岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

写真を2016年版に変更

浅学菲才を自慢するな(自戒)

003
核廃絶への理念には誰もが異論をはさまないであろうが、では現実に核をなくすことが「可能」かといえば?を呈する者の方が多い。

とりわけ

真の原因は僕にも検証できないから分からないが、具体的な「現象」として潜水艦からのミサイルの飛行距離に「北」が成功したということであれば事実上「パック3」は無力化し追尾などほぼ100%不可能であろうから日本の原発は射程距離内ということになる。

しかし

これがBAD NEWSと言うばかりではなく金正恩以外でも、困った顔の「外面」とは裏腹に「内心」ほくそ笑んでいる日本の政治家も「居る」という。

いうまでもなく

国内世論を納得させるためには百の空論より「北」のミサイル一発のほうがはるかに「有効」であるからと言うばかりではなく、中には「このこと」自体が某国や某複合体の陰謀であると言う説まであるのだ。

だか

もちろん、「かくのこどき」エビデンスのない「推論」でも、完全には否定できないものの「自分としは」絶対にこれらの言説に組することなどできそうもない。

ただ

このような「現実」が核抑止力の必要性をより強調できるための格好の宣伝材料となっていることは認めざるをえず、したがって米軍駐留も自国の軍事力拡大も是認され、ひいては日本の核保有まで言い出す者まで容認してしまう事態とまでなっていることは「事実」として認めざるを得ない。

そのことを思えば

あながち「北」のミサイルで多大な「利得」を得ているのは誰であるかを「推理」することが馬鹿馬鹿しい「だけ」とは言えなくなってくるのだ。

なぜなら

「その成果」が「他者」を利することはあっても、必ずしも北朝鮮の人民はおろか金正恩の利益にすらなっていないと「思われる」からである。

ところが

そのような「不安定?」な極東情勢に中にあっても、オバマ大統領は「核の先制使用禁止(NO FIRST USE)」の方針を打ち出している。

さらに

これがアメリカ国内や日本国などの反対を招きながらも、「常任理事国・五か国」では「おそらく」最終的には全員賛成で可決されるだろうと「さえ」みなされているのだ。

なぜなら

利害関係の「さや当ては」お互いに永久に続くにしても、「核」の先制攻撃がどのような結果をもたらすかを大量の核兵器を有している「五大国」はお互い十分認識しているからである。

にもかかわらず

狭量なる利益しか考えていない「某国」の某複合体や強欲資本主義者及び某女性の大統領有力候補と伝統的な対米従属の「日本」の某重要閣僚たちは「核の先制使用禁止」の「プロトコル」にすら猛反対しているのである。


まさに

彼らは「木を見て森を見ず」ただひたすら己の短期的欲望を満たすことしか考えていない視野狭窄者たちであろう。

また

これらは己の実力があまりにも不安なため「キャンキャン」吠えまくる小犬の類のすることであり、皆そうではないにしてもけっして「成熟した大国」のすることではない。

それに

真の「横綱」は堂々たる「横綱相撲」を取るものであり理想的には「後の先」ということであろう。

もちろん

いくら僕がIT不倶者と言えどもこんなデジタルな時代に相手の「核」に対して一瞬遅れて立つのが致命傷になることだって「覚悟」しなければならないことぐらい「想像」はできる。

ただ

それよりも重要なことは、「焦って先制攻撃はしない」という「覚悟」とそれを支える「度胸」の問題であると僕などは考えてしまうのだ。

つまり

肉を切らして骨を斬るという「覚悟」や強固な「信念」を持ち続け、それを内外に表明することこそが最大の「抑止」なのである。


ちなみに

deterという動詞を単に名詞化したdeterrentには「遅らせる」とか「引き留める」とかの本来の動詞の意味に「策」とか「事」とかの意味が加わるだけであって「僕」は長いこと「力」が含まれていないものと理解していた。

もし

どうしても日本語の抑止「力」と言いたければdeterrentにpowerとかforceを加えるべきだと考えるが、原文のプロトコルにはそれが見当たらなかった。(老眼進んだせい「かも」)

だれか

そのわけを英語不倶者でもあるこの耄碌爺に教えてはくれまいか。

畏れ多くも、、皇室論の行方や如何に?

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ただの和歌山のオッチャンが思わず口を滑らした。、、、ように見える絶妙の演技であった。

さすがに

昔はいくらでもいた「政界」の寝業師も今や彼ぐらいしかいなくなったのだから観測気球の上げ方は少し古いが「なかなか」やるもんだなとおもった。

でも

すくなくとも「公党」のしかも政権与党の「幹事長」がふと?漏らした「事」はじつは非常に重いのだ。

そもそも

「ずっと」ひそかにくすぶっていた「女帝」論が再燃するきっかけとなったのはもちろん今上天皇の最期の抵抗「生前退位」のご発言であるが、これこそ大逆者でありかつ謀反人である安倍晋三に刺さった蕪矢であるともいえるものだった。(のではないか)

つまり

阿部晋三らが企んでいた憲法改正へのもくろみは日本国憲法そのものである(象徴)現平成天皇の存在「こそが」邪魔であったのだから、安倍らに次善の根回し等したら陛下が直接国民に語りかけられる「玉音放送」が潰されるのは明かだった。

したがって

平成の「玉音放送」は突然発せられることになったのだ。

それゆえ

生前退位のご意向が公表されることは、国民のみならず政府にとっても寝耳に水であったと言うものが多い。

というのは

安倍らの息のかかっていない「陛下の側近」たちと陛下ご自身がこの決断をなされたと漏れ聞いているからである。

なぜなら

阿部とそのお仲間たちはすでに今年はじめから、とりわけ夏の初めごろから具体的に杉田和博官房副長官をはじめ、厚生労働省や警察庁など旧内務省系官庁出身者を中心とした極秘チームをを結成していたのであった。

そこには

陛下の退位の手続きから、憲法が定める象徴天皇制との整合性などについて詳細に安倍子飼いの宦官たちによってまとめられ、すべて“極秘裏”に進行していたのである。

にもかかわらず

陛下の強いご意向が小役人どもの画策をはるかに上回り、「玉音放送」が行われる「らしい」との情報が突然駆けまわることになった、、、という。

そのため

「生前退位」の意向を直接国民が知ることになったり、国民的議論に発展させたりは絶対したくなかった安倍政権内部の一部の者たちはこうした「陛下」に動きに対して、「一説」によると地団駄踏んで悔しがっていたようだ。

そのことは

陛下ご自身と「ごく限られた側近」の「具体的な」言動によっても明らかになっている。

ごぞんじのように

陛下はたんに高齢で天皇としての務めが十分に果たせなくなる懸念を表明されたというだけでなく、各地に出かけ国民の傍に寄り添うことこそが象徴天皇の役割であり、単純に公務を縮小するのは「無理があろう」と明言されたのである。

そして

なお「摂政」をおくという措置に対しても違和感を表明され、昭和天皇の崩御のときに起きた自粛が再現されることへの懸念をも示されたのであった。

なぜなら

これらの経過の言動は明らかに安倍政権の周辺から出てきている「生前退位反対論」を牽制するご意向があったからである。

これにたいして

安倍政権の思想的支柱である「日本会議」などの保守勢力からはなんと「異論」が湧き上がっている。日本会議副会長小堀桂一郎などは「生前退位は国体の破壊に繋がる」とまで言っている。なんと畏れ多いことであろうか?彼の神経を疑う。

「例の」百地章に至っては

「明治の皇室典範をつくるときにこれまでの皇室のことを詳しく調べ、生前退位のメリット、デメリットを熟考したうえで最終的に生前譲位の否定となった。その判断は重い。
生前譲位を否定した代わりに「摂政」の制度をより重要なものに位置づけた。そうした明治以降の伝統を尊重すれば譲位ではなくて「摂政」をおくことが、今考えられる一番いい方法」、、、、とまで言い放っているのだ。

これで

「右翼」を標榜しているのだから呆れるばかり、彼らの意見こそ本来の意味で天皇を崇める思想と「真逆」な考え方言わざるを得ない。

それに

「摂政」を置いて皇室を意のままに操ろうと企む彼らは、、、明らかに、、、

陛下のご意向に逆らっているのである!

とまれ

あの慎重な男(二階)が皇室典範の根源的な改正にまで言及したということは今後何が起きるのであろうか。

僕は

なんか「動乱」の予感がする。

「勝手な片思い」そして失恋

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別に僕はオリンピックそのものに反対する理由もなくクーベルタン男爵の理念には基本的に賛同している。

ところが

21世紀になってから開催されたアテネ、北京、倫敦、そしてリオ?における「その後」都市の経済的頽廃は今更言うまでもあるまい。

それに

日本の南端・薩摩にいる僕からすれば江戸・東京が何があろうと、またどうなっても直接関係はないから案じても無駄なことだし、せいぜい桜島の大噴火や川内原発の苛酷事故の心配でもしているしかない。

しかしながら

「その後」に当然くるだろう蓋然性の高いのハイパーインフレや財政破たんそして預金封鎖などの地獄は全国津々浦々に広がるであろうからそれを覚悟の上での東京2020五輪なら「集団自殺」としてそれなりに潔いことと考えられなくもない。

そのための

シュールな裏返し要素としての椎名林檎であれば、いかにも彼女らしい。、、と思いたかった。

ただ、しかし

実は僕や筑紫哲也や久米宏のオジサン達はこの「変な?小娘」の使う怪しげでシュールな「日本語使い」(魔法使いというような)にコロッと騙されていただけなのかもしれないのだ。

というより

騙されたがっていたのかも知れないと「今にして」考えたりする。

何となれば

彼女は単に怪しげな日本語(たとえば「茜さす帰路照らされど」とか「加爾基 精液 栗ノ花」など)を操る「だけ」の「フツーの女の子(今はフツーのオバサン?)だったのかもしれないのだ。

どうも

オジサン達は若い娘(当時)過大な期待をかけてしまう傾向にあるから妙に余計な意味を付加してしまったとも思われる。

というのは

世界一恥ずかしい土管パフォーマンスの総理大臣と一緒に国威発揚の日の丸をクローズアップした演出の中に明らかに椎名林檎の「望遠鏡の外の景色」の音楽が流れていたからである。

もとより

椎名が提供したこの曲は野田秀樹の舞台「エッグ」のためであった。

そして

野田の舞台・架空の競技「エッグ」は五輪を目指す選手たちや女性シンガーの姿を通しながら、スポーツ、音楽への大衆の熱狂と戦争への大衆の熱狂との共通性を浮き彫りにして、結局、戦争の愚かさを浮き上がらせようとしたものであった筈だ。

ところが

この五輪に批評的な野田作品で使われた椎名の曲を、リオ五輪の閉会式において反対の意味で流したことは驚きであった。

それでも

まだオジサンたちの中ではこれは椎名のアイロニカルなメッセージなんだと取る者もいる。

しかし

僕はもう「意識的に」彼女に騙されたいとは思わない。彼女はただの日本人の「普通の」オバサンでしかなかったんだと思う。最初から騙すつもりもなかったんだろう。

べつに

「だから」椎名林檎の価値が下がるとも思っていない。それならそれでいいし、日本人の大半がそうであるように「何の疑念もなく」せいぜい「お・も・て・な・し」の一環を担ってくれればいいと思う。

どうぞ

お好きなように、、、。

すなおに

「そう」考える。

ただ

僕は「そう」考えたくないと言うだけである。
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