「晴天の霹靂」という言葉は時々耳にする言葉である。
よく耳にはするが、自分が経験することはそうはないように思う。
人生を左右するほどの事件が予想もしなかった形で突然自分に降りかかって来るようなことが、82年生きて来た私に一度でもあっただろうかと思う。

ふるさと島原(長崎県)の私の実家は事情があって姉が引き継いで住んでいた。その姉も夫に先立たれた後、家を引き払って娘夫婦と一緒に福岡に住んでいる。実家にはすでに他人が住んでいる。
小・中・高の同窓会で「島原に帰って来んのかい」とよく聞かれた。「福岡に家ば建てたし、帰ってん住む家ん無かけん、骨は福岡に埋めるたい」と答えていた。実際そう思っていた。

ところがである。両親が亡くなった後空き家になっていた妻の実家の家と屋敷を、子供たち(妻の兄弟姉妹)で処分しようということになった去年の初夏のこと、妻が自分が相続してもいいとと言い出した。妻は長女で、妹と二人の弟がいる。妻は、弟妹には代償金を払って自分が相続してもいいかと私に訊いた。

平々凡々と生きて来た私にとってこれは「晴天の霹靂」であった。
妻と私は同郷で互いの実家も数百メートルの所にあった。親同士も知り合いであった関係で、見合い結婚である。
妻の実家近辺の風景は、今は他人が住んでいる私の実家周辺の風景とほとんど重なる。学校はもとより、海も山もお城も・・・開発が進んで随分変わった町並みも・・・・平成の噴火で形が少し変わったとはいえ普賢岳の山影も・・・すべて重なる。私はほとんど何の抵抗もなく賛成していた。
妻の弟妹たちは、それぞれ関西や福岡に生活の基盤を構えていてふるさとに帰る気はなかったようだ。しかし、先祖から引き継いだ家屋敷を他人に譲るよりは姉さんが住んでくれるならと、妻の相続に協力的であった。

それにしても私は、82歳になって、40数年住みなれた家を処分して故郷に帰ることになろうとは夢にも思わなかった。今は、秋の引っ越しに向けて準備に忙しい。

                                                  家の前から  2020・5月 普賢岳
             
hugenn