やさいのいぶき〜有機農園 けのひの日常〜

脱サラ夫婦が神奈川県愛川町で新しく農業をはじめた日常を綴る。畑と食卓、畑と街、畑と社会を繋いでいきます。

カテゴリ: 家族

新型コロナウイルスの影響による休校措置から二週間が経過した。世の中では通勤を避けるためにテレワークを導入したり、仕事そのものを休んだりと様々な対策を講じている。我が家では小学校が休みで子どもたち二人が家にいるため、保育園児も休ませて三人とも家にいる状況にした。最初の一週間こそ学校ごっこということで、朝から時間割通りに読書をしたり、漢字練習をしたり、絵を書いたりして過ごしていたけれど、やはり二週目ともなるとみな飽きてきてストレスが溜まってきているように感じる。それでも庭や畑で放牧さながらに放っておくこともできるのでずっと部屋にいなくてはならないような子と比べたらずっと恵まれていると思う。

この二週間、子どもたちの顔が見えて三食一緒にご飯も食べられるような状況で過ごしてきたけれど、農業という仕事はつくづく生活に近い職業だなと感じる。普段から言っていることだけれど、生活と仕事の場がほぼ同じだし、必然的に生活と仕事の境界があいまいな部分も多々ある。そして大震災のときもそうだったけれど、こういう非常時は家族が近くにいるということが何よりも安心感につながる。オンとオフのメリハリがついていないといえばそうなのだけれど、生活するために仕事をしている一方で、仕事が生活そのものみたいな部分もまたこの仕事のよさの一つなのではと改めて感じている。そんなだから農家は儲からない、と揶揄されそうだけど、そんなだから農家は面白いと言えるし、そう言い切ってしまいたい。

朝から晩までマスクもしないで、家族が近くにいて、大地に近い暮らしをする。とりあえず農家であることで今はこんな暮らしをさせてもらっている。

お盆が過ぎて、朝晩は幾分涼しくなってきました。農業はこのお盆を一つの目安として作業を進めます。もう夏の終わりです。

ところで、今月1日に単身赴任農業に終止符を打ちました。八王子と成田で離れて暮らすこと9ヶ月、二人目のチビちゃんが産まれて3ヶ月が経ち、そろそろ頃合と見て成田に呼びました。家に帰れば家族がいるというのは当たり前のことなのかもしれませんがしみじみと嬉しさを感じます。また、週に1回、2週に1回程度しか子どもに会わなかったので、会うたびに顔や言葉が変わっていて成長の嬉しさと同時にそれを共有できていない寂しさも感じていて複雑な思いもありました。ようやくここから新しいスタートです。

しかしながら依然として来年4月以降のプランが決まっていません。今週末にもう一度別のルートから八王子を攻めてみるつもりです。

先日、娘が生まれました。夜中になって産気づいたとの連絡が入り、飛び起きて高速をぶっとばすこと2時間。何とか出産に立ち会うことができました。頑張ってる妻を励まして、元気な産声を聞いて、とてもいい出産だったと思います。これで宝物2つ。幸せモンです。

出産を終え、独りで再び成田に。出産直後の子育ての大変さや赤ん坊のかわいさを知っているだけに、この時期に何にもできないもどかしさ、悔しさを感じています。また、連休に入った息子をどこに連れて行ってやるでもなく、元気に遊んでるかなぁと想像するだけというのもなかなか残念なものです。親が好き勝手やってるわけなので、子どもに一方的にかわいそうな思いをさせてしまっている現状を、出来る限り改善してやらなければなりませんね。

夢、というとあまりにも漠然としている上、甘美な響きがありますが、ぼくの場合はやるべきこと、となるでしょうか。やるべきことをやろうとするとやはりいくらかの犠牲を必要とするのでしょう。犠牲というと大げさかもしれませんが、やっぱりある程度失っているものもあるんだなということも実感しています。まずは、家族揃って暮らす日がとても楽しみです。

大学を卒業してから約6年間過ごした葛飾お花茶屋を後にし、成田に入植(?)しました。会社を辞めてからの7ヶ月間は毎日朝4時台に起床し、6時には家を出て、ひたすら電車に揺られる日々でした。帰ってくれば家や子どものこともロクにできず、家族に迷惑をかけっぱなしで妻や子どもはよく体調を崩すなど、相当の負担をかけてしまっていました。それでも何とか7ヶ月間やってこれたのは言うまでもなく、妻の力によるところが大きかったのです。

農業を志すと決めたとき、周囲の人からは反対もありましたが、納得した人の中にも、ぼくの家族の決意に拍手を送りたいと言ってくれた人が少なからずいました。まさにぼく自身というよりも家のこと、子どものこと、そして自分の仕事を抱えている妻自身が一番大変な思いをしていたのでした。そのため家族の負担を少しでも軽くするために前向きな別居という選択をとることにしたのです。通勤農業はこれで終わりです。そしてぼくの研修が終わる頃、またはある程度のメドが経ったときに家族とは成田で合流する予定です。家族と離れるのは正直言ってかなり寂しいのですが、与えられたチャンスを大切にして日々色々なことをしっかりと消化していこうと思います。

お花茶屋を去るにあたって、街の人々にたくさんの激励の言葉をいただいたことをこの場で改めてお礼を申し上げたいと思います。皆様のおかげで葛飾での暮らしを忘れがたい、かけがえのない日々とすることができました。またいつかお花茶屋でぼくたちの作った野菜を何らかの形で皆様に食べていただけるようにしたいと思っています。絶対にまた戻ってきますので今後とも宜しくお願いします。

ちゃぶ台最近、椎名誠の『大きな約束』という本を読んだのですが、その文中に「家族みんなで食卓を囲める時代というのは、意外にもそんなに長くない」というようなことが書かれていてはっとさせられました。

親の仕事の都合、子どもの習い事や塾など、孤食化が進んでいる昨今において家族で食卓を囲めないことが多くなっていることは想像がついていましたが、家族関係が良好であってもみんなで食事をできる時代というのはそんなに長くないという事実は、考えてみればわかることなのに新鮮な驚きとして印象に残りました。

ぼくの場合、3人兄弟の5人家族なのですが、振り返ってみると実家でみんなで暮らし、食卓を共に囲んでいた時代というのはせいぜい兄が高校生くらいのときまで、つまり自分にとってはほんの15年くらいのことでしかありませんでした。しかもこれは物心ついていない時代も含めてなので、記憶にあるのはせいぜい10年分くらいのものでしょうか。そして意識せずして子ども時代の食卓は終わり、実家で暮らしているときでさえも家族で食卓を囲むことは段々減っていきました。

そして今築いている家族での食卓。こちらはチビちゃんが誕生し、今まさに始まったばかりの新しい家族です。しかし少し先を見れば、この食卓もまた20年も経たないうちにバラバラになり、最終的には妻と2人の食卓に戻っていきます。そう考えると、子ども時代と親時代、トータルしてもせいぜい30〜40年がいいところで、人生80年と考えれば家族みんなで食卓を囲める時代というのは実に半分くらいしかないのだということに気づかされます。普通、こういうのは親時代が終わったときに気が付くのだろうけど、いま気が付けてよかった。

大切な人との食事の時間。それは必ずしも家族とは限らず、恋人との食事であったり、仲間たちとのバーベキューであったり本当に色々な形が存在すると思います。とはいえ、日常において家族みんなで食卓を囲むという行為は当たり前すぎて意識することはほとんどないのですが、それだけで尊くて、素晴らしいものなんじゃないかなと思うのです。何を食べるか、というのももちろん大切なことなのですが、家族みんなで食べるというのはそれ以上に大切なことなのかもしれません。

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