岩下俊三のブログ

IT音痴、人生の負け組が叫ぶ、もう一度の「反帝反スタ」日乗

友よ

東京に戻ってきた。戻ってはきたが、実は長い旅立ちの準備のために一瞬もどってきたに過ぎない。

ブログは閉鎖しないが、もはや一年以上書くこともないだろうと思う。

東京も離れるし、今月いっぱいでプロバイダー契約も解除する。、、、つまり、ネットともおさらばするということだ。マスメディアに絶望し、ネットに期待したが儚い夢であった。しかし儚くても僕を「生きさせて」くれた。

しかも、ネットを通して「愛」も識ることができた。だからネットに感謝している。ネットという媒体に絶望してけれどもネットで繋いだ「愛」には深く感謝している。

昨年11月には数千のアクセスもあったが、ほぼ二ヶ月、全く更新しないブログに当然だれも訪れないと思っていたが、それでも一日数百のアクセスがあったし、いまもそれが続いている。これには驚いた。ネットには媒体としての「政治力」はなかったけれど「愛の力」だけは強くあったのだと、、正直驚いている。

そして、

友よ、、、、、貴方の、貴女の、友情に感謝します。本当に嬉しくおもいます。中断宣言にもかかわらず、多くのコメントやメッセージ、拍手をいただきました。今はなんのお返しもできません。しかし感涙だけはしています。「にんげん」であってほんとうによかった。いきていてほんとうによかったと。

しかし、

ブログどころかネットそのものへの絶望は変わりません。だからすべて止めます。でも「にんげん」は止めません。

でも、やはり「愛」しか僕の生きるよすがはないようです。世界が変わるのを待つのではなく、僕自身が変化してみたいと思います。そして、そしていつか、世の中と僕自身がシンクロしたとき、また現れたいと思います。

それでは、それまでHasta la vista !


すべての読者の方々、三人の渡辺さん,kappaさん、さやこさん、ちえこさん、ひみこさん、leeさん、netajiさん、Vuvantomさん、山椒魚さん、そしてノラさん、、、、、、いつかお会いしましょう。それまでおすこやかに、、、、

岩下俊三ブログを一旦中断します

やはり一時中止します。しかし閉鎖ではありません。いろいろ考え個人的な事情もあり旅立ちます。ブログ記事を辞めますし、ブログそのものの意味も再考します。もし再開しても年明けになるでしょう。故に鬼が笑っているはずです。


では、皆様よいお年を。

♪遠き別れに たえかねてこの高殿に 登るかな悲しむなかれ 我が友よ旅の衣を ととのえよ〜

どうせ死ぬ身のひと踊りより、住宅ローンが大事?

憂慮を籠めて自分が感じた事実を述べてきた。しかしその義務感が独りよがりであり、大衆はそれを望んでいないかも知れないという疑念が大きく膨らんできて、無駄は惜しまないが誤解されることを恐れる。これは「恨み節」でも「自慰」でもない。社会に必要だと思ったからであり、必要でないことが分かれば中止するだけのことである。

それを前提に、、、

マスコミ内部の実感を更に書く。しかし僕は貧乏ではあるがキヨタケのような「下衆」ではない!
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福島第一原子力発電所の爆発は、たまたま讀賣デレビ系の福島中央テレビとかNHKのカメラがちゃんと捕らえている。また現状の認識も「なされている」ようだ。

それが日が立つごとにごとに次第に「たいしたことはない」とされていったのである。政府と東電は事故を起こした「当事者」であるから事実を糊塗することに専念したのは当然である。しかしなぜマスコミがそれに歩調をあわせたか、歩調をあわせるということは認識している事実や現場を押さえた証拠映像と矛盾してくるから映像を「取り扱い注意」または「取り扱い禁止」にしたのである。

その理由として、ネットで流行っている「陰謀」だとか「影の総理」だとかCIA、イルミナティ、など百花繚乱が取りざたされるけれど、僕は検証できない想像の駄文より文学的な詩歌のほうがすきだから、それらの話にはなんの興味もない。僕が興味あるのは事実だけである。

現場での事実関係を過去の大事件を振り返って言えば、単に管理者(プロデューサーとか重役)に「やめたほうが
いいんじゃない」とか「マズイかも知らんぞ」とかブツブツしたささやきがあるだけである。それをあえてやったの奴はいつの間にか業界から消えており、「はい」と答えた従順な奴はまあまあ、クレームギリギリの奴(これを花電車ショーという)は有能だとされているようだ。また報道資料VTRを検索すれば関連事項は沢山出てくるが、大事件ほど時間がたてば経つほど「取り扱い注意」や「使用する場合はセンター長の許可をえること」と書かれることになる。ロッキードがそう、グリ森がそう、JAL御巣鷹山、オウムサリン、9・11、そして原発、、、、などなど。

つまり葉巻を加えて拳銃を構えて命令を出している「影の総理」は具体的に何処にもいないのだ。それはB級ドラマにしかいない。

問題は気を配る官僚がいて、それに納得する政治家がいて、なんとなく「空気」をよんだマスコミ各社と電通のサラリーマン重役がそれを「斟酌」して、現場の局長に伝え、番組のプロデューサーが珈琲を飲みながら「あれはやばいいんじゃない」と笑ってディレクターに話し、「それより飯で喰いますか」とディレクターが答える。、、というプロセスでしかないのだ。

だから何も証拠は残らないけれど、心理的な動きとして内心「こうすれば儲かる」とか「こうしなければ自分の立場が守れない」とか「こうしないほうが、自分の出世に響かない」とかすべては個人の「思惑」で動いているのである。

これはマスコミに限らず、問題は「正誤」ではなくて、○×でしかない。そのマルバツも四択も模範解答がブツとしてあるわけではなく「おそらく自分のウエがこう思うだろう」と言うことでしかない。

「ああここは建前をいっていればいいんだな」とか「奴の本音はあの言外にあるのだな」と余計なことを考えることを
「仕事」だと大半が思っているのである。
 
つまり事実を疎外するシステムが構築されているのではなく、日本全体が卑屈卑劣列島化しているのである。それが強固で鉄壁であるといっているのだ。

なんどもいう。

漱石が言った様に「やろうと思わなければ横に寝た箸を縦にすることも」できないのだ。つまり目先の自己保身に
追われているが、はたして保身するほどの自己や既得権があるのか疑問である。ただ臆病で卑屈であるだけだろう。

確かにナベツネや大勲位は悪党である。でもそれに間接的に従って短期的に「自己保身」に勤めている国民99%が建前として批判し実態とあんなぼけ老人を支えているのである。もちろんキヨタケなどという馬鹿は論外であるが。

たから決起しないと決めた方々にいくらブログで吼えても、所詮、自慰行為か恨み節にしかならないのなら、考え直した方がいい「とも」考える。

短期的既得権保持や自己保身しても、どうせ長くはないのに。どうせ長くないひとはいいだろうけれど、このまま99%の国民で幸せなのかもう一度問いたい。

ひょっとして不幸なのは僕だけだったりして、、、、。とんだお笑いの一席お後がよろしいようで。
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