
つまり
もう日本には「雲をつかむ」ような話しか残っていない、、、というよりそれしか出来ないということだろう。
したがって
殆ど実現不可能な構造改革とかスタートアップ(企業)の促進をスローガンに掲げ、訳の分からんデジタルとかグリーンと言った「なんとなくわかりやすい」ように見えて実は実態の乏しい目標に日本は向かっていくと政治家は「決意表明」するしかないのである。
だから
いかにも「夢」のありそうな貯蓄から投資へと言ってみたりデフレスパイラルから抜け出すためのインフレの容認とか円安をなんとか押さえたいとか、、、僕に言わせれば全部真実とは「逆」のことを吹聴して「総理は」国民をだまし続けているようにしか見えないのである。
もしそうでなければ
元祖宏池会の池田隼人のような「天才」でない凡庸な「だけの」今の親分・岸田がなんとかその伝統を繋ぐために自分本来の「経済音痴」を必死で胡麻化しているのかもしれない。
というのは
安倍晋三は自分が馬鹿であることを知っていたからヒトから何と言われても開き直って「強引に」(それが良かったとは言えないが)自分の政策を貫いていったのであるが、なんども総裁選に落ちたチョットできるしかし「落第生」である彼は「よさそうな」ことをその場その場でただ行っているようにしか見えないのである。
ということは
根底には落第生としての自信のなさ胡麻化すためか、最後の総裁選当時はかなり左翼的な、最低でもリベラルなインテリを気取っていたが、政権が転がり込むと即もとの凡庸に戻って官僚の言いなりもっといえば財務省の傀儡となってしまったのである。
つまり
それが「安全運転」であると勘違いしたまま自分の「信念の」欠片すらない政権運営を続けているのである。
だって
たしか総裁選の頃には所得の「公正」分配のためにキャピタルゲイン課税とか福島瑞穂まがいのことを言ってたように記憶するが、政権把握後はいきなり安倍のミックス踏襲の方針に舵を切り「あまつさえ」敵基地攻撃能力を飛び越えて反撃能力「核」共有にまで踏み込んでいるではないか。
そもそも
仕草やスタイル雰囲気では二枚目インテリ風を気取っているつもりであろうが、そもそもが元祖馬鹿お坊ちゃまのアベアソウよりは「少し」お勉強ができたかもだが「馬鹿お坊ちゃま」と言う点では彼らと五十歩百歩であって、たんに岸田はその「凡庸さ」だけが突出しているからより「安全な」後継者に選ばれたに過ぎないと思われる。
それゆえ
財務省のいいなりでしかも安倍の子飼い・黒田東彦のお札刷り刷り作戦に同調し、当のアメリカではすでにレームダックに陥っているぼけ老人売電の「なんでも」言う通りとなってしまっており、伝統的な宏池会の「知性」をうしなったただのお公家集団性をだけを受け継いでるとしか思えない。
思うに
僕は岸田には会う機会がなかったが宏池会の「真の知性」が歴代会長に感じられた(特に僕が直接会った宮沢、加藤、古賀らには)ものが彼には映像を通しても感じられない。(かれは知性を無理して演じているようだが)。
むしろ
同じ宏池会なら林芳正のほうが宏池会色が感じられるが、岸田のせめてでの宏池会の親分らしさは元祖池田隼人以来の「酒豪」ぶりであることぐらいだろうが、それも僕は「実際に経験したが」宮沢喜一ほどの「豪快な逸話」を残すほどではないだろうとおもっている。(僕が寡聞にしてしらないだけかも)
しかも
彼が示している「雲をつかむ」ような話で特徴的なのは彼の話にすこしも「具体性」がかんいられないところであり、そこに僕は「無謬性」を重んじる官僚の「入れ知恵」の浅はかさを感じてしまうのだ。
ほんらい
政治家は百年先の理念を掲げながらも現実の「具体性」と「実現性」がなければならず、しかもそれを「実行して」はじめて評価されるのであるから、そろそろ岸田もただ四方に気配りするだけでなく具体的な「成果を」示して欲しいものである。
それに
いまは大きく歴史が変わろうとしている。
だから
怠惰な夢をむさぼっていれば何とかなる時代ではないのだ。
つまり
雲をつかむような話ばかりではド〜しようもないはずである。
ゆえに
訳も分からすただ痴呆売電の言いなりでなく、自分の考えもキチンと伝えるべきである。
たとえば
「大統領閣下の言われる新たな経済連携「インド太平洋経済枠組み(IPEF)にどんな意味があるのですか?私は無駄だと思いますが、、、」。
、、、とかね。