この度2008年9月から4年間、インターン時代を含めれば4年半働いたマザーハウスを退職することになりました。

次は、日本企業のグローバル展開にフォーカスして働きます。海外事業(CH, SG, AU, NZ, etc)の統括マネージャーとして、グローバルな成長を実現することを最初のミッションとして働きます。

今回の決断が不思議に映る人もいるかもしれませんが、僕がやりたいこと、達成したいことは根本ではずっと不変であり、今回の選択も同一線上にあります。



2007年、UCLAを卒業する少し前、自分とあまり年が変わらない女性が社長を務める起業間もない日本のベンチャー企業のことを知った。「途上国から世界に通用するブランドをつくる」、そうウェブサイトには掲げられている。社員は社長一人、店舗はない、商品は4型のみ。ただ、その社長のブログを読んで、なぜか強い共感を覚え、卒業後にインターンとして働くことに決めた。

帰国翌日に面接を受け、その日から働き始めた。ゴールドマンサックスを辞めたばかりの副社長が入社し、社員は3人に増えていた。
その日から昼も夜も関係なく、とにかく必死に働いた。この経験から、今後働いていくにおいての指針となるような何かを掴みたかった。初めての東京暮らし。住む家も金もなかったので、事務所に椅子を並べて寝泊まりして、近所の銭湯に通った。大変ではあったけれど、自分が心から素晴らしいと信じられる何かをゼロから創りあげていくことは、本当にエキサイティングで素晴らしい経験だった。


怒涛の半年間のインターン生活はあっという間に終わり、その翌週から三菱商事に入社した。
今でもよく聞かれる。

「なんで半年で辞めたんですか?」

スピード感の違い、自分の成長スピードに対する焦燥感、企業文化との不適合、理由は色々ある。
しかしそれだけでは、ネガティブな理由だけではあんなに恵まれた会社を半年では辞めない。一番大きな理由は、あの半年間が本当に楽しくて、あれをもう一度経験するのを何年も待つなんてことはできない。そんなシンプルな理由が全てだった。


そうして三菱商事を半年で辞め、今度は正社員としてマザーハウスに入社した。

そこからまた怒涛の日々が始まった。
半年で辞めたため相変わらず蓄えはなかった。今だから言える話だが、最初の一年ぐらいは深夜のバイトを並行してやっていた。夜遅くまで働いて、そこから深夜の仕事が始まる。客が殆どいないのでそこでも仕事もしくは本を読んで勉強し、3時過ぎに店を閉め、そのまま店のベンチで寝て、朝起きて電車で家に帰り、シャワーを浴びて出社した。

朝日を背に家に向かって朦朧と歩きながら、暗い倉庫で一人大量の段ボール箱に埋もれて一日中在庫の整理をしながら、店舗作りのために2ヶ月間に渡って木を切り続けながら、経費を節約しようと地方で幼馴染の家に泊まり翌朝の朝食の席で友人のお母さんから「あんた商社入ったんじゃないの?」と不思議がられたりして、

「俺はなんでこんなことをやっているんだろう。馬鹿じゃないのか。」

と思ったことは正直一度や二度ではなかった。


あのまま、前の会社に残っていればこんな泥臭いこともキツイこともなかったのに、普通にやっていれば給料もそれなりの額もらえて楽だったのに、あぁ俺は馬鹿だなー、と。

ただ、それでも続けた。自分がやっていることは正しいと心の底から信じていたし、絶対結果を出してやると強く思い続けていたし、ここで逃げたら全てが終わりだとも感じていた。


そうやって働いた数年間、中々思うような結果が出なかった。ベンチャーをやるからには、何か新しい事業を自分の手でゼロから創りあげたかった。しかし、仕組みがない中で仕組みを作りつつ結果を出すことは、仕組みの中で結果を出すのとは全くわけが違う。
なかなか上手くいかない。

そんな焦燥感から、仕事の合間、早朝、帰宅後、週末は殆ど本を読んで過ごした。知識を付け、思考力を鍛えることで、圧倒的に足りない経験とスキルを補いたかった。
経済学的素養が足りないと思えば経済学の教科書を半年読み込み続け、経理の仕事をする必要があれば自力で決算書を作れるよう勉強し、尊敬している起業家からEconomistに加えてFTも読めと言われれば食費を切り詰めてでも購読し、いや、これからはアートの時代だと思えば美術学校に通ったりした。
とにかく思いつく限りなんでも片っ端から実行し、インプットしたものを如何に仕事に応用するかを24時間常に考え、とにかく実行し続けた。精神が擦り切れる一歩手前ぐらいには常に自分を追い込んでいたと思う。


そうやって、ようやくチャンスが巡ってきた。初の海外販売展開を任せてもらえることになった。
これに全てを賭けた。今まで仕事を通じて身に付けた全て、今まで学び、考えてきたことの全てを。
いくつかの偶然と幸運も重なり、良い仲間に恵まれ、様々な人たちにサポートして頂き、結果台灣事業は無事にテイクオフし、現在は展開開始から1年半足らずで4店舗を構えるまでになった。
現地スタッフも徐々に成長し、当初から目指していた体制、現地スタッフだけで回るような体制にようやくなってきた。
もちろんまだまだ成功だなんて口が裂けてもいえないし、自分自身まだまだ未熟な点ばかり。今後も台灣だけではなく、他のアジアの国、アメリカ、ヨーロッパとやることはたくさんある。


そんな中でなぜ、今辞めるのか。


僕は18歳の頃、もう10年近く前のことになる、初めてインド、途上国を訪れた。そこで、助けたかった人を助けられなかった。
そんな状況をどうにかしたくて学者になろうと思い、人格が変わるぐらい勉強し、でもやっぱり違う。ビジネスだ、と思い、ベンチャーの世界に飛び込んだ。
しかし、理想を追い求めると経済的にスケールできず、経済的規模を追い求めると理想を曲げざるえない。
そんなトレードオフの中でこの4年間試行錯誤を続けてきた。

ただ、考え続けた結果思うのは、そんなトレードオフなんて本当は存在しないということ。
トレードオフにならずに、両方を高いレベルで実現する方法があるのではないかということ。
トレードオフなってしまうのは、単に自分の実力が足りないからではないかということ。

もっと自分に実力があれば、やりようはあるのでは。
そのために、一度、資本主義の最先端に行きたい。

理念を曲げずに事業をスケールさせること、その方法の一つとしてグローバルに展開すること、グローバルにスケールした事業を”経営”していくこと。そしてそこから、自分なりの道を切り開きたい。
自分にとって今一番やりたいことであり必要だと信じること。それが出来る場所、それに対する今の自分の中での答えが今回の転職だった。


今の仕事は楽しいし、やりがいもある。仕事に対する不満は全くない。不満があるとすれば、自分の現時点での実力、そして目標と現実のギャップに対してのみ。
一度きりの人生、どうせなら目指せる限り最高を目指したい。



この選択が正しいかどうかはまだ分からない。この世の中に魔法の杖なんて存在しないことも理解している。
ただ、この選択を、正しいものにする自信はある。
三菱商事からマザーハウスに移るとき、99%の人に反対された。ただ、自分だけはその選択が正しいと信じていたし、だからこそその選択を正しいものにするためにこれまでやってきて、結果正しい選択だったと今は胸を張って言える。
今回も、この選択を正しいものに自らの手でしてみせる。



今までマザーハウスを通じてお世話になった皆様、本当にありがとうございました。そして今後共マザーハウス共々引き続き御指導御鞭撻の程宜しくお願い致します。

そして何よりも、マザーハウスの皆、特に山口さん・山崎さんには本当にお世話になりました。うちのようなベンチャー企業で人が抜けることは本当に大変なことだと理解しています。そんな中でも「それがやりたいことなら頑張れ」と快く送り出してくれた二人に本当に感謝しています。
この5年間の2人の指導なくしては今の僕はありません。

山口さんからは起業家としての突破力とスピード、そして本質のみを狂信的なまでに追求していく生き方を、山崎さんからは経営者としての数字に基づいた徹底的な論理的思考、冷静な分析に基づいた大胆なアクションを取ることの重要性、そして何よりも仕事を最高に楽しむ姿勢を学ばせてもらいました。
僕はまだまだ未熟ですが、今後の自分の生き様で恩に報えればと思います。


そんなわけで、新たなチャレンジ。楽しんでいこうと思います。