成田で農業研修を始めて2度目の春を迎えました。
思えば、スタートは葛飾から電車で2時間くらいかけての通勤農業、それから第二子の出産という状況から週末だけ3時間かけて八王子に戻るという単身赴任農業、第二子が落ち着いてからは家族で成田暮らしとこの2年間は自分を取り巻く状況がめまぐるしく変わりました。
農業に関しても野菜に関しても、何も知らないド素人という状態から始めて、日々の作業や諸先輩方の教えを受けて少しずつ色々なことを覚えていきました。それは野菜のこと、畑作りのこと、作業の段取り、肥料のこと、堆肥のこと、機械のことなど分類化していけば多岐に渡ります。その昔、北海道で農業を営んでいた恩人が「農業は肉体労働者ではなく、化学者であり、生物学者であり、職人でもある」と言ってた意味を次第に理解していく日々でした。自然相手のこの仕事は経験・知識・技術の全てが必要となり、2年程度ではまだ素人に毛が生えた程度のものだと、そう感じています。まだまだこれから。奥が深いです。
農業を始めるに当たって、私は2011年4月に逃げ道を用意していました。
研修を始めた2009年当時、私は27歳になったばかりで、農業研修が終わるのが2011年3月であり、そのときの年齢は29歳。仮に農業が向いていない、又は様々な理由から到底、生業になどできないと判断した場合はそこで農業は辞めて再度サラリーマン生活に戻ろうと考えていました。まだ20代、やり直しは効くだろう、と。
今、この研修を振り返ってみて、そしてこの先の道を見たとき、迷わず、この道の続きを行くことに決めました。それはもう決断というような確固としたものというより、自然とそちらの道に足を向けていたというようなものでした。
農業を始めるにあたっての初心をノートに書き記しておいたのですが、その当時は成田で農的な暮らしを営みながら野菜の宅配セットをメインにしていくとなっていたのですが、今見据えている目標はそこにはなく、以下の3つに集約されていきます。
初心である、「農的な暮らし」の実現
少量多品目栽培で地産地消を軸にした、「小さな農業」
農を通じて行う、「農的な社会活動」
最初は借りた家に、借りた畑、道具も借りたり買い揃えたり、すぐに上記の3つを実現するのは困難ですが、ベクトルを向けて日々活動していきたいと思っています。
私は成田という土地にも、農業という仕事にも何の縁もありませんでした。しかしこの2年間を通して、有機の里ともいうべく北総の大地の人々と交流し、その考えや技術などを学ぶことができました。そして縁のないところからも縁を繋ぐことができ、次なる就農地、八王子にたどり着きました。
これまで多くの人に支えられ、ここまでくることができました。成田にお世話になった方々、そして何より身近でサポートしてくれた家族に感謝しています。本当にどうもありがとうございました。これからもドタバタとした日々になっていくことと思いますが、おもしろおかしく生きていけたら、そう思っています。
カテゴリ: 成田修行時代
明日も農民としていこう
昨日、群馬県の小松菜の代わりに出荷してくれないかと頼んできた業者が今日になって千葉県産も買えないと言い出した。そして静岡以西の産地を紹介してくれないかとまで言ってきた。はっきりいってふざけている。こういう人とは二度と取引したくない。八百屋の中には風評被害を拡げまいと、北関東産でも出荷規制のかかっていない野菜をあえて仕入れているところもあるという。また、普段出荷させていただいているパルシステムは、生産者に対する公式文書で、基準値を下回っているうちはなんとしても我々の野菜を消費者の元に届けると宣言してくれている。明日どうなるかわからない状況に変わりはないが、こういう風に言ってくれていることに胸を打たれる。
今日の午後、いつも野菜を届けている成田市内のカフェとレストランに行ったが、やはり状況は厳しい。こういった状況下で深刻な程客足が遠のいているという。こういう場所にいて農業をしていると結構不安になってしまうのだが、意外と東京の方ではケロッと日常がまわっているのかなとふと思ったりする。
とにかく、福島原発の行方を注視しながら、明日も畑で食料を生産するとしよう。
暗転してるわけじゃない
今朝になって出荷規制対象作物が増えていた。福島県産の11品目の野菜、北関東産のほうれん草、かき菜などだ。やっぱりもう、どれもこれもダメってことじゃないかと思いがちだが、一方で農業新聞をよく読むと放射性物質が検出されなかった野菜というのもしっかり列挙されている。そちらの品目の方が出荷規制されているものよりはるかに多いのは言うまでもない。今日は一日中、「風評被害が懸念される」という報道がされていたが、この放射性物質が検出されなかった野菜というのをしっかり消費者に伝えて欲しいと切に願う。
昨日の大田市場ではすでに卸の方々による北関東産の敬遠が始まっていたようだが、その影響なのか、今日ぼくらのところに今まで取引のなかった卸売り業者から小松菜を出荷してくれないかという問い合わせがきた。なんでも、今までは群馬産の小松菜をメインにしていたが、今回の原発事故のせいで群馬産の仕入れができなくなったのだという。本当のところ、「できなくなった」のではなく、自粛したのだろう。今日の正午において、群馬の小松菜は出荷規制対象ではなかった。
今、この国は大きく揺れている。
エネルギー、食、環境、ライフスタイル、仕事、ありとあらゆることに対しての価値観、根底が覆されて見直さなければならない時がきている。これだけの事故が起きたのだから、この先どういう経過を辿るにしろ、原発計画は見直されてゆくだろう。それに伴ってやはりぼくらの生活のあり方が今までと同じように、というわけにはいかなくなる。今日の農業新聞にもやはり「国の在り方を考え、新しい国を作るべきとき」と記され、その根底には「節電思想」と「自然エネルギーの普及」が必須になってくると言っている。ぼく自身もそうあるべきだとはっきりと思う。サラリーマンを辞めてスタートさせたこの2年間の農業研修の最後の最後でこういう事態に直面し、自分や家族、それにこれからの生き方について、改めて考えさせられている。
目に見えないのに、目の前で起こっていること
福島第一原発の事故の影響でついに千葉県旭市の春菊からも放射性物質が検出されたという。これにより旭市産の春菊は出荷停止ということになるらしいのだが、旭市といえばここ成田市からもそう遠くはなく、福島からの位置関係でいえば、風向き一つで放射性物質だって飛んでくるのではないかと思える。自分たちの畑の作物だって明日になってみればどうなるかわからない状況なのだ。しかも自分たちの目や鼻や舌で確認できるものではなく、政府からの発表を待つほかないのが現実である。そして毎日出荷先からの指示を待っているしかなす術がない。
先に放射性物質が検出された茨城・栃木・群馬のほうれん草、かき菜はすでに出荷が停止されている。しかし、この三県のその他の青果物は特に発表はないにも関わらず、市場では破格の安値をつけていても売れないのだという。人体には影響はないといえど、現段階では政府の言う基準値を超えたものが出荷できないのは仕方のないことだと思う。しかし、一番恐れていたその他の青果物に対する風評被害がすでに卸の段階で始まっており、北関東三県産というだけで他の全ての野菜まで敬遠され始めたことが、同じ生産者として悔しい。
しかし一方で、二児を抱える消費者として福島産、北関東産の生産物をあえて選ぶのかと問われれば、手をだしずらいというのが本音だ。「大丈夫、問題ない」と繰り返し報道されているが、そもそも原発事故に関する一連の政府発表、報道ですらどこまで信じていいものなのか判断しかねる状況の中で、何をもって自分を納得させられるかがわからない。仮に、スーパーなどで「放射線の基準値を下回っているので問題ない」という証明書を売り場に掲げてくれればそれで安全は担保されるのだが、果たしてそれで消費者の安心まで担保できるのかと言われれば、この一連の報道に対する個人の印象や放射線に対する知識が未熟であるがゆえの恐怖心などで手が出せない人もいるのではないだろうか。
とはいえ、もしこのまま風評被害が広まって北関東の野菜が出回らなくなったり、他県にも影響が広がれば、野菜は昨年のこの時期以上になくなる。一年前の春は例年に比べて寒かったり気候が不安定で、野菜がうまく育たずに供給がままならなくなってしまった。その結果野菜は高騰し、政府は前倒し出荷や規格外品の積極出荷などを求めるような事態になった。今回はそれ以上に深刻な状況だ。
「がんばろう福島!」、「がんばろう茨城!」という社会的なキャンペーンをはれば皆さんは風評被害に惑わされることなく、この地域の野菜を購入して食べてくれるのでしょうか。しかし、あくまでこれは地震の被災地というよりは、言ってみれば「風評被害の被災地」なのだから、彼らにがんばれというのはよくわからない。もし安心・安全を担保できるならば、あとはそれらの野菜に対する消費者の意識一つなのだから、実のところがんばるべきなのは自分自身も含めた消費者なのかもしれない。
堆肥って何だ
堆肥には様々な素材、作り方がありますが、一般的にはうんこそのものというよりは家畜の糞尿を剪定枝やおが屑やバークなどの木屑と混ぜ合わせて発酵させたものです。なので堆肥は臭いというのは誤った考え方で、臭いのは発酵途中の未熟な堆肥ということになります。畑に入れるような完熟の堆肥というのは糞尿のニオイというものはあまり残っておらず、触ると土のようにサラサラしています(少し臭いの残る中熟のものを入れたほうがよいという説もあります)。この堆肥をたっぷり(2〜4t/10a)入れて、土作りをしていくのですが、堆肥ならなんでもよいというわけではなく、堆肥にもいい堆肥、悪い堆肥というのがあって良質の堆肥にめぐり合うのはなかなかに難しいのです。
まず、家畜の糞尿を原料にする場合(主に鶏、豚、牛、馬)、その家畜が食べているものなどが糞にでてきます。飼料であったり、投与されている薬であったり。また、おが屑を入れている場合、たいていは建築廃材などが使用されており、ものによってはペンキ片が含まれていたり、元の建材の段階で防腐剤などの様々な薬が使用されていることもあります。剪定枝も公園の樹木や街路樹などの枝であっても消毒がなされている場合もあります。こうやって一つ一つケチをつけていってこんなものが入っている堆肥を使っていて何が有機農業だ、なんて言われることもあります。しかし堆肥を業者から買うということはこういうものが入っているというリスクを負うということにもなります。純粋にまったく投薬されておらずに国産の無農薬の飼料を食べて育った家畜の糞と天然木や落ち葉を原料にして十分発酵された堆肥なんてものはまずないというのが現実です。もしあったとしたらそれはかなりの高額になるでしょう。
ではどうするか。本当にこだわりぬいて妥協をしないと決めたなら自分で作るという手段があります。厳選した材料を使って自分で作る。実際にそうやって100%植物由来の理想のような堆肥を作っている人もいます。しかしこれには場所と労力と時間がかかるため、全ての農家さんに求めるのはなかなか難しいです。
ぼくの場合は時間はあるのですが堆肥を堆積しておく場所や、製造工程で使用するバケットと呼ばれる機械がないため作れません。だから残念ながらリスクを覚悟で少しでもいいものを探す、というのが一番現実的な方法だと考えています。
さてこの堆肥、一体どうやったら手に入るのか。八王子近辺に探しに行きました。
有機の基本は土づくり
農業を始める前から色々な文章などで読んでいたのですが、実際に研修を始めて作物を作っていてもその大切さというのがイマイチ理解できないまま日々を過ごしていました。無農薬、無化学肥料でも種を播けばなんとか収穫まで持ち込めている。施肥(肥料をまくこと)の量だって適当でも結果はいつもだいたい問題ない。このせいで有機って楽勝じゃないか、と誤った認識をしていた時期もありました。しかしよくよく考えてみると、今作付けしている土地って先代から40年来、有機農業を続けてきた土地で、有機物がたくさん入っているために排水性がよくて保肥力があって、地力があるから元気な作物が育って病気や虫の被害もそれほど多くないという素晴らしい土地なのです。そりゃ1年や2年、めちゃくちゃなことしてもなんとかなるというわけです。
色々な人の話で総合的に判断すると40年来有機物を入れてきたこのような土地ならば2〜3年くらいはどんなことしてもいいものがとれるそうです。だからぼくがこの圃場を任されたこの1年なんていうのは40年のうちのたったの1年でしかなく、天候に左右されたことも加味しても、まぁどうにかできてしまうということであって実力なんてこれっぽちも関係なかった、という事実はしっかりと受け入れなくてはなりません。しかし一旦土のバランスが崩れると元に戻すのにまた2〜3年くらいはかかるという話を聞くと、数年後の作がしっかりできるかどうかというところで昨年の自分の実力が問われてしまうようなそんな怖さがあります。今年と来年、しっかりやってくれればたぶん大丈夫でしょうが…。
土づくりってなんでしょう。当たり前のように聞かされた言葉だけど、具体的にこれが土づくりだ、というのは聞いたことがなかった気がします。堆肥を入れる。輪作に緑肥やトウモロコシなどをはさむ。だいたいこれくらいのことしかしていません。要するに畑の中に有機物をたくさん蓄えるってことが大事。だから堆肥はたっぷり入れる。しかしよくよく調べてみればまだまだ色々な方法がでてきます。師匠に言わせれば焦る必要はねぇ、当たり前のことをやってればいいんだ、という風になりますが、実際問題は結構焦ります。だって八王子の畑、堆肥ゼロなんですから。
農地探しの旅の果て
東京都八王子市です。これまでいくつかの場所を見てきましたが、愛川町、八王子市、成田市の3つに絞り、さらに八王子と成田の2つに絞り、ここからはもう一長一短で相当悩みました。思えば会社を辞めて農業を始めることに決めたときはほとんど悩むということもなかったので、今回は農業人生で初めて岐路に立たされた気分でした。どちらの街でもそれぞれ描いていた将来像から大切な要素が1つずつ抜け落ち、これから先の人生そのもののビジョンがガラリと変わってくることが予想できたため、毎日どっちがいいのかという考えがコロコロ変わってしまい、決められずにいました。
生活と仕事。農業においてこの両面は境界線をあいまいにして繋がっているように思います。そのため、仕事だけでなく生活という観点が非常に重要な点として選択材料の中心にいました。しかしこの生活という観点においても、妻の通勤の利便性だったり、農的暮らし(畑と家のつながり)の実現度だったり、矛盾した二つの要素が存在し、初年度はこっちがいいけど、10年後は多分こっちがいいなど、決め手に欠けいっそう迷走していってしまいました。どちらかを選ぶということは、もう一方にある可能性を全て切り捨てるということで、それを考えるとなかなか怖いものでした。
農業を始めようと決めたとき、「ムラと街の繋ぎ役になる」という考えがあったのですが、八王子だとムラではなく、まさに街中になるためこのコンセプトは見当違いのものになります。まだしっかりとした考えがまとまってませんが、都市農業の意義、東京で有機をやることの意義などを追求して、農産物だけではなく、地域の方々に食以外の何かを提供できるように活動していきたいと思います。
結局のところ、神奈川から東京を経由して千葉に来て、最後に辿り着いた先は東京でした。
農地探しにあたって色々な方々に情報提供やご協力をいただきました。他人の人生なのに親身になってご相談に乗っていただき本当にありがとうございました。これから(2011年4月から)ようやくスタートとなり、日々右往左往することになりますが、おもしろおかしく眺めてやってください。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
食の安全とは何なのか
ところで、有機農業研修に参加して早1年半、この生活も残すところあと半年となりました。成田での就農も含め色々な土地で畑を探してきましたが、人の繋がりをたどって行ったところ、一度断念した八王子での就農が視野に入ってきました。正規ルートでは真っ向から断られたのに…。世の中の渡り方を勉強させられます。。
ただしそこで畑を借りるためには条件があります。それは、学校給食に野菜を出すということ。大概の人にこの話をすると、いい話じゃないか!と喜んでくれます。無農薬の野菜を子どもたちに食べてもらえるなんて素晴らしい、と。しかし、経験のある人や詳しい人に聞くと、少し表情を曇らせて、それはちょっと考えものだ、と言われてしまうのです。一体どういうことなのでしょうか。
給食で子どもたちに食べてもらうには安全なものでなくてはならない。そのための基準は他の出荷先よりも厳しいものになると言います。さらに、それらの野菜には泥がついていたり虫食いがあったりしては話にならないというのです。今私たちが作っている野菜は確かに不揃いだったり、泥がついていたり、穴が開いていたりします。無農薬で作っているがゆえ、病害虫の影響を多少なりとも受けてしまうことと、洗うと鮮度が落ちるという理由からです。しかし見かけは悪くとも人体に有害とされる物質は一切使っておらず、そういう点では安心して食べてもらえるものだと思っています。ところが給食用の野菜には農薬を使わないと引き取ってもらうことさえ難しいという現実があります。
食の安全とは一体なんなのでしょうか。農薬の使用の有無、残留窒素の問題、健全な種から作られた品種であるか否か、遺伝子組み換え作物。さらには堆肥や肥料などが本当に安全な素材からできている資材なのか。植物工場の野菜の位置づけ。実はあまり知らされていない、本当のところはよく分からないということがたくさんあるのです。目には見えないことばかりですが、想像すればするほど気になることが結構あります。しかしとりあえずここで提示されたのは目に見える部分のことでした。
では有機農業とは何なのか。無農薬・無化学肥料で有機資材を使用した農業という人もいます。しかし私は方法論ではなく、思想にこそその本質があるのではないかと考えるのです。有機の思想、それはつまり野菜の安全性だけではなく、地域の伝統や自然環境を保全するためのものであるということ。安全の定義があいまいであることは否めなくても、この本質からはずれないでいることで自ずととるべき道が、自分の目指すべき農業が見えてくるのではないか、そう思うのです。
今回いただいたこの条件、畑も売り先もあるという破格の条件。皆が口を揃えて慣行農法でやるべきだと言いますが、やはり有機でやれないのなら八王子には行くべきではないと考えています。
八王子でも有機。風当たりが強そうです。
雨が降らない
雨が降らない。ここ成田のある北総地域では相変わらずの猛暑が続いている。雨が降らないでこれだけの暑さが続くとどうなるのか。まず、せっかく播いた種が発芽しない。芽がでても熱風で芽が焼けてしまう。苗を定植してもうまく根付かずに枯れてしまう。ナスやピーマンなどの実つきが悪くなったり、大きくなる前に熟してしまう。落花生や豆などは花の咲く頃に水分が足りないと収穫の時期になってよい実がつかない。などなど、畑の作物にとっては何一ついいことがない。
幸いにも私たちの畑では灌水設備が整っているため、スプリンクラーのような機械や噴水状に散水するホースや地道なバケツの水やりによって人参、里芋、落花生、大豆などはなんとか元気に育ってくれている。しかしながら大量に汲み上げられ、撒かれる水を見て思うのだ。独立したとき、水のない畑だったらどうなってしまうのだろうか、と。
毎日天気予報を見ているのだけれど、「関東地方は今日も雷雨にご注意ください」と言っていても、なぜか私たちの畑にはまず降らない。灌水していない畑はすでにカラカラで砂地のようになっている。今は雨が全くと言っていいほど降っていないけれど、年間降水量はほぼ例年並に落ち着くとしたら夏の終わりにゲリラ豪雨が来るか台風が直撃するのだろう。こういう極端な天気も温暖化の影響なのだろうかと安直な発想だけれどやはり考えてしまう。