plc0807091442015-p1加藤紘一はワイルドの対極にいる政治家だ。もともと二世議員で麻布中学に転入したおぼちゃまだが、カントリージェントルマンとして山形県鶴岡を拠点にしている保守本流である。保守地盤の強固な風土と、石原莞爾のような天才を生み出す土壌は江戸時代から余り変わっていない。加藤にはたびたび取材し、個人的なお願いで事務所を訪ねたことがあるが、つねにメディア向けの、夫々の番組の趣旨に合う答えを用意している。社民党的なことをいいつつ、つまりは保守リベラルのスタンスを崩さない。自らも保守を、極めて日本的な曖昧な、しかし教養に満ちた保守を体現している。東大から外務官僚をへて代議士になったから中国語は堪能であるが、お公家集団=宏池会の出身の象徴のような雰囲気を持っている。多分同じ派閥であった先輩・宮沢喜一の影響だろう。この伝統は谷垣禎一にもうけつがれており、政治家としては、ひ弱でからっきし意気地がない。ネット上でもこれほど評判のわるい人物はいない。ほとんど売国奴扱いである。しかしもっとも戦後日本的なインテリを気取ったコアのない「プチブル」であろう。つまり一本筋の通っていない55年体制が生んだ奇形児ともいえる。自分は食うに困らないのに、社民的な平等を唱える典型的な矛盾をかかえている。

加藤で思い出されるのは「加藤の乱」の時の泣き顔である。それ以来、90年代まで常に次期総理と期待されていた虚像が崩れ、決断力のないだらしない政治家というより、政治評論家に成り下がった。それでも地元では、名門・加藤家のおぼちゃまくんとして、暖かく迎えられている。鳥海山と庄内平野と最上川の豊穣は、加藤のような教養人を育んでいる。これこそがいい意味の互助的な日本独特の文化である。社会党左派のような思考を受け入れる幅の広さこそが自民党であり、その自民党的な清濁併せ呑む体質が加藤の存在を許してきたのだろう。温和な既得権の寄り合い世帯自民党は、しかし権力闘争の歴史でもあり、事実は闇から闇へという伝統もまた有している。

一つだけ闇の話をすれば、ではなぜ「加藤の乱」は起きたのかというと、宮沢喜一の陰謀に乗せられたからである。乗せられるほうが悪いのが政治の常識。内部からも外部からも切り崩され、勇気がないから党を割ってでられない。小沢一郎のように一回泥にまみれないと政治家にはなれない。もう死んだほうがいいんじゃない。ひとのことは言えないけど、、、。