岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

写真を2016年版に変更

ふたたび、文科省の構想に異議あり!

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僕のような典型的な昭和爺にとってすでに平成の世に自分の存在などなくてもよかったのかもしれない。

それゆえ

死にぞこなったからこそ、稚い今の「政府」のやろうとしていることすべてに違和感を覚えるであろう。

とりわけ

旧文部省が文科省となって以来、あらゆることが気に喰わないので「ほんとに原辰徳」というシーラカンス化した昭和ギャグをも「つい」お見舞いしたくもなるのである。

たとえば

中高一貫してすべての授業を英語で行うと言うのも腹が立ったけれど、さらに頭が怒りで爆発しそうなのは、小学校からコンピューターのプログラミングを「必須」にしたいということである。

馬鹿じゃなかろか!

そして

文科省の役人だけでなく政治家のノータリンどもは二言目には「海外でもそうしているから」と言い出す始末、まことに度し難いバカ共である。

それでは

プログラミングを子供の教育に取り入れた「海外」では具体的に何が起きているのか、果たして文科省の木端役人どもはその深層をよ〜く識っているとでもいうのだとうか。

ちなみに

「海外で」もっともプログラミング教育の「進んだ」国の一つにあげられるのがイスラエルではないかと「僕は」思っている。

たしかに

イスラエルでは「コンピューター教育は使い方よりも、原理やプログラミングを教えるべきだ」という考え方の基に、実際には「コンピューターサイエンス教師センター」が創立され、カリキュラムや教材を「十分」あらかじめそろえて、いまではそれを必修科目としているのである。

それゆえ

現地のプログラミング教育では最短でも3年間で90時間(毎週1時間を3年間)を必修としているし、より高度なコースでは270時間、450時間実施している。

そのけっか

イスラエルのコンピューター分野での世界進出は目覚ましいのは周知の事実(特にアメリカ)であり、「したがって」その「見えない」軍事力もますます強大になっているのも「知っている人」は知っている。

このため

セキュリティー・軍事分野は言うに及ばず、CGやネットビジネスなど「他分野?」でのイスラエルの活躍は特筆すべきものであろう。

さらに

イスラエル国防軍の情報技術のレベルは「異常に」高く、約3年の徴兵期間中に得た能力はものすごいものがあり、これで国家が若者に求める全員兵器化に半ば成功しているようにも思われる。

だから

パレスティナ人の殺戮なんぞお茶の子さいさいと言うわけなのだろう。

また

イスラエルでのソフトウエアのプログラミングなどのレベルは高く、暗号をはじめとする電子機器の高度化と直接つなげており、ここでは国民皆モサド化に成功しているように見えなくもない。

そして

国防軍はさらに、高校卒業時にレベルの高い学生を抽出して、大学在学時の費用を軍が持ち、卒業後5年程度勤務させ、軍にとって全く新しい知識開発に挑戦させるというシステムまで設けているのだ。

もとより

IT技術が「軍事目的」で生まれたがゆえに目覚ましい発展を遂げたことからすればこのようなことは至極当然のことと思われる。

このような

国家になりたいと思うか思わないかはヒトの勝手だが、少なくとも安倍晋三が目指す「このような」ところと「僕は」全く正反対であることだけはハッキリしておきたい。

また

「たとえ」これらのプログラミング重視政策が結果的に軍事以外の産業を飛躍的に発展させたとしても、「だから」???人類がより幸福になったかといえば、、、、「僕は」否というしかない。

もちろん

駆けっこの代わりにスマホをいじっている子供たちの景色を僕(昭和爺)が生理的に好まないからではない。

だからといってなお

僕がコボルとかベーシックだとかいう昔のプログラミングへの「嫌悪感」を引きずっているからでもない。

しかし

どうしてもコンピューターを稼働させるには最も効率よい軍事的なコマンドを発するしか「機械」は動かないという「原理」には変わりないのであるから、そんな訓練を子供の時からやらせると言うのはいかがなものかと思うのである。

ひょっとして

日本人の99%をスターウォーズに出てくるStorm Trooperにしていまおうとでも言うのであろうか。

それはともかく

第一、英語にしてもプログラミングにしてもそれらを「教えられる」教師などいないではないか、、、、というよりそんなハンチクなやろうなんてこの国には土台、、、、、

「いらねーんだよっ!」

なんといわれても僕は小保方さんの味方です

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あらかじめ断っておくが僕が不動の彼女のファンであるのは何も美貌に惑われているのではないと言うとだけはハッキリしておきたい。

そのうえで

新しいとんでもない発想や腐りかけた既成概念を大胆に覆そうという「天才的な」試みは「愚鈍」や「嫉妬」によって潰されるというのは歴史が証明していることをこの事件は物語っていると声を大にしていいたいのである。

にもかかわらず

同じような歴史がなんども繰り返され、後になって「あれは凄い発想だったのだ」と大衆が気が付くまでに少なからず社会はその超天才を抹殺せんと必死になるのである。

そのさまの

なんと醜いことか、、、しかしその悲惨な犠牲の積み重ねによって少しずつ人類が進歩?してきたのもまた事実であろう。

つまり

腐りかけた「常識=慣習」の許容範囲での発明発見であれば賞賛するけれど、あらかじめ出来上がっている既得権を脅かすような「とんでもない」発想は「常に」異端審問の犠牲になってしまうのである。

すなはち

地動説しかり万有引力しかり時空が歪む?しかり「当時」の人間の固定概念を根底から覆すような発想は「ムラ社会」の敵として徹底的にたたかれ「いじめ」抜かれるものと相場が決まっている。

そして

21世紀の日本では大衆の憂さ晴らしのための魔女裁判がマスコミ(特に走狗NHK)によって挙行されたのである。

もとより

文系の僕が「化学?」に口をはさむのは差し出がましいが、もし万万が一彼女が騙そうと思って企んだ芝居であるとするならばおそらくアカデミーの主演女優賞なと目ではないだろうが、「僕は」彼女の今時珍しい聡明で純情で真摯なオマージュをいまでも「信仰」している。

がゆえに

こずるさのない、ある意味、不器用でドジであった、、、、だからこそ彼女が「本物」であると思えるのである。

ところが

彼女の挑んだ研究の内容も分からない癖に一知半解な「科学?」的常識(怠惰なる既成概念)を振りかざし、皆でかさにかかって苛め抜き、ただ一人彼女を助けようとした白馬の騎士(笹井)をも抹殺したのである。

つまり

女性だけでなく男性も「嫉妬」の塊となって凶悪化し、不器用でついうっかり失敗してしまった彼女のあげ足取りに終始してついには「盗み」の汚名まで着せようとしたのである。

いったい

だれがどう見て彼女が「どろぼ〜さん(サザエさんに出てくる)」見えると言うのであろうかタラちゃんだって分かろうというものだ。

しかるに

すでにアメリカやドイツで彼女の発見を基に研究や特許まで申請されているのであるがガラパゴス日本ではいまだに「あの話」はなかったことにして自分たちのせこい守備範囲を死守し続けているのである。

ちなみに

僕が文系だから論文の主旨すら理解していないでただ言い放っている思われるのは癪だから「文系なりに」STP現象なるものを一言でいえば、、、、

「一度離れた細胞に刺激を与えて初期化させる」

、、、ということであろう。

これって

地動説にも劣らない物凄い発想であり、しかもそれが彼女自身の手で一度は?実現したというのである。

だって

僕のおんぼろパソコンじゃあるまいし、「生きた」生物の細胞を元に戻せる、、、つまりもう一度やりようによっては「初期化」できると言うのである。このような「覆水盆に返らず」を返せるという「びっくりぽん」な発想を

なんで

それが「ありえない」と既得権者たちは言い続けるのか?なんで耄碌爺や婆たちはこのうら若きおぼこ娘の些細な誤り「だけ」を必死でたたき続けなければならなのであろうか。

ゆえに

僕は「科学者?」を名乗る爺婆たちにトーマス・エジソンのこんな言葉を送りたい。

I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.

はたして

この醜い爺婆たちは美しい小保方さんに10000回実験させるチャンスをあたえたのであろうか?

今週末の永田町風景異聞

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今の日本で大衆の期待を鮮やかに裏切る双璧といえば、角界の稀勢の里と政界の民進党(旧民主党)が挙げられる。

しかし

稀勢の里の場合は単に弱いと言うだけの理由だから致し方ないが、民進党の場合はせっかくまとまりそうな野党勢力のガラス細工を次から次へと壊すことに血道を上げており、もはや仕方がないというより自民ナンミョウ政権の「二軍」の地位を確保するためのれっきとした裏切り行為であるのだから仕方がない等とはいってられない。

それゆえ

「反安倍」の市民レベルの集団や共産党、小林節新党などの弱小連合が自然にできつつあるのを何とか分断するためには二つの方法しかなかったと考えられ、その一つが自民が放った「草」の代表フランケンが消費増税延期の誘い水をかけることであり、もう一つは言うまでもなくすでに一部自民党議員間では既定路線となって「いた」衆参ダブル選挙を実行することに「あった」のだ。

しかるに

何故「」内を過去形したかといえば、以前から自民・民進間で打ち合わせていた「らしい」互いの領地安堵の約束を覆しかねない「想定外」の事態が起きたので彼らのもくろみが極めて流動的になってきたからである。

とはいうものの

健忘症で一過性の国民大衆がいつまで元米海兵隊員の強姦・殺人事件への怒りを保ち続けるかということもあり、これが約二か月先の「同日選」にどこまで影響するのか諮りかねており、いまだに衆参W選挙への「未練」は永田町にはくすぶっているようだ。

しかし

伊勢志摩サミットとオバマの広島訪問+α(消費増税延期)による以前予定していた必勝パターンがこの事件のために予定通りの効果を挙げられるのかという疑問を持つ「自民幹部」の意見も顕われてきたのである。

そのためか

「つい」(暴行)事件の「タイミングが悪い」とかの「談話」が流れてしまい、一気にW選論がしぼんでしまった感がこの週末顕著になっている。

では、もし

単独で参院選だけとなると、どうしても野党共闘の機運を分断させなければならず、いよいよフランケンをはじめとする自民の「草」の活躍に期待するしかなくなってくる。

そして

その期待に応えるべく、とりあえず「共産党」との引き離しへの「奮闘努力」が民進幹部でさらに熱を帯びてきたのである。(寅さんじゃあるまいし)

ただ

そんな民進党ではあるが「幸いなことに?」常に強いモノの味方で風を読むことでは人後に落ちない執行部の中には「いつまでも自民の”影”だけだと泥船に乗って沈みかねない」と危惧するものを「わずかに」いると聞く。

それも

その筈、もとはといえば「保守系」と「革新系」の寄せ集め集団でしかないのだから、まとまれと言ってもまとまるはずもなく、かといってこれ以上分裂すると「党」に対する「政党助成金」の分け前もとりっぱぐれる恐れから「なんとなく」行動を共にしている「だけ」というのが実情だ。

つまり

和戦両様の構えと言いうことになるのだが、これがもともと呉越同舟なのだから必ずしもうまくいっているとは言えずかえって「再分裂」の波乱を呼び起す結果ともなっている。

まあ

政治的理念より己の生き残り(領地安堵)しか考えないある程度の「地盤」を持つものはそれでもいいだろうが、丁度6年前旧民主の「風」に乗ってきただけのいわゆる「雨後の竹の子議員」は早くも路頭に迷ってしまうという不安ににさらされているようだ。

とまれ

いづれにしても選挙は目前であるがまったく用意していない衆院抜き打ち解散の恐れは一時遠のいたとはいえ、参院選単独であっても野党は一枚岩とはいえず、我々の乗っている安倍内閣の「暴走特急」は当分続くものと思われる。

だって

経済だけは意識しなくてもブレーキが罹りっぱなしだけれど、安全保障・国防に関しての「暴走」は、オキナワでの事件が起きたにもかかわらず。、「現実は」ますます加速していると思われるからである。
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