やさいのいぶき〜有機農園 けのひの日常〜

脱サラ夫婦が神奈川県愛川町で新しく農業をはじめた日常を綴る。畑と食卓、畑と街、畑と社会を繋いでいきます。

2011年04月

IMG_3773月スタートのため、2月3月に作付ける春大根やジャガイモは出来ず、メインは6月植え付けのサツマイモや8月播きの秋人参などになる。とりあえず、トラクターで耕転し、草をうない込むのだがこの畑、何しろ草が多い!!うなってもうなっても1週間もすれば草だらけ、まるで緑の絨毯を敷いたようになる。秋人参のところはえん麦という緑肥を播いてから太陽熱消毒というものを行う予定なのだが、草が多すぎてえん麦も播けない。

周辺の人からは「ここは長い間草だらけの土地だったから3年くらいはものにならないのではないか」と口々に言われる。承知して借りたとはいえ、本当に草がすごい。とりあえず、元からあった草、すきこんだものの分解しきれていない草の量が多いので米ぬかを播いて分解を進めてみる。とりあえず100kg/反。これが落ち着いた頃にえん麦は再チャレンジ。

翌日、畑に行ってみるとカラスの大群が米ぬかとおぼしきものをついばんでいた。よく見ると黒い30羽の鳥の他にハト、ひよどり、セキレイなども混じっている。ここでは草だけでなく、鳥との戦いも待っていたのだった。草、鳥、そして人。やはり成田とは大分勝手が違うようだ。


しゅん

成田ではまだ開花すらしていなかったのに、八王子ではすでに花見をするには充分なほど咲いていた。春。
始まりの季節がやってきた。この春、私たちは八王子で畑のある暮らしを始めた。

農的な暮らしをしたいと思い立ってから2年。始めの一歩をここ八王子で踏み出した。

早速、まだ人気のない早朝の澄んだ空気の中、家を出る。新居から車で約5分。
IMG_3711大きなえのきの木が新圃場の目印だ。まだ何をするでもないのにワクワクしながらその木に近づいていくと、違和感が。そこにあるはずのものがない。3週間ほど前に引越しに先立って持ってきたコンテナがすっかりなくなっていたのだ。千葉では畑にコンテナ置きっぱなしという風景は道路沿いでも結構見られていたのだが、ここ八王子ではご法度なのか。数にして9個だけだがなんとも悔しい。

何にもない畑を歩き回ってみると、あちらこちらで土の中からゴミが飛び出しているのが見えた。当面はひたすらゴミ拾いの日々。

そんな具合で東京での農民生活がスタートした。


しゅん

成田で農業研修を始めて2度目の春を迎えました。

思えば、スタートは葛飾から電車で2時間くらいかけての通勤農業、それから第二子の出産という状況から週末だけ3時間かけて八王子に戻るという単身赴任農業、第二子が落ち着いてからは家族で成田暮らしとこの2年間は自分を取り巻く状況がめまぐるしく変わりました。

農業に関しても野菜に関しても、何も知らないド素人という状態から始めて、日々の作業や諸先輩方の教えを受けて少しずつ色々なことを覚えていきました。それは野菜のこと、畑作りのこと、作業の段取り、肥料のこと、堆肥のこと、機械のことなど分類化していけば多岐に渡ります。その昔、北海道で農業を営んでいた恩人が「農業は肉体労働者ではなく、化学者であり、生物学者であり、職人でもある」と言ってた意味を次第に理解していく日々でした。自然相手のこの仕事は経験・知識・技術の全てが必要となり、2年程度ではまだ素人に毛が生えた程度のものだと、そう感じています。まだまだこれから。奥が深いです。

農業を始めるに当たって、私は2011年4月に逃げ道を用意していました。

研修を始めた2009年当時、私は27歳になったばかりで、農業研修が終わるのが2011年3月であり、そのときの年齢は29歳。仮に農業が向いていない、又は様々な理由から到底、生業になどできないと判断した場合はそこで農業は辞めて再度サラリーマン生活に戻ろうと考えていました。まだ20代、やり直しは効くだろう、と。
今、この研修を振り返ってみて、そしてこの先の道を見たとき、迷わず、この道の続きを行くことに決めました。それはもう決断というような確固としたものというより、自然とそちらの道に足を向けていたというようなものでした。
農業を始めるにあたっての初心をノートに書き記しておいたのですが、その当時は成田で農的な暮らしを営みながら野菜の宅配セットをメインにしていくとなっていたのですが、今見据えている目標はそこにはなく、以下の3つに集約されていきます。

初心である、「農的な暮らし」の実現

少量多品目栽培で地産地消を軸にした、「小さな農業」

農を通じて行う、「農的な社会活動」

最初は借りた家に、借りた畑、道具も借りたり買い揃えたり、すぐに上記の3つを実現するのは困難ですが、ベクトルを向けて日々活動していきたいと思っています。

私は成田という土地にも、農業という仕事にも何の縁もありませんでした。しかしこの2年間を通して、有機の里ともいうべく北総の大地の人々と交流し、その考えや技術などを学ぶことができました。そして縁のないところからも縁を繋ぐことができ、次なる就農地、八王子にたどり着きました。

これまで多くの人に支えられ、ここまでくることができました。成田にお世話になった方々、そして何より身近でサポートしてくれた家族に感謝しています。本当にどうもありがとうございました。これからもドタバタとした日々になっていくことと思いますが、おもしろおかしく生きていけたら、そう思っています。

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