やさいのいぶき〜有機農園 けのひの日常〜

脱サラ夫婦が神奈川県愛川町で新しく農業をはじめた日常を綴る。畑と食卓、畑と街、畑と社会を繋いでいきます。

2020年03月

今日は春分の日。昼と夜の長さが同じになり、明日からは昼の方が長くなる。幼い頃はなんで休みなのかもよくわかってなかったけれど、農業を始めてみるとこの日のめでたさが身に染みるというか、身が引き締まるというか、そんな日。休日に指定されているのは日本人がかつて農耕民族だった名残なのだろうか。

日照の長さは人間よりもむしろ植物の方が敏感に感じているような気がする。特に枝豆は夏至を境にして育てる品種も中生種と晩成種で変わってくるし、他にもみなそれぞれに何かを感じて生きている様子。

寒さ暑さも彼岸まで、という昔からの言い伝えがある。実際にはゴールデンウィークくらいまでは突然冷えて驚かされたりもするけれど、大きくみればだいたいそういう風に季節が巡っていると感じる。農繁期が本格的に始まったと言っても過言ではないと思う。

そんなわけで私たちの農園ではキャベツ、カリフラワー、枝豆、チンゲン菜、ズッキーニ、カボチャ、レタス、トウモロコシなどの苗が畑に出たくて順番待ちしている状況。

コロナのせいで相変わらず変ではあるけれど、やるべきことは変わらない。



ところで、今日は朝からJ-WAVE(81.3FM)でTOKYO GUITAR JAMBOREEという番組を聴きながら作業した。次から次へと出てくるアーティストたちが9時間ぶっとおしでギター弾き語りをするという前代未聞の番組だったけど、ラジオを通してJ-WAVEの局がお祭りの現場になっているような空気感も届いていたし、私たちの作業場までスピーカーを通してライブ会場の雰囲気をまとっていたし、最初から最後まで、すごくいい番組だった。こんなご時世だから大きな会場に集まることはできなかったけど、こうして特別番組編成で発信してくれることによって、かえってリスナーにも不思議な連帯感みたいなものを感じられて、ラジオの力を改めて感じることができた。個人的にはJ-WAVE史上に残る番組だったのではないか、とさえ思う。ラジオ、やっぱりいいなと改めて。そんな2020の春分の日だった。

紅菜苔、のらぼう菜だけでなく、私たちの農園ではアブラナ科である小松菜や白菜、カーボロネロなどいくつかの菜花を収穫しています。紅菜苔のように真冬頃からトウを伸ばしてくるものもあるけれど、大抵は春を感じ始めてからトウを伸ばし花を咲かせようとします。これら菜花類の栽培・収穫にはちょっとしたコツがあって、これを間違えると早々に品質が劣化して収穫期間も短くなってしまいます。
そんなわけでコツを3つ。

IMG_62611.主茎はゴッソリとる

これが一番大事な点。食べられる部分、手で折れる部分だけと遠慮して折ると脇芽が細くなるのが早くなり、細くなるとあまりいい菜花になりません。食べ応えもありません。これは取り終えた図。切り口が太くなるので、手ではなく、ナイフで刺して取ります。こうすることで下の方から太い脇芽が出始めます。






2.脇芽も深く折る

出荷できる部分、食べられる部分だけと遠慮しているとすぐに細くなりだします。食べられる部分を手で折ったら、残った枝をもう一回深めのところで折ります。節の数が少なくなるのでは?と思うのですが、上に行けば行くほど細くなっていく性質があり、細いものをたくさん取っても仕方ないのでここは思い切って折った方が結果的に収量も上がります。


3.収穫は早朝のまだ朝露が切れないうちに

菜花は収穫後、呼吸により熱を発するため収穫後に積んでおくと自ら暖かくなって劣化が進んでしまう性質があります。そのため早朝のまだ冷たい、朝露がついているうちに収穫するとその後のもちがだいぶ違うのです。また袋詰め後は立てておくと立ち上がろうとするエネルギーを使わなくなるのでさらに劣化が防げます。冷蔵庫がある場合はそこで温度を下げればなんてことはないのですが。

細かく言えばまだありますが、この3点を抑えておけばいい菜花が長くとれます。

個人的には菜花は太い方がうまい!と思う。


新型コロナウイルスの影響による休校措置から二週間が経過した。世の中では通勤を避けるためにテレワークを導入したり、仕事そのものを休んだりと様々な対策を講じている。我が家では小学校が休みで子どもたち二人が家にいるため、保育園児も休ませて三人とも家にいる状況にした。最初の一週間こそ学校ごっこということで、朝から時間割通りに読書をしたり、漢字練習をしたり、絵を書いたりして過ごしていたけれど、やはり二週目ともなるとみな飽きてきてストレスが溜まってきているように感じる。それでも庭や畑で放牧さながらに放っておくこともできるのでずっと部屋にいなくてはならないような子と比べたらずっと恵まれていると思う。

この二週間、子どもたちの顔が見えて三食一緒にご飯も食べられるような状況で過ごしてきたけれど、農業という仕事はつくづく生活に近い職業だなと感じる。普段から言っていることだけれど、生活と仕事の場がほぼ同じだし、必然的に生活と仕事の境界があいまいな部分も多々ある。そして大震災のときもそうだったけれど、こういう非常時は家族が近くにいるということが何よりも安心感につながる。オンとオフのメリハリがついていないといえばそうなのだけれど、生活するために仕事をしている一方で、仕事が生活そのものみたいな部分もまたこの仕事のよさの一つなのではと改めて感じている。そんなだから農家は儲からない、と揶揄されそうだけど、そんなだから農家は面白いと言えるし、そう言い切ってしまいたい。

朝から晩までマスクもしないで、家族が近くにいて、大地に近い暮らしをする。とりあえず農家であることで今はこんな暮らしをさせてもらっている。

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