やさいのいぶき〜有機農園 けのひの日常〜

脱サラ夫婦が神奈川県愛川町で新しく農業をはじめた日常を綴る。畑と食卓、畑と街、畑と社会を繋いでいきます。

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【お知らせ】
年末特別便追加予約受付ます
けのひのやさいセットをご利用いただいているお客さんたちに毎年末ご用意する「年末特別便」というものがあります。
八つ頭、赤カブ、さつまいも、にんじん、小松菜などなど
年末年始に使いたい野菜を10品目程度詰めたセットです。
今年はお届けできるセットにあと10セットほど余裕がありますので、ご希望される方は12月23日(土)までにメールtokyo-no-min@live.jpまたはFacebookのメッセージでご連絡ください。ご自宅用以外にも、帰省先やお友達へのギフトとしても承ります。
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・着日   1228日(木)
・価格   送料、消費税込み3500

お送り先郵便番号、お送り先住所、宛名、電話番号、受け取り希望時間を添えてお申込みください。
送られてきた野菜を使って、お雑煮やおせちの数品つくってみてはいかがでしょうか?ゆく年くる年をおいしく、楽しく過ごせますように。


朝、家の外に出てみると、いつもより空気がキンと冷え切っていた。畑に行ってみると秋ジャガはすっかり枯れて、ブロッコリーは凍っていた。どうやら初霜が降りたようで、しかも初回から強烈だったみたいだ。昨日までは日中暖かだったので油断していたが、ついにやってきた。すでに暦の上では立冬は過ぎていたけれど、これで名実ともにというか、冬が始まった気がする。


今年の秋は10月に雨が降りすぎて、全体的に生育が遅かったり、停滞しているものが多かった。そのせいもあるのか地域では虫の発生が例年より多く、被害が出ている畑を散見した。台風も2つも直撃した。
ようやく天候が安定したのは11月に入ってからで、さぁ、収穫の秋!というくらい野菜がそろってきたのもここ一週間くらいのことだった。そして冬のはじまり。体感的には12月10日くらいの寒さというか、空気感で、ちょっと冬が早いなと感じる。秋がぐずぐずしていて、冬が早めにきちゃったなぁという感じ。


今年の秋はよくできたという農家さんはあんまり聞かない。みんなそれぞれに苦労していたみたい。
冬は秋の延長上のようなものなので、秋がダメだと冬もあまり期待できないけれど、そこは楽観的に行きたいですね。

畑作業や草刈り、収穫に出荷調整と追われまくりの日々を送っていると、袋詰めくらいなら手伝うよ、と母から電話がきたりします。助け船!と思いきや、なんだかんだ教えるのも逆に大変なのであっさり断ります。袋詰めくらい。いかにも簡単そうですが。

袋詰め、パッキング、調整作業、荷造り、ところ変わればなんとやらで、農家さんによってその呼び名は様々ですが、ようは畑からとってきたものをキレイに整えて、袋に詰めて、出荷できる姿にするということをさしています。もちろん、袋にいれない野菜もありますし、農家さんによっては結束テープを使って丸めたり、新聞紙でくるんだりとその方法も様々です。しかしながら、実はこのたかが袋詰め作業というのを失敗すると、今までやってきたことが全て台無しになってしまいます。

土づくりをして、施肥設計をして肥料を撒き、種を播いて、防虫して、草をとり、剪定したり誘引したりして、収穫して、ようやく袋詰めに至ります。そんなわけでこの袋詰めというのは農家さんたちの思いや個性、感性が表現される最後の重要な工程なのです。

なんか、大きさも形も不ぞろいだし、汚いし、まずそうだね。

そう思われたら店頭で手にとってもらえませんし、やさいセットのお客さんもとてもがっかりしてテンションが下がってしまいます。一番思いを込めるべき作業、それが袋詰め、というわけです。

では時間をかけて、丹精を込めて仕上げていけばいいかといえば、そういうわけでもなく、速さ、正確さ、丁寧さが重要になります。なんせ1つを完璧に仕上げればいいというわけではなく、鮮度のあるものを決められた時間内で過不足なく仕上げていけなければなりません。そしてその日の天候や旬の移ろいもあって、野菜の状態も毎日違います。それを仕上げきるクロージング力も要求されるのです。

三鷹の森ジブリ美術館に「アニメーターに必要なものは、理解と表現と作業能力(スピード)」そして「愛情」と掲げられていますが、野菜を送り出す私たちにもそっくりそのまま当てはまることだと思います。

とはいえ、おそらく袋詰めが軽視されがちな理由はその呼称のせいで、例えば「最終最高重要作業」と名付ければ安易にうちの母も「最終最高重要作業を手伝おうか?」なんて言ってこないんだろう。そんなことをぼんやりと考えていた雨の一日でした。


8月も終わってしまいました。今年も残すところあと4か月ですが、あっという間に忘年会のシーズンがやってきて、一年も終わるんだと思います。最近はなんだか一年がとても短く感じます。歳のせいだと人は言うけれど、一年なんてたったの365日しかないんですものあっという間です。

このブログでは何度か書いてきたかもしれませんが、会社を辞めて成田で有機農業研修を始めてから今日まで9年間、ずっと日誌を書いています。研修当初は人の名前から作業のこと、野菜のことまで覚えることだらけで、それこそ一日A4ノート2ページ分はギッチリ書いていたのですが、だんだんと省力化やデータ化も進み、今ではA4ノート2行に濃縮しています。その分、畑作業のことは別に作業日誌ファイルをつけています。ここ数年は毎月ごとに休んだ日数も確認してまとめているですが、この8月は半休4回で、のべ2日でした。子どもたちともっと遊びたかったな〜。そして、ふと気になって今年のこれまでの休みの日数を数えてみました。

1月 19日
2月 2.5日
3月 6日
4月 2.5日
5月 2日
6月 4日
7月 1.5日
8月 2日
計 39.5日

この8か月、平均すると約5日となりました。もっと休んでるような気がするのは、ほとんど全部半日休の積み重ねだからでしょうか。1月はお正月があったり、駅伝大会があったり、遠出したりしたので本当に派手に休みました。よく、「何月なら休みとれるの?」って聞かれるのですが、この傾向を見ると1月と3月ということになるでしょうか。2月も以外と忙しいみたいです。フランスとイタリアで出会った農家たちは「夏に休みなんてとれないよ 笑」って口をそろえて言ってました。ここは日本なので、彼らとは関係ないのかもしれませんが自分はこの2か月で3.5日も休んだので、まぁよしとします。夏ですから。

農家は基本的に自由ですが、自由というのは意思決定の多さだとも思っているので、イメージとは裏腹に結構時間的なゆとりは少ないようにも思います。もっとゆとりをもって、畑だけに振り回されず、家族やプラスアルファの活動に時間を割くことが目標です。

尊敬する農家さんが「遊びと仕事のはざまで生きていく」って言っていましたが、とてもシンパシーを覚えます。畑といっても、タイトな部分とのんべんだらりな部分とあるのです。そしてフィールドをとっても畑と街とあります。改めて俯瞰すると、つくづくおもしろい職業だなと思います。

先日、たくさんの方にお集まりいただいて、ヒマワリの種の収穫を行いました。連日雨が降る中、その日だけはピンポイントで晴れ渡り、久しぶりの真夏の日差しにうろたえるほどでした。大勢での作業の甲斐もあって、10~18時くらいまでやって、全体の2/3くらいまで終わらせることができました。ここまでいけば大方決着はついたもの、だったのですが、それからの一週間、まったく太陽が出てきませんでした。それどころか連日雨が降り続け、天日で乾かすことはおろか、外に出すことすらできませんでした。もともと湿っているヒマワリの種ですが、そんな状況だったので発酵して熱を帯び始め、部分的に発芽してきてしまいました。もう何年もやってますが、こんなのは初めてです。工業扇を回し続けること数日、それでもまだまだ乾きません。果たしてものになるのかどうか。

最近の話題はもっぱら天気のことになってしまうのですが、この夏の長雨は今現在の夏野菜の収穫量の落ち込みだけでなく、秋冬野菜の仕込みにまで影響を及ぼしています。苗は仕上がっているのに畑がぬかっていては入れないために植え付けができない。なんとか乾いたので畝立てをしても夕方にはまた豪雨。一向に進みません。それでも苗はどんどん大きくなっていく…。

今週、地元の農家が集まって夏のお疲れ様会をする予定なのですが、この夏の不完全燃焼感をどこにもっていけばよいのか、肉なんて焼いている場合なのかと、心がザワッとしてきます。もともと真夏といえばこう、晩夏の仕事はこれで、初秋はこんな感じ、という風にだいたい季節によってやることが決まっている職業なのに、カレンダーと季節が一致していないような一か月を過ごしてきて、頭と心が若干パニックになっているような、そんな気がします。なんだか自分はいったい今どこにいるのだろうか、といったようなちょっとした迷子状態なのかも。

そうはいってもまた明日はすぐにやってきます。とりあえず半日ごとに天気予報がコロコロ変わるのはお見通しなので、それになるべく振り回されないように、平静をよそおって、いつもどおりに明日の準備、段取りを決めなくては。明日の天気は、まぁなんでもいいか。

地温の確保や防草、泥はね防止など、様々な効果のあるマルチ。透明、銀ネズ、黒、白、緑、紫など色によってその効果も様々で、季節や野菜の種類によって使い分ける必要があります。大まかにいって、寒くて地温を確保したい時期は透明、草の多い時期は防草効果の高い黒、真夏は地温を下げる白など。

だいたい真夏にかかる時期は暑くなりすぎて、太陽光をよく吸収する黒だと根が焼けてしまうので、日差しを跳ね返す白にするのが最近のセオリーともいえるのですが、今年はちょっとそうとも言えない感じです。

今収穫中のお盆キュウリは試しに黒と白を半々で使用しました。平年だと黒だと暑すぎてへたり、白が快適に伸びていくのですが、今年は梅雨が明けてから雨ばかり。日照も足りないので当然地温も上がりません。野菜って気温も大事だけど、根にとって快適な環境を維持するためにも地温というのがもっと大事なのです。そのため今年は白の方は生育が遅く、黒が当たりとなりました。

黒があたりになる年なんてほとんどないのですが、黒にしたナスは生育良好、白にしたピーマンは伸び悩んでいます。適度に夕立が降り、夏らしくガンガン晴れる、という正しい(!?)夏はもうこないのか、ここ数年はお盆以降は残暑もなく、秋になっています。今年も今日から先一週間は全部雨予報。現在畑にある作物も伸び悩むし、これから秋冬の作付けにも影響がでてきます。

マルチの色なんて悩むべくもないはずなのに、こうも気候が極端だと正解は毎年変わってきます。

なんだか在り方が定まらない南関東の夏です。

先日、ここ愛川町では雹(ひょう)が降り、これから盛りを迎える夏野菜たちに大きな傷跡を残していった。ゲリラ豪雨とはよく言ったもので、本当にゲリラ戦が行われた現場かのように、キュウリの葉は上から下まで穴だらけ、ぶら下がった実も半分から下がなかったり、本当に小さな実でさえも傷だらけになっていた。ナスも誘引紐が切られてなぎ倒されたり、やはり葉は上から下まで穴だらけ、成長点にある新芽はどれも折れて皮一枚残してぶら下がっていた。そしてミニトマトに至ってはまだ青い上の段の実まで打撲痕や裂傷を負っており、回復の余地は残されていなかった。
その後、一週間くらいはどの野菜もほとんど収穫できず、手入れに力を注いでいたのだけれど、その後ナスやオクラ、空心菜やツルムラサキなどの葉物野菜は回復傾向を見せてくれた。一方で、ミニトマトやキュウリはもう復活できない様子だった。幸いキュウリは別の畑にこの後のリレー収穫分を植えていたので、そちらが生育してくるのを待てばこれからまた収穫できそうで安心した。

今回まともに雹被害にあってみて、いつくるかわからないし、いざやってきてみても守る手立てはなく、なされるがままに見守るほかないという点で多少の対策ができる台風や大雪よりもタチが悪いということがわかった。しかも被害は割と狭い範囲に限定されるからもう運が悪かったと思うほかない。今回はピークの夏野菜の畑直撃だったので個人的には被害が大きかったのが残念だったけれど。

今回の被害で私自身、珍しく2~3日も落ち込んでしまったのだけれど、その間、修行時代に師匠が口酸っぱく言っていた言葉が鮮明によみがえってきた。

「農業は諦めが肝心」

「(台風などがくればなすすべもなく無になってしまう)夏野菜にはあまり手をかけすぎるな」

「身体をとるか、欲(お金)をとるか」

農業、とりわけ野菜農家にとって好都合なことは、季節のスパンが短く、すぐ次のステージがやってくることだ。今回の野菜が終わっても、9月になればまた次の野菜たちがスタンバイしている。10月、11月、年末とまたそれぞれ待っている野菜たちも違う。なので頭を切り替えやすい。

ということで、3日くらいクヨクヨして、自然とまた新たな日々が始まった。

ところが、8月に入った今日、今度は断続的に大雨に降られてしまった。そして人参をまいたばかりの畑も水没。どれだけキチンと作業してても、こういろいろあると無意味にすらなってしまうというのはわかってはいるけれど、種が流れた畑を見ていると、本当に無念だなぁと思ってしまう。

まぁそれでも、「あれがダメでもこれがある」、というように作付けしてるので、
大丈夫なものたちと共に次の季節に向かおうと思う。

そういえば、師匠はよく「農民魂(のうみんだましい」って言葉も使ってたっけ。







2017-01-21-00-11-17ブルターニュ地方のサンマロを後にし、向かったのはノルマンディ地方のサンローという街。友人の車で移動しながら流れていく風景はブルターニュとノルマンディではどことなく違っていた。途中モンサンミッシェルを経由していたため海岸線付近を通過していたというのもあるのかもしれないが、平坦で広大な小麦畑がどこまでも広がっている。また、ときおり通過する小さな村々も丁寧に暮らしている様子が見て取れて、地方ののんびりとした空気感を感じとれる。
夕刻に到着したのは次なる目的地、サンローのLa Barberieという場所。ここには、けのひがお世話になっている八王子のチクテベーカリーのオーナーブーランジェである北村さんに紹介していただきたどり着いた。
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ここでは兄のセルジュさんがブーランジェとしてパンを焼き、弟のフィリップさんがオーベルジュでシェフを、そしてマミーがフランスで言うところのシャンブルドット、つまり民宿を経営している。また、地域で農業を志すチボーという青年がその敷地内で農業をしており、その全てを総称したのがLa Barberieということらしい。
ラ・バーバリーに到着すると日本語が堪能なフィリップさんが出迎えてくれる。そしてまずはシードルを作っているカーブへと案内してくれた。ノルマンディ地方は先に寄ったブルターニュ地方と同じく、ブドウではなくリンゴが取れる産地のため、ワインではなくシードルを呑むのが一般的。このラ・バーバリーではオーベルジュで提供するシードルとカルバドスというお酒を自らで醸造していた。その後に豚や鶏、畑などを順に案内してくれる。そして最後に案内されたのが、同じ敷地内で農業を営むチボーだった。

2017-01-21-00-31-47チボーは29歳の青年で、数年前から他の土地で仲間と農業をしていたが、先週からようやく自分の土地での営農を始めたとのことだった。そのため2haの敷地にはこれといって作物は植わっていない。しかし彼のすごいところはないものは何でも自作してしまうところにあった。まず、自分の住む家を自分で建てた。そしてその隣にある作業小屋、育苗ハウスはもちろんのこと、自動開閉式の鶏小屋まで自作していた。これは日が昇ると扉が開き、日没と共に扉が閉まるという仕組みになっているため、独り農業で忙しい中、最低限の労力で鶏を飼うための工夫がなされている。水は雨水を適切な場所に排水することで鶏が飲むことができ、餌は余った野菜クズでまかなわれている。全くムダのない仕組みが出来ていた。この次は、道路沿いに直売所を建てるらしいがこれもやはり自作するという。先日サンマロで出会ったレジスさんもそうだが、ここのオーベルジュのフィリップさん、この農場のチボーといい、出会うフランス人はみな、ないものは自らでクリエイトするという志向の持ち主たちだった。思い返せばだいぶ前に日本在住のフランス人であるパトリス・ジュリアン氏が『生活はアート』という本を著していたが、彼が特別なのではなく、多くのフランス人がそういったマインドを持っているのではないかと思わされた。フィリップさんは言う、あるものしか使わない。買うなんてつまらないし、したくない。なければ作ればいいし、それもできなきゃ別にいらない、と。なんだか自分の感覚がわからなくなってくる。

特に見せるものもないからと、つい先日まで耕作していたもう一つの農場を案内してくれる。その後、出荷を始めた直売所やビオコープという大手ビオスーパーを案内してくれて再びオーベルジュに戻った。

オーベルジュでは他のお客さん、この日はフランス土壁協会の人たちが20人とチボーとその友人の農家、私たち家族とサンマロ在住の日本人の友人たちで共に宴を過ごすことになった。すでに大勢の人たちがアペリティフを楽しんでいるオーベルジュの食卓に入ると、フィリップさんがフランス語で、「今日は日本からオーガニックファーマーが遊びに来てくれました!」といったニュアンスのことをみんなに言う。すると、おぉというちょっとしたざわめきが起こる。そして「彼女は完璧な英語を話します。彼は完璧な日本語を話します。そして彼女は完璧なフランス語を話します」とユーモアたっぷりに祥子、私、友人を順に紹介してくれた。

アペリティフを楽しみながら、チボーと農業談義に花を咲かせる。そして食事が始まり、スープ、自家製の豚のローストへと続いていく。お供にはもちろん自家製のシードル。
宴も盛り上がってきたところで私は子供たちに声をかけた。「あれ、やるよ」。「ほんとにやるの!?」と子供たち。「今やらなかったらいつやるの?やらないで後悔しても仕方ないじゃない。やって一生の思い出を作るよ」と皆の前に促す。
オーベルジュの食卓の端にギターが一本立てかけてあった。確認すると音があってないのでチボーにチューナーを貸してと頼む。彼の家を見たときに、部屋の中にギターがあったのを見逃さなかったからだ。ギターの音を合わせて、準備が済んだ。

2017-01-21-05-41-31祥子が英語でみんなに語りかける。「hello ,everyone! tonight we sing a japanese song. if you know it, let's sing along together! 」
そして私たち家族が歌いだしたのは、フランスのシャンソンであるオーシャンゼリゼの日本語バージョン。最初、よくわからないといったような顔をしていた会場の人たちも、サビになると驚きと笑いが起きる。そして2番、3番と進んでいくにつれ、サビでは「オー、シャンゼリゼ〜」の大合唱。子供たちも緊張したと思うけど、一生懸命に歌い、たくさんの拍手をもらえた。クオリティの問題はあれど、とにかくやりきったことに充実感があった。
そんな風にして宴の夜は更けていった。

翌朝、フィリップさんとマミーと共に朝食をとる。そのときに特に気になっていたフィリップさんが長年取り組む、フランスの学校給食のオーガニック化について質問する。彼は料理人でありながらその道のプロであり、いかにして給食をオーガニック化するかのプロセスなどを指南してくれた。そのアドバイスは的確であり、私たちが考えていたよりもずっとテクニカルに進めていかなくてはならないことを気づかせてくれた。

la Barberieでの滞在はこれで終わり、サンロー駅までの車内でフィリップさんは自身の今までのことなども話してくれた。彼自身、若い時からこのサンローを飛び出し、世界中を旅しながらも日本で13年間暮らしたという。だから生き方に関してはとても柔軟な発想を持っている。そういえば昨晩の宴のとき、こんな話をしてくれた。
毎年こういう旅ができるといいね!と話すフィリップさんに、さすがにそれは難しいですと即答する私。するとそんなことはない、と確信に満ちた表情で返される。「農家は忙しい忙しいというが、それはやり方次第なんだ。旅に出ることも必要。例えば、世界の農家たちと農家エクスチェンジをすればいい。同じ時期に互いの家と畑を交換する。そして最低限の農作業をしながら、その国を旅する。そんな風にしたっていいんじゃない」と。どうだい、チボー?と話を振られた彼は「まじっすか!?」と戸惑いの表情を見せる。彼も情熱的な男だが、まだまだ若いようだ。

2017-01-21-17-52-03サンローの駅につき、フィリップさんと固く握手をする。そして「いつか、日本のあなたの家に行きます。タダでオーガニックの料理教室を開いたり、オーガニック給食についての講演会を開くから、畳1畳分貸してね」とはにかんでいた。フィリップさんは暮らしについて、人生についての考え方そのものがとても刺激的な大人物。そしてラ・バーバリーはそれを体現した一つの世界。そんな人や場所に旅の最後に出会えたことはとても幸運だった。

パリ行きの列車に乗り込み、この旅で出会った様々な人たちの顔を思い浮かべる。そして、車窓から流れるノルマンディの広大な風景を眺めながら、そういえば自分たちの畑はどんなになっちゃってるかな、と今まですっかり忘れていたことが頭をよぎりはじめたのだった。

imageローマを発ち、フランスのパリを経由して目指したのはフランスの西の端にあるサンマロという港町。旅は7日目になりだんだんと日本での日常が遠いものに感じられるようになってきた。
当初、フランスではパリ近郊の農家さんを訪ねる予定だったが、日本でけのひの野菜を使って下さっているワイン食堂パパンのオーナーがこのサンマロでシェフとして活躍されている友人を紹介して下さり、予定を変更して訪ねることに決めたのだった。そのシェフの友人の有機農家を訪ねる、つまり自分からとってみれば、友人の友人の友人ということ。今回の旅はそんな風になりふり構わない感じでどうにかこうにか縁を手繰り寄せている。

image特急列車でパリから3時間、サンマロに着くと、早速その友人が駅まで迎えに来てくれた。このあたりは冬の間はいつもどんよりと曇っているけれど、今日は珍しく晴れているらしく、なんだか幸先のいいスタート。空気はキンと冷えているけれど、陽射しは暖かい。農家さんとの約束の時間までサンマロの旧市街や浜辺を歩きながらここブルターニュ地方のこと、サンマロの街のこと、彼女自身やシェフである旦那さんのこと、そして自分自身のことなどを話す。ブルターニュ地方はそば粉を原料にしたクレープであるガレットが有名で、街のいたるところにそのガレットを食べさせてくれるクレープリーがある。その中の一つ、東京の神楽坂にもあるクレープリーのサンマロのお店のメインシェフクレーピエを務めるのが彼女の旦那さんだった。一方で彼女自身はこのあたりのもう一つの名物であるリンゴの発泡酒、シードルに対しての造詣が深く、二人の話からこの地方の食文化に対しての理解が深まっていく。

サンマロの街はとても魅力的で、少しの時間では到底味わいきれなかったが、時間もあり後ろ髪を引かれつつ街を出る。そしてサンマロ郊外のTremereucという街で農業を営むla ferme du coinという農場を訪ねた。

2017-01-20-00-11-30この農場はレジスとクレールという夫婦が脱サラして立ち上げたそうで、新規就農してから6年目と、私たちと全く状況が同じだった。祥子とレジスは年齢まで同じで、いきなり親近感を覚える。彼らは5ha程の農地を借りて営農しているが、そのほとんどが水はけが極端に悪い土地のため1.5haをハウスと露地で栽培し、残りはヤギや羊を飼って管理していた。よくない土地をなぜあえて借りたんですか?という問いには、新参者だからノーチョイスだったんだ、と日本と全く同じような状況を話してくれた。




2017-01-20-01-00-46この地域は夏でも25°Cまでしか上がらないらしく、ハウスでの栽培は必須とのことでたくさんのハウスを建てていた。その中での技術は目新しいものもあり、とても勉強になったが、彼らの農場で一番感心させられたのはそのセルフビルド力(りょく)だった。ハウス、作業小屋、物置、動物の小屋を自作するのはもちろんのこと、本を見て真似をしたというサラダミックス製造機やオートメーションの育苗播種機、直売所、エンディーブ用の温度管理された暗室など、およそ必要だと思うもの、あったらいいなと思うものは全て自作していた。なんでこんな技術があるのですか?と驚く私に、やりながら勉強していっただけだよ、とさも当たり前のように答えてくれる。同じ6年間という歳月でこんなにも違うのかと己の未熟さを痛感する。

2017-01-20-00-30-56そして日没がせまり、冷え込んできたため彼の自宅へ。お茶を飲みながらも話は続く。探究心、好奇心旺盛な彼は私に次々と質問をしてくる。日本で人気の野菜って何ですか?あたなの農場の売れ筋は?生姜ってどうやったらうまく作れるの?などなど、彼からはほとばしる情熱を感じる。






2017-01-20-03-03-27そしてお互いの技術情報の交換だけにとどまらず、種の交換までして、これからもexchangeしていこう!と約束し、固く握手をして別れた。キラキラした目がとても印象的なナイスガイであるレジス。仲間であり、目標であり、ライバルであるような、そんな農家が地球の反対側に一人できたことがとても嬉しかった。




imageそしてサンマロに戻り、友人がシェフクレーピエを務めるBREIZ CAFEへ。トラディショナルなガレットに新しい解釈を加えた斬新なメニューと、ベースにあるトラディショナルなガレットに対する奥深さを追求したそのクオリティからひっきりなしにお客さんが入っていた。閑散とした夜のサンマロの旧市街にある中で、お店の中は熱気に溢れていた。ブルターニュを存分に味わった後、いつか一緒に仕事をしようと約束し別れる。

日本にいるときはブルターニュをブルゴーニュと取り違えるほど無知だった私たちだったが、すっかりブルターニュに対する愛着が湧き、この地で活躍するクレーピエやオーガニックファーマーとの出会いに感謝し、気持ちも新たにするのだった。

2017-01-16-23-06-28アルデーアを後にして向かったのはローマ市の北部にあるチェルベーテリという町で農業を営むORTI DEI TERZIさん。元々朝から曇りがちの日だったが、チェルベーテリに着く頃には小雨が降り始め、強い風が吹き付けるようになったきた。到着するなり、ご主人が「一年で一番最悪の日に来たね!」と笑顔と握手で迎えてくれた。

ここはご主人のマッシモさんが14年前に新しく開墾した農場。本人を含めた4人で8haの土地で野菜を育て、様々な出荷先の他にローマ市内に自社の店舗を所有して販売している。たまたま先のレンツォさんと同じく新規就農しての7〜8haというのは共通している点。またここもいくつにも連なる丘がどこまでも続いているような地形で畑はどこも斜面がメインだった。というより平らな土地などなく、あれば家が建っているようだった。

2017-01-16-23-12-42強く冷たい風が吹き付ける中、畑を案内してもらう。今日は特に冷たい風だけど、ここはいつも風が吹く場所だから風から野菜を守ることが重要なんだ、だけど風が吹くということは空気が新鮮な証拠でそれこそが美味しい野菜作りには欠かせないとマッシモさん。リスクヘッジを兼ねて多品目を栽培し、365日収穫出来るものがある状態にしているとのこと。ただ、今が一番モノがないんだとやはり言っていた。




2017-01-16-23-29-28畑にはサボイキャベツ、カーボロカップッチョ、カーボロネロ、ビエラ、ロマネスコ、セロリアック、イチゴなどがあったが一方でフェンネルやプンタレッラといった寒さに比較的弱い野菜は先週イタリア全土を襲った20年ぶりの大寒波で全滅してしまったと言っていた。この寒波の話は先のクラウディオさんの畑でもレンツォさんの畑でも被害が出たと話してくれていた。気候がおかしいと感じるのはイタリアの農民たちも同じのよう。

マッシモさんは歩きながら技術やポリシーについて事細かに話してくれた。それは彼がこの14年間試行錯誤を繰り返してきた歴史を物語るものでもあった。家に招き入れてもらい、お茶を飲みながら話は続く。彼は言う、「ぼくは製品を作ることに興味はないんだ。食べ物を作っている。化成肥料を使うことはとてもシンプルだけど、生命の息吹を感じる健康な土壌、つまり化学的なものが一切入っていない土で育った野菜を食べてもらい、内から湧いてくる香りや美味しさを楽しみ、なおかつ食べて健康になってもらうこと、そんなことを目指しているんだ」と。そのためにこだわっている方法論も余すことなく話してくれる。そしてイタリアでも若者の農業離れが進んでいて、経済的にも労働的にも大変なためにやりたがる人はほとんどいないという。それは日本の状況とかなり似通っているように思う。だがしかし、「ぼくたちがやらなくてはいけないよね!」、「遠く離れているけれど、考えてることは一緒なんだね」と熱く語り、今取り組んでいること、こらから取り組みたいと思っていることまでも話してくれた。

2017-01-16-23-42-47出荷作業もあり、かなり忙しい中時間を延長してまで話してくれたマッシモさん。これからも友人でいようと固い握手とキス&ハグでお別れ。

子どもが3人いての新規就農、そしてほとんど同年代の彼はそれこそ作業場のサイズから庭の様子から何から似通っていた。遠く離れたところで頑張っている農家なのに、自分と同じことを考え、同じ方向を向き、同じような価値観を持って生きている人たちとの出会いにとても勇気づけられる訪問になった。

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