2006年03月12日
引っ越ししました。
まあ、ここのサイトもいろいろありましたしね…
ブログを引っ越ししました。
一応この場所はしばらく放置。
http://shucreamworks.blog57.fc2.com/
ブログを引っ越ししました。
一応この場所はしばらく放置。
http://shucreamworks.blog57.fc2.com/
2006年03月09日
#152 修了証をもらいました。
先日、AED(除細動)の講習を受けたのですが、それの修了証が発行されまして、手元に届きました。
「普通救命講習修了証」とど〜んとかかれてまして、カードもラミネート加工とかそんなちゃちなものじゃなく、クレジットカードとかレンタの会員証とかみたいなちゃんとしたものにびっくりです。
でも、これが来た頃には、ほとんど何を教えてもらったのか覚えてる方が不思議なくらいです。
「わかりますか?」ぐらいしか覚えてません…いや、もう少しは覚えてますが…
なので、いざそういう症状の方が職場で現れても、きちんと対応できるか不安です。
僕を始め、職場の方合わせて9人がこの終了証を携帯することになったんですがね…
しかも、新聞にも出てたように僕の職場にもAEDが寄付されるそうで…
いやあ、具合の悪くなる人がでないことを祈りたいです。
なにせ、電気流すんですよ、電気。
放電が必要の有無は装置が判断してくれるとはいえ、最後の最後に「放電ボタンを押してください」といわれても、なかなか押すのに勇気がいりそうです。
「普通救命講習修了証」とど〜んとかかれてまして、カードもラミネート加工とかそんなちゃちなものじゃなく、クレジットカードとかレンタの会員証とかみたいなちゃんとしたものにびっくりです。
でも、これが来た頃には、ほとんど何を教えてもらったのか覚えてる方が不思議なくらいです。
「わかりますか?」ぐらいしか覚えてません…いや、もう少しは覚えてますが…
なので、いざそういう症状の方が職場で現れても、きちんと対応できるか不安です。
僕を始め、職場の方合わせて9人がこの終了証を携帯することになったんですがね…
しかも、新聞にも出てたように僕の職場にもAEDが寄付されるそうで…
いやあ、具合の悪くなる人がでないことを祈りたいです。
なにせ、電気流すんですよ、電気。
放電が必要の有無は装置が判断してくれるとはいえ、最後の最後に「放電ボタンを押してください」といわれても、なかなか押すのに勇気がいりそうです。
2006年03月07日
#151 火事にて… 〜終の有り様〜
昨日の夕方に自家の母親から電話が。
「さっき2件隣の家で火事があったんだけど、知ってるかい?」
…知ってるわけがない。
相変わらず唐突に話しを持ってくる人だ。
「そこに住んでたおばあちゃんが、巻き込まれて亡くなったんだよ。」
…あ、そうなんだと他に言葉がなく、電話を切った。
今朝、職場に行く途中に迂回してその家を見てきた。
玄関先には軽パトが待機してて、塀には「立入り禁止」の黄色いテープが張り巡らされてた。
外壁はほとんど焼けてなくきれいなままだったが、割れたガラスの奥には、おそらく消火する際に剥がしたものもあるのかもしれないが、内壁はなく梁が炭化して見えていた。
どの部屋にそのおばあちゃんはいたのだろう。
近所だというのにあったこともないはずなのだが、なんだか虚しくなる。
このお宅は、僕が物心ついたときからある家だった。
もしかしたら小さい頃に話しをしたことがあるかもしれない。
七夕のロウソクをもらいに行ったことがあるかもしれない。
だけど、その記憶はまだ思い出せない。
高齢とはいえ、火事に巻き込まれてなくなるのはつらかっただろうに。
いろいろと考えてしまう。
また、ひとつの時代が終わったような。
そんな感じがしました。
「さっき2件隣の家で火事があったんだけど、知ってるかい?」
…知ってるわけがない。
相変わらず唐突に話しを持ってくる人だ。
「そこに住んでたおばあちゃんが、巻き込まれて亡くなったんだよ。」
…あ、そうなんだと他に言葉がなく、電話を切った。
今朝、職場に行く途中に迂回してその家を見てきた。
玄関先には軽パトが待機してて、塀には「立入り禁止」の黄色いテープが張り巡らされてた。
外壁はほとんど焼けてなくきれいなままだったが、割れたガラスの奥には、おそらく消火する際に剥がしたものもあるのかもしれないが、内壁はなく梁が炭化して見えていた。
どの部屋にそのおばあちゃんはいたのだろう。
近所だというのにあったこともないはずなのだが、なんだか虚しくなる。
このお宅は、僕が物心ついたときからある家だった。
もしかしたら小さい頃に話しをしたことがあるかもしれない。
七夕のロウソクをもらいに行ったことがあるかもしれない。
だけど、その記憶はまだ思い出せない。
高齢とはいえ、火事に巻き込まれてなくなるのはつらかっただろうに。
いろいろと考えてしまう。
また、ひとつの時代が終わったような。
そんな感じがしました。
2006年03月04日
#150 ホッケー初体験
今日は、息子の今年度最後のホッケー練習日。
練習日と言ってもレクレーションに近い。
父母チームと子供たちとのゲーム。
僕は初めて防具を付けてリンクに出ることになった。
同僚から借りた防具。
高いというだけあって、かなりがっちりしてる。
これならいくら転んでもいたくないだろう.
リンクに入る父母は10人。
そのうち、経験者もしくは今もチームに入ってプレイしてる人は7人。
僕を含め3人の父母はゲームしたことすらない。
考えただけですぐにバテるのが予想できる。
さて、それではいきますかっ!
コーチを務めてくれてる某高校の先生が一言。
「え〜、大人げなく勝ちにいきましょう!」
うわっ、気合い入ってます。
ホッケーは長男が幼稚園に入ったときからたまに滑りにいくぐらい。
なので、滑れることは滑れます。
だけれど、急ストップ、急カーブはできません…
想像通り、子供たちの急なフェイントにはついていけない。
それにしてもスティックの使い方がこんなに難しいとは。
まず、パックにあたらないのが頭に来る!
僕はレフトといって、右手を軸に左側に添えて持つ方がやり易い。
でも、借りたのはライト。
根本的に間違った使い方をしてるから、うまく扱えないのは当然なんだけど、だとしても難しいもんだ。
1ピリ20分。
こんなに20分が長いとは…
3ピリにはすでに足が前に出ない。
熱がこもって体が熱いし、なんだか朝食が逆流しそう…
教訓
ホッケーの前は食事はとらないこと。
ようやくゲームが終了。
もう、くたくたです。
でもほんと、いい運動かも。
夜には納会。
某ホテルで子供たちも交えて食事です。
2次会は大人だけで飲みに末広へ!
普段挨拶をする程度だったお父さん達とも話せて、いろいろと面白い会でした。
こういう同好会の父母会って初めての経験ですが、父母がサポートしないとできないという面があるもんです。
一致団結とまではいかないにしろ、ある程度の意思の疎通は必要ですね。
子供たちの世代が終わればそれで終わりと言ってしまえばそうなんですけど、それでも、いいことは後に引き継いでいくのも父母会の役割なんではないのでしょうか?
僕はあと5年ありますが…あ、長男が卒業までやってるとしてね。でも、次男もし始めたらあと8年もあるか…外で見てるだけというのもなんだか悪い気がしてくる。そんな気持ちのいい父母会に感じられましたね。
練習日と言ってもレクレーションに近い。
父母チームと子供たちとのゲーム。
僕は初めて防具を付けてリンクに出ることになった。
同僚から借りた防具。
高いというだけあって、かなりがっちりしてる。
これならいくら転んでもいたくないだろう.
リンクに入る父母は10人。
そのうち、経験者もしくは今もチームに入ってプレイしてる人は7人。
僕を含め3人の父母はゲームしたことすらない。
考えただけですぐにバテるのが予想できる。
さて、それではいきますかっ!
コーチを務めてくれてる某高校の先生が一言。
「え〜、大人げなく勝ちにいきましょう!」
うわっ、気合い入ってます。
ホッケーは長男が幼稚園に入ったときからたまに滑りにいくぐらい。
なので、滑れることは滑れます。
だけれど、急ストップ、急カーブはできません…
想像通り、子供たちの急なフェイントにはついていけない。
それにしてもスティックの使い方がこんなに難しいとは。
まず、パックにあたらないのが頭に来る!
僕はレフトといって、右手を軸に左側に添えて持つ方がやり易い。
でも、借りたのはライト。
根本的に間違った使い方をしてるから、うまく扱えないのは当然なんだけど、だとしても難しいもんだ。
1ピリ20分。
こんなに20分が長いとは…
3ピリにはすでに足が前に出ない。
熱がこもって体が熱いし、なんだか朝食が逆流しそう…
教訓
ホッケーの前は食事はとらないこと。
ようやくゲームが終了。
もう、くたくたです。
でもほんと、いい運動かも。
夜には納会。
某ホテルで子供たちも交えて食事です。
2次会は大人だけで飲みに末広へ!
普段挨拶をする程度だったお父さん達とも話せて、いろいろと面白い会でした。
こういう同好会の父母会って初めての経験ですが、父母がサポートしないとできないという面があるもんです。
一致団結とまではいかないにしろ、ある程度の意思の疎通は必要ですね。
子供たちの世代が終わればそれで終わりと言ってしまえばそうなんですけど、それでも、いいことは後に引き継いでいくのも父母会の役割なんではないのでしょうか?
僕はあと5年ありますが…あ、長男が卒業までやってるとしてね。でも、次男もし始めたらあと8年もあるか…外で見てるだけというのもなんだか悪い気がしてくる。そんな気持ちのいい父母会に感じられましたね。
2006年03月03日
#149 そろそろ…
ここ数ヶ月考えてた作品を、具体化しようと思う。
今のところ、何かのコンペに出してみるとか、そういう気持ちはあんましないですが…
まあ、NHKがらみでこの前釧路で開催してた「フィルムフェスティバル」にとりあえず出してみようかな。
まだ設定とあらすじ程度で、台本化までは出来てないんですけど、少しずつディテールは出来上がってきてます。
なので、素材とか設定を書きだめするのをかねて、ホームページを作ってみようかな。
それにしても、僕は人物を書くことが出来ません。
一応アニメ…というか…まあ、実写にしちゃうと役者さんたちを確保しなくちゃいけないし、それはそれで結構手間…というか、皆さんにご迷惑をおかけしちまうので…かなり無謀な挑戦だとは思ってるんですけど、アニメの手法を使おうかと…いろいろ思案中ではあるのです…
カットカットごとに、実際にそのポーズで写真や映像を撮って、それに照らし合わせて人物を描いてく…みたいな。
だとしても、キャラの顔はどうやって描こう…
ほんと、絵心がないと困ります。
わかっちゃいるのに、自分でそういう道をつくってしまう…損な奴です。
今日は朝から航空写真の画像を取り込んでます。
舞台は自分の街、釧路です。
もちろん、作品に釧路というワードは出しません。
あくまで、ありそうな街をイメージしてるだけなので。
で、どうして航空写真が必要なのかと申しますと…
ふ、ふ、ふ…
実は街を砂漠化しようと思いまして。
大陸から大量の砂が降り注いで、やがてこの街まで砂漠化。
それが原因で街は大きな穴があき、川沿いの地域は浸食して海に流れ込む。
その大災害の後が舞台のお話です。
それでちょっと使いたいカットがありまして、釧路市全域の航空写真をかき集めてたのです。
かなりの量で、カットにしてだいたい400枚を超えるのかなあ…
まだ全部取り込んでないので何とも言えませんが。
でもこの400枚すべて端端どうしでつなぎ合うわけじゃなくて、結構だぶってるから思った以上に大きな画像にはならないと踏んでるのですが…
しかも、撮影時期が昭和52年。
僕がまだ8歳のときですよ。
美原はまだ開発中で、昭和は湿原の中の時代ですよ。
まあ、一瞬だからいっかな…
どっちかというと、今の釧路川沿いを砂漠化して海に流れてしまった景色を作る方が面倒かも。
実際の絵を加工しようか、一度3D化したのに手を加えるか…う〜ん、悩むところだ。
まあ、絵コンテ作ってから考えるとしましょう。
ちなみに航空写真はこんな感じで砂漠の街になっていきます。
まずは素の状態。
DLして端の余計な部分をトリミングして、街だけの部分にしたところ。
昔の写真なので、カラーバランスを調整して、今の写真ぽく若返らせる。
経年劣化によって、赤と緑って色あせるものなんです。
浸食したのを想定して、土地を削ります。
当然、橋も倒壊、街も倒壊。
うわっ…こうなったらやだな…
これに砂を積もらせる。
とりあえずは試しなので、一つ一つレタッチ。
どのみち砂だらけになるんだから色あせててもよかったんじゃない?
と、自問自答。
左側はなかなかいい感じに仕上がったんだけど、右側はまだ違和感がありますね。
研究の余地大有りだな。
海岸線の処理も甘い。
でも、航空写真でもう少しイラストっぽくするのだからこれでもいいのか?
ま、まあこんな感じでちまちま作り始めることにしました。
ホームページは開設したらとりあえず触れておきますわ。
そっちに作品制作の過程をメインにおくことにします。続きを読む
今のところ、何かのコンペに出してみるとか、そういう気持ちはあんましないですが…
まあ、NHKがらみでこの前釧路で開催してた「フィルムフェスティバル」にとりあえず出してみようかな。
まだ設定とあらすじ程度で、台本化までは出来てないんですけど、少しずつディテールは出来上がってきてます。
なので、素材とか設定を書きだめするのをかねて、ホームページを作ってみようかな。
それにしても、僕は人物を書くことが出来ません。
一応アニメ…というか…まあ、実写にしちゃうと役者さんたちを確保しなくちゃいけないし、それはそれで結構手間…というか、皆さんにご迷惑をおかけしちまうので…かなり無謀な挑戦だとは思ってるんですけど、アニメの手法を使おうかと…いろいろ思案中ではあるのです…
カットカットごとに、実際にそのポーズで写真や映像を撮って、それに照らし合わせて人物を描いてく…みたいな。
だとしても、キャラの顔はどうやって描こう…
ほんと、絵心がないと困ります。
わかっちゃいるのに、自分でそういう道をつくってしまう…損な奴です。
今日は朝から航空写真の画像を取り込んでます。
舞台は自分の街、釧路です。
もちろん、作品に釧路というワードは出しません。
あくまで、ありそうな街をイメージしてるだけなので。
で、どうして航空写真が必要なのかと申しますと…
ふ、ふ、ふ…
実は街を砂漠化しようと思いまして。
大陸から大量の砂が降り注いで、やがてこの街まで砂漠化。
それが原因で街は大きな穴があき、川沿いの地域は浸食して海に流れ込む。
その大災害の後が舞台のお話です。
それでちょっと使いたいカットがありまして、釧路市全域の航空写真をかき集めてたのです。
かなりの量で、カットにしてだいたい400枚を超えるのかなあ…
まだ全部取り込んでないので何とも言えませんが。
でもこの400枚すべて端端どうしでつなぎ合うわけじゃなくて、結構だぶってるから思った以上に大きな画像にはならないと踏んでるのですが…
しかも、撮影時期が昭和52年。
僕がまだ8歳のときですよ。
美原はまだ開発中で、昭和は湿原の中の時代ですよ。
まあ、一瞬だからいっかな…
どっちかというと、今の釧路川沿いを砂漠化して海に流れてしまった景色を作る方が面倒かも。
実際の絵を加工しようか、一度3D化したのに手を加えるか…う〜ん、悩むところだ。
まあ、絵コンテ作ってから考えるとしましょう。
ちなみに航空写真はこんな感じで砂漠の街になっていきます。
まずは素の状態。
DLして端の余計な部分をトリミングして、街だけの部分にしたところ。
昔の写真なので、カラーバランスを調整して、今の写真ぽく若返らせる。
経年劣化によって、赤と緑って色あせるものなんです。
浸食したのを想定して、土地を削ります。
当然、橋も倒壊、街も倒壊。
うわっ…こうなったらやだな…
これに砂を積もらせる。
とりあえずは試しなので、一つ一つレタッチ。
どのみち砂だらけになるんだから色あせててもよかったんじゃない?
と、自問自答。
左側はなかなかいい感じに仕上がったんだけど、右側はまだ違和感がありますね。
研究の余地大有りだな。
海岸線の処理も甘い。
でも、航空写真でもう少しイラストっぽくするのだからこれでもいいのか?
ま、まあこんな感じでちまちま作り始めることにしました。
ホームページは開設したらとりあえず触れておきますわ。
そっちに作品制作の過程をメインにおくことにします。続きを読む
2006年03月02日
#148 彼岸荒れ
まあ、まだお彼岸と呼ぶには早い時期かもしれませんが、昨日からまた雪景色。
バイク庫前の雪を取り除いて、そろそろバイクを出す準備でもしようかと思ってた矢先でした。
今朝はまた雪が積み上げられてます。
早くすっきりしたい今日この頃。
今シーズンで4度目のバイクです。
サビサビで押しても動こうとしなかったタイヤを、ようやく回るようにしてから4度目の春になろうとしてます。
もういいかげんタイヤにも限界がきてます。
買わなくてはいけない状態なのですが、どうにもこうにも先立つものが…
でも、そんなこといってては命に関わる大事なパーツですし、なんとかしたいものではあるのですが…
あ〜どうしましょうか…
バッテリーも買わなくちゃ!
先シーズンでとうとうバッテリーも逝っちゃいました。
Hideさんに頼んで、取り寄せてもらおうかな。
これが400ccとか750ccオーバーのバイクならいろいろとやってみたいこともあるんですけど、なにせ250ccだしなぁ〜やるだけむなしいかも…
まずはヘッドライトのHID化。
そしてナビを付けてツーリングへ!!
…何をしたいんだ?自分。
それならビッグスクーターという手もあるかな?
最近のビッグスクーターってけっこう格好いいし、パワーもあるし、乗ってて楽だし…
いやいや、バイクにはバイクのよさがあるからな。
ビッグスクーターといっても所詮スクーターさ。
…とかいいながらバB(バトルBEAT略します!)のフォルツァにちょっと憧れの眼差しも送ったりして…
あ、あ、そんな、バイクに金かけてしまったら、セヴンへの道が遠のいてしまう!!
理想はケイターハムのクラシックかバーキン。
でもなあ、やっぱり現実的なことを考えてしまうとフレイザーのFC4かウェストフィールドのFRPボディにしないと、この街じゃあ冬でも乗りませないしなぁ…
乗るんかい?冬に!
とかよく言われちゃうんですけど…
乗りますよぉ!冬だろうが雨だろうが、晴れてれば幌外しますし、降っててもちゃんと?付て毎日乗りますよぉ!
近頃のオープンカー乗りは、軟弱すぎますっ!
何のためにオープン乗ってるのかわからない人が多いっっ!
晴れてるときは気持ちいいからオープン!それ、当たり前っす!
寒くても降ってなきゃオープンでしょ!
幌は雨、雪をしのぐためだけのものです!
…まあ、人それぞれスタイルがあるからいいんですけど…級に冷めてしまいました。
とにもかくにも早く暖かい季節になってほしいものです。
バイク庫前の雪を取り除いて、そろそろバイクを出す準備でもしようかと思ってた矢先でした。
今朝はまた雪が積み上げられてます。
早くすっきりしたい今日この頃。
今シーズンで4度目のバイクです。
サビサビで押しても動こうとしなかったタイヤを、ようやく回るようにしてから4度目の春になろうとしてます。
もういいかげんタイヤにも限界がきてます。
買わなくてはいけない状態なのですが、どうにもこうにも先立つものが…
でも、そんなこといってては命に関わる大事なパーツですし、なんとかしたいものではあるのですが…
あ〜どうしましょうか…
バッテリーも買わなくちゃ!
先シーズンでとうとうバッテリーも逝っちゃいました。
Hideさんに頼んで、取り寄せてもらおうかな。
これが400ccとか750ccオーバーのバイクならいろいろとやってみたいこともあるんですけど、なにせ250ccだしなぁ〜やるだけむなしいかも…
まずはヘッドライトのHID化。
そしてナビを付けてツーリングへ!!
…何をしたいんだ?自分。
それならビッグスクーターという手もあるかな?
最近のビッグスクーターってけっこう格好いいし、パワーもあるし、乗ってて楽だし…
いやいや、バイクにはバイクのよさがあるからな。
ビッグスクーターといっても所詮スクーターさ。
…とかいいながらバB(バトルBEAT略します!)のフォルツァにちょっと憧れの眼差しも送ったりして…
あ、あ、そんな、バイクに金かけてしまったら、セヴンへの道が遠のいてしまう!!
理想はケイターハムのクラシックかバーキン。
でもなあ、やっぱり現実的なことを考えてしまうとフレイザーのFC4かウェストフィールドのFRPボディにしないと、この街じゃあ冬でも乗りませないしなぁ…
乗るんかい?冬に!
とかよく言われちゃうんですけど…
乗りますよぉ!冬だろうが雨だろうが、晴れてれば幌外しますし、降っててもちゃんと?付て毎日乗りますよぉ!
近頃のオープンカー乗りは、軟弱すぎますっ!
何のためにオープン乗ってるのかわからない人が多いっっ!
晴れてるときは気持ちいいからオープン!それ、当たり前っす!
寒くても降ってなきゃオープンでしょ!
幌は雨、雪をしのぐためだけのものです!
…まあ、人それぞれスタイルがあるからいいんですけど…級に冷めてしまいました。
とにもかくにも早く暖かい季節になってほしいものです。
2006年02月28日
#147 更なる進化
インフルエンザに苦しんでる中、BATTLE-BEATから「赤ビーのエンジン、ハイカムにするからおろすことになったよ!」とのメール。
もう、熱でそれどころじゃないというのに次々と近況報告の写メが送られてくる…
う〜
最初は見ていたのだが、そのうち見るのも億劫になってきた。
…で、さっきようやくマックに転送してみました。
ほ、ほぉ〜
エンジン降ろしてますねえ〜
ここではハイカム組み込む作業はしないらしいです。
そのまま東京に送るとか…
これがエンジン。
青いケーブルがまたかっこいい…
ハイカムを組み込むと高回転でまわしたときに、ノーマルよりもより上の回転域でまわすことが出来ます。
ビート…というか軽カーの場合、排気量が少ない分すぐに頭打ちしてしまいます。
十勝で言うと裏ストレートや、メインストレートは、ビートにとっても苦しい場所。
5速アクセルベタ踏みで、後少しのびれば〜ってあたりでレブリミットがかかって減速…
というかスピードが出ません。
ここら辺の気持ち悪さを解消したいというのが、今回にハイカム化の計画でしょう。
ただ、問題は低・中速のトルク現象ですね。
おそらく下はスカスカになるのではというのが大方の予想。
こればっかりは実際に組み込んで走ってみないとわからないそうです。
いいバランスで中低速のトルクも維持できればいいのですが…
それにしても、出来上がりが楽しみですね。
いつごろ戻ってくるのでしょうか?
赤ビーさんの情熱には頭が下がります。
もう、熱でそれどころじゃないというのに次々と近況報告の写メが送られてくる…
う〜
最初は見ていたのだが、そのうち見るのも億劫になってきた。
…で、さっきようやくマックに転送してみました。
ほ、ほぉ〜
エンジン降ろしてますねえ〜
ここではハイカム組み込む作業はしないらしいです。
そのまま東京に送るとか…
これがエンジン。
青いケーブルがまたかっこいい…
ハイカムを組み込むと高回転でまわしたときに、ノーマルよりもより上の回転域でまわすことが出来ます。
ビート…というか軽カーの場合、排気量が少ない分すぐに頭打ちしてしまいます。
十勝で言うと裏ストレートや、メインストレートは、ビートにとっても苦しい場所。
5速アクセルベタ踏みで、後少しのびれば〜ってあたりでレブリミットがかかって減速…
というかスピードが出ません。
ここら辺の気持ち悪さを解消したいというのが、今回にハイカム化の計画でしょう。
ただ、問題は低・中速のトルク現象ですね。
おそらく下はスカスカになるのではというのが大方の予想。
こればっかりは実際に組み込んで走ってみないとわからないそうです。
いいバランスで中低速のトルクも維持できればいいのですが…
それにしても、出来上がりが楽しみですね。
いつごろ戻ってくるのでしょうか?
赤ビーさんの情熱には頭が下がります。
2006年02月27日
#146 萎えるキモチ
木曜日からなんだか熱っぽい。
風邪だろうと思い家に帰って早速寝て大事を取る。
金曜日は昼からの出勤になったので、朝食を食べて裏の病院へ。
病院はまさに塀を隔てて裏表の関係にある。
ただ…表通りにあるのは病院の方なので、「裏の病院」という表現は見方によっては違う。
…そんなことどうでもいいディテールだけど…
病院でインフルエンザの検査も行ってみた。
それがまた予想に反してビンゴ!
そう、「インフルエンザA型」との診断。
…どこで感染したんだ?
それがわからない…しかし、インフルエンザA型になってたのは確かでした。
朝方に解熱剤を飲んでたので、体は軽かったのだが病院で検温してみると37.4℃。
あれ?全然下がってないんだ。
まあ、夜には38.6℃まであったのだから、下がってるには下がってるのだけど。
家に帰って上司に連絡。
すぐさま日曜までの休暇になった。
我が家でも感染を防ぐために寝室を自らわけて、隔離生活の開始。
食事をとるとき以外、リビングには降りなかった。
というより、降りる気力がなかった。
お昼には既にインフルエンザの猛威にさらされ、38.2℃から下がらない状況だったので…
「気が萎える」
そんな言葉が頭をよぎる。
こうもずっと熱が出てると、なんにもする気が起きない。
気分を紛らわすにもテレビやラジオをつけることも、暗くなっても電灯を点けることも、熱を測ることすらする気がおきない。
ただただ熱が少しでも下がるのを待つことしか出来ない。
そんな時間が続いた。
土曜日の夜にはようやく37℃台まで下がってきたので、かなり体が楽になってきた。
こうなると、気分的には平熱と感覚が変わらない。
もう結構下がったろうと熱を測ると…37.6℃…
日曜にはようやく平熱に下がった。
熱が下がると感染率は大幅に低下するらしい。
それでも一応自分の部屋にこもってる。
こうなるとオリンピックのダイジェスト見たり、BGMがわりにテレビを付けて時間を過ごすことが出来る。
こうやって、インフルエンザからようやく復活しました。
今日は病み上がりにも関わらず、銀行やらなにやらと行かなければいけないところがあったので、朝から外出。
お昼頃にノルマをこなし昼食。
今日は久々のラーメン!
釧路町にある「だるま」に行ってきました。
場所は釧路町のフクハラからコープ札幌に続く道を通る途中に、生ラムの店とラーメンの宝龍が右手に見えるのでそこを左に曲がるとすぐに見えます。
ここの店長、「美女と野獣」というパブを経営してた(る…かもしれません。今はどうなんでしょう?)経歴の持ち主。
なぜかラーメン屋で今は生計をたててるみたいです。
ところが、ここの味がまたなんとも言えないほど旨い! んです。
僕はまたまた味噌ラーメン。
太麺で注文しました。
スープに浮かぶ脂のつぶつぶが目立つが、見た目よりもあっさりとしていて、例のごとく完食しました。
よおし、明日から仕事復活だぁー!!
がんばるぞぉ!
風邪だろうと思い家に帰って早速寝て大事を取る。
金曜日は昼からの出勤になったので、朝食を食べて裏の病院へ。
病院はまさに塀を隔てて裏表の関係にある。
ただ…表通りにあるのは病院の方なので、「裏の病院」という表現は見方によっては違う。
…そんなことどうでもいいディテールだけど…
病院でインフルエンザの検査も行ってみた。
それがまた予想に反してビンゴ!
そう、「インフルエンザA型」との診断。
…どこで感染したんだ?
それがわからない…しかし、インフルエンザA型になってたのは確かでした。
朝方に解熱剤を飲んでたので、体は軽かったのだが病院で検温してみると37.4℃。
あれ?全然下がってないんだ。
まあ、夜には38.6℃まであったのだから、下がってるには下がってるのだけど。
家に帰って上司に連絡。
すぐさま日曜までの休暇になった。
我が家でも感染を防ぐために寝室を自らわけて、隔離生活の開始。
食事をとるとき以外、リビングには降りなかった。
というより、降りる気力がなかった。
お昼には既にインフルエンザの猛威にさらされ、38.2℃から下がらない状況だったので…
「気が萎える」
そんな言葉が頭をよぎる。
こうもずっと熱が出てると、なんにもする気が起きない。
気分を紛らわすにもテレビやラジオをつけることも、暗くなっても電灯を点けることも、熱を測ることすらする気がおきない。
ただただ熱が少しでも下がるのを待つことしか出来ない。
そんな時間が続いた。
土曜日の夜にはようやく37℃台まで下がってきたので、かなり体が楽になってきた。
こうなると、気分的には平熱と感覚が変わらない。
もう結構下がったろうと熱を測ると…37.6℃…
日曜にはようやく平熱に下がった。
熱が下がると感染率は大幅に低下するらしい。
それでも一応自分の部屋にこもってる。
こうなるとオリンピックのダイジェスト見たり、BGMがわりにテレビを付けて時間を過ごすことが出来る。
こうやって、インフルエンザからようやく復活しました。
今日は病み上がりにも関わらず、銀行やらなにやらと行かなければいけないところがあったので、朝から外出。
お昼頃にノルマをこなし昼食。
今日は久々のラーメン!
釧路町にある「だるま」に行ってきました。
場所は釧路町のフクハラからコープ札幌に続く道を通る途中に、生ラムの店とラーメンの宝龍が右手に見えるのでそこを左に曲がるとすぐに見えます。
ここの店長、「美女と野獣」というパブを経営してた(る…かもしれません。今はどうなんでしょう?)経歴の持ち主。
なぜかラーメン屋で今は生計をたててるみたいです。
ところが、ここの味がまたなんとも言えないほど旨い! んです。
僕はまたまた味噌ラーメン。
太麺で注文しました。
スープに浮かぶ脂のつぶつぶが目立つが、見た目よりもあっさりとしていて、例のごとく完食しました。
よおし、明日から仕事復活だぁー!!
がんばるぞぉ!
2006年02月22日
#145 久しぶり!
芝居が縁で友人になった人がいる。
いや、そういう囲みでカウントしたら、おそらく百数十人の数にふくれあがるだろう。
今回はその中の一人のことですが。
今年の春に劇団を旗揚げするとがんばってる。
時期も何となく同じような時期だが、彼もそれまで所属していた劇団を退団していた。
もちろん、僕とは違う劇団。
彼はその劇団に見切りをつけ、去り、そして自分の理想とする劇団を立ち上げ始めた。
よく言えば、彼のやりたいこととその劇団の進んでる道に乖離が生じた。
悪く言えば、ただそういう状況が嫌で抜け出した。
そういう点で言えば僕も似たようなもんだ。
だけど僕は反対に、以前からたびたび書いてある通り、芝居というものから身を引いた。
芝居を作ることは、おそらく今でもやってみれば楽しいと思う。
しかし、あの当時の、あのメンバーだからできたテンションというか、モチベーションというか、情熱みたいな感情を、仮に僕も新しい劇団を作ってまで、あるいは違う劇団に入ってまで、再びそういう気持ちを持つことが出来るかと言えば、僕にはそれは出来なかった。
そしてその最大のパートナーたちとも、芝居を作る気がしなくなった。
だから、芝居というものから身を引いた。…形になった。
多分、誰かに切に誘われれば、そこの団体に参加するかもしれない。やっぱり芝居は好きだから。
高校時代を含めると18年も芝居という世界に身を置いていたのだから、この日常にかなりの物足りなさを
感じてるのも事実。
…でも、もういいな。
次にやりたいことが見つかったからね。
麦酒会のメンバーのケロさんが、ある新聞記事のコピーを持ってきてくれた。
以前に書いた「進むべき道」にリアクションしてから、それでもなお、いろいろと考えるところがあったようです。
ありがたい話しです。
その記事には「総クリエーター時代 〜イベントに参加 居場所を確認〜」とタイトルがつけられていた。
最近「新風舎」という出版社から、「共同出版」と呼ぶ自主出版が多く出始めてるようだ。
05年は2700点もの作品が世に出たらしい。
これは講談社の2191点(04年)を遥かに上回っていて、05年はおそらく講談社もこんなに出していないのではいかと言われてる。
文字だけではなく、最近流行の「ポッドキャスト」での映像やラジオ番組、テレビ番組等、素人からの作品の発信が盛んらしい。
新聞にはある大学の教授がこんなことを言って文をしめていた。
「もともと日本人は芸術を見るよりも作る側にいたい民族。ー
ー作る側にいたい人たちは、そもそもアートに想定外のショックを求めていないのでは。むしろ、自分の感じてる物を、なかば不安とともに確認するために、同じテーストを持つ人を見つけようとしてるのかもしれません。」
ー気がつけば、みんな作る側にいる。
ああ、なるほどね。
そうかもね。だからいろいろと考えるんだね。
この記事をみてかなりすっきりした感じがしました。
劇団を離れたから4、5ヶ月。
その間、いろいろとブログを書いてきたし、映画や小説やテレビなんかを見てきた。
最近、ようやくとりあえず作ってみたいものが見えてきたので、作り始めてるんだけど、この始めの一歩は多分どこにも歩みだしてない一歩かもしれない。
ま、いろいろ偉そうなこと書いてきて、作品一つも作らない方が恥ずかしいからね。
で、話しを戻しますが。
その彼のために、劇団のホームページを作ることにした。
彼はきっと、僕が本当に作る気があるのを知らないかもしれない。
社交辞令だと思われてもなんだし。
作るよ!
約束したでしょ!!
ホームページを作るのも、4、5ヶ月ぶり。
年末にハードディスクがクラッシュしてから、新しいハードディスクには必要ないだろうと思ってインストールすらしてなかったのだが…
久しぶりにサイトデザイン。
いろいろとやりたいことが膨らみ始める。
無事、開設が完了したら紹介しますね。
いや、そういう囲みでカウントしたら、おそらく百数十人の数にふくれあがるだろう。
今回はその中の一人のことですが。
今年の春に劇団を旗揚げするとがんばってる。
時期も何となく同じような時期だが、彼もそれまで所属していた劇団を退団していた。
もちろん、僕とは違う劇団。
彼はその劇団に見切りをつけ、去り、そして自分の理想とする劇団を立ち上げ始めた。
よく言えば、彼のやりたいこととその劇団の進んでる道に乖離が生じた。
悪く言えば、ただそういう状況が嫌で抜け出した。
そういう点で言えば僕も似たようなもんだ。
だけど僕は反対に、以前からたびたび書いてある通り、芝居というものから身を引いた。
芝居を作ることは、おそらく今でもやってみれば楽しいと思う。
しかし、あの当時の、あのメンバーだからできたテンションというか、モチベーションというか、情熱みたいな感情を、仮に僕も新しい劇団を作ってまで、あるいは違う劇団に入ってまで、再びそういう気持ちを持つことが出来るかと言えば、僕にはそれは出来なかった。
そしてその最大のパートナーたちとも、芝居を作る気がしなくなった。
だから、芝居というものから身を引いた。…形になった。
多分、誰かに切に誘われれば、そこの団体に参加するかもしれない。やっぱり芝居は好きだから。
高校時代を含めると18年も芝居という世界に身を置いていたのだから、この日常にかなりの物足りなさを
感じてるのも事実。
…でも、もういいな。
次にやりたいことが見つかったからね。
麦酒会のメンバーのケロさんが、ある新聞記事のコピーを持ってきてくれた。
以前に書いた「進むべき道」にリアクションしてから、それでもなお、いろいろと考えるところがあったようです。
ありがたい話しです。
その記事には「総クリエーター時代 〜イベントに参加 居場所を確認〜」とタイトルがつけられていた。
最近「新風舎」という出版社から、「共同出版」と呼ぶ自主出版が多く出始めてるようだ。
05年は2700点もの作品が世に出たらしい。
これは講談社の2191点(04年)を遥かに上回っていて、05年はおそらく講談社もこんなに出していないのではいかと言われてる。
文字だけではなく、最近流行の「ポッドキャスト」での映像やラジオ番組、テレビ番組等、素人からの作品の発信が盛んらしい。
新聞にはある大学の教授がこんなことを言って文をしめていた。
「もともと日本人は芸術を見るよりも作る側にいたい民族。ー
ー作る側にいたい人たちは、そもそもアートに想定外のショックを求めていないのでは。むしろ、自分の感じてる物を、なかば不安とともに確認するために、同じテーストを持つ人を見つけようとしてるのかもしれません。」
ー気がつけば、みんな作る側にいる。
ああ、なるほどね。
そうかもね。だからいろいろと考えるんだね。
この記事をみてかなりすっきりした感じがしました。
劇団を離れたから4、5ヶ月。
その間、いろいろとブログを書いてきたし、映画や小説やテレビなんかを見てきた。
最近、ようやくとりあえず作ってみたいものが見えてきたので、作り始めてるんだけど、この始めの一歩は多分どこにも歩みだしてない一歩かもしれない。
ま、いろいろ偉そうなこと書いてきて、作品一つも作らない方が恥ずかしいからね。
で、話しを戻しますが。
その彼のために、劇団のホームページを作ることにした。
彼はきっと、僕が本当に作る気があるのを知らないかもしれない。
社交辞令だと思われてもなんだし。
作るよ!
約束したでしょ!!
ホームページを作るのも、4、5ヶ月ぶり。
年末にハードディスクがクラッシュしてから、新しいハードディスクには必要ないだろうと思ってインストールすらしてなかったのだが…
久しぶりにサイトデザイン。
いろいろとやりたいことが膨らみ始める。
無事、開設が完了したら紹介しますね。
2006年02月20日
#144 コトバノチカラ
最近某新聞社のCMでこの言葉が出てる。
「言葉の力を信じてる。」
言葉は時に無力で、時に暴力で、時に冷酷でとそのCMでは語ってる。
まあ、新聞のCMだから言葉に言及したないようになるのは当然なんだろうけど、そこまで言葉というものの可能性を否定…とまではいかないが、悪い面を引き合いに出した挙げ句、「それでも言葉の力を信じてる」というオチはどうかと思う。
確かに人は言葉に頼ったりすがったりしてる部分が多い気がする。
わずかな言い方の違いに一喜一憂したり、不安になったり、考え込んだり、涙を流すこともある。
唯一言葉を持った動物なのだから、有効に使ってると思うけど、ある劇作家がこんな言葉を残してる。
「言葉はいつも思いに足りない」
確信だね。
言葉の持つ力を最大限に理解した上での、言葉が持ち得ないもの。
「思い」
これだけはいくら言葉を並び立てても的確にキチンと伝えることは出来ないってことだね。
さすが、言葉の商売をしてる人の言葉は違いますね。
…だからどうのって話しではないんだけど。
「言葉の力を信じてる。」
言葉は時に無力で、時に暴力で、時に冷酷でとそのCMでは語ってる。
まあ、新聞のCMだから言葉に言及したないようになるのは当然なんだろうけど、そこまで言葉というものの可能性を否定…とまではいかないが、悪い面を引き合いに出した挙げ句、「それでも言葉の力を信じてる」というオチはどうかと思う。
確かに人は言葉に頼ったりすがったりしてる部分が多い気がする。
わずかな言い方の違いに一喜一憂したり、不安になったり、考え込んだり、涙を流すこともある。
唯一言葉を持った動物なのだから、有効に使ってると思うけど、ある劇作家がこんな言葉を残してる。
「言葉はいつも思いに足りない」
確信だね。
言葉の持つ力を最大限に理解した上での、言葉が持ち得ないもの。
「思い」
これだけはいくら言葉を並び立てても的確にキチンと伝えることは出来ないってことだね。
さすが、言葉の商売をしてる人の言葉は違いますね。
…だからどうのって話しではないんだけど。