やさいのいぶき〜有機農園 けのひの日常〜

脱サラ夫婦が神奈川県愛川町で新しく農業をはじめた日常を綴る。畑と食卓、畑と街、畑と社会を繋いでいきます。

2017年08月

8月も終わってしまいました。今年も残すところあと4か月ですが、あっという間に忘年会のシーズンがやってきて、一年も終わるんだと思います。最近はなんだか一年がとても短く感じます。歳のせいだと人は言うけれど、一年なんてたったの365日しかないんですものあっという間です。

このブログでは何度か書いてきたかもしれませんが、会社を辞めて成田で有機農業研修を始めてから今日まで9年間、ずっと日誌を書いています。研修当初は人の名前から作業のこと、野菜のことまで覚えることだらけで、それこそ一日A4ノート2ページ分はギッチリ書いていたのですが、だんだんと省力化やデータ化も進み、今ではA4ノート2行に濃縮しています。その分、畑作業のことは別に作業日誌ファイルをつけています。ここ数年は毎月ごとに休んだ日数も確認してまとめているですが、この8月は半休4回で、のべ2日でした。子どもたちともっと遊びたかったな〜。そして、ふと気になって今年のこれまでの休みの日数を数えてみました。

1月 19日
2月 2.5日
3月 6日
4月 2.5日
5月 2日
6月 4日
7月 1.5日
8月 2日
計 39.5日

この8か月、平均すると約5日となりました。もっと休んでるような気がするのは、ほとんど全部半日休の積み重ねだからでしょうか。1月はお正月があったり、駅伝大会があったり、遠出したりしたので本当に派手に休みました。よく、「何月なら休みとれるの?」って聞かれるのですが、この傾向を見ると1月と3月ということになるでしょうか。2月も以外と忙しいみたいです。フランスとイタリアで出会った農家たちは「夏に休みなんてとれないよ 笑」って口をそろえて言ってました。ここは日本なので、彼らとは関係ないのかもしれませんが自分はこの2か月で3.5日も休んだので、まぁよしとします。夏ですから。

農家は基本的に自由ですが、自由というのは意思決定の多さだとも思っているので、イメージとは裏腹に結構時間的なゆとりは少ないようにも思います。もっとゆとりをもって、畑だけに振り回されず、家族やプラスアルファの活動に時間を割くことが目標です。

尊敬する農家さんが「遊びと仕事のはざまで生きていく」って言っていましたが、とてもシンパシーを覚えます。畑といっても、タイトな部分とのんべんだらりな部分とあるのです。そしてフィールドをとっても畑と街とあります。改めて俯瞰すると、つくづくおもしろい職業だなと思います。

先日、たくさんの方にお集まりいただいて、ヒマワリの種の収穫を行いました。連日雨が降る中、その日だけはピンポイントで晴れ渡り、久しぶりの真夏の日差しにうろたえるほどでした。大勢での作業の甲斐もあって、10~18時くらいまでやって、全体の2/3くらいまで終わらせることができました。ここまでいけば大方決着はついたもの、だったのですが、それからの一週間、まったく太陽が出てきませんでした。それどころか連日雨が降り続け、天日で乾かすことはおろか、外に出すことすらできませんでした。もともと湿っているヒマワリの種ですが、そんな状況だったので発酵して熱を帯び始め、部分的に発芽してきてしまいました。もう何年もやってますが、こんなのは初めてです。工業扇を回し続けること数日、それでもまだまだ乾きません。果たしてものになるのかどうか。

最近の話題はもっぱら天気のことになってしまうのですが、この夏の長雨は今現在の夏野菜の収穫量の落ち込みだけでなく、秋冬野菜の仕込みにまで影響を及ぼしています。苗は仕上がっているのに畑がぬかっていては入れないために植え付けができない。なんとか乾いたので畝立てをしても夕方にはまた豪雨。一向に進みません。それでも苗はどんどん大きくなっていく…。

今週、地元の農家が集まって夏のお疲れ様会をする予定なのですが、この夏の不完全燃焼感をどこにもっていけばよいのか、肉なんて焼いている場合なのかと、心がザワッとしてきます。もともと真夏といえばこう、晩夏の仕事はこれで、初秋はこんな感じ、という風にだいたい季節によってやることが決まっている職業なのに、カレンダーと季節が一致していないような一か月を過ごしてきて、頭と心が若干パニックになっているような、そんな気がします。なんだか自分はいったい今どこにいるのだろうか、といったようなちょっとした迷子状態なのかも。

そうはいってもまた明日はすぐにやってきます。とりあえず半日ごとに天気予報がコロコロ変わるのはお見通しなので、それになるべく振り回されないように、平静をよそおって、いつもどおりに明日の準備、段取りを決めなくては。明日の天気は、まぁなんでもいいか。

地温の確保や防草、泥はね防止など、様々な効果のあるマルチ。透明、銀ネズ、黒、白、緑、紫など色によってその効果も様々で、季節や野菜の種類によって使い分ける必要があります。大まかにいって、寒くて地温を確保したい時期は透明、草の多い時期は防草効果の高い黒、真夏は地温を下げる白など。

だいたい真夏にかかる時期は暑くなりすぎて、太陽光をよく吸収する黒だと根が焼けてしまうので、日差しを跳ね返す白にするのが最近のセオリーともいえるのですが、今年はちょっとそうとも言えない感じです。

今収穫中のお盆キュウリは試しに黒と白を半々で使用しました。平年だと黒だと暑すぎてへたり、白が快適に伸びていくのですが、今年は梅雨が明けてから雨ばかり。日照も足りないので当然地温も上がりません。野菜って気温も大事だけど、根にとって快適な環境を維持するためにも地温というのがもっと大事なのです。そのため今年は白の方は生育が遅く、黒が当たりとなりました。

黒があたりになる年なんてほとんどないのですが、黒にしたナスは生育良好、白にしたピーマンは伸び悩んでいます。適度に夕立が降り、夏らしくガンガン晴れる、という正しい(!?)夏はもうこないのか、ここ数年はお盆以降は残暑もなく、秋になっています。今年も今日から先一週間は全部雨予報。現在畑にある作物も伸び悩むし、これから秋冬の作付けにも影響がでてきます。

マルチの色なんて悩むべくもないはずなのに、こうも気候が極端だと正解は毎年変わってきます。

なんだか在り方が定まらない南関東の夏です。

先日、ここ愛川町では雹(ひょう)が降り、これから盛りを迎える夏野菜たちに大きな傷跡を残していった。ゲリラ豪雨とはよく言ったもので、本当にゲリラ戦が行われた現場かのように、キュウリの葉は上から下まで穴だらけ、ぶら下がった実も半分から下がなかったり、本当に小さな実でさえも傷だらけになっていた。ナスも誘引紐が切られてなぎ倒されたり、やはり葉は上から下まで穴だらけ、成長点にある新芽はどれも折れて皮一枚残してぶら下がっていた。そしてミニトマトに至ってはまだ青い上の段の実まで打撲痕や裂傷を負っており、回復の余地は残されていなかった。
その後、一週間くらいはどの野菜もほとんど収穫できず、手入れに力を注いでいたのだけれど、その後ナスやオクラ、空心菜やツルムラサキなどの葉物野菜は回復傾向を見せてくれた。一方で、ミニトマトやキュウリはもう復活できない様子だった。幸いキュウリは別の畑にこの後のリレー収穫分を植えていたので、そちらが生育してくるのを待てばこれからまた収穫できそうで安心した。

今回まともに雹被害にあってみて、いつくるかわからないし、いざやってきてみても守る手立てはなく、なされるがままに見守るほかないという点で多少の対策ができる台風や大雪よりもタチが悪いということがわかった。しかも被害は割と狭い範囲に限定されるからもう運が悪かったと思うほかない。今回はピークの夏野菜の畑直撃だったので個人的には被害が大きかったのが残念だったけれど。

今回の被害で私自身、珍しく2~3日も落ち込んでしまったのだけれど、その間、修行時代に師匠が口酸っぱく言っていた言葉が鮮明によみがえってきた。

「農業は諦めが肝心」

「(台風などがくればなすすべもなく無になってしまう)夏野菜にはあまり手をかけすぎるな」

「身体をとるか、欲(お金)をとるか」

農業、とりわけ野菜農家にとって好都合なことは、季節のスパンが短く、すぐ次のステージがやってくることだ。今回の野菜が終わっても、9月になればまた次の野菜たちがスタンバイしている。10月、11月、年末とまたそれぞれ待っている野菜たちも違う。なので頭を切り替えやすい。

ということで、3日くらいクヨクヨして、自然とまた新たな日々が始まった。

ところが、8月に入った今日、今度は断続的に大雨に降られてしまった。そして人参をまいたばかりの畑も水没。どれだけキチンと作業してても、こういろいろあると無意味にすらなってしまうというのはわかってはいるけれど、種が流れた畑を見ていると、本当に無念だなぁと思ってしまう。

まぁそれでも、「あれがダメでもこれがある」、というように作付けしてるので、
大丈夫なものたちと共に次の季節に向かおうと思う。

そういえば、師匠はよく「農民魂(のうみんだましい」って言葉も使ってたっけ。







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