頃その畑で捥いだトマトの懐かしいにおいがした。

フランスのホテルは、滞在中のタオル交換が無い、お掃除もなし。トイレットペーパーも補充してくれない。欲しい場合は買う。バスルームに乾燥用のヒーターはあるけれど、ずいぶんインドとはシステムが違う。インドなら、高級ホテルでなくても、タオルは毎日代えるし、お掃除も「don’t disturb」を出さない限りは毎日してくれる、トイレットペーパーも使い放題。私たちはホテルのタオルを使い捨てしようと、バスタオルも持参していなかったのでビーチで困った。みんなMYバスタオルを敷いてビーチで楽しんでいる。仕方ないので、ホテルのタオルを使って、砂だらけになったものをその都度洗濯した。


コルシカ食事

コルシカはナポレオンの生まれた島。ナポレオンの生家が博物館になっている。無料で各国語の音声ガイドが配られるのでとても分かりやすくじっくり学べる。

コルシカでは基本的に外貨両替ができない。なぜだろう。小さい島で、カジノもあるからだろうか。そんなこととは知らず、あまり現金を持たずに来た私たちは、ホテルでいろいろなものを現金で請求され困りはてた。カード社会であっても、念のために現金を十分もつことは大切ですね。


ナポレオン道

コルシカの海は本当にきれい。インドのビーチはゴミだらけだが、ここのビーチは、ゴミ皆無。海と街をみんなが愛し、みんなが汚さないから汚れない。ここまで美しいとゴミを捨てる気になんてなれない。

街中には、犬の糞の始末をしない場合は100ユーロ以上の罰金というポスターが貼ってあった。

夏とはいえ涼しいコルシカはゴミ収集場の近くでもそんなに臭くない。腐敗に時間がかかるのだろう。インドならもう息もできないほどなのに。

暑い→腐る→不衛生になる。過酷な暑さは平常心を奪う。

インドとフランスの文化や芸術はずいぶんと違う。躍動感と繊細さ。気候の違いで、その種類や方向性は決まっていくのではないだろうか。

気候が文化に与える影響は大きいと感じる。



パリ・コルシカの旅 <2>

コルシカから再びパリへ。

今度のホテルはドミトリー。駅から徒歩3分とアクセス抜群だが、とにかく狭い。一部屋に二段ベッドが二つ、のみ。その他のスペースは無し。フロントに共同のキッチンと食堂があり、24時間使える。名前を書いた食料を共同の冷蔵庫に保管できる。でもインドのドミと違ってかなり清潔なので快適だ。



ドミ

 

最寄り駅のgare du nordは、ロンドン行きのユーロスターも発着するパリの主要ターミナル駅。コンコルド広場やシャンゼリゼ通り辺りとは雰囲気がガラッと変わる。いろいろな人種が混在している。フランスに来て以来初めて、道を歩いていて人にやおら後ろから押しのけられた。治安もあまりよくなさそうな雰囲気だ。アフリカ系の人が多い。早朝の駅前、男性が数人立っていた。その中の長身の男性が私のほうを見ながら目の前の柱を思いっきり蹴った。大きな音にひどく驚いた。私は幸いそんなめに会わなかったが、驚いている隙にスリにあうこともあるそうだ。

インドだったら、たぶん同じことをされてもよくあることと気にも止めないだろう。

見知らぬ地では不安になる。

でも

アフリカ系の人たちがみな、もしもヨーロッパ系の人だったら?確かにガラは悪いものの、この町の治安がそんなに悪そうに見えただろうか。愕然とした。

 


日帰りロンドンの旅。

ロンドンにはインド系が多い。Gare du nordで神経を張りつめていたせいか、ロンドンの両替所窓口のインド人女性を見てなぜかほっとしてしまう。フランスではほとんど日本人を見かけなかったが、ロンドンではご年配夫婦の旅行者などたくさん目にした。日本人を見ても何も感じないが、インド人だと、話したわけでもないのに見ただけでなんだかとてもほっとする。

この人の温かさがインドの魅力なのか、人生の半分以上を過ごしたインドとインド人が私の故郷になってしまっているのか。

 


だが、列に並んでいる時だけは、インドじゃなくて本当に良かったと心から思った。ただ立っているだけで自分の順番が来る幸せ。割り込む人もいない。

 


ロンドンでは、後で考えてみればユーロも使えたのかもしれないが、ポンドに両替した。ユーロ、セント、ポンド、ペニーのコインの種類はそうとうある。老眼がすすんだせいか、全然見分けられない。間違ってペニーコインをパリの地下鉄切符売り場で出して、怪訝な顔をされた。






ロンドン


パリの地下鉄構内では、バイオリンやアコーディオンなど楽器を弾いている人がよくいた。

Chatelet駅には、いつも音楽が響いていた。日曜日はバイオリンの一団がクラシック演奏をしていて圧巻だった。セミプロか、趣味でやっている人が集まっているのだろう。自主制作のCDも宣伝していた。質が高く本当に素敵で感動した。アフリカ系の男の子が、前に置かれた箱に自分の財布を逆さまにして全財産放出していた。

走るメトロの中でマイク片手に歌う女性もいた。BGMもあり、公開カラオケのようだが本当に上手。

音楽に寛容な国民だ。

バイオリン


625日、美帆シボさんに会う。世界の子供に原爆を伝えるピースアニメ「つるにのって・とも子の冒険」を作った方だ。2012年に作成したヒンディー語吹き替え版をお渡しすることができた。

FBで連絡を取らせていただいていたせいか、初めてお目にかかった気がしない。コルシカのようなエメラルドグリーンと白の爽やかな服装で、最寄り駅まで迎えにきてくださった。初対面なのに、お宅にお邪魔してしまった。ご主人が友人たちと手掛けているシャンパン、美帆さん手料理のとってもおいしいお昼をいただく。お庭がとても素敵で、さまざまな植物、果物、野菜がかわいらしくそろっている。土地のものでとても強いというフランボワーズを摘んで、子供たちは大喜び。その場でいただきとてもおいしかった。

私たちは旅行中、あまり外食はせず、前述のようなスーパーが出所の食事をしていたので、美帆さんのお宅で初めて「パテ」をごちそうになり、おいしくて驚いた。もっと早く出会っていれば!

土地の人に聞かなければ、何がおいしくて何を食べるべきかは分からないものだ。

コルシカは「チョリソー」が有名なことも後で知った。

そういえばスーパーに行くと、乾燥した腸詰がやたらたくさんぶら下がってた。あれがチョリソーだったとは!しかし、ひどく苦手な匂いが漂っていたので、その時は食べたいとも思わなかった。

 


オランジャリー美術館に行き、モネの蓮の絵を観賞。素晴らしい色づかい。四方を巨大な絵に囲まれた空間。中央のベンチに座ってゆっくり眺める。



モネミニ

 

帰りの空港のイミグレーション。フランス人の検査官はとても気さくでニコニコしている。入国の時はニコリともしないフランス人で、ロンドンに入るイギリスのイミグレの英国人はもっと威圧的だった。歓迎はしないが、見送りはご機嫌なのか。

イミグレーションのホールに、ちいさな男の子の泣き声が響き渡る。私たちの担当官も気もそぞろ、目でその子を追っている。お母さんがひとり、わが子を持て余し困り果てている。係員に案内されて長打の列を飛ばしてこちらにやって来る。ずっと泣き叫び続ける子供。

インドなら、周りにどんどん人が集まってきて、我先にあやしてくれるだろう。お菓子もどんどんもらえることだろう。ここでは、誰も声もかけない。

 


インド国内の地方を訪れ、インドは広いと思っていた。

パリ、コルシカ、ロンドンに行って、世界は広いなと思った。

終わりの日が来るまでに、あとどれくらいの文化を経験することができるだろうか。

心の宝物が増えていく。

子供たちにとっても、とても良い経験になったと思う。



 



ラスト

アシーム・アーシャー・ファウンデーション

運転は大好きなのに、かなりの方向音痴です。見知らぬ場所に行くのは気が進まないのですが、この酷暑でメトロは使えず、東デリーのオークラ地域に行かねばならず、仕方なく、グーグルマップで事前に確認。朝のラッシュをさけようと早朝に出発しました。

途中までは順調だったのに、やっぱり道に迷ってしまい、携帯のナビアプリがいろいろ音声指示してくれるので、その通りに進んでいたら、もうどうしようもない狭い道に入り込んでしまいました。間の悪いことに対向車まで来てしまい、私がバックでずーーーっと戻ることに。狭い道なので隣の歩行者にバンバン車体を叩かれ、「運転デキナイノカヨォ!」とののしられる始末。好きでやってるわけじゃないわよ!と思いながら、あんまり得意でもないのに仕方なくバック続行していたら、ガリガリガリ。前のバンパーを横に停まっていた玉ネギ売りの屋台に擦りました。もう帰りたい。。。。

 

このアプリ。正確すぎて、どんな狭い道でも最短で目的地に行こうとするからこういうことになるんです。インドでは使えない。使っちゃいけない。

自力で地図とにらめっこしてようやく目的地到着。たっぷり2時間。

道中、夫が40数年前に産まれたholy family hospitalを横目に、初めて見るジャミアミリアイスラミア大学の前を通りました。

この辺はムスリム居住区。マスジッドも多く、ちょっと雰囲気も違います。裏に行くともうゴミ捨て場だらけ。一か月続くローザー(断食)がちょうど今日から始まったところです。

どうにか道端に車をとめて、迎えに出てくれたアシーム氏と合流。Facebookでよく連絡していたので、初めて会った気がしません。シヤー・マスジッドのすぐ裏にあるセンターに案内してくれました。

 

小さなセンターに入ると、停電で薄暗くものすごい暑さ。ラマダンの断食が始まるとなぜか停電もひどくなるそうです。それでも、いつも活動している近隣の子供たちが20人近くイスにキチンとと座って待っていてくれました。近くの公立学校に通う決して裕福ではない家族の子供たちだそうです。

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ちょっと打ち合わせに伺うから、子供たちとのプログラムはまた今度にとお知らせしておいたのに、やっぱり全然聞いていなかったようです。

「さあさあ、日本の事についてはなしてください」とアシーム氏。

 

そうねえ。。。。。と考えていると、アシーム氏がまずは、ここでの活動を紹介してくれました。

近くの公立学校に通う1年生から12年生までの男女生徒のために、勉強の補修をしたり、絵、写真、動画撮影、コンピューター操作、ミシン縫製の研修、さまざまな映画やドキュメンタリーを見せたりと、幅広い教育活動をされています。近くには大きな公立学校がありますが、教育環境は良くなく、ここでその分勉強の補修をするそうです。

アシーム氏はもともと映画製作が専門なので、子供たちにショートフィルム製作指導もします。もう何本か作品もあるそうです。

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アシーム氏と子供たちの質問にまかせて、

日本の女性、戦後日本の発展、日本の学校や生徒の話、日本の絵本や漫画、広島長崎の原爆の話、文化交流についてなどいろいろ話し合いました。

センターの所在地はイスラム教徒が多く、ここの子供たちもみんなイスラム教徒。アシーム氏曰く、イスラムコミュニティはまだまだ女性への制限が多く、生きづらい社会。少女たちは、ここに通うのを親に納得してもらうのも一苦労だそうです。外に出れる子は良いほうだとのこと。ムスリム女性の服を着て、スカーフをしっかりかぶり顔の部分だけがでています。停電で狭い教室にぎっしり座った私たちはみんな滝のように汗をかいています。彼女たちはもっともっと暑いはずです。

アシーム氏曰く、このあたりの親は娘をジャミアミリアイスラミア大学以外には行かせない、デリー大学やネルー大学に行くと、ジーンズやシャツを着始めて娘がダメになるから、と。

私は、隣に座る女の子たちに、「今来ている服と、ジーンズ長袖Tシャツなら、あまり変わらないんじゃない?肌も出ないし。どうしてダメなのかな。」と聞いてみた。

「他の男の人にじろじろ見られるのがダメなの。この服じゃなくて、そういう服を着ると他の人が見るから。父や兄は私たちを他人の目に触れさせないようにしたがるから。」

そういう彼女は絵がとても上手で、ここの教室で、詩など文学作品をテーマにして描いた絵を見せてくれました。絵を習いたいから親を説得してここに通っていると言います。

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小学1年生から3年生くらいの男の子たちが、「掛け算の歌」を元気よく披露してくれました。

インドでは20段まで掛け算を暗記しなくてはならないので、11の段以降は、自作の歌で暗記する方法があるそうです。歌詞がそれぞれ身近な話題になりとても楽しく、訳はこんな感じです。

16カケル1、お父さんは遠くの街に働きに行く16

16カケル2、ぼくらのヌールナガル(自分の町名)はゴミだらけ32

16カケル3、おばあさんはいつもうるさい48

というように延々と、19×9まで続きます。

子どもの記憶力はびっくりだし、かわいいし、とても楽しい覚え方だと感心しました。

歌詞はアシームさんと子供たちで考え、手振り身振りを交えた劇バージョンもあるそうです。

とっても見たかったのですが、教室の中はスペース不足で、動き回るのは難しく残念でした。

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断食中なのに、こんなに集まってくれた子供たちに感謝です。また会える日が楽しみになりました。

all

 

アシーム・アーシャー・ファウンデーション(aseem asha foundation)についてはこちらをご覧ください。

aseem

 

漫画「わが指のオーケストラ」ろう者家族紹介プログラム

511日、Noida Deaf Societyで久しぶりに代表のロマに会いました。

相変わらず小柄だけれど身体中からパワーが溢れてます。でも腰を痛めたそうで、少し辛そうでした。


今回の企画は共催の国際交流基金ニューデリー日本文化センターに全面的にお世話になりました。イベント開始1時間前に交流基金の担当の方々3名と私は、ニューデリー近郊のノイダにあるNDSに到着。今回もプロジェクターやスクリーンを使う内容なので、センターから機材なども運び込んでいただきまました。会場についてから、あるはずの設備な無い!ということは普通にあるので、このようなバックアップをしてくださるのは本当にありがたいです。
さて、NDSの健聴者職員で今回のイベント担当はまだ会場に到着していないようなので、私たちだけで地下の会場に入りました。

以前訪れた時と変わらず広いホールをカーテンで仕切って、個別のスペースを作り、クラスを行っているようです。

学生たちはイベントを知らされていないようで、いつものように机を並べたりクラスの準備をしています。皆ろうなので事情を説明する術もなく見守るのみ。やっぱりもっと手話を勉強しておけばよかった。会場にいてもラチがあかないので事務所へ移動。

担当へ電話してみると、なんと急用で今日は休むとのこと。代わりの人が急遽準備に奔走しだします。

そうしている間にロマが到着したので、担当が会場準備などをしている間、いろいろお話しました。

先日ロマは、女性子供開発省から「達成者・100人の女性」に選ばれ、タイムスグループ「素晴らしいインド人」賞も受賞し、ナレンドラ・モディ首相から表彰されました。  一人で立ち上げた組織をここまで発展させ、今も実質中心となって動かし、ろうの社会に大きな改革をもたらしている人は世界でもそういません。ノイダ、デリー、グルガオン、ジャイプルなど支所も増えました。

日々格闘、大変なようです。家族の無理解にひとつひとつ向き合う。ろうの職業訓練の一環としてNDSではコンピュータやタイピングのクラスを取り入れています。IT技術を身に付ける以外に脳トレの要素もあるからです。しかし、多くの親は子供がITエンジニアになれると感違いしてしまいます。あまり教育を受けていない低層階級の家族がほとんどなため、多角的な視点で物事を考えるのが難しいのです。ドミノ KFCなどのサービス業には就かせないと反対するそうです。一流ホテルの就職先でも子供をウェイターにはさせないと言いだしたり、ベジタリアンだから肉を出す飲食店では働かせられないと親は言い出します。就職先があること自体の貴重さが分かってもらえないそうです。

ロマは、いわゆる障がい者枠の就職先を勧めません。ろう者がしっかり教育と職業訓練を受け、障がい者としてではなく、本人の能力が認められその能力を発揮できる職場を開拓してきました。人材を育て、1200人以上のろうの若者が就職を勝ち取ったそうです。

この労作業を日々続けているロマは、NDSの職員に、ここの仕事は仕事ではなくミッションだと説明するそうです。



そんな話をしている間に会場の準備が完了。

本当は今回のプログラムでは、ろう者の健聴者家族を対象に漫画の紹介をしたかったのですが、NDSでも集めることができなかったとのこと。ここに通うろうの若者の家族は日稼ぎの労働者が多く、平日の午前中仕事を休むとそのまま家計に響いてしまうからです。でもNSDに通う20代の職業訓練生が100名近く集まり、家族も遠くから2名 駆けつけてくれました。

会終了後、ご家族と少しだけお話すると、参加してくださった母親の方は、片道一時間半もかけてきてくれたそうです。とても素晴らしい話だったと感動していました。ふたりともプログラム中はうなずきながら熱心に聞き入ってくれていました。ろうの息子が職業訓練と基礎学習のコースを受けていて、テストでは100点も取るようになったと、誇らしげに本当に嬉しそうに話していました。



Japan Foundation (3)

 

会場はろう者がほとんどなので、マイクは使いません。2名の家族は最前列に座ります。

 


昨年同じようなプログラムをブックフェアの会場でしました。本を買いに来た人たちが通りすがりに足を止めて参加する形のプログラムだったので、集中するのがとても大変でしたが、今回は閉めきりの会場なので、みんなよく集中してくれて助かりました。

1巻の一作の話を詳しく、後は手話が禁止された昔のろう教育現場や教師高橋潔が手話を守る戦いを中心に紹介しました。

今回の手話通訳はキティさん。前回のロマさんよりは少し通訳に時間がかかり気味でしたが、ろうのみんながきちんと理解できるように詳しく通訳してくれました。

ほぼ一文一文ごとに通訳が入るので、話の流れを保つのが結構大変でしたが、最後までみんなじっと目を凝らして聞いてくれました。一作のお話の部分では涙を浮かべる女子もいて、しっかり話が通じていることが分かりました。



Japan Foundation (5)

 

紹介が終わると、本の購入方法を詳しく尋ねる学生もいて、漫画に興味を持ってくれたようで嬉しかったです。

ヘレンケラーのお話と似ているとの感想もありました。

漫画とは離れますが、日本では歌を手話に訳すのか?との質問もありました。私の母が通う手話の会では手話で歌を歌うので、手話になった歌もたくさんあるのかと思います。

 


NDSに来るといつも感じるのは、当たり前ですが、音や話声があまり聞こえないことです。音は無くても会話はあちこちで展開しています。表情が豊かなせいか、とても楽しそうに見えます。私はほんの少ししか手話はできないけれど、手話で誰かと話して通じると、初めて外国人に英語が通じた時や、インド人とヒンディー語でやっと話ができるようになった頃の感覚がよみがえります。

ろうの方と少しでも意思疎通ができると嬉しく、手話は言語なのだと感じます。





Japan Foundation (2)
写真は国際交流基金ニューデリー日本文化センターより提供いただきました。


 


 

【ありふれたインド】#21≪アイスピックを手にした警官≫



ここ一年くらいよくメトロに乗るようになりました。乗り慣れてみるとかなり便利です。車の運転中には出来ないことがいろいろできます。メトロで出来ないのは食べることくらいです。これに同意する友人は多いのですが、書き物や考え事などは、家でやるよりも断然進みます。

最寄駅から自宅までは三輪タクシー(オートリキシャ・通称オート)で10分ほど。改札を出たとたん、客引きのリキシャマン(オートリキシャの運転手)がドバーッと寄ってきます。スゴイ数の人が「オート、オート」と言いながら次々と私の前に立ちはだかるので、前に進むのも大変です。当初は無視して、人々を振り切るように突進していました。でも周りで同じような目にあっているインド人を観察してみると、みんなご丁寧に声や身振りで「いらない」と意思表示しています。するとリキシャマンたちもあっさりあきらめて次の客に行くのです。なるほど!と思い、試しに「いらない」の意思表示に首を振り続けて歩いてみると、なんともスムーズに前進できます。通常の質疑応答として処理すればよかったのです。簡単な話だったのね、と苦笑いすることってよくあります。



ドバーッと寄ってくるリキシャマン数人と交渉していたこともありました。警官に捕まるリスクを犯して駅構内まで入り、客引きしているリキシャマンの車は大抵遠くに駐車されています。一緒にそこまで歩かなければなりません。大して安くもならないのに、効率が悪いのでやめました。

首を振り続けて駅前に到達し、目の前のスタンドに停まっているオートに乗る。これが一番効率が良いのです。



そして先日、更に合理的な方法を見つけました。リキシャスタンドは本道に隣接しているのですが、構造上迂回しないと本道には出れません。しかし、目と鼻の先の本道まで私が自分で出て、流しのオートをつかまえれば更なる時間の短縮になります。実践に移して数日後、私が流しのオートを止めて乗り込むと、隣で客待ちの列に並んでいたリキシャマンが、やおら私のオートの運転手に殴りかかってきました。ケンカはよくあることなので、後ろから来たオートに乗り換えました。ちょっと前に私に声をかけてきていたので、客をとられて頭にきたのでしょう。数日後、いつものように流しのオートを止めようとすると、無言で首を振り去ってしまいます。乗車拒否は珍しくないので、次のオートを止めると、なんだかそわそわして「早く座れ!」という感じ。また誰かが殴りかかってきそうなのかと思いながら乗り込むと・・・・、アイスピック状の物を持った警官が突然現れ、前輪タイヤをブスッと刺し、抜くやいなや恐ろしい形相でドライバーを叱り飛ばし始めました。ちょっと唖然としていると、列に並んでいたリキシャマンが「あーパンクしちゃった」と事も無げに言い、「こっちこっち!」と手招きします。乗り込み、事情を聴いてみると「駅前は一時停止禁止だから警官が流しのオートを取り締まってるんだよ。」(標識も無いし、今まで取締りなんてしてなかったけど・・・と思う私。)「何時間も客待ちで並んでるのに、流しに客取られたらたまらないよ。」偶然にも彼は私のアパートの修理工の親戚だそうで、到着まで延々と愚痴を聞かされました。



普段は、ルールなんて関係ありませんという顔をしているインド。ルールが飛び出すポイントがランダムすぎて「えっ、そこなの?」とよく思わされます。それにしてもアイスピックといい、高速を出せないように道路を盛り上げたスピードブレーカーといい、基本的には、腕ずくです。


 


 


 


 

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