やさいのいぶき〜有機農園 けのひの日常〜

脱サラ夫婦が神奈川県愛川町で新しく農業をはじめた日常を綴る。畑と食卓、畑と街、畑と社会を繋いでいきます。

2011年08月

IMG_4194向かって左が伏見甘長唐辛子、右が青唐辛子。青唐辛子は激辛ですが、伏見甘長はししとうのような感じで辛くない品種です。
見慣れない野菜だから最初はどう調理しようかしら、とちょっと敬遠されることもあるのですが、一度食べるとやみつきになる人続出の野菜です。

揚げびたし、てんぷらで食べるとサイコウです。

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炒め物系もたいていはしっくりきます。中華系の炒め物もよし、豚のしょうが焼きと一緒に焼くのもよし、バター醤油炒めはビールが進む一品となりました。








夏の一日は朝が早い。4時台に起きて果菜類の収穫をし、昼間のうちに一気に袋詰めをする。途中保育園の送りが入って6〜10時が空いてしまうため、どうしても収穫・袋詰めの完了が13時から14時くらいになってしまう。この時間、相当暑い。
そして1時間ほど休んで15時くらいから日没まで畑作業。まだとても暑い時間帯が続く。そして夜になったら出荷作業。帰宅は21時頃。

こんな日々を繰り返していたらついに倒れてしまった。ずーっと暑かったのもあり、不調を感じながらもこれからの作付け分の種を色々と播いていた。畑作業って一度始めるとキリがいいところまでやりきらないと止められない。だから後のスケジュールが押したりして、農家時間という言葉で揶揄されるのだが、この日も種播きを途中で止めるわけにいかず、やりきった。やりきった途端に吐きそうになり、息苦しくなり、気を抜くと意識が飛びそうになった。熱中症だったのか。このまま意識を失ったら二度と子どもたちの顔を見れない気がして焦った。生きて帰りたい。ここはエベレストでもなければ、サハラ砂漠でもない。八王子の畑なのだ。なのに早くここを脱出しなければ生きて帰れる保証がないような気がして怖くなった。なんとか呼吸を整えて畑を出るも車すら運転できない。そのまま横たわって救急車を呼ぶか妻に電話をするか考える。「救急車って大げさだよな」と思ってとりあえず妻に電話。そしたら義父が迎えに来てくれてなんとか生きて帰宅できた。

実はこうなるのはこの夏に入って2回目。1回目のときは忙しさのあまり子どもたちを保育園に預けている10〜16時の間はノンストップで昼飯すら食べずに仕事をしていたらあるとき仕事後の夜に動けなくなった。そのときは車で30分の道のりをどうにかこうにか3時間くらいかけて帰ってきた。そのせいもあって昼飯タイムはつくるようにしていたのだが、やはり炎天下の作業で身体を壊してしまった。

思えば4月からかなりいっぱいいっぱいの毎日で休みなんてほぼなかった。しかし私たちのような核家族農民には休んでる暇なんてない。そもそも核家族で農業をするというところに無理があるのかもしれないがそこを否定するわけにもいかず、無理をし続けている。農的暮らしを標榜していながら朝の保育園に連れて行く時間以外は子どもと過ごす時間はほぼなく、忙しさのあまり自分の食事もカットしていた。なんだか本末転倒だ。

この状況を変えなければならない。
まず、己の限界を直視してみる。

強がってみても、客観的にみて非常に状況が悪い。生活も畑も回っていない。農業を続けるには思い切った改革が必要だ。

そこで出した決断は、「規模縮小」。面積を半分削って5反歩にする。この決断は正直いってかなり悔しい。そして情けない。だけど、このままこの生活を続けると色々な意味で大切なものを取りこぼしてしまう。

これからも農業を続けるために、そして悔いを残さないために。

この夏の挫折は一生忘れない。

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