岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

写真を2016年版に変更

出鱈目私見;2・26

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いまや外国のデブおじさん殺害事件や総理夫妻の関与した?学校の話題しかないようだが、2月26日ともなるとどうしても僕は81年前の事件に思いをはせてしまうのである。

勿論

僕自身は昭和11年にはまだ生まれてもいなかったけれど、子供のころからなんとなく「直情径行」とか「蹶起」とか言う言葉に魅かれていて(実はそうとばかりではないのだが)別に歴史好きでもないのにこの関連の書籍を読み漁るという「悪癖」があった。

たがために

思想的には全然違う?が長じて青年時代は「叛乱」に加担し様々な「闘い?」に参加してしまったのである。

とりわけ

三島由紀夫に毒された?せいで、2・26の青年将校には特別な思い入れがあった。いまにしておもえばただの「馬鹿」だったのかもしれないが、、、。

よくもわるくも

むかし、、、自分は若かったし、なかんずく稚がったのであるが、しかしながら現在の老醜はその昔の自分に嫉妬すらするのである。

なぜなら

当時「憤る」ことが純粋にできたからである。

いまでこそ

政治的な矛盾に能書き「だけ」を垂れて、具体的には卑怯にも隠遁し、たまに帝国主義の象徴であるミスドでドーナツをほおばり薄い珈琲を何杯も飲むぐらいしか芸のない瘋癲老人でしかないが、若いときは正義のため破邪顕正の剣を持つことも、それと同時に「死ぬ」ことにも少しも恐れていなかったのである。

とりわけ

世界恐慌の余波で当時の貧富の格差は目を覆うばかりで、飢えをしのぐためとはいえ自分の娘を苦界に売るという疲弊した農村出身の穀潰しどもは相撲取りになるか兵隊になるしかなかったのであり、2・26の将兵達の「義憤の念」には時代を超えて大いに共感するものがあったのだった。

それでも

民主的に?とか暴力に訴えるのは?とか〇〇はいかがなものか、、、とかきれいごとはたくさん言えるけれど、現実にそこにある貧富の差を「そのまま」放置してむしろ拡大しているかのようにみえる「政治」のどす黒い、妙な「安定感」は、やはり許せないというのが「若さ」というものだろうと「僕は」考えてしまう。

だからといって

転覆すればいいというものではないし、当時の「皇道派」の連中もあとは老獪な「支持者」に任せればなんとなる筈という考えが「甘く」なかったと言っているのではない。彼らは「結果的」に間違えただけなのだ。

たいがい

老人たちは煽るだけ煽って、あとは日和見、いつかは抑圧側に回ることぐらいいくら直情径行の将校たちでもそれぐらいは熟知していたと思われる。

とくに

首謀者の一人とされる安藤大尉などは秩父宮とその背後の有栖川の陰謀を知りつつ、なお時期尚早を認識して遺書に「、、、然し、何事も十二分に、慎重戒心を絶対に必要とする事を乍生意気申し述べます〜」と書いているにもかかわらず「蹶起」したのである。

なぜなら

止むにやまれぬ心情という「若さ」が「稚さ」につながったからである。

いまでは

戦前の陸軍を相対的に野蛮とか見境がないとか評されているが「皇道派」がもし覇権を取っていれば外国にまで戦争を拡大することはなかっただろうし、政策もより「社会主義」的であったろうと想像している。

もっとも

それが「国家社会主義」となってヒトラーを生んだかもしれない危険性はあるが、すくなくとも娘を売るような農村の疲弊は回避できたかもしれないと、、、思われる。

閑話休題:初恋の思ひで(石器時代?)

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僕が「ひそかに」老後の模範として尊敬していた鈴木清順先生もしずかに息を引き取られたようだが、まだかわっぷちの都営住宅がお住まいであったのだろうか。

なにせ

清貧を絵にかいたような方だったのではあるが、僕は「仙人」というものがもしあるとすれば風貌だけでなくまさに清順先生のほかにあるまいと「いまも」おもっている。

しかし

その先生と連絡が途絶えて久しいが弟・健二にも二十年ぐらい前に熊本でインタビューしていらいで、その後はまったくわからないままで、今は自分もが隠遁していて「世間=業界」の事情も不明のままであった。

だから

突然の訃報に接したときから今日まで何も考えられなかったのである。

にもかかわらず

今日(金曜日)から日本で公開されるらしい「ら・ら・らんど」なんぞは明らかに鈴木先生の影響をうけまくっているし、なんせ「映画」という夢の世界をアニメでなく「実写」で繰り広げていることが21世紀の若者にも共感を呼んでいることを改めてうれしく思い、再び先生とその作品を回想する気になったのだ。

それゆえ

食傷気味の個別作品の解説は他にブログに委ねるけれども、僕にとってあの狂おしいような色彩はまさに「映画」という夢の空間か、「死後」でしか味わえない甘美さでありそのことは到底忘れられるものではない。

さらには

個人的にも大好きな大楠道代(安田道代時代つまりオリンピックの頃からずっと大ファン)の清順作品になるともう「なんもいえね〜」というほど耽溺してしまいそうになる。

それはともかく

映画とはなんだかんだと能書き垂れても最終的は「色鮮やかな実写ミュージカル」がもっとも「映画」的であると子供のころから「僕は」思っていた。

とくに

「雨に謡えば」とか「オズの魔法使い」とか「バンドワゴン」などの不朽の名作はもちろんのこと、僕の中学生の時映画館でワクワクしながらみた「ウエストサイド物語」は自分の人生を変えただけでなく、「トゥナイト」の英語の歌の「丸暗記」は奥手?の僕が「恋」というもの目覚めた最初だったような気がする。

したがって

初恋の同級生はナタリー・ウッドに似ていた(たぶん自分だけの「思い込み」だろうけど)ような気がする。

「オンリー ユ〜ぅ ユーア ディ オンリー スィウインン アイゥぅ スィーッ フォおーエバあ〜
いイン マイ アイズ イン マイ ワーズ  エンディンん エブリスィン ガイぃ ドゥーう
ナッスィン エゥス バッチュー、、、エヴァ、、、。」

てな具合に

奥手?のチュウボウは熊本県産の田舎ナタリーに謡って見せたのである。(今でも恥ずかしい)

ところで

其の後彼女はどうなったかしらん、68のババアになっても生きててくれればいいな〜

意外な伏兵マイク・ペンス

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少なくともトランプと同年輩かとまごうこの副大統領は実はまだ50代でありまだ「若い?」のだが、見た目だけでなく、派手で何するか分からない異色の大統領に比べ彼はこの上なく地味なしかし「老獪な」男だと見られている。

だから

トランプがヒートアップすればするほど、このうえなく地味なマイク・ペンスという男が裏社会ではクローズアップされ、おまけにフリンも首になったことだし、いよいよ軍産複合体は「あるミッション」を行うことで堅実かつ「忠実」なこの男を大統領に自動的に(憲法に従って)する計画を促進させているといわれている。

だからといって

今はやりの「暗殺」を特にほのめかすわけではないが、スキャンダルや病死で簡単にくたばりそうもないタフガイ・トランプをすぐに弾劾にかけるわけにもいかないからどうしても「残る手段」が限られてきたというのが実情なのである。

もとより

彼はいわゆる「共和党員」であるのみならず保守的傾向つまり同性愛や移民、宗教等に「不寛容」で温暖化対策やグローバリズムという流れに棹さすという意味ではトランプとあまり変わらないけれど、違うところは既得権益やマスコミには「牙をむかないであろう?この”副”大統領の無能さ?」に期待している勢力はワシントンには結構「多い」のである。

もともと

トランプは決してペンスが気に入っていたわけではなく共和党内対策のためだけに、この「やじろべえ」をやむなく招き入れたいきさつもあり、必ずしも正副大統領が蜜月であるとはだれも思ってはいない。

かててくわえて

ペンスが「強硬手段」を容認するどころか勧めているという噂すら流れてきているのだ。

もちろん

アメリカだけが突出しているというわけではないが、「政治」に於いては様々な力学が働くと決して「暗殺」が特殊なものではなくそれすらも熾烈な権力闘争の一環でしかないという考え方も否めないのである。

とくに

日本ではむしろ政治家の「自殺」が多いから際立たないが、いずれにしても血なまぐささが「政治」というものに
は関わってくるのであろう。

おお、やだ!やだ。
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