ブルターニュ地方のサンマロを後にし、向かったのはノルマンディ地方のサンローという街。友人の車で移動しながら流れていく風景はブルターニュとノルマンディではどことなく違っていた。途中モンサンミッシェルを経由していたため海岸線付近を通過していたというのもあるのかもしれないが、平坦で広大な小麦畑がどこまでも広がっている。また、ときおり通過する小さな村々も丁寧に暮らしている様子が見て取れて、地方ののんびりとした空気感を感じとれる。
夕刻に到着したのは次なる目的地、サンローのLa Barberieという場所。ここには、けのひがお世話になっている八王子のチクテベーカリーのオーナーブーランジェである北村さんに紹介していただきたどり着いた。
ここでは兄のセルジュさんがブーランジェとしてパンを焼き、弟のフィリップさんがオーベルジュでシェフを、そしてマミーがフランスで言うところのシャンブルドット、つまり民宿を経営している。また、地域で農業を志すチボーという青年がその敷地内で農業をしており、その全てを総称したのがLa Barberieということらしい。
ラ・バーバリーに到着すると日本語が堪能なフィリップさんが出迎えてくれる。そしてまずはシードルを作っているカーブへと案内してくれた。ノルマンディ地方は先に寄ったブルターニュ地方と同じく、ブドウではなくリンゴが取れる産地のため、ワインではなくシードルを呑むのが一般的。このラ・バーバリーではオーベルジュで提供するシードルとカルバドスというお酒を自らで醸造していた。その後に豚や鶏、畑などを順に案内してくれる。そして最後に案内されたのが、同じ敷地内で農業を営むチボーだった。
チボーは29歳の青年で、数年前から他の土地で仲間と農業をしていたが、先週からようやく自分の土地での営農を始めたとのことだった。そのため2haの敷地にはこれといって作物は植わっていない。しかし彼のすごいところはないものは何でも自作してしまうところにあった。まず、自分の住む家を自分で建てた。そしてその隣にある作業小屋、育苗ハウスはもちろんのこと、自動開閉式の鶏小屋まで自作していた。これは日が昇ると扉が開き、日没と共に扉が閉まるという仕組みになっているため、独り農業で忙しい中、最低限の労力で鶏を飼うための工夫がなされている。水は雨水を適切な場所に排水することで鶏が飲むことができ、餌は余った野菜クズでまかなわれている。全くムダのない仕組みが出来ていた。この次は、道路沿いに直売所を建てるらしいがこれもやはり自作するという。先日サンマロで出会ったレジスさんもそうだが、ここのオーベルジュのフィリップさん、この農場のチボーといい、出会うフランス人はみな、ないものは自らでクリエイトするという志向の持ち主たちだった。思い返せばだいぶ前に日本在住のフランス人であるパトリス・ジュリアン氏が『生活はアート』という本を著していたが、彼が特別なのではなく、多くのフランス人がそういったマインドを持っているのではないかと思わされた。フィリップさんは言う、あるものしか使わない。買うなんてつまらないし、したくない。なければ作ればいいし、それもできなきゃ別にいらない、と。なんだか自分の感覚がわからなくなってくる。
特に見せるものもないからと、つい先日まで耕作していたもう一つの農場を案内してくれる。その後、出荷を始めた直売所やビオコープという大手ビオスーパーを案内してくれて再びオーベルジュに戻った。
オーベルジュでは他のお客さん、この日はフランス土壁協会の人たちが20人とチボーとその友人の農家、私たち家族とサンマロ在住の日本人の友人たちで共に宴を過ごすことになった。すでに大勢の人たちがアペリティフを楽しんでいるオーベルジュの食卓に入ると、フィリップさんがフランス語で、「今日は日本からオーガニックファーマーが遊びに来てくれました!」といったニュアンスのことをみんなに言う。すると、おぉというちょっとしたざわめきが起こる。そして「彼女は完璧な英語を話します。彼は完璧な日本語を話します。そして彼女は完璧なフランス語を話します」とユーモアたっぷりに祥子、私、友人を順に紹介してくれた。
アペリティフを楽しみながら、チボーと農業談義に花を咲かせる。そして食事が始まり、スープ、自家製の豚のローストへと続いていく。お供にはもちろん自家製のシードル。
宴も盛り上がってきたところで私は子供たちに声をかけた。「あれ、やるよ」。「ほんとにやるの!?」と子供たち。「今やらなかったらいつやるの?やらないで後悔しても仕方ないじゃない。やって一生の思い出を作るよ」と皆の前に促す。
オーベルジュの食卓の端にギターが一本立てかけてあった。確認すると音があってないのでチボーにチューナーを貸してと頼む。彼の家を見たときに、部屋の中にギターがあったのを見逃さなかったからだ。ギターの音を合わせて、準備が済んだ。
祥子が英語でみんなに語りかける。「hello ,everyone! tonight we sing a japanese song. if you know it, let's sing along together! 」
そして私たち家族が歌いだしたのは、フランスのシャンソンであるオーシャンゼリゼの日本語バージョン。最初、よくわからないといったような顔をしていた会場の人たちも、サビになると驚きと笑いが起きる。そして2番、3番と進んでいくにつれ、サビでは「オー、シャンゼリゼ〜」の大合唱。子供たちも緊張したと思うけど、一生懸命に歌い、たくさんの拍手をもらえた。クオリティの問題はあれど、とにかくやりきったことに充実感があった。
そんな風にして宴の夜は更けていった。
翌朝、フィリップさんとマミーと共に朝食をとる。そのときに特に気になっていたフィリップさんが長年取り組む、フランスの学校給食のオーガニック化について質問する。彼は料理人でありながらその道のプロであり、いかにして給食をオーガニック化するかのプロセスなどを指南してくれた。そのアドバイスは的確であり、私たちが考えていたよりもずっとテクニカルに進めていかなくてはならないことを気づかせてくれた。
la Barberieでの滞在はこれで終わり、サンロー駅までの車内でフィリップさんは自身の今までのことなども話してくれた。彼自身、若い時からこのサンローを飛び出し、世界中を旅しながらも日本で13年間暮らしたという。だから生き方に関してはとても柔軟な発想を持っている。そういえば昨晩の宴のとき、こんな話をしてくれた。
毎年こういう旅ができるといいね!と話すフィリップさんに、さすがにそれは難しいですと即答する私。するとそんなことはない、と確信に満ちた表情で返される。「農家は忙しい忙しいというが、それはやり方次第なんだ。旅に出ることも必要。例えば、世界の農家たちと農家エクスチェンジをすればいい。同じ時期に互いの家と畑を交換する。そして最低限の農作業をしながら、その国を旅する。そんな風にしたっていいんじゃない」と。どうだい、チボー?と話を振られた彼は「まじっすか!?」と戸惑いの表情を見せる。彼も情熱的な男だが、まだまだ若いようだ。
サンローの駅につき、フィリップさんと固く握手をする。そして「いつか、日本のあなたの家に行きます。タダでオーガニックの料理教室を開いたり、オーガニック給食についての講演会を開くから、畳1畳分貸してね」とはにかんでいた。フィリップさんは暮らしについて、人生についての考え方そのものがとても刺激的な大人物。そしてラ・バーバリーはそれを体現した一つの世界。そんな人や場所に旅の最後に出会えたことはとても幸運だった。
パリ行きの列車に乗り込み、この旅で出会った様々な人たちの顔を思い浮かべる。そして、車窓から流れるノルマンディの広大な風景を眺めながら、そういえば自分たちの畑はどんなになっちゃってるかな、と今まですっかり忘れていたことが頭をよぎりはじめたのだった。
夕刻に到着したのは次なる目的地、サンローのLa Barberieという場所。ここには、けのひがお世話になっている八王子のチクテベーカリーのオーナーブーランジェである北村さんに紹介していただきたどり着いた。
ここでは兄のセルジュさんがブーランジェとしてパンを焼き、弟のフィリップさんがオーベルジュでシェフを、そしてマミーがフランスで言うところのシャンブルドット、つまり民宿を経営している。また、地域で農業を志すチボーという青年がその敷地内で農業をしており、その全てを総称したのがLa Barberieということらしい。
ラ・バーバリーに到着すると日本語が堪能なフィリップさんが出迎えてくれる。そしてまずはシードルを作っているカーブへと案内してくれた。ノルマンディ地方は先に寄ったブルターニュ地方と同じく、ブドウではなくリンゴが取れる産地のため、ワインではなくシードルを呑むのが一般的。このラ・バーバリーではオーベルジュで提供するシードルとカルバドスというお酒を自らで醸造していた。その後に豚や鶏、畑などを順に案内してくれる。そして最後に案内されたのが、同じ敷地内で農業を営むチボーだった。
チボーは29歳の青年で、数年前から他の土地で仲間と農業をしていたが、先週からようやく自分の土地での営農を始めたとのことだった。そのため2haの敷地にはこれといって作物は植わっていない。しかし彼のすごいところはないものは何でも自作してしまうところにあった。まず、自分の住む家を自分で建てた。そしてその隣にある作業小屋、育苗ハウスはもちろんのこと、自動開閉式の鶏小屋まで自作していた。これは日が昇ると扉が開き、日没と共に扉が閉まるという仕組みになっているため、独り農業で忙しい中、最低限の労力で鶏を飼うための工夫がなされている。水は雨水を適切な場所に排水することで鶏が飲むことができ、餌は余った野菜クズでまかなわれている。全くムダのない仕組みが出来ていた。この次は、道路沿いに直売所を建てるらしいがこれもやはり自作するという。先日サンマロで出会ったレジスさんもそうだが、ここのオーベルジュのフィリップさん、この農場のチボーといい、出会うフランス人はみな、ないものは自らでクリエイトするという志向の持ち主たちだった。思い返せばだいぶ前に日本在住のフランス人であるパトリス・ジュリアン氏が『生活はアート』という本を著していたが、彼が特別なのではなく、多くのフランス人がそういったマインドを持っているのではないかと思わされた。フィリップさんは言う、あるものしか使わない。買うなんてつまらないし、したくない。なければ作ればいいし、それもできなきゃ別にいらない、と。なんだか自分の感覚がわからなくなってくる。
特に見せるものもないからと、つい先日まで耕作していたもう一つの農場を案内してくれる。その後、出荷を始めた直売所やビオコープという大手ビオスーパーを案内してくれて再びオーベルジュに戻った。
オーベルジュでは他のお客さん、この日はフランス土壁協会の人たちが20人とチボーとその友人の農家、私たち家族とサンマロ在住の日本人の友人たちで共に宴を過ごすことになった。すでに大勢の人たちがアペリティフを楽しんでいるオーベルジュの食卓に入ると、フィリップさんがフランス語で、「今日は日本からオーガニックファーマーが遊びに来てくれました!」といったニュアンスのことをみんなに言う。すると、おぉというちょっとしたざわめきが起こる。そして「彼女は完璧な英語を話します。彼は完璧な日本語を話します。そして彼女は完璧なフランス語を話します」とユーモアたっぷりに祥子、私、友人を順に紹介してくれた。
アペリティフを楽しみながら、チボーと農業談義に花を咲かせる。そして食事が始まり、スープ、自家製の豚のローストへと続いていく。お供にはもちろん自家製のシードル。
宴も盛り上がってきたところで私は子供たちに声をかけた。「あれ、やるよ」。「ほんとにやるの!?」と子供たち。「今やらなかったらいつやるの?やらないで後悔しても仕方ないじゃない。やって一生の思い出を作るよ」と皆の前に促す。
オーベルジュの食卓の端にギターが一本立てかけてあった。確認すると音があってないのでチボーにチューナーを貸してと頼む。彼の家を見たときに、部屋の中にギターがあったのを見逃さなかったからだ。ギターの音を合わせて、準備が済んだ。
祥子が英語でみんなに語りかける。「hello ,everyone! tonight we sing a japanese song. if you know it, let's sing along together! 」
そして私たち家族が歌いだしたのは、フランスのシャンソンであるオーシャンゼリゼの日本語バージョン。最初、よくわからないといったような顔をしていた会場の人たちも、サビになると驚きと笑いが起きる。そして2番、3番と進んでいくにつれ、サビでは「オー、シャンゼリゼ〜」の大合唱。子供たちも緊張したと思うけど、一生懸命に歌い、たくさんの拍手をもらえた。クオリティの問題はあれど、とにかくやりきったことに充実感があった。
そんな風にして宴の夜は更けていった。
翌朝、フィリップさんとマミーと共に朝食をとる。そのときに特に気になっていたフィリップさんが長年取り組む、フランスの学校給食のオーガニック化について質問する。彼は料理人でありながらその道のプロであり、いかにして給食をオーガニック化するかのプロセスなどを指南してくれた。そのアドバイスは的確であり、私たちが考えていたよりもずっとテクニカルに進めていかなくてはならないことを気づかせてくれた。
la Barberieでの滞在はこれで終わり、サンロー駅までの車内でフィリップさんは自身の今までのことなども話してくれた。彼自身、若い時からこのサンローを飛び出し、世界中を旅しながらも日本で13年間暮らしたという。だから生き方に関してはとても柔軟な発想を持っている。そういえば昨晩の宴のとき、こんな話をしてくれた。
毎年こういう旅ができるといいね!と話すフィリップさんに、さすがにそれは難しいですと即答する私。するとそんなことはない、と確信に満ちた表情で返される。「農家は忙しい忙しいというが、それはやり方次第なんだ。旅に出ることも必要。例えば、世界の農家たちと農家エクスチェンジをすればいい。同じ時期に互いの家と畑を交換する。そして最低限の農作業をしながら、その国を旅する。そんな風にしたっていいんじゃない」と。どうだい、チボー?と話を振られた彼は「まじっすか!?」と戸惑いの表情を見せる。彼も情熱的な男だが、まだまだ若いようだ。
サンローの駅につき、フィリップさんと固く握手をする。そして「いつか、日本のあなたの家に行きます。タダでオーガニックの料理教室を開いたり、オーガニック給食についての講演会を開くから、畳1畳分貸してね」とはにかんでいた。フィリップさんは暮らしについて、人生についての考え方そのものがとても刺激的な大人物。そしてラ・バーバリーはそれを体現した一つの世界。そんな人や場所に旅の最後に出会えたことはとても幸運だった。
パリ行きの列車に乗り込み、この旅で出会った様々な人たちの顔を思い浮かべる。そして、車窓から流れるノルマンディの広大な風景を眺めながら、そういえば自分たちの畑はどんなになっちゃってるかな、と今まですっかり忘れていたことが頭をよぎりはじめたのだった。