先日、農家さんたちと話しをしているときに有機農業についての議論があった。
「有機でやっている人は虫だらけ」とか、「試しに農薬使わないでやったら虫くいがすごくて大変なことになった」、「有機は理想論で経営ではない」、「だから有機は根強い信者に支えられている」などなど。
こういうことは普段からそこかしこでいわれることだけれど、今までそんなに気にしたこともなく、スルーすることが多かった。でも今回、いろいろな方々との議論の中で、とても違和感を覚えた。彼らの話のニュアンスとして、40年前の、有機農業が興った頃の思想や生き方としての側面の強い有機農業が語られている気がしたからだ。

また、昔の有機農業のことではないにしろ、慣行農業をされている方や消費者にとって、「有機農業=無農薬・無化学肥料栽培」という認識があるようなのだけれど、これはある側面から言えばあっているとも言えるけれど、本質をついているわけではない。確かに、有機農業と慣行農業を比べるとき、わかりやすいのは肥料の違いや農薬の有無となる。しかし本当の意味で決定的に違うのは、その畑の土にある。有機農業、最近では自然農法や炭素循環農法などあるけれど、それらの農法も含めて、それらの畑の土には共通して微生物がたくさん棲んでいる。そして肥料や水持ちのよい構造になっている。生物的観点、化学的観点、物理的観点と専門的にはもっとさまざまなことになっているのだけど、そういった土の中で植物は根をしっかりと張ることができる。そしてその根のまわりにはさまざまな微生物が集まり、植物と共生をして互いに助け合いながら生きていく。豊かな生態系が根を健全に育て、健全な作物となり、結果として病害虫に強く、力強い生命力にあふれた野菜へと育っていく。

無農薬でもボロボロにならないのは作物自身の生命力が抵抗力を高めているからであり、化学肥料ではなく、有機肥料なのは炭水化物を効率よく身体づくりに回せるから。そういったサイクルを土中で実現するために土を育てていく、ということなのだ。

先に書いたように、ともすれば「有機農業=無農薬・無化学肥料」と語られがちだけれど、それは結果であって、そうするには過程があるということはあまり認識されていない。家庭菜園などでいきなり「無農薬・無化学肥料」でトライしたけれど、結局ダメだったという話は、上述したような過程が抜けているから当たり前なのだ。

とはいえ、有機農家がみんなこんな風に実現できているかといえば、そうではなく、とてもうまくやっている人もいれば、その途上にいる人もいる。もっと言えば、同じ農家でもそういう土になっている畑とまだその途上にある畑を両方耕作しているということも往々にしてあるということ。

全ては畑や自然が教えてくれる、というけれど、それがなかなか難しくて、奥が深い。
そしてそれらの技術を飛び越えて、40年前に有機農業を興した師匠たちの想いやヨーロッパ方面の有機農家が当たり前のように抱いている地球環境や生態系への考え方などはこの有機農業というものに厚みを持たせてくれていて、私たちにとって、人生をかけるに値すると強く思えるのだ。

しかし「有機農業は絶対にいいものだから、みんなやるべきだ!」とは思わない。それぞれの役割があるのも認識している。だから、あまり農法うんぬんで熱くなるより、これからの農地の問題とか、後継者の問題とかを語り合っていく方がいいと思うし、消費者の方もその役割というのを十分に認識してくれたらなと思う。