インド発・文学日記

今のヒンディー文学が映し出すインド社会、日本とインドの文学や翻訳などについて書き残しています

9月14日はヒンディー語記念日

1949年9月14日、ヒンディー語は政府の公式の言葉と制定されました。
それを記念して、毎年ヒンディー語の日(Hindi Diwas)として様々な催しがあります。
WhatsApp Image 2021-09-11 at 22.28.45


今年は、マイトレイ大学のヒンディー語記念日セミナー「世界のテーブルの上のヒンディー」に参加しました。
コロナ禍なのでオンラインイベントです。
マイトレイ大学は、デリーユニバーシティ内の女子大学です。 
まずは、女子大生によるガネーシャ神への祈りの歌とともに開会。
नेशग


司会Reeta氏の開会の言葉。
ガンディー曰く、ヒンディー語だけがインドの国語になりえる。マーティンルーサーキング曰く、インドの人を理解するには、ヒンディー語を理解する必要がある。

Haritma Chopra 校長。
インドにはヒンディー語を理解する人が70%以上いるのだから、話言葉だけではなく、教育言語にもなるべき。子供たちが自分の言葉で教育を受けられるようにしなければならない。
教育言語は子供たち自身の言葉であるべきという考え方が、最近世界で認められつつある。

Karunashankar Upadhyay教授。ムンバイ大学、ヒンディー文学学科長。
現在、ヒンディー語を第一言語とする人よりも、第2言語とする人のほうが多い。 モリシャス、モルジブ、ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、トリニダドなどの国にもヒンディー語を話す人がたくさんいる。アメリカでもヒンディー語を話す人が増えてきている原因は、経済発展と思われる。 アメリカ、中国、日本に続いて、インドは世界の経済大国となりつつある。 インド国内を見てみると、実は、英語で職に就いている人よりも、ヒンディー語で職に就いている人の方が多い。
ヒンディー語は 貧しい人の言葉ではない。海外の様々な大企業がヒンディー語を学びたいと思っている。何十万ルピーも講義料を支払っても彼らはヒンディー語を学ぼうとする。 例えば、ドラマや映画でヒンディー語を間違って使っていたら、そこにどんどんツイッターでもしたほうがいい、しばらくしたら、働かないか?とそこから必ず連絡があるはずだ。現代社会で経済を無視することはできない。座って勉強してるだけでは、だれも食べてはいけない。工夫と努力が必要だ。
करुना शंकर


次は私の担当でした。
まずは日本とインドのヒンディー語の歴史を紹介しました。
「日本で初めてヒンディー語(ヒンドゥスターニー語)を教え始めたのは、1908年東京大学。
来年2022年は、日本とインドの国交70周年ですが、ヒンディー語と日本の関係はもっと古く、110年以上になります。
NHKラジオのヒンディー語放送が始まったのは1940年。今も続いています。現代はインターネットで世界中どこにいても聞くことができます。」
その後、「ひろしまのピカ」と「夕凪の街、さくらの国」の紹介をしました。
そして、
「みなさんにとって、ヒンディー語は特別なものじゃないかもしれません。周りのみんなも話している生活の言葉です。でも、日本に行けば、ヒンディー語を知っている人は非常に少なく、それは特別な言語になります。日本人が初めてヒンディー語を見るとその文字の美しさに驚きます。そして聞くと、響きの美しさに驚きます。
あなたたちはこれからたくさんの外国人と友人になるでしょう。友人と話すときは共通語の英語を使うかもしれません。あなたは相手の言葉を知らないし、友人はあなたの言葉を知らないからです。あなたはきっと友人の言葉や文化を知りたいと思うでしょう。今日私に会って、日本のことをもっと知りたいと思っているように。だから、友人もあなたの言葉ヒンディー語やインドの文化を知りたいと思うはずです。その時のために今から準備しなくてはなりません。友人に聞かれたときにヒンディー語やインドのたくさんのことを話せるように。ヒンディー語はきっとあなたの存在を特別なものにして、人格を輝かせることと思います。」
と女子大生に話しました。

अमर्नथ

Amarnath教授。コルカタ大学。
月齢に白半月と黒半月があるように、何事にも白い部分と黒い部分がある。カルナシャンカル教授は、先ほどヒンディー語の白い部分について話したから、私は黒い部分について話そうと思う。
日本語は文字を見ても、とても難しそうで、私に修得できるとは思えない。こんなに難しそうな言語なのに、日本の教育言語は日本語だ。
一方、ヒンディー語は非常にシンプルな言語だ。インドの人々はみんなヒンディー語や関連のある地方語を話している。それなのに、学校の教育言語は英語。
私立の学校は儲けないといけないから、教育言語は英語になる。そうでなければ子供が集まらない。最近は、政府や公立の学校まで教育言語がだんだん英語に変わってきている。英語の支配力はなんと強いことか。
ヒンディー語のみの話者がICS(インド文官職)になれるのはわずか3%。残りは全部英語話者。
最近、日本の協力で新幹線ができている。これは日本人が日本語で学んだ技術でできている。もし何か問題が起こったら、日本からエンジニアが修理に来てくれる。この人も日本語で技術を学んだ人だ。
人間は母語で考える。それなのに、インドの子供たちは母語で学習ができない。まずは学習するために外国語を学ばなければならない。なんと時間の無駄なことか。世界のどの先進国も、自国語が教育言語なのだ。それはその国が先進国になれた要因でもある。インドはそれが何故できないのか。
最高裁でも、政府でも、英語がいつも使われている。 コルカタの高等裁判所でも英語が使われている。言わせてもらえば、ベンガル語のベンガル文学は、ヒンディー文学よりも非常に豊かな文学だというのに。ヒンディー文学にはプレームチャンドくらいしかいないけれど、ベンガル文学には、そのレベルの文学者がたくさんいる。タゴールというノーベル賞受賞者までいる。それでもコルカタ高裁で使われるのは英語なのだ。 ヒンディー語の中心地、アラハバードの高裁でも判決は英語で下される。だから英語が分からない者は、自分の判決を聞くために弁護士にお金を払わなければならない。これほどの恥があるだろうか。これほどの奴隷的な状況があるだろうか。 
地方にいる有能な人材を発掘するには、ヒンディー語、つまり自分の母語を大切にしなければならない。母語で人は考えるのだから、それで人材は育つ。
オリンピックでも町の人達はメダルを取らなかった。村で大変な思いで練習してきたアスリートたちがメダルを取った。地方にこそ人材はいるのだ。
 
最後に学生からの質問:
どうしたらヒンディー語を強くできますか?

アマルナート教授からのアドバイス:
ヒンディー語を愛すること。母親を愛するように愛せば、ヒンディー語はおのずと強くなるだろう。 

2021年8月6日広島原爆忌:紙芝居「ちっちゃいこえ」(ヒンディー語)をインドの子どもたちへ

1

紙芝居「ちっちゃいこえ」は、丸木伊里、俊作の「原爆の図」に基づく珍しい作品です。脚本はアーサー・ビナードさん。
丸木位里さんと俊さんが、原爆投下の直後に広島で目のあたりにした光景と、体験者の証言をもとに作った「原爆の図」は15部の連作。それぞれの作品の大きさは縦1.8メートル、横7.2メートルであり、四曲一双の屏風絵の形をとっています。今回の紙芝居では、アーサー・ビナードさんが、その壮大な「原爆の図」から絵を選んで切りとり、さらに工夫をこらして構成しました。7 年間、どこにでもありそうで、どこにもない紙芝居をさがし、ピカの体験者に耳をかたむけつづけ、いのちの源であるサイボウにも耳をすまして、紙芝居『ちっちゃいこえ』が形になりました。
どんな生き物でも体の中にはちっちゃい声をかかえていてひたすら命をつくりつづける。ヒロシマの生き物たちには何がふりかかったのか?わたしたちはどうすれば生きていけるのか?美しい絵からひびいてくるその答えにひとりひとり耳を澄ます紙芝居です。
2016年にアーサーさんとインドでお会いしたときにこの作品に出合い、この素晴らしい紙芝居をヒンディー語でインドの子どもたちに伝えたいとずっと願っていました。その後アーサーさんからは、ありがたいことに紙芝居舞台までいただきました。
本日広島原爆忌にやっと実現することができました。

zoom

午前11時半からオンラインで、インドの子どもたち700人以上が紙芝居「ちっちゃいこえ」をヒンディー語で鑑賞しました。
国際交流基金ニューデリー日本文化センターの方々のご協力で開催することができました!
発信場所はインドニューデリーの「BOOKAROO」(インドの絵本関連のNGO)の拠点。
紙芝居を披露したのは朗読の専門家のvasundaraさん。

この企画は当初、屋外でオフラインを予定していました。
でもコロナが全く終結しないので、オンライン企画に変更となり、
「紙芝居」をオンラインで届けることに施行錯誤しました。
「紙芝居」の良さを伝えるために、事前に様々なアングルで撮影して編集ビデオを創ろうということになっていたのですが、
Vasundaraさんの最初のリハーサルを拝見したとき、想像以上に素晴らしく、これなら生のほうが「紙芝居」の良さが伝わるとの見解になりました。
彼女は、とても真摯にこの作品と向き合ってくださいました。
非常に感銘を受けていて、この紙芝居を披露できるのは私の人生にとって大変光栄なことです、と語っています。
まだヒンディー語版は翻訳出版にはいたっていないので、紙芝居の裏面を読むことはできません。
彼女は私の翻訳を全部暗記して、心に刻んで、紙芝居を披露してくれました。
汗をびっしょりかいて、一生懸命披露する姿は感動的で、彼女の真剣さと誠実さが伝わってきます。
通常の紙芝居の演じ方とは違い、体全体を使って、豪快に紙芝居を届けます。
(日本でずっと昔は、そのように豪快に紙芝居を演じることもあったそうです)
子どもたちはすっかり紙芝居の世界に入り込んでいました。
「細胞を見てみたい?」とのvasundaraさんの問いかけに
「うんうん!」とカメラの向こうのたくさんの子供たちが身を乗り出します。
そして、原爆が「ピカーっ」となった後は、神妙な顔つきに変化しました。
vasundara1

vasundara2

今回のオンライン企画には、原作者のアーサーさんも広島から参加して、子どもたちに原爆や紙芝居のお話をしてくださいました。
「僕は25年前に広島にきました。その前はアメリカの学校、大学に通っていました。アメリカでは、戦争を終わらせるために原爆を落とすことが必要だったと教えられます。でも実際広島に来て、被爆者の方々のお話を聞いて、平和記念博物館を見て、それは間違いだとわかりました。戦争を終わらせるためだけに、原爆を使用することは間違いです。それでどれだけの人命が奪われたのか、生き残った人々がどれだけ苦しんだのか」
「紙芝居の元になっている絵は原爆の図という大きな絵です。この絵は、原爆が落ちて人々に、動物に、自然に何が起こったのかを描いています。その大きな絵の前に立つと、その日の世界にまるで入り込んでしまったような気持ちになります。この大きな原爆の図自体が見る者を巻き込む大きな紙芝居のようなのです。みんなもぜひ日本に来ることがあったら美術館を訪れてください」
「紙芝居はみんなも作ることができるよ。自分のお話の紙芝居を作って演じてみてください」

紙芝居を見た後、子供たちから数えきれないほどの質問がありました。チャットに書き込んでくれるので、とても全部に答えることはできません。進行のswatiさんがまとめてくれました。

Qどうしてこの物語を書いたのですか?
アーサーさん:僕は広島に関係するユニーク(独特な)物語を書きたいと思った。原爆の放射線は、人間だけではなく、動物も自然も破壊する。説明するのではなく、体験してもらえるような物語を作りたいと思った。

Qなぜ広島はアメリカに爆弾を落として仕返ししなかったの?
アーサーさん:何故仕返ししなかったのか、ということより、何故広島に原爆を落としたのかを知ることのほうが重要だと思うよ。アメリカは原爆をつくるために莫大なお金を使ってしまった。そしてそれを作っていたことを一般のアメリカ人も知らなかった。ほんの一握りの権力者だけが知っていた。莫大な費用の正当性を証明するために、原爆を落として戦争を終わらせたという言い訳が必要だったんだ。

Qなぜ犬と猫は死んだの?
アーサーさん:どうして死んでしまったのか本当のことはわからないけれど、原爆が落ちて、その影響でとっても苦しんで死んだとおもうよ。

Qvasundaraさんは日本人?という質問もありました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

広島に原爆が落とされてから76年。原爆の体験をした方々の平均年齢は85歳を超えました。
今日の広島の記念式典では、学生が平和への誓いの中で「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」と語りました。
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/education/16190.html

日本に原爆が落とされたのは昔の話かもしれません。
しかし一方で現在もその同じ原爆がこの世に存在するという意味では、今の話になります。
今日紙芝居を見てくれた子供たちにとって広島や原爆は、昨日までは遠い外国の昔のお話だったことでしょう。
でもきっと今は、誰かのお話ではなく自分のお話で、昔のお話ではなく今のお話に変わったはずです。

子どもたちから、犬や猫の質問が出ました。
それを聞いたとき私は、「ちっちゃいこえ」は子供たちの「自分のお話」になったと確信しました。
原爆が「自分のお話」になって初めて問題解決への道がはじまります。

コロナ禍で思い知らされました。
コロナがまだ自分の国の問題ではなかった頃、それは遠い国の誰かのお話でした。
自分の国の自分お話になった時には、解決することがとても難しくなっていました。
誰かの話と思っていた頃、自分の話と見極めることができていたら、違っていたかもしれません。

紙芝居「ちっちゃいこえ」は、子供たちに原爆を「自分のお話」と気付かせてくれるとても力強い作品です。
どんな国の子供たちの心にも届けることができます。
この先ずっと大人になるまで、コロナ禍のオンラインイベントで、ヒンディー語を話す日本人や日本語の話を書くアメリカ人や広島の紙芝居をするインド人を見たなあ、という記憶は子供たちの心に刻まれ、忘れてしまうことはないでしょう。

tomoko vasundara

Wasundaraさんと

ありふれたインド #41:はちみつ狩り

暖かくなってくると、蜂がベランダにたくさん飛んできます。
狂暴な種なので刺激してはいけません。
ちょっと油断すると、クーラーの室外機や照明の隙間に潜り込んで、すぐに巣を作ろうとします。
クーラーの掃除をしたら 5角形の並んだ可愛い巣が干からびて出てきたことがありました。
几帳面に創るものです。

そのうちいつの間にかアパートの上階に、大きな蜂の巣ができていて、警備員がこれから蜂の巣駆除をするとお知らせに来ました。
「蜂が飛んできて危険なので窓や戸を閉めてください」
窓を閉めようとしたら、外に見覚えのある顔が見えます。
去年も蜂の巣駆除にきたあの親子だ。

父親は地上から大声で上階にいる作業員に指示しています。
大きな蜂の巣が垂れ下がっている屋根のあたりをゴウゴウ燃やすので、火事にならないか心配です。
ちょうどウチの上階なので、窓の外には燃えかすの灰がひらひら舞っています。

蜂は一匹も飛んできません。
一瞬で燃えてしまったのかな。

はちみつまみれの巣の塊が、バケツ一杯なみなみと採れました。
布で少しずつ漉していきます。
専門家といってもやっぱり刺されるらしく、父親の手はむくんだように腫れています。
そういえば顔も少しむくんでいるようです。

清掃員や警備員が仕事もせずに周りに群がっています。
見ているだけで買うつもりはありません。

しばらくすると仕事帰りの使用人やドライバーもちらほらやってきて、
バケツを覗きながら、いくら?とか聞いています。

蜂職人の父親は、ぶんぶん飛びまわる生き残った蜂をめんどくさそうに払っているだけで、
売るつもりはありません。

そのうち息子が、アパートを一件一件まわってハチミツ営業販売を始めるでしょう。

もしウチにもきたら、今年は買おうかな。
この敷地内のどこでどんな花の蜜を集めていたかは不明だけど。


IMG_8676

ありふれたインド #40:初めての電子書籍エッセイ集「インド小景」が公開

2014年から折にふれて書いてきたインド生活エッセイ「ありふれたインド」が電子書籍「インド小景」として読書サイト「明かりの本」に掲載になりました。
こちらから読めます ↑

「インド小景」 もくじ
 一 インドは多言語
 二 漂着
 三 やっぱりやさしいインド人
 四 警官
 五 和食とインド料理 
 六 トランプ禁止
 七 おじぎが変です
 八 そうかなあ
 九 善意の公害
 十 物売りの少年
 十一 ウィルスと疎外感
 十二 インドのコロナ禍
 十三 雀も少なくなりました

「明かりの本」は、装画つきの縦書き表示で文学をまるごと読める読書室です。宮沢賢治、夏目漱石、高村光太郎をはじめ、あまたの本を無料公開しています。

このエッセイは、もともとは松平盟子さんに日常のエッセイを書いてみませんかとお話をいただいて、彼女の主催する文学研究会の皆様に「ありふれたインド」としてグループメールで不定期でお届けして、同時にこのプログで公開してきました。ぽつりぽつりと7年も書いて、今回で40回目です。
松平さんと見捨てずに読んでくださっているグループの皆様に感謝申し上げます。

「明かりの本」の代表の方には大変お世話になりました。
さまざまアドバイスや、書くときの注意事項など大切なことを教えていただきました。

ここ7年、目まぐるしく変化するインド社会や日々の生活の中で、ふと気になったり、眼にとまったり、疑問に思ったりしたことを綴ってきました。
今、コロナという世界が大きく変わる時期に、「インド小景」というひとつの形にまとめることができました。
ヒンディー語の副題「भारत का रेखाचित्र」も気に入っています。

これからも折々に書き続けていこうと思っています。
お暇なときにでもお付き合いください。

「ツイッター社に注意喚起、よくやったインド警察!」ヒンディー語日刊紙社説

ヒンディー語日刊紙、1948年創刊の「dainik jagaran」の本日付け社説の翻訳です。
「今のインドはもう東インド会社の出現を許しはしない」
大国は強気です。

・・・・・・・・・・・・

SNSプラットフォームが政府の目をくらまそうとしているのは間違いない。WhatsAppが中央政府のガイドラインに反抗して、デリー高等裁判所の扉をノックしたのがその証拠だ。 Facebookが所有するメッセンジャーアプリケーションWhatsAppは、中央政府のガイドラインに従うとプライバシーが侵害されると主張している。まず第一に、個人情報の漏洩や売却をしている者の口からプライバシーと聞くのは気分がよくない。そして第二に、ふざけているとしか思えないのは、WhatsAppがプライバシーを装って、性的犯罪者や他の重大な犯罪関係者に関する情報提供を拒否していることだ。WhatsAppは犯罪者やテロリスト関係者のプライバシーを心配しているのか?
そうでなければ、なぜ政府のガイドラインに従うことを拒否するのか。さらに重大な問題は、WhatsAppや他のインターネットメディア企業は、米国、英国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどの国で同様のガイドラインに素直に従っているのに、インドでは何の問題があるというのか。これらの企業がインドに対して頑なになっているか、もしくはわがままを通そうとしているとしか思えない。WhatsAppは新しいプライバシーポリシーの一環として、全ユーザーのデータをFacebookと共有しようとしている。これはわがまま以外のなにもでもない。しかしフェイクニュースを抑制することはできないでいる。
Twitterもわがままに関してはWhatsAppと同類だ。インドの表現の自由が突然危機に見舞われたように、彼らには見えたようだ。それは言い訳にすぎない。 Twitterがどのように事実を歪曲して、恣意的な解釈を提供したか、その例を見つけるのは難しい。そして、少々不快な程度のツイートをする人は取り締まるのに、ひどく不快で嫌悪に満ちたツイートをする人は見逃してあげる。そんな例を見つけることも間違いなく不可能だ。これを表現の自由と考えているのか?そうでなければ、なぜ欲情と嫌悪の表現の自由の心配をするのか?
表現の自由を偽装していたツイッター社を、デリー警察は厳しくたしなめただけでなく、暴露したのは良かった。Twitterのような企業が理解しなければならないのは、今のインドはもう東インド会社の出現を許しはしないということだ。インドにいるならここの規則に従わなければならない。インターネットメディア企業は、インドを二流の国扱いできる錯覚に陥ってはならない。

ヒンディー語日刊紙「ダイニク・ジャーガラン」社説・Sanjay Pokhriyal氏。
2021年5月28日

・・・・・・・・

【ありふれたインド】#39 文化の速度と情報の速度:インド株、遺体漂着、カレーポリス

インドのコロナ感染第2波の中、5月に入って一日40万人以上の感染者がでた。
身近な人がどんどん感染していく。

家族全員が感染して自分も辛い中家事を支える友人たち。
病院のベッドどこかないですか、酸素どこで手に入りますか?プラズマ治療が必要です、献血してくれる方いませんか、病院に入れず駐車場で待機してます、患者の状態が悪化してます、この態勢をすると息がしやすいです、~団体がベッドと医者の医療施設を立ち上げました、~さんのご家族が亡くなりました、私の親戚が危篤です、などなど緊迫したメッセージが続く。
とても全部読むことはできない。たちまち二桁のメッセージがたまってしまう。

友人、地域コミュニティ、保護者会などそれぞれ、200人前後のwhatsaAppグループ(ライングループのようなもの)がいくつか立ち上がった。
それぞれのグループの友人知人は重複していない。
合計600人以上からの緊急メッセージが2週間くらいひっきりなしに続いた。

私も何か情報が欲しいときは、ここで尋ねればすぐ誰かが返事をしてくれた。
でもその情報が正しいかどうか、古いか新しいかは自分で確かめなければならない。

第2波がきてすぐ、PCR検査が簡単にできなくなった。
今までは自宅に民間検査機関がきてくれていたのに、どこに電話しても通じない。
オンラインでも現在実施していませんの表示。
グループで聞くといくつか情報が得られた。しかしどこにもつながらない。
やっと自力で見つけたのは、ドライブスルーのPCR検査場。4時間並んでやっと完了。
その間私はコロナ患者と同乗していたけれど、感染しなかった。

というような現状の中、
インド株、遺体漂着、カレーポリスについては考えさせられた。

去年の始め、コロナ感染が中国の武漢から始まったばかりのころ、インドでは中国ウィルスという意識が強く、中国人は感染源のように見られていた。
インド人は日本人と中国人の顔の見分けがつかない。
日本人がインド人とアラブ系の人の顔を見分けられないように。
小児科医の待合室から、私と娘以外誰もいなくなってしまう体験をした。
みんなも子供連れで、差別偏見というよりは、自分の子供をコロナから守るのに必死という印象を受けた。
そこにいたインド人の子供と私の子供と、コロナ感染する確率は全く同じなのに、中国人ぽい顔というだけで、私たちはコロナ確定となってしまう。

「インド株」「インド変異種」という言葉が広がると、世界各国に暮らすインド人がつらい目にあうのは明らかで、ニュースでたびたび耳にするこの呼び名をすぐにやめてほしいと思った。
現在は、WHOがこの名称を使わないようにと発表したようだ。

最近クラブハウスとそれに連動するツイッターを始めて、情報量が消化不良気味になってきた。

ガンジス川中流域にたくさんの遺体が漂着して、コロナ感染爆発するインドの人々はとうとう死体を川に投げ捨てるほどの狂気で事態は深刻だ。というような日本発の話を目にした。

現地インドのニュースでも大量の遺体漂着は大きく取り上げられている。
上流地域村々での酷い現状が思い知れる。
遺体を焼く薪が足りない、買うお金が無い、遺体を焼く人も感染していてその仕事ができない、感染していることをみんなに隠していた、もしくは政治に利用された、などなどは想像にかたくない。
とにかくやむを得ない状況から、遺体を川に「水葬」したことは確かだ。
インド国民の大多数を占めるヒンドゥー教徒は、遺体を荼毘に付してその遺骨を川に水葬する。
この文化が伝わっていない。

バナーラスの様子を伝えるYouTube配信も目にした。
ヒンドゥー教の聖地バナーラスは、ガンジス川のほとりの街。聖なるガンジスでの沐浴はヒンドゥー教徒にとって大切な儀式で、川岸にはガートと呼ばれる沐浴場がたくさんある。
この地で荼毘にふされガンジス川に水葬されることは、宗教的に重大な意味を持つ。

「今日の火葬用ガートはこんな様子でとくに混んでいません」とYouTuberは映像を伝える。
たびたびここを訪れて紹介しているのだろうか。
コロナ感染拡大中、日本の火葬場にたびたびインド人のYouTuberが現れてこう言ったらどうなるだろう。
コロナ禍インドは全国的にロックダウンで、国民が皆さまざまな事情を抱えながらも外出を控え、職を失っている。
バナーラスを歩き回るアメリカやヨーロッパその他の国からのYouTuberもいるのだろうか。
現在大流行の変異種の感染力は、第一波の比ではない。
どうか身を守ってほしい。

その間、カレーポリスの話題も飛び込んできた。
カレーポリスという歌は、簡単に言えば、インド人がカレーを広めるために日本へ行くというコンセプトのミュージックビデオだ。
お金持ちのインド人がナンの乗船券を手に日本行の船に乗り込もうとしている、とか、
寿司や日本の食べものにカレーをかけて食べているとか、
インド人をカレーしか食べないステレオタイプに表現していると炎上していた。

確かに誤解の多い内容だけれど、
日本人のインド人観はこんな感じだろうと私が日々実感しているものと大差なかった。

友人から「インド人は手で食べると聞くから、衛生観念も低いだろうし、大変だね」
というメッセージをもらって、びっくりした経験があった。
私の友人はなんの悪気もなく、インドでコロナ禍の私を心配してくれている。彼女は本当にやさしい。
でも「手で食べる」文化と「衛生観念」は別だ。
手を洗って食べればいい話で、寿司もサンドイッチも手で食べる。

カレーポリスのような内容は、インド人の創るインド映画とかならありそうな気がする。
船の乗船券を「ナン」じゃなくて、えらい大金持ちの設定のようだから自前の「乗船許可証」にするとか、寿司のネタを「कच्चा नहीं खाते भाई 」「生はだめでしょ」とか言ってマサラと調理するとか。
ありそうな気がする。

インターネット、ソーシャルメディアで情報が飛び交う速さは尋常じゃないのに、
文化を理解する速度が追い付いていない。

東日本大震災から10年・「いのちの絵本」読み聞かせ(4) 報道


3月10日の企画について、報道していただいたので、
まとめておこうと思います。

朝日新聞 THE GLOBEでは、
絵本の力でインドの子どもたちに震災を伝えたい 現地在住の日本人が企画 
として、国際交流基金ニューデリーの石丸さんと私の思いについて取り上げていただきました。

朝日新聞の ひと 欄では、今回の企画や私の活動についてまとめていただきました。
丁寧にお話を聞いていただき、きれいにまとめていただいた記者の奈良部さんに感謝です。

NHK WORLDラジオ ヒンディー語放送では、一か月後の4月11日に放送していただきました。
国際交流基金ニューデリーのシャリ二と私が話しています。
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/hi/radio/listener/202104110600/

岩手日報2021年3月11日-1


yomiuri





詩集「籠の中の果て・長老尼偈2014」アナミカ

原題「Tokri men Digant : their gatha 2014」はサーヒティヤアカデミー賞2020受賞作品です。
テーリーガーターは、仏陀の時代に生きた尼僧たちが読んだ物語詩と言われています。これをモチーフにアナミカさんが現代のインド女性の詠む物語詩を詠っています。

。。。『ナーランダーのとある沼のほとり座る尼僧たちがちらりと見えた!熱にうなされる中、彼女たちが私に言って聞かせてくれたことを、そっくりそのままお届けしたい!』。。。
先日アナミカさんとお話して、前書きからすでに過去現在想像現実すべて一緒にぐるぐる回っているそうです。前書きを翻訳しました。とても興味深い前書きで、一層本編を読みたくなります。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

前書き
ある時、ナーランダー大学の荒野に新しい命を育む計画があり、日本の「創価学会」の団体から数人の仏教徒の若者がやってきた。その中の一人と私は長い間手紙のやり取りをした!第二次世界大戦の大惨事の後、平和の戦士溢れる世を創りあげる世界的な試み行った偉大な人物がいた。それは主とし て、日蓮大聖人、日興上人、日目上人の強盛な信者である牧口常三郎、戸田城聖そして池田大作である!この女の子、ともこは、創価学会インド支部の精鋭な平和の戦士だ。非暴力と自己分析を内的革命の主要な武器と宣言するこの団体の戦士の多くは女性なのだ!家族や村や地方、へき地に災難があると、平和の戦士の一団はあらゆる方法をもってその支援に立ち上がり、延々と続く対話をもって意気消沈した人々の内なる力を呼び覚まし、後に起こる困難を遠ざけるに十分な力を身に着けさせるのだ。笑いやおしゃべり、心を開いて常にポジティブな話をし、惜しげもなくすべてを与える。見返りなど何もいらないというこの集団は、おとぎ話の神の使いのようにしか見えない!
ナーランダーに滞在中はともこと一緒だった!約15日間の滞在は、私の人生にとって特別な出来事だった!信じてください、私は、子供の頃から読み親しんできたあの尼僧たちに会ったのです。彼女たちは社会のざまざまな階層から仏陀の下にやってきた。非常に深い自己省察を経た後に仏陀は、彼女たちを僧院に入れはしたものの、こう言ったのだ。今までこの集団が存続していた期間の半分しか今後は存在しえないだろう、と。
何年も私はこのことについて考えていた。仏陀のような完全な方が、何故このようなことを言ったのか!女性たちを「卑しい者」つまり「堕落への門」とすることは、このような賢者の欲するところではないだろう!ナーランダー滞在中に私はこの問の答えを尼僧たちから得た。彼女たちはガーター(尼僧の詠んだ物語詩)の中に今も生きていた!エネルギーは消滅しない。言葉と思考のエネルギーは自然エネルギーの遊び場だ。そこには光、音、熱、磁気、運動のエネルギー、そして感情のエネルギーもある。それがどうして消滅しようものか!私たちは少しだけ気力をだして、今これらのエネルギーに思い通りの形を着せることができる、そしていつでもどこでも輝く対話を続けることができる。
「光と音」という催しが荒野にも歴史の再演をもたらした。ナーランダーの荒野における「光と音」の芸術的な催しの後、ある夜私はあの尼僧たちに会った!ナーランダーの図書館は大変に豊かだったため、征服者たちがそこに火を放つと、何年も燃え続けていたといわれる!尼僧たちはその灰を入れた壺を抱え、プラカン沼のほとりに座っていた。わたしにはそんな彼女たちがちらりと見えたのだ!
その出来事の後、私は熱を出した。熱にうなされる中、彼女たちが私に言って聞かせてくれたことを、そっくりそのままお届けしたい!彼女たちなりのやり方で私の質問にこう答えてくれた。仏陀は女性に不信があったのではない。男性の抑制に不信があったのだ。彼らの抑制力を仏陀はあまり信頼していなかった!女性を友人や同志と理解し、同等の地位と敬意をはらう男性は現在でも少ない。自然は彼らに動物的な力を多めに与えたが、精神力や自己抑制力はそれほど与えなかった。よって、美は彼らにとって「所有物」となってしまった!「所有物」であり続ける中で、女性たちは疲れ果てた。それゆえに、彼女たちは仏陀や仏陀のように抑制力のある男性や行者がお気に入りなのだ。彼女たちの心を自然に捉える男性は、うるさく女に付きまとったりしないものだ。そして、女性たちが自分を友人もしくは師匠とみとめてくれる人間となれるよう全エネルギーを費やすものだ。
なにせ熱にうなされながら、このテーリーガーター(長老尼偈、尼僧たちの物語詩)が出来上がったので、あまり理論的な展開にはなっていない。現在、過去、歴史と言い伝え、想像と現実、全部一緒にぐるぐる回って踊るあの「グマリーパライヤー」ダンスのように見えるかもしれない。

2020年サヒティヤ アカデミー賞受賞 女性詩人アナミカ


safe_image


インドを代表する文学団体、サヒティヤアカデミー(文学アカデミーの意)より、「サヒティヤアカデミー賞」2020年を、ヒンディー語のインド女性詩人アナミカさんの「tokri men digant theri gatha」が受賞しました。
女性詩人としては初の受賞です。なんと同賞67年の歴史の中で、女性の受賞者は6人だけ。男性は60人。

2021年3月15日付のManisha pandeyさんの記事がとても興味深かったので、要約しました。

****

話はこの賞に限ったことではない。何十年も私たちの前を塞いでいたあの扉が開き、あの道が開くということなのだ。
文学アカデミーは、67年の歴史上初、女性詩人の作品への授賞を発表した。2020年の文学アカデミー賞は59歳の女性作家で詩人のアナミカの詩「tokri men digant theri gatha」に贈られる。今まで他に5人の女性が受賞しているが、受賞作品はすべて小説だ。

1954年、インド独立から7年、法の下に平等との法律ができて4年。独立と民主主義が確立しゆくネルー首相の時代、文学、芸術、科学の発達とともに国が発展しゆく時代。その年に文学アカデミーは創立された。

1955年から1979年まで、Makhanlal Chaturvedi, Vasudev sharan Agraval, Acharya Narendra Dev, Rahul Sanskrityayan ら、男性の文学者への授賞が続いた。1980年、Krishuna Sobtiがようやく初の女性授賞者となった。その後20年間、男性への授賞がつづき、21年目の2001年にやっと2人目の女性授賞者Alka Saravagiが現れる。そしてまた長い時を経て2013年にMridula Garg 、2016年にNasira Sharma、2018年にChitra Mudgal、そしてこの2020年にAnamikaへの授賞となった。現在までの授賞者は、女性6人,男性60人である。

何故ゆえ67年の歴史を語るかというと、文学アカデミーの議長や委員は歴代男性のみ、選考委員の99%は男性。この世に女性は存在しないのかと問う人すらいなかった。

この約60年間、女性は存在しなかったのか?本を読んでも、書いてもいなかったのか。いったいどこで何をしていたのか?何を考えていたのか?どんな人生を送っていたのか?当時の文学アカデミー開催の会議、セミナー、文学関連行事、そしてあらゆる成り行きの中のどこか片隅に女性はいつも座っていたはずだ。

彼女らの詳細は知りようもない。私たちが知りえるのは、受賞者や話題になった女性、会議に呼ばれた女性、つまり歴史に記録が残っている女性だけだ。記録の無い女性については知りようもない。

当時女性が存在しなかったなどというのは受け入れがたい説だ。女性は何も書いていなかったのか。いや、女性はいたはずだ。私たちが彼女たちのこと知らないというだけだ。理由は単に男性主導の主流文学に属していなかったということではない。なぜなら、女性はどんな分野であっても主流に属したことなどなかったからだ。

インドの文学、芸術、映画など、すべての主流が男性に占められていた時代、それでも、どこかで女性はもくもくと活動していたはずだ。悲劇は、私たちが彼女たちのことをまったく知らないということなのだ。

マハデヴィ・ヴァルマの名前は誰もが知っている。しかし、ヒンディー語の主流文学は、マハデヴィの作品の根本的で重要な部分をそっくり脇に置いやって、「私は涙溢れる悲しい雨雲」の詩を彼女そのものに置き換えた。本来なら、彼女の随筆集「鎖の環」は、ヒンディー語初のフェミニスト作品として読まれなければならなかったのに。その著作の力の程は、現代のヒンディー語圏の15,6歳の少女が、自分の疑問や試練や人生との共感部分を見いだせるほど凄いものなのだ。65年を経た今もそのフェミニズム作品が全く色あせていないのは、非常に強固な家父長制がびくともしていないということを表している。

みなさん、インドで初の女性映画監督を知っているだろうか。彼女の名前は、fatima begam。1926年に自ら脚本、監督の映画「bulbul e paristan」を創った。しかし、現在その所在も内容も分からない。
あの非常に有名な1913年の映画「raja harishchandra」の監督dada saheb falkeについてはあらゆる記録がのこっているというのに、初代の女性監督については全く何もわからない。歴史に残される価値もなかったというのか。

大切なのは、過去のあるべき場所まで立ち返り、まったく触れられなかった歴史のその始まりまで戻って見直し、記録を残すべきだということだ。私が言いたいのは、ある女の子がこれから詩をかき続けて50年たったとして、その時、2021年に初めて女性の詩が受賞したとの記録を目にできなければならないということだ。大切なのは、何百年も私たちの眼前に恥知らずに権力を振りかざして立ちはだかっていた、あの扉やあの道を開くことなのだ。大切なのは、アナミカさんの作品全体の根幹をなす世界共通の姉妹愛についてなのだ。大切なのは、歴史に残されなければならないということなのだ。

****

ヒンディー語全文はこちら。
https://www.tv9hindi.com/knowledge/hindi-writer-and-poet-anamika-winner-of-the-hindi-sahitya-akademi-award-for-2020-579821.html?fbclid=IwAR2U8X-ABlyAT_V7q_vaVdPraSeSZ644POSIzsffJGJT2WcumRlJE5Tt3kA

 

インド女性文学・ポッドキャスト「インドの衝撃」

クラブハウスに入って、いろいろ広がってきています。
ヒンディー語や文学、翻訳、東日本大震災について、いろいろお話する機会をいただいて、
準備する中で、たくさんのことにあらためて気づくことができました。
東日本大震災についてをインドで話す意味は、という質問を受ける機会が多く、改めて考えました。
震災から半年、1年、5年、今回の10年とインドの方々と震災を祈念する機会があり、そのたびに考えてきたことでした。
やはり、いつも自分にできることをするしかないという結論にたどり着きます。
ヒンディー語から始まって、ヒンディー文学について考えるといつも中心にあるのはマハデヴィだと改めて気づきました。
私にとってのヒンディー語についてもこのポッドキャストの中で、ふとすっきり理解することができました。
いろいろと整理することができたのは、広瀬さんに様々な機会をいただいたおかげだと思います。
ありがとうございました。

ポッドキャスト・インドの衝撃「ヒンディー女性文学」は以下です。

サイト内検索
Loading
プロフィール

shraddha

1992年よりインド在住。アグラ、ジャイプル、デリーの留学を経て、ジャワハルラルネルー大学でヒンディー文学博士号を修得。
2012年 第9回世界ヒンディー語大会賞受賞(インド政府主催)
ヒンディー語の自著「महादेवी वर्मा की विश्वदृष्टि 」(MAHADEVI VARMA KI VISHVADRISHTI・マハーデーヴィー・ワルマーの世界観)をPARMESHVARI PRAKASHAN社より出版。絵本「ひろしまのピカ」、漫画「夕凪の街桜の国」、「わが指のオーケストラ」、写真絵本「さがしています」ヒンディー語訳。平和アニメ「つるにのって」ヒンディー語吹き替え版。
現地で平和や文学関連のプログラムを企画、インドと日本のヒンディー文学関係誌等に執筆。
https://about.me/indiatkikuchi/getstarted
indtmc@yahoo.co.jp

  • ライブドアブログ