やさいのいぶき〜有機農園 けのひの日常〜

脱サラ夫婦が神奈川県愛川町で新しく農業をはじめた日常を綴る。畑と食卓、畑と街、畑と社会を繋いでいきます。

2017年01月

2017-01-21-00-11-17ブルターニュ地方のサンマロを後にし、向かったのはノルマンディ地方のサンローという街。友人の車で移動しながら流れていく風景はブルターニュとノルマンディではどことなく違っていた。途中モンサンミッシェルを経由していたため海岸線付近を通過していたというのもあるのかもしれないが、平坦で広大な小麦畑がどこまでも広がっている。また、ときおり通過する小さな村々も丁寧に暮らしている様子が見て取れて、地方ののんびりとした空気感を感じとれる。
夕刻に到着したのは次なる目的地、サンローのLa Barberieという場所。ここには、けのひがお世話になっている八王子のチクテベーカリーのオーナーブーランジェである北村さんに紹介していただきたどり着いた。
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ここでは兄のセルジュさんがブーランジェとしてパンを焼き、弟のフィリップさんがオーベルジュでシェフを、そしてマミーがフランスで言うところのシャンブルドット、つまり民宿を経営している。また、地域で農業を志すチボーという青年がその敷地内で農業をしており、その全てを総称したのがLa Barberieということらしい。
ラ・バーバリーに到着すると日本語が堪能なフィリップさんが出迎えてくれる。そしてまずはシードルを作っているカーブへと案内してくれた。ノルマンディ地方は先に寄ったブルターニュ地方と同じく、ブドウではなくリンゴが取れる産地のため、ワインではなくシードルを呑むのが一般的。このラ・バーバリーではオーベルジュで提供するシードルとカルバドスというお酒を自らで醸造していた。その後に豚や鶏、畑などを順に案内してくれる。そして最後に案内されたのが、同じ敷地内で農業を営むチボーだった。

2017-01-21-00-31-47チボーは29歳の青年で、数年前から他の土地で仲間と農業をしていたが、先週からようやく自分の土地での営農を始めたとのことだった。そのため2haの敷地にはこれといって作物は植わっていない。しかし彼のすごいところはないものは何でも自作してしまうところにあった。まず、自分の住む家を自分で建てた。そしてその隣にある作業小屋、育苗ハウスはもちろんのこと、自動開閉式の鶏小屋まで自作していた。これは日が昇ると扉が開き、日没と共に扉が閉まるという仕組みになっているため、独り農業で忙しい中、最低限の労力で鶏を飼うための工夫がなされている。水は雨水を適切な場所に排水することで鶏が飲むことができ、餌は余った野菜クズでまかなわれている。全くムダのない仕組みが出来ていた。この次は、道路沿いに直売所を建てるらしいがこれもやはり自作するという。先日サンマロで出会ったレジスさんもそうだが、ここのオーベルジュのフィリップさん、この農場のチボーといい、出会うフランス人はみな、ないものは自らでクリエイトするという志向の持ち主たちだった。思い返せばだいぶ前に日本在住のフランス人であるパトリス・ジュリアン氏が『生活はアート』という本を著していたが、彼が特別なのではなく、多くのフランス人がそういったマインドを持っているのではないかと思わされた。フィリップさんは言う、あるものしか使わない。買うなんてつまらないし、したくない。なければ作ればいいし、それもできなきゃ別にいらない、と。なんだか自分の感覚がわからなくなってくる。

特に見せるものもないからと、つい先日まで耕作していたもう一つの農場を案内してくれる。その後、出荷を始めた直売所やビオコープという大手ビオスーパーを案内してくれて再びオーベルジュに戻った。

オーベルジュでは他のお客さん、この日はフランス土壁協会の人たちが20人とチボーとその友人の農家、私たち家族とサンマロ在住の日本人の友人たちで共に宴を過ごすことになった。すでに大勢の人たちがアペリティフを楽しんでいるオーベルジュの食卓に入ると、フィリップさんがフランス語で、「今日は日本からオーガニックファーマーが遊びに来てくれました!」といったニュアンスのことをみんなに言う。すると、おぉというちょっとしたざわめきが起こる。そして「彼女は完璧な英語を話します。彼は完璧な日本語を話します。そして彼女は完璧なフランス語を話します」とユーモアたっぷりに祥子、私、友人を順に紹介してくれた。

アペリティフを楽しみながら、チボーと農業談義に花を咲かせる。そして食事が始まり、スープ、自家製の豚のローストへと続いていく。お供にはもちろん自家製のシードル。
宴も盛り上がってきたところで私は子供たちに声をかけた。「あれ、やるよ」。「ほんとにやるの!?」と子供たち。「今やらなかったらいつやるの?やらないで後悔しても仕方ないじゃない。やって一生の思い出を作るよ」と皆の前に促す。
オーベルジュの食卓の端にギターが一本立てかけてあった。確認すると音があってないのでチボーにチューナーを貸してと頼む。彼の家を見たときに、部屋の中にギターがあったのを見逃さなかったからだ。ギターの音を合わせて、準備が済んだ。

2017-01-21-05-41-31祥子が英語でみんなに語りかける。「hello ,everyone! tonight we sing a japanese song. if you know it, let's sing along together! 」
そして私たち家族が歌いだしたのは、フランスのシャンソンであるオーシャンゼリゼの日本語バージョン。最初、よくわからないといったような顔をしていた会場の人たちも、サビになると驚きと笑いが起きる。そして2番、3番と進んでいくにつれ、サビでは「オー、シャンゼリゼ〜」の大合唱。子供たちも緊張したと思うけど、一生懸命に歌い、たくさんの拍手をもらえた。クオリティの問題はあれど、とにかくやりきったことに充実感があった。
そんな風にして宴の夜は更けていった。

翌朝、フィリップさんとマミーと共に朝食をとる。そのときに特に気になっていたフィリップさんが長年取り組む、フランスの学校給食のオーガニック化について質問する。彼は料理人でありながらその道のプロであり、いかにして給食をオーガニック化するかのプロセスなどを指南してくれた。そのアドバイスは的確であり、私たちが考えていたよりもずっとテクニカルに進めていかなくてはならないことを気づかせてくれた。

la Barberieでの滞在はこれで終わり、サンロー駅までの車内でフィリップさんは自身の今までのことなども話してくれた。彼自身、若い時からこのサンローを飛び出し、世界中を旅しながらも日本で13年間暮らしたという。だから生き方に関してはとても柔軟な発想を持っている。そういえば昨晩の宴のとき、こんな話をしてくれた。
毎年こういう旅ができるといいね!と話すフィリップさんに、さすがにそれは難しいですと即答する私。するとそんなことはない、と確信に満ちた表情で返される。「農家は忙しい忙しいというが、それはやり方次第なんだ。旅に出ることも必要。例えば、世界の農家たちと農家エクスチェンジをすればいい。同じ時期に互いの家と畑を交換する。そして最低限の農作業をしながら、その国を旅する。そんな風にしたっていいんじゃない」と。どうだい、チボー?と話を振られた彼は「まじっすか!?」と戸惑いの表情を見せる。彼も情熱的な男だが、まだまだ若いようだ。

2017-01-21-17-52-03サンローの駅につき、フィリップさんと固く握手をする。そして「いつか、日本のあなたの家に行きます。タダでオーガニックの料理教室を開いたり、オーガニック給食についての講演会を開くから、畳1畳分貸してね」とはにかんでいた。フィリップさんは暮らしについて、人生についての考え方そのものがとても刺激的な大人物。そしてラ・バーバリーはそれを体現した一つの世界。そんな人や場所に旅の最後に出会えたことはとても幸運だった。

パリ行きの列車に乗り込み、この旅で出会った様々な人たちの顔を思い浮かべる。そして、車窓から流れるノルマンディの広大な風景を眺めながら、そういえば自分たちの畑はどんなになっちゃってるかな、と今まですっかり忘れていたことが頭をよぎりはじめたのだった。

imageローマを発ち、フランスのパリを経由して目指したのはフランスの西の端にあるサンマロという港町。旅は7日目になりだんだんと日本での日常が遠いものに感じられるようになってきた。
当初、フランスではパリ近郊の農家さんを訪ねる予定だったが、日本でけのひの野菜を使って下さっているワイン食堂パパンのオーナーがこのサンマロでシェフとして活躍されている友人を紹介して下さり、予定を変更して訪ねることに決めたのだった。そのシェフの友人の有機農家を訪ねる、つまり自分からとってみれば、友人の友人の友人ということ。今回の旅はそんな風になりふり構わない感じでどうにかこうにか縁を手繰り寄せている。

image特急列車でパリから3時間、サンマロに着くと、早速その友人が駅まで迎えに来てくれた。このあたりは冬の間はいつもどんよりと曇っているけれど、今日は珍しく晴れているらしく、なんだか幸先のいいスタート。空気はキンと冷えているけれど、陽射しは暖かい。農家さんとの約束の時間までサンマロの旧市街や浜辺を歩きながらここブルターニュ地方のこと、サンマロの街のこと、彼女自身やシェフである旦那さんのこと、そして自分自身のことなどを話す。ブルターニュ地方はそば粉を原料にしたクレープであるガレットが有名で、街のいたるところにそのガレットを食べさせてくれるクレープリーがある。その中の一つ、東京の神楽坂にもあるクレープリーのサンマロのお店のメインシェフクレーピエを務めるのが彼女の旦那さんだった。一方で彼女自身はこのあたりのもう一つの名物であるリンゴの発泡酒、シードルに対しての造詣が深く、二人の話からこの地方の食文化に対しての理解が深まっていく。

サンマロの街はとても魅力的で、少しの時間では到底味わいきれなかったが、時間もあり後ろ髪を引かれつつ街を出る。そしてサンマロ郊外のTremereucという街で農業を営むla ferme du coinという農場を訪ねた。

2017-01-20-00-11-30この農場はレジスとクレールという夫婦が脱サラして立ち上げたそうで、新規就農してから6年目と、私たちと全く状況が同じだった。祥子とレジスは年齢まで同じで、いきなり親近感を覚える。彼らは5ha程の農地を借りて営農しているが、そのほとんどが水はけが極端に悪い土地のため1.5haをハウスと露地で栽培し、残りはヤギや羊を飼って管理していた。よくない土地をなぜあえて借りたんですか?という問いには、新参者だからノーチョイスだったんだ、と日本と全く同じような状況を話してくれた。




2017-01-20-01-00-46この地域は夏でも25°Cまでしか上がらないらしく、ハウスでの栽培は必須とのことでたくさんのハウスを建てていた。その中での技術は目新しいものもあり、とても勉強になったが、彼らの農場で一番感心させられたのはそのセルフビルド力(りょく)だった。ハウス、作業小屋、物置、動物の小屋を自作するのはもちろんのこと、本を見て真似をしたというサラダミックス製造機やオートメーションの育苗播種機、直売所、エンディーブ用の温度管理された暗室など、およそ必要だと思うもの、あったらいいなと思うものは全て自作していた。なんでこんな技術があるのですか?と驚く私に、やりながら勉強していっただけだよ、とさも当たり前のように答えてくれる。同じ6年間という歳月でこんなにも違うのかと己の未熟さを痛感する。

2017-01-20-00-30-56そして日没がせまり、冷え込んできたため彼の自宅へ。お茶を飲みながらも話は続く。探究心、好奇心旺盛な彼は私に次々と質問をしてくる。日本で人気の野菜って何ですか?あたなの農場の売れ筋は?生姜ってどうやったらうまく作れるの?などなど、彼からはほとばしる情熱を感じる。






2017-01-20-03-03-27そしてお互いの技術情報の交換だけにとどまらず、種の交換までして、これからもexchangeしていこう!と約束し、固く握手をして別れた。キラキラした目がとても印象的なナイスガイであるレジス。仲間であり、目標であり、ライバルであるような、そんな農家が地球の反対側に一人できたことがとても嬉しかった。




imageそしてサンマロに戻り、友人がシェフクレーピエを務めるBREIZ CAFEへ。トラディショナルなガレットに新しい解釈を加えた斬新なメニューと、ベースにあるトラディショナルなガレットに対する奥深さを追求したそのクオリティからひっきりなしにお客さんが入っていた。閑散とした夜のサンマロの旧市街にある中で、お店の中は熱気に溢れていた。ブルターニュを存分に味わった後、いつか一緒に仕事をしようと約束し別れる。

日本にいるときはブルターニュをブルゴーニュと取り違えるほど無知だった私たちだったが、すっかりブルターニュに対する愛着が湧き、この地で活躍するクレーピエやオーガニックファーマーとの出会いに感謝し、気持ちも新たにするのだった。

2017-01-16-23-06-28アルデーアを後にして向かったのはローマ市の北部にあるチェルベーテリという町で農業を営むORTI DEI TERZIさん。元々朝から曇りがちの日だったが、チェルベーテリに着く頃には小雨が降り始め、強い風が吹き付けるようになったきた。到着するなり、ご主人が「一年で一番最悪の日に来たね!」と笑顔と握手で迎えてくれた。

ここはご主人のマッシモさんが14年前に新しく開墾した農場。本人を含めた4人で8haの土地で野菜を育て、様々な出荷先の他にローマ市内に自社の店舗を所有して販売している。たまたま先のレンツォさんと同じく新規就農しての7〜8haというのは共通している点。またここもいくつにも連なる丘がどこまでも続いているような地形で畑はどこも斜面がメインだった。というより平らな土地などなく、あれば家が建っているようだった。

2017-01-16-23-12-42強く冷たい風が吹き付ける中、畑を案内してもらう。今日は特に冷たい風だけど、ここはいつも風が吹く場所だから風から野菜を守ることが重要なんだ、だけど風が吹くということは空気が新鮮な証拠でそれこそが美味しい野菜作りには欠かせないとマッシモさん。リスクヘッジを兼ねて多品目を栽培し、365日収穫出来るものがある状態にしているとのこと。ただ、今が一番モノがないんだとやはり言っていた。




2017-01-16-23-29-28畑にはサボイキャベツ、カーボロカップッチョ、カーボロネロ、ビエラ、ロマネスコ、セロリアック、イチゴなどがあったが一方でフェンネルやプンタレッラといった寒さに比較的弱い野菜は先週イタリア全土を襲った20年ぶりの大寒波で全滅してしまったと言っていた。この寒波の話は先のクラウディオさんの畑でもレンツォさんの畑でも被害が出たと話してくれていた。気候がおかしいと感じるのはイタリアの農民たちも同じのよう。

マッシモさんは歩きながら技術やポリシーについて事細かに話してくれた。それは彼がこの14年間試行錯誤を繰り返してきた歴史を物語るものでもあった。家に招き入れてもらい、お茶を飲みながら話は続く。彼は言う、「ぼくは製品を作ることに興味はないんだ。食べ物を作っている。化成肥料を使うことはとてもシンプルだけど、生命の息吹を感じる健康な土壌、つまり化学的なものが一切入っていない土で育った野菜を食べてもらい、内から湧いてくる香りや美味しさを楽しみ、なおかつ食べて健康になってもらうこと、そんなことを目指しているんだ」と。そのためにこだわっている方法論も余すことなく話してくれる。そしてイタリアでも若者の農業離れが進んでいて、経済的にも労働的にも大変なためにやりたがる人はほとんどいないという。それは日本の状況とかなり似通っているように思う。だがしかし、「ぼくたちがやらなくてはいけないよね!」、「遠く離れているけれど、考えてることは一緒なんだね」と熱く語り、今取り組んでいること、こらから取り組みたいと思っていることまでも話してくれた。

2017-01-16-23-42-47出荷作業もあり、かなり忙しい中時間を延長してまで話してくれたマッシモさん。これからも友人でいようと固い握手とキス&ハグでお別れ。

子どもが3人いての新規就農、そしてほとんど同年代の彼はそれこそ作業場のサイズから庭の様子から何から似通っていた。遠く離れたところで頑張っている農家なのに、自分と同じことを考え、同じ方向を向き、同じような価値観を持って生きている人たちとの出会いにとても勇気づけられる訪問になった。

2017-01-16-19-36-56ローマ市内から車で南に約一時間、アルデーアという町で有機農業を営むBONGIROLAMIさんを訪ねた。この農場は元々銀行員だったご主人のレンツォさんが30年前に脱サラしてゼロから始めた農場。総面積は7haとイタリアとしてはかなり小規模だそう。先日訪れたフィウミチーノのBIO CARAMADREさんが32haだったことを考えると、経営規模もまるで違う。それでも今回の視察の目的に自分たちと同規模、または等身大の農家を訪ねるということがあったので彼らのような農家の生きた方もぜひ見ておきたいという希望があった。今回、イタリア在住のリサーチャーの方に無理を言ってお願いしたので、アポイントメントを取る段階から相手はとても驚いていたそう。一体なぜ私たちのような農場に日本人が!?と。

2017-01-16-20-03-18約束の時間に伺うと、レンツォさんとお母さん、娘さんで現在の経営者であるエマヌエラさんが歓待してくれた。そしてもう何でも聞いてくれと言わんばかりに様々なことを話してくれた。自身の就農の経緯、方法論のこだわり、農業への思いなどなど。そして畑へ。







2017-01-16-20-24-24冬のこの時期は私たちのいる南関東と同じでローマでも一番モノがない時期にあたるという。そのため、なんでこんなときにきたんだ〜!6月に来てくれれば!と何度も悔しがっていた。








2017-01-16-20-03-57レンツォさんは元々何もない農地を購入し、家を建て、鶏やロバや蜂を飼い、野菜や果樹を育てて暮らしている。見晴らしのいいいくつもの丘がその舞台で、それはさながら北海道の美瑛のよう。ただ美瑛と違うのはその丘の一つ一つがパッチワークになるのではなく、多品目の野菜で覆われていることだった。何もないといいつつも、やはりここにもアーティチョーク、ラディッキョ、カーボロネロ、ロマネスコ、カーボロカップッチョ、チコリあたりはふんだんにあった。




2017-01-16-20-42-48次の予定もあったため、3時間しか滞在できないと告げたのだけれど、ぜひお昼も食べて行きなさいと食卓を用意して待ってくれていた。初めて入ったイタリア農民の台所。そこは一つの憧れの場所でもある。まさかこの旅で入れるとは思っていなかったので、もうそれだけでとても嬉しかった。
昼食のメニューはローマ名物のカルボナーラ、ローストしたラディッキョ、アーティチョークのオムレツ、バレリアーナのサラダ。「カルボナーラは卵を楽しむためのパスタよ」とはお母さんの談。畑で採れた野菜や果物を食べて育った平飼いの鶏の、しかも採れたての卵を使っているのだからこれ以上贅沢なものはない。

レンツォさんは日本でも有名な福岡正信氏の『わら一本の革命』に感銘を受けたらしく、私たちもその本を読み、大切にしている旨を伝えるととても驚いていた。そして、今回のお互いの様々な話を通し、「BIOは国とかコンセプトを越えて通じるものがあるんだね」としみじみ喜んでくれた。たった3時間前に出逢った仲なのに、互いの仕事を通じ、様々な価値観をすでに共有しているというのはとても不思議でいて、何か絆のようなものすら感じることができた。

レンツォさん一家は見ず知らずの私たちの来訪を楽しみに待ってくれており、そして歓待してくれ、別れを惜しんでくれた。短い滞在だったけれど、私たちにとってはイタリア農民の暮らしを肌で感じることができた貴重な時間となった。

2017-01-16-21-33-32今度は一週間泊まって行きなさいと涙を浮かべてキス&ハグでのお別れ。お土産には赤ワインと自家製のトマトソースを持たせてくれた。

彼らの温かさに触れたこの時間は、私たちにとって経験を越えて財産のようになっていくんだろうと、離れていく車内で思っていた。

2017-01-14-19-17-30農民として、これからどう在るべきなのか。どう在りたいのか。そんなことを探すべく一路ローマへ。 そして訪れたのはフィウミチーノという町のBIO CARAMADREという有機農場。この農場は有機農園けのひの4倍のスタッフで25倍の土地を耕作し、20倍の売上を計上しているという大農場。とはいえやっていることや技術は極めて似ていて、ただそこにある違いは徹底的に合理化された作付け方法などにあった。



2017-01-14-18-08-46イタリア野菜とはよく言うけれど、そこはもちろん本場イタリア。見る野菜見る野菜が自分の目にとても新鮮に映る。農場で見た野菜のおよそ8割ほどは実際に初めて見る野菜で刺激的だった。










2017-01-14-18-01-41また、ローマとフィレンツェでは病院や学校給食で使う野菜は全てオーガニックのものにしなくてはならないという法律があるという話はとても興味深く、ほら、ここの世界の人はこれが当たり前じゃないか!グチグチ言ってないでおれたちも変えて行こうぜ!なんて遠く日本の空に向かって思うのだった。 そしてアーティチョークに対するネズミ除けの方法論について。畑の中にフクロウの止まり木を立てておくことで、夜中にフクロウを呼び寄せてネズミを駆除してもらうのだとか。祥子共々、一番萌えた瞬間。これだから有機農業はいちいち面白い。






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2時間の予定が3時間も農場を案内してくれた農場主のクラウディオさん。帰りに立ち寄ったバールで忙しい中、見ず知らずの自分たちに、しかも無償で時間を割いてくれたことに対し丁重にお礼をいうと、「農民同士の繋がりだから」と温かい笑みを浮かべて話してくれた。 そして別れの握手。太く、厚く、無骨な農民の手。国は違えど、大地に根ざして生きる人との繋がりを感じた瞬間だった。

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