後藤元武蔵野市長を偲ぶ会が武蔵野境スイングホール11Fで行われ、私も参列し弔辞の言葉を述べた。

参列者は100人弱で、16年間市長を務めた後藤さんの偲ぶ会としては少々寂しく感じた。
追悼のことば

第二代武蔵野市長 後藤喜八郎氏のご逝去を悼み、謹んで追悼のことばを捧げます。
後藤さんは、昭和三十八年、四十二歳の若さで武蔵野市長に初当選され、以来、四期十六年にわたって市政を担当されました。当時、武蔵野市は、戦後の混乱期、人口急増期を過ぎ、充実期を迎えようとしていました。
十六年にわたって数々の業績をあげられましたが、きわめて注目度が高く、全国に先駆け、後の市政に影響を与えた数々の業績の一端を申し上げたいと存じます。
第一に、昭和三十九年に決定した、吉祥寺駅周辺の都市計画であります。昭和三十年代から再開発の機運が生まれ、初代荒井市長のもとに様々な議論が積み重ねられましたが、それらを整理し、まとめ、決断されたのが後藤さんでした。この事業は、昭和六十二年に完成しましたが、今日の吉祥寺の繁栄の礎をつくられたと言えましょう。
第二に、昭和四十二年に実施した、全国初の児童扶養手当であります。当時は、今日のように少子化が問題となってはおりませんでしたが、児童政策に焦点を当てたことで、全国から注目、評価された施策でした。
第三に、昭和四十五年から始まった下水道受益者負担制度の実施であります。この制度は、先行した三鷹市にならったものでありました。後藤さんは、市議会議員時代に「受益者負担は税金の二重取りだ」と批判しておりましたが、市長就任後、受益者負担制度が効果があると判断し、果敢に自らの主張を変更し、制度を導入したのであります。これによって、下水道事業は大幅に進捗し、昭和六十年に武蔵野市全域に完成したのであります。
第四に、昭和四十六年にスタートした第一期武蔵野市基本構想・長期計画の策定であります。地方自治法の改正により、全国の自治体は基本構想を策定することとなりましたが、その大半は民間のコンサルに丸投げしていました。武蔵野市の長期計画は、市民参加、職員参加をモットーに、遠藤湘吉先生や佐藤竺先生をはじめ、市内在住の四人の学者の方々を中心に、ヒアリングを重ねるという前例のない方式で、武蔵野方式と呼ばれるようになりました。同時に、この基本構想の中に、コミュニティの再生、緑化事業の推進という大きな二本柱を掲げたことは、誠に先見性に富んだ政策選択でありました。
第五に、昭和四十六年に制定した宅地開発等に関する指導要綱です。この指導要綱は、吉祥寺を中心に急速に進出した高層マンションから、周辺住民の日照を確保するための施策でした。しかし、『法律』以上の基準を行政指導して良いのか、また、要綱の運用をめぐって住民から訴訟が起こされ、後藤さんが水道法違反で刑事告訴される事態になりました。この事件は長引き、私が市長になった平成元年に決着したのですが、このことが契機となって、建築基準法が改正され、客観的な日影の基準を地方自治体が制定できるようになったのであります。
このように、市長として数々の業績を残されたことに、改めて心から敬意と感謝を申し上げます。

さらに、政治家としての後藤さんが歩まれた道を振り返ると、誠に「時代の子」であったと言えましょう。
昭和二十六年、後藤さんは三十歳で市議会議員選挙に立候補、六六七票を獲得され見事七位で当選されました。この選挙は、市制施行後初の選挙で盛り上がり、定数三十六名のところ七十二名もの方々が立候補しました。ちなみに、近藤和義議長や石井一徳元議長の父君もこの選挙で初当選を果たされました。
後藤さんは、伸び盛りの社会党の若手ホープとして、その後行われた二回の市議会議員選挙でも、連続してトップ当選を果たしました。いつも「俺は社会党ではなく境党だ」と言って、庶民感覚を忘れず、武蔵境の代表として多くの地元住民に愛され、大活躍されたのであります。
後藤さんが市議会議員を務められた三期十二年は、戦後の復興と人口急増、新しい義務教育制度「六・三制」の施行、吉祥寺駅周辺の再開発事業のあり方など、誠に混乱を極めたダイナミックな時期でしたが、若手の論客として活躍されました。時代もまた、六十年安保改訂と重なり、上げ潮でした。その勢いに乗って、昭和三十八年、第二代武蔵野市長に当選されたのです。
「花と緑と太陽」が後藤さんの口癖でしたが、戦後の混乱期、復興期を市議会議員として、高度経済成長期、充実期を市長として、地方政治の第一線で活躍されました。まさに日本が敗戦から立ち直り、再び世界の先進国に駆け上っていく時代でした。坂の上の雲を目指して、右肩上がりでのぼっていった時代を生き抜いた、誠に幸せな人生だったと存じます。
後藤さんは、昭和五十四年四月に、武蔵野市長を退任されましたが、その実績は、永遠に武蔵野市の歴史に残ることでしょう。
結びに、私は後藤市政第一期目の昭和四十一年四月に武蔵野市役所に入庁し、後藤市長から採用辞令をいただきました。私が今日あるのも、あの時採用していただいたおかげだと感慨もひとしおです。
享年八十七歳、実に堂々たる人生でした。
永年にわたり、武蔵野市の発展に貢献された後藤喜八郎市長、心からのご冥福をお祈りし、追悼のことばといたします。

平成19年11月27日

衆議院議員
前武蔵野市長 土 屋 正 忠