2006年01月
お楽しみ抽選会
終演後には、ご来場のお客様に「お年玉プレゼント」の抽選会を行いました。これまた恒例で、皆さん楽しみにしていらっしゃいます。地元の協賛各位からも賞品を提供してもらいましたが、私も東京から噺家グッズをたくさん持って行きました。例えば・・・、ええと・・・、芸術協会で去年真打に昇進した人の「扇子・手拭・口上書き」の3点セットとか、落語協会のカレンダーとか、私の手拭いとか、去年監修して出した本とか、結構豪華なものです(笑)
舞台のまん中に立って抽選しているのが、実行委員会会長の新谷和彦県会議員です。この先生にも大変にお世話になっています。面倒見のいい親分肌の先生です。奥さんがまた綺麗な人で・・・(^^ゞ
新谷先生、また来年もヨロシクお願いしますよ

薮入り
たらちね 2
たらちね
ごあいさつ
2006年1月28日(土)第7回「初笑い寄席」 山口・萩
毎年行なっている萩での独演会を、今年も盛大に開催しました。会場は萩市の「サンライフ萩」です。この落語会は、平成11年11月に始まりました。途中
12年だけは抜けましたが、13年のお正月以来毎年この時期に「初笑い寄席」として連続開催し、今回で7回目になりました。萩の人たちが「山口県出身の 春風亭正朝の落語をナマで聴こう。萩の地で本物の芸に触れよう。そして正朝を盛り立てていこう」という趣旨で始まったものです。つまり地元の有志によるボ ランティアの落語会という感じです。でも、誤解のないように言っておきますが、ギャラは過分に頂戴しています。念のため(笑)
私にとっては大変に有り難い、また嬉しい落語会です。
この後ろ幕は、母校・明治学院大学落語研究会OB会から贈られたものです。うち(彦六の一門)の紋である光琳蔦(こうりんつた)と明学のMGマークを合わせたデザインです。エンジ色は、スクールカラーです。
ごらんのとおりの手作りの舞台ですが、3回目ともなると(この会場になってという意味です)、もう手馴れたもので見事に作り上げました。立派な高座です。
カネボウ陸上部 東京へ移転
悲しいニュースが飛び込んできました。
陸上競技の「カネボウ陸上部」が、カネボウ防府工場の閉鎖に伴ない、山口県防府市から東京に拠点を移す、というニュースです。
ニュースソースである毎日新聞のウェブ版を一部転載します(本当はイケナイことかもしれませんけどお許しください)
カネボウは経営不振から、防府工場を閉鎖するのに伴い、陸上部の存続も含め検討してきた。その結果、今後も部を運営していくことを決定。企業体力などからカネボウ化粧品を運営母体にすることになった。活動拠点を、山口県防府市の防府工場内から東京都内に移すと発表した。
カネボウ陸上部は1950年創立。オリンピック代表(モスクワ含む)に5人を送り出したほか、全日本実業団駅伝でも4度頂点に立つなど男子長距離界の名門。
「これのどこが悲しいニュースなんだ?」とお思いでしょう。
実に悲しいんです(T_T)
私は、山口県防府市出身です。生まれてから高校卒業までの18年間防府で育ちました。親がカネボウの勤め人だったので、上記のカネボウ防府工場の広大な敷地の中にある小さな社宅で、ずーっと育ったのです(笑)
私が大学3年の時に、両親は転勤で関東に引っ越してきました。それ以来彼らも関東(長く東京)に住んでいます。父親は、とっくの昔にカネボウを退職していますが、私にも子供心に「カネボウ」の愛社精神みたいなモノが刷り込まれているのです。
防府工場にあった「カネボウ陸 上部」は名門です。若い人はご存知ないでしょうが、貞永信義という名ランナーがいました。ローマオリンピックのマラソン日本代表選手です。小学生の頃、貞 永選手が練習する姿を見て「カッコいいな」と思ったものです。引退後監督になり、伊藤国光や鎌田俊明、早田俊幸といった世界的な選手を育てました。その貞 永さんも数年前にお亡くなりになりました。
今の現役では、2002年シカゴマラソンで日本最高記録を樹立した高岡寿成がエースとして君臨しています。西日本では宋兄弟で有名な旭化成、広島の中国電力などと並んで、実業団陸上競技の名門チームなのです。
私は、このことを密かに誇りに思っていました(*^_^*)
今でも、父親が勤めていた鐘紡(当時は漢字表記でした)が好きです。今、カネボウが粉飾決算やらなにやらで(詳しい事はよく知りませんが、)あんな状態になっているのが悲しいです。いや、悲しいというのとも、ちょっと違いますね。
なんて言ったらいいんでしょうか、アイデンティティーというと意味が違うかもしれませんが、そんなような感情があるかもしれません。
その私の故郷の原風景である防府工場が無くなってしまいます。私が住んでいた社宅は、ゴーストタウンのようになっています。壊すのもお金がかかるらしく、そのまま野ざらしになっているのが哀れです。
そして今日、陸上部が東京へ移転というニュースを知ったのです。ふるさとが、どんどん壊れていくような気がします。
防府には毎年、落語の公演で帰ります。その時はホテル住まいです。親も親戚も実家もお寺も、そういう意味では私の故郷にはなーんにもありません。
ただし生まれて育った町であることは、紛れもない事実です。私にとって防府は、唯一無二の故郷です。またひとつ、私の心のふるさとが消えてしまいました。
都道府県対抗駅伝で山口県が強かったのは、カネボウ陸上部のおかげです。東京に移ってしまったら、山口県チームはおそらく下位に低迷してしまうでしょう。
最後まで読んでくださってありがとうございます。今夜は私の愚痴に付き合ってくださって感謝します。
明日、萩で独演会をやります。ちょっとセンチになりながら、一生懸命笑ってもらいます。
陸上競技の「カネボウ陸上部」が、カネボウ防府工場の閉鎖に伴ない、山口県防府市から東京に拠点を移す、というニュースです。
ニュースソースである毎日新聞のウェブ版を一部転載します(本当はイケナイことかもしれませんけどお許しください)
カネボウは経営不振から、防府工場を閉鎖するのに伴い、陸上部の存続も含め検討してきた。その結果、今後も部を運営していくことを決定。企業体力などからカネボウ化粧品を運営母体にすることになった。活動拠点を、山口県防府市の防府工場内から東京都内に移すと発表した。
カネボウ陸上部は1950年創立。オリンピック代表(モスクワ含む)に5人を送り出したほか、全日本実業団駅伝でも4度頂点に立つなど男子長距離界の名門。
「これのどこが悲しいニュースなんだ?」とお思いでしょう。
実に悲しいんです(T_T)
私は、山口県防府市出身です。生まれてから高校卒業までの18年間防府で育ちました。親がカネボウの勤め人だったので、上記のカネボウ防府工場の広大な敷地の中にある小さな社宅で、ずーっと育ったのです(笑)
私が大学3年の時に、両親は転勤で関東に引っ越してきました。それ以来彼らも関東(長く東京)に住んでいます。父親は、とっくの昔にカネボウを退職していますが、私にも子供心に「カネボウ」の愛社精神みたいなモノが刷り込まれているのです。
防府工場にあった「カネボウ陸 上部」は名門です。若い人はご存知ないでしょうが、貞永信義という名ランナーがいました。ローマオリンピックのマラソン日本代表選手です。小学生の頃、貞 永選手が練習する姿を見て「カッコいいな」と思ったものです。引退後監督になり、伊藤国光や鎌田俊明、早田俊幸といった世界的な選手を育てました。その貞 永さんも数年前にお亡くなりになりました。
今の現役では、2002年シカゴマラソンで日本最高記録を樹立した高岡寿成がエースとして君臨しています。西日本では宋兄弟で有名な旭化成、広島の中国電力などと並んで、実業団陸上競技の名門チームなのです。
私は、このことを密かに誇りに思っていました(*^_^*)
今でも、父親が勤めていた鐘紡(当時は漢字表記でした)が好きです。今、カネボウが粉飾決算やらなにやらで(詳しい事はよく知りませんが、)あんな状態になっているのが悲しいです。いや、悲しいというのとも、ちょっと違いますね。
なんて言ったらいいんでしょうか、アイデンティティーというと意味が違うかもしれませんが、そんなような感情があるかもしれません。
その私の故郷の原風景である防府工場が無くなってしまいます。私が住んでいた社宅は、ゴーストタウンのようになっています。壊すのもお金がかかるらしく、そのまま野ざらしになっているのが哀れです。
そして今日、陸上部が東京へ移転というニュースを知ったのです。ふるさとが、どんどん壊れていくような気がします。
防府には毎年、落語の公演で帰ります。その時はホテル住まいです。親も親戚も実家もお寺も、そういう意味では私の故郷にはなーんにもありません。
ただし生まれて育った町であることは、紛れもない事実です。私にとって防府は、唯一無二の故郷です。またひとつ、私の心のふるさとが消えてしまいました。
都道府県対抗駅伝で山口県が強かったのは、カネボウ陸上部のおかげです。東京に移ってしまったら、山口県チームはおそらく下位に低迷してしまうでしょう。
最後まで読んでくださってありがとうございます。今夜は私の愚痴に付き合ってくださって感謝します。
明日、萩で独演会をやります。ちょっとセンチになりながら、一生懸命笑ってもらいます。
大人気琴欧州
新佐渡ヶ嶽親方
1月22日 初場所千秋楽
さん助師匠
写真は、柳家さん助師匠です。落語協会のプロフィールによると1926年生まれですから、今年の誕生日がきたら80歳になる「落語界の重鎮」です。私が入門した昭和50年当時は、ちょんまげを結っていました。「ちょんまげの噺家」で売っていました。フラのある面白い師匠です。
ここのところずーっと寄席(定席)は休んでいらっしゃいました。今年になって珍しく、初席、二之席と続けて寄席に出ています。今席も池袋演芸場に出演です。
私の前の出番です。つまり、さん助〜正朝と、続けて高座に上がるわけです。久しぶりにお会いしたので、思わず楽屋で一枚撮らせていただきました。
いつまでもお元気で、高座を勤めていただきたい師匠です。
しかーーーーし、こんなことを言ってはナンですが(笑)
見たことのない人は、この寄席で見ておいた方がいいですよ。
いえいえ、深い意味はありません(苦笑)
さん助師匠ご本人にも、「写真を撮らせてください」とお願いしたら、すかさず
「今のうちに撮っておこう、ってんだね」と、ズバッと切り返されました。
いやあ、さん助師匠健在です(*^_^*)
1月下席初日
お正月興行もようやく終わりました。今日からは通常の興行に戻ります。1月下席の始まりです。天気予報がズバリと当たって、朝から大雪です。池袋演芸場の前の通りもごらんのとおりの雪景色になりました。
こんな日はお客さんも来ないんじゃないかと心配していましたら、今日はほぼ満席の大入りでした。有り難いことです。
今席の私の出番は、昼の部の「仲入り」です。普通「仲入り」というと、中間の休憩時間のことを言います。寄席とお相撲だけで使われる言葉だそうです。
じゃ、前述の
> 私の出番は、昼の部の「仲入り」です。
という表現はヘンだとお思いになることでしょう。
実は「仲入り」にはもう一つの意味がありまして、休憩(仲入り)の直前の出番のことも「仲入り」と呼ぶのです。非常に紛らわしいです(笑)
最近、この「仲入り直前の出番」を「中とり」などという言い方をする人が増えました。最後の演者・主任(とり)に対して、仲入りで一旦幕が閉まることから「中とり」という言葉ができたのでしょう。
休憩の意味の「仲入り」と、その直前の出演の意味の「仲入り」を明確に区別するために「中とり」という言葉は、便利かも知れません。
しかし、この「中とり」は、本来東京の寄席の世界には無かった言葉です。大阪(上方)の寄席の言葉だそうです。
うちの師匠(五代目柳朝)は、この「中とり」という言葉を、非常に嫌っていました。
生前「最近『中とり』なんて言うヤツがいるけどな、ありゃ上六(ぜえろく・江戸っ子が関西人を揶揄して言う言葉)の使う言葉だ。東京の噺家は『中とり』なんて、絶対に使うんじゃねえぞ」と、ことあるごとによく言っていました。
従いまして私も「中とり」という言葉を聞くたびに、師匠のうんちくをそのままウケウリして、指摘・訂正しています(笑)
このブログをご覧の落語ファンの皆様、ささやかな抵抗ですが、どうか「中とり」という言葉は使わないでください。お願いします。
歌丸師匠
鶴光師匠
1月14日(土)横浜にぎわい座
横浜市野毛にある「にぎわい座」に出演しました。この寄席は横浜市が主催というか、経営というか、運営というか、なにしろ「市がやっている」寄席です。本当なら「お席亭」と呼ばれる責任者のことを、ここでは「館長」というそうです。その館長さんが、ご存知玉置宏さんです。
今夜は「にぎわい座」が、毎月一回開催している「名作落語の夕べ」に出していただきました。写真はそのチラシです。
プログラムは「権兵衛狸」福治、「薮入り」正朝、「紀州」鶴光、「井戸の茶碗」歌丸です。演題はすべて玉置館長のご指定です。それにしても、落語4本で3500円はちょっと高いですね(笑)
緞帳が開いた直後の開口一番と、仲入り後のクイツキに玉置宏館長の「ご案内」という、早い話が解説とウンチクがつきます。
前売り券はかなり早い段階で完売したそうで、今夜も雨降りの悪天候の中、超満員のお客様でした。これがまた、よく笑ってくださる「いいお客さん」でした。なかなか面白い一夜でした。
私は、暮れの29日の「扇遊正朝二人会」で演った「薮入り」をかけました。あの日以来まったくお稽古していなかったので、少し間違えたりしましたが、良いお客様に助けられました。
オマケ
ここだけの秘密にしていただきたいのですが・・・(笑)、オマケに大サービスのワンショットです。写真は、このお店で作っている「マッカリ」です。最近人気が出て来た韓国のどぶろくですが、これはここのお店の人が作っているものです。
あのお、法律とか、警察とか、保健所とか、税務署とか、なんか難しいことは考えないでくださいね。いいんです(^_^)v
一口飲むとヨーグルトか、カルピスのような味です。甘酸っぱくて、口当たりはソフトです。ところが案外アルコール度数は高いんです。調子に乗ってグイグイ飲むと、足にきます。
よく見るとジョッキの中で、今なお発酵し続けています。美味しいどぶろくでした。
こうして平成18年の「初席」も無事に終わりました。明日からは「二之席」です。私は池袋と鈴本の二軒掛け持ちです。さあ、頑張ろう!
1月10日(火)打ち上げの若者たち
1月10日(火)千秋楽の打ち上げ
毎年恒例になっている「打ち上げ」の焼肉屋さんに来ました。毎年々々、金馬師匠がご馳走してくださるんです。有り難いです。特筆すべきは、今日は火曜日で「定休日」だったのですが、わざわざ「金馬師匠の打ち上げ」ということで、お店を開けてくれたんです。いかに毎年お金を使っているかということがお分かりいただけると思います(*^_^*)
もうひとつ注目して欲しいのは、みんなの服装です。本来「初席」の十日間は、着物で歩くのが「楽屋の仕来たり」です。最近は三が日を過ぎたあたりから、早々に洋服にする人も増えてきましたが、あたしは9日までずーっと着物で通しました。
しかし、今日だけは特別です。なにしろ「打ち上げは焼肉」と決まっているんですから(笑)
去年まで、私はサッカーのジャージーで行きました(^^ゞ
そんな中、さん吉師匠だけは着物ですが、これも「汚れてもいい着物」だそうです。あとはほとんどが、ジーンズです。
金馬師匠のお隣はおかみさん。美人の誉れ高い節子夫人です。私の隣は焼肉係りの金八さん。一番手前は小金馬兄さんです。













