岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

写真を2017年版に変更

かくも長きインターバルの訳?

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両国の首脳や外務大臣がいくらギクシャクしながら儀礼的な握手をしても日韓関係の険悪化は防ぎようもないが、彼女たちのツーショットが両国のみならず世界中に発信したインパクトの大きさはオリンピックというものまたスポーツの持っている真のパワーの偉大さを感じさせるものであった。

もちろん

僕自身がテレビで働いていたにも関わらすテレビが大嫌いであっても、また付和雷同をなるべく避けてきたのが僕の人生観であったとしても、やはり羽生君や小平君の眼力すなはち強い意志には感動を禁じ得ないのである。

ゆえに

当ブログもオリンピック開催中は滞りがちであるばかりか、国会で白熱している?証人喚問や総理の答弁修正等の問題もかすんでしまい、おまけに僕の頭の中までテレビの見過ぎてかすんでぼんやりしてしまっている始末。

にもかかわらず

日夜あと一歩及ばない日本勢にもやもやしていた「日本人」の心を一気に晴らしてしまった羽生や小平の”快挙”は「政治」や「経済」の枠を超えて、、、、というより古色蒼然たるイデオロギーや右左といった小賢しい「思想」をも「一気」に吹き飛ばすある種の「爽快さ」をもたらしてくれたような気がするのだ。

よしんば

馬鹿馬鹿しいとかオリンピックが国家主義的とか、云々、、もっともらしい批判があろうとも、ニヒリズムに陥った「賢者?」の冷めた目線が突き刺さろうとも、世界一のアスリートに与えられるオリンピックの金メダルは「やはり」圧倒的な価値があると思われる。

なぜなら

では、なんだこうだと批判している「お前が」実際に獲ってみろ!と言われてもなかなかというより「絶対に」”金”を獲ることはことは不可能であろうと思われるからである。

ゆえに

「あのブドウは酸っぱいから採らない」という”イソップの童話”にある狐の負け惜しみなぞでは何も生まないのである。

だから

一言居士や皮肉屋からいくらバカにされようとも、またどちらかと言えば左翼系の多くの友人に軽蔑されようとも僕は日本人の金メダルを「素直に」喜びたいし、羽生くんや小平くんの孤高の決然とした姿に深い敬意を表したい。

それに

散々馬鹿にされながらも僕は海外にいる機会が多かったせいか、多くのキャリアの中でもJALが一番好きだし海外で日の丸を見ると感動し、左翼の運動家であったけれども我が国の天皇陛下を心より崇拝している。

したがって

日頃の反体制,反政府的な言動と矛盾するかもしれないっけれど、僕はあくまで日本と日本人が大好きでありかつ愛しておりゆえに最後まで日本人を全うし続けたいと考えている。

それゆえ

いくら「現政権」が劣悪であろうとも、日本国と日本人の栄誉を信じてやまないのであるから、このたびの羽生 結弦と小平奈緒の素晴らしさには賞賛しすぎることなど絶対ないのである。

まだまだ

眠れない夜が続くのであるがこれをとりあえず当ブログのサボリ癖のいい訳としたい?????

ピョンチャンオリンピックの影で

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四年前のただの田舎の少女は只泣いていただけだったけれど、それ以来日本人にとって高梨沙羅は自分の孫とか娘といういわば肉親のような存在となりもはや順番なんかどうでもよく、「頑張った」だけで、怪我しなかっただけでも、皆ホッとしてしまう存在になったようである。

さらには

勝とうが負けようが自分の肉親の(ような気持で)沙羅ちゃんのけなげで一途な姿を見て訳もなく涙腺が緩んだ人も多かったろうと思われる。

このような

もはや肉親の子の成長を見守るような視線は浅田真央や福原愛と同じく、小さなころから知っている(つもり)であり、もう他人ごとではないのであろう。

そのような

オリンピックの(マスコミの?)熱狂とは別に北朝鮮の思惑が今回は色濃く、南北緩和ムードが巧みに演出される一方で、韓国国内でもアメリカ国内でも「今こそ北の政権一網打尽」の攻撃チャンスと構えているものも少なからずいるのも事実であろう。

おりしも

いままで一部でしか知られていなかった中朝関係の血なまぐさい関係の原点が今、ようやく明らかになった。

おもえば

あの不可思議で不気味な、弟:金正恩の兄:金正男殺害から早くも丸一年たったいまになってである。

しかし

叔父:張成沢処刑を含めた残酷な骨肉の争いの原因?がなぜ今になって、このタイミングで明らかになったのだろうか。

と、そのまえに

明らかになったことの概要を若干説明すると、つまりこうである。

始まりは

金正恩が権力の座に着いた頃にまでさかのぼるしかないが、別にこのトッピクが明るみに出なくても、もはや「中朝関係の修復はほぼ不可能だ」と言い放つ「むき」もある。(「むき」って誰なんじゃい!)

というのは

あのかっての北朝鮮一の実力者、張成沢が2013年末に処刑された原因は、中国共産党の周永康・前政治局常務委員による北朝鮮への“密告”だったというニュースが「新たに」駆け巡ったからである。(いまさら)

それによれば

2012年8月17日、訪中した張は、中国の当時の胡錦濤国家主席と密談した際、北朝鮮の最高指導者、金正恩を正日の後継から降ろし正恩の兄の金正男を擁立する可能性などについて約1時間話したというのである。

さらには

この張、胡 、二人の「密談?」の内容を知った当時の中国最高指導部メンバーの周永康という男が一部始終を北朝鮮側に密告したため正恩が激怒し、張は処刑され北朝鮮の親中派も直ちに一掃されたというのである。

したがって

その後の中朝関係の悪化はもとより、叔父や兄の殺害も過激な権力闘争の結果であるといえばなんとなく頷けなくもない。

ちなみに

それをちくった周永康は14年夏、中国国内の反腐敗一掃キャンペーンの中で失脚し、その後彼が北朝鮮への亡命を企てるも失敗に終わったようである。

とまれ

オリンピックというタイミングと南北融和ムードの最中に改めてこのニュースを流した背景にはアメリカの中に居る「好戦派」の仕業という向きも、いや実は習近平側近の思惑だとか諸説乱れ飛んでいるようだ。

いずれにしても

権力闘争が古今東西を問わず骨肉の争いになるのはあえて歴史を訊ねずともいまだに続いているのであろう。

自殺考

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別に西部邁の自殺のショックを引きずっているわけではないが、いまだに僕の周辺や知己の間では「自死なるものの類」が多く、そのたびにこの年になっても「人生とは何か」と考えてしまう。

しかしながら

このような哲学的命題を考えだしたらきりがないし、もともと天才物理学者にもれなかった僕なんぞが「考えるマネ」をしたところで何の意味もない。

にも関わらず

明快な理由などなくて自殺または自殺思考に走る者が後を絶たない。

かばかりか

思わず自分も「死」への誘惑にふらふらっと行きそうになることだって「あり」なのだから、なんにも深く考えなくても突然死にたくなることだって「いつでも、だれにでも」ありうるのだろうと思われる。

それゆえに

僕が若いときから考えていた「すべての事に理由なぞなく、また理由つける必要もないのだ」という単純明快な自分なりのテーゼ?を「よすがに」この齢まで「なんとか」生き抜いてきたのである。

たしかに

思えば、、、苦しいことや嫌なこと「しかない」のかもしれないし、明るい展望が全く開けないと考えることも道理に合っていると言えばそうかも知れない。

しかし

だからと言ってそれが死ぬ理由にはならないし、そもそも「死」の理由なんか要らないのだから、嫌だから必然的に「死」に至るとは考えにくい。

だとすれば

理論的には「生きる理由」もない筈であるが生物としては何とか生き抜こうと本能的に「してしまう」のである。

だから

溺れたりしないように必死で空気を吸う「作業」を本能的にしてしまう「水泳」は僕の日常であり、あらゆる「下らない」悩みなんか吹き飛ばし妙薬になってしまっているようだ。

ただ

水泳を万人に勧めるわけにはいかないし、病気だったり苦しくて仕方がないとか余命いくばくもなくことを「自覚」した人間にとって必ずしも有効であるとは限らない。

たまさか

僕の場合は頭が生まれつき悪いだけで(顔はいいけど。{笑})、あとは痛くもかゆくもなく血液検査の結果も「まったく」悪いところ(数値)がないと言うだけである。(いまのところ)

それゆえ

僕の場合、なんとか呼吸しなければ死ぬという「運動?」=水泳でなんとはなしの憂鬱を跳ね返してはいるものの、深すぎる憂鬱を跳ね返し「生きる」実感を皆が感じることが出来るかと言えばそうとは限るまい。

なんとなら

件の西部さんだって見事に「水死」してしまったからである。

そうかんがえると

自殺せんとする人を引き留める確たる理由(宗教的綺麗ごとは一切役に立たない)や説得材料は僕には「ない」のだけれど取り合えず「なにも考えてはいけない」ということだけは自分の経験上言えると思う。

なぜなら

そもそも考える能力が備わっているとは思えない人であっても「余計なこと」だけは考えてしまう傾向があって、
黙っていてもヒトは考えてしまうのである。

だから

意識的に考えることを辞めるかそれが無理なら、物理的に「思考停止」すなはちすべてを忘れて「眠る」ことである。

というと

INSOMNIA?(フミンショウ)とかいいだすものもあるが、それこそ呼吸しないと死ぬのとおなじで何時間も(何日も?)頑張って起きていれば絶対眠くなって寝る筈である。

よしんば

何日も眠らないために死んだとしても(死なないが)もともと自殺願望であったのだから飛び降りだり首を吊ったりして痛い目に合って死ぬより楽だと思われる。

だから

死のうと思ったら決行する前にひとまず寝てみることをお勧めしたい。

何事も

訓練は大事だから睡眠が最も死ぬ訓練として最適であると思われれる。
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