鶏を飼い始めて1年半が経ち、お別れについてもそろそろ視野に入れ始めています。とはいえ、自分で飼っている鶏の最後は一体どうしたらいいのか。時折、話題になっては結論が出ず、いつも先送りにしている問題でした。そんな折、同じ県内の大磯町で平飼い養鶏をしている、コッコパラダイスさんが鶏解体ワークショップをひらくとのことで、参加させていただきました。
昨日まで仲良くしていた鶏たちも、結局は殺すために飼っているということに疑いの余地はなく、その日が来れば殺めて命をいただかなくてはなりません。そうはわかっていても、それでも最後にその命を自らの手で淘汰することがどうしてもできず、業者に依頼するという手段もあるのですが、そこまでやってこその農業、私たちが選んだ生き方なのではないか、この命をいただく部分を他者に預けることは無責任というか、一番大事なことに眼を逸らしているのではないかと思い、決心しての参加でした。
今回いただいた命はけのひの鶏ではなく、コッコパラダイスさんが大切に育ててきた5歳の鶏でしたが、やはりその時は気持ちが定まらず、肚の底が揺れていました。まず、いつも抱っこするように腕の中に抱えている鶏を、今回は足を掴んで逆さに持ちます。その瞬間からひどく違和感を覚えずにはいられなかったのです。
そして鶏を気絶させ、命を絶つ。そのプロセスに挑むときはかなり動揺してしまいましたが、眼を見ず、意を決して粛々と行い、そこからは食べ物として部位ごとに解体していきました。
慣れないこともあって一羽解体するのに1時間半はかかったかと思います。身も心もクタクタになりましたが、農家として、人間として一線を越えたような感覚を得ることができた気がします。
命をいただいて生きていることに目を背けずにいかなくてはと強く思った経験となりました。生き物を食べてるという自覚も芽生えた気がします。
慣れないこともあって一羽解体するのに1時間半はかかったかと思います。身も心もクタクタになりましたが、農家として、人間として一線を越えたような感覚を得ることができた気がします。
命をいただいて生きていることに目を背けずにいかなくてはと強く思った経験となりました。生き物を食べてるという自覚も芽生えた気がします。
翌日、鶏たちが不思議といつもと違って見えました。なんだか愛おしく感じられたのです。その日が来るまでしっかり向き合っていきたいと思います。