岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

2013年03月

再び閑話休題。リオン(リヨン)駅周辺

もうすぐ4月だというのに今頃は、パリはまだ寒いだろう。たまに日がさしてちょっと暖かいときもあるが、基本的に冬仕度のままで街を歩く人はまだオバー(マント)を着て黙黙と歩いていることだろう。そういった春まだ浅きギャール・ド。リオンの朝の景色がたまらなくすきである。

ご存知のようにパリのリオン駅はコートダジュールへ行くとき通り過ぎるだけの拠点にすぎないのだが、そのたたずまいは昔からほとんど変わっていない。それに治安もいいとはいえず、ごみごみして汚い。でもそのごった煮のたたずまいと交通の便(ほとんどパリのめぼしいとこに歩いてもいける)で僕にとっては最高の街である。

もちろん昔駅の外側にあったコンセルジュとか、切符売り場や地下鉄への連絡口などがすこしかわったかな〜というぐらいで基本的な構造とりわけレストラン(トラン・ブルー)は(入口が少し変わったものの)ほとんど変わらずベルエポックの雰囲気を残している。それに、なぜか、半世紀前から去年までこの駅を利用するたびに独特の旅情と人生を感じてしまう。ゆえにここは僕にとってシャンソンそのものという感じがする。

駅だけではなくこのあたりが大好きなのだ。

パリとはいっても此処は観光地ではなく駅を通り過ぎるだけの人がほとんどであるけれど、ここあたりに住み着いている人はほとんどおんなじようなひと、ちょっとつめたくて知らんふりしてる割にお喋りでしたたかだけど実はお人よし。それが人生にほのかなあたたかさのようなものを感じさせてくれる。

とはいえ、、、、、
同時に行く度に柄が悪くなっているのを感じる。この辺にいる人もほとんどが外国人であるし、駅周辺の物乞いやキャッチセールスには閉口することが多い。しかし駅前のカフェやホテル、雑貨屋、パン屋などは昔からかわらずに中国人やアラブ系のひとが代々暮らしておりその多国籍的な味わいがまたパリの下町の良さであるともいえる。

具体的にはアジュール(紺碧)という僕の定宿(あまりきれいではなくエレベータは壊れている)は半世紀前から予約がいらない、いきなり「あいてる?」っていうと空いていればその部屋だけを掃除して朝からでも入れてくれる。空いてなければ隣近所のホテルのおやじに空いてるかどうか聞いてくれる。いまは従業員だけのときがあるが僕の若いとき世話になったオバサンの孫がフロントにいるときなんぞは、業務そっちのけでおしゃべりすることがある。

また付近のパン屋雑貨屋カフェも全く同じでいずれも子や孫たまに40以上前の本人がヨボヨボなのに現役だということもあった。(すくなくとも去年までは)ので安いし問題があれば相談に乗ってくれ近所のおやじがほとんど一日中だべっているので実は意外と安全なのだ。

シャンゼリゼやフォーブルサントノーレもいいだろうけど、昔とはずいぶん様子がかわってきた。たしかにきれいにはなったもしれないが、ごみごみごちゃごちゃしているところがぼくのとってパリというところだと思っているので
今、街の中心部には近づかないことにしている。

昔はオルリー空港から行くのは若干面倒だったけれど今はドゴールから夜やエヤフラのリムジンがギャール・ド・リオンに直行しているので朝早く到着する便の場合、とりあえず爆睡してからという人(つまり僕)にはほっと出来るところだと思う。

そして夕方、目をさましぼけたまま駅の目の前にある生の新鮮な「牡蠣」の店に入って喰うときの気分は最高でそれほど高くない場所でパリに着たという実感を味わえる。

いまは再びパリへの郷愁にかられているけれど、パリにいるとこの季節の桜を思ってやはり日本に帰りたいと思ってしまう。わがままは承知の上で、しかもいつまでも貧乏ではあるけれど、この自由な瘋癲生活はしかし生涯続けたいと思っている。

♪〜今日も涙の日が落ちる、日が落ちる〜♪

僕は個人的にパチンコなどに興味はないし競馬も全く知らない。ただ競馬場の近くを歩いたり温泉場にポツンとあるスマートボールなどをガラス越しにのぞくと人生ってものの哀愁を感じることがある。しかしそんな昭和の時代は終わったのだろうか。

先日こんな記事があった、、、
「 生活保護費や児童扶養手当を市民がギャンブルで過度に浪費することを禁止し、浪費を見つけた場合、市民に情報提供を求める兵庫県小野市の条例が27日午後の市議会本会議で可決、成立した。施行は4月1日。

 小野市福祉給付制度適正化条例は、公的な福祉制度の適正な運用を目的とし、受給者が生活を維持できなくなるまで生活保護費をギャンブルに使うことを禁止。浪費を見つけた市民には、市に通報することを「責務」として定める。」、、、

もちろん生活保護の不正自給をしているやくざもんは断固排除すべきだ。しかし、それとこの記事の示している意味は全く違う。ついに日本は東ドイツのシュタージー(秘密警察)の存在を予感させる「密告社会」になりはじめたか、、、と思うと暗澹たる気持ちになる。

と同時に、弱肉強食の未来の到来も身の前にあると感じぞっとした。

弱者が弱者を弾圧するという図式は昔からあるが、現代のように格差が広がるとそれが顕著になるようだ。つまり生活保護や子ども手当、母子年金、障害者保護などが手厚すぎるとかいうひとに限って貧困な若者層が多いという現実がある。

論理の逆転は知能の低い人にしばしば見られる現象だが、この例でいえば自分の所得より生活保護の金額が
「僅かに」上回っているのでそれを削減しろと言って類のものであり、それがエスカレートするとだれだれが生活保護の癖に旨いもん食っていたとかパチンコをしてたからゆるせないということになる。この僅かな差異への嫉妬こそ権力者を安心させるのだ。

この単純な論理の逆転が主に貧困層に広まっている。つまり生活保護より低い給与金額しかないのならそれを強制的に上げてでも生活保護の水準以上にすべきであって、生活保護の水準を下げるべきというのは本末転倒であるということなのだけれど、国の弱者切り捨てや自治体の密告社会などの政策をこの勘違いの逆転発想が後押ししている。

為政者の思うつぼとはこのことである。

土建屋と組んだ公共事業や米軍基地への思いやり予算、ハコモノ行政などに何億何兆もつかわれているは許すけどたった数万もらって気晴らしに遊興に使っているのは許さない、これを密告して市民としての「責務」を果たすべきである。こんな息苦しくて人情の枯れた社会には、すくなくても「俺は」絶対に棲みたくない!!

ちょうどいま政府は国民背番号制度を進めようとしている。それで個人は完璧に管理され、一人ひとりが番号で認識されるのだ。個人の特徴や歴史、もっている財布や心の中身まで、、、そしてもっとも重要な「自由」が奪われようとしているのだ。

人間にとって最も重要なことの一つが「自由」であることは言うまでもない。

なぜ犯罪が抑止されてるかと言えば監獄に行かされるからである、なぜ行かされるの嫌かといえば、、、、それは食べ物でも着るもののことではない、、、自由の束縛があるからである。僕の友人に28年間獄中にいた者がいるけれど獄の中での暮らしは意外と快適だったというが、自由の束縛には鬱とせざるをえなかったという。

だれもが行きたいところに行き、したいことをしたい、許されるなら小鳥のように自由に空を飛んでみたい。風の吹くまま気の向くまま出かけることができて、はじめて悲喜こもごもの人生が存在するのだ。


僕は仕事で外国から帰ると、かならず日本でしか味わえないライスカレーを食べ「フーテンの寅」さんを見ていた。そして、そこでしみじみと自分が生きていることの喜びをいつも確かめていた。

寅さんの映画は劇場やビデオですべて何度も繰り返しみているが、そんななかでも彼が暑いさなか田舎の橋の上でアイスキャンディを一本買う場面がある。この何気ないしぐさのなかに生きていること、そして何よりも「自由」であること、日本人であってよかったと感じたりしたものである。

しかし監視社会はもう自由人「寅」さんの存在を許容くなっていくのだろう。

日本でもアメリカでもそうだが1%の超富裕層だけに富が集中し、圧倒的多数の最下層をいかに黙らせるかが最大の課題となっている。そのため最も有効な手段は、貧困層同志を互いに嫉妬させ争わせ監視させあうことである。

日本の世の中から「寅」サン的な人、ドジで間抜けでたまにはちいさな悪さもするような、風来坊を徹底排除するプロジェクトが始まったのかもしれない。僕はもう歳だからあとは死ぬだけだからいいが、これから先があるひとは国家や行政に監視され続けることをほんとうに良しとしているのだろうか?

小野市の条例は気味の悪い未来の姿を暗示しているように思えてならない。

閻魔大王大いに怒る

閻魔大王の主たる業務はうそつきの舌を特製のやっとこで抜き、地獄へ放り投げこむことである。だから日本の国会議員はそれをどうせできないと思って「嘗めきっている」のであろう。だから、ここは一発、「ざけんなよ!!」とかましてやるしかない。


嘘をつくのはいけない。この子供にも分かる人類普遍のきまりを上手く誤魔化してあたかも嘘をついていないかのように真面目そうな顔をして善処しますと言って言い逃れをしている男がいる。過去にもこんな奴がいたような気がする。嘘にもランクがあってかわいらしい嘘や悲しい嘘には情状酌量もあるが、適当に言い逃れするような奴だけは許せない。八つ裂きにしたいと考えている。

そ奴の名は(閻魔帳にはたくさん記載されているが、)まず安倍晋三と野田佳彦である。

なぜなら「一票の格差」問題すなはち選挙制度改革は「耳にタコ」ができるほど言われ続けて来たし、いよいよやりそうなポーズが安倍と野田の党首会談で行われたから今回の衆院選があったのだ。それなのに過去と変わらず
適当に「善処します」と言って済むと思っているのだから、この世ではなんとか逃れても、あの世では必ず八つ裂きにするしかないのである。


そもそも三権分立という建前がほとんど崩れている。特に「違憲状態」であるという曖昧な表現とか、証拠を掴んでから検察は告訴すべきなのに妙な仕組みをねつ造して冤罪を仕組むとか、いずれも「司法」の権限は地に落ちていると言わざるを得ない。今までも何度も違憲判決がでたものの、諸般の事情を考慮して(たとえば有罪者を獄につなぐとかという)具体的な行動を強制していない。とくに国会や行政に気を使った政治的判断をしていることは言を待たない。

それでも違憲だから改善してほしいと遠慮がちにずっと「建前」として言い続けて来た経緯がある。にも拘わらす行政の長である総理大臣は善処しますと受け流し、与党の幹事長は小さな手直しで「選挙制度」改革を乗り切ろうとしている。しかしそれでも違憲状態は変わらないのだ。それを承知で世迷言をいう政治家は内心「どうせできない」と思って「司法」を嘗めているし、広義で国民を嘗めているのだ。

広島高裁の勇気ある裁判官は違憲だから「無効」というシンプルな判決を下した。ということは即無効な選挙で当選した議員は辞めるべきである。いかなる理由があっても無効は無効である。禁固刑なら監獄、死刑なら縛り首というルールをずっと国民に課して来たのだし、国会議員だから法律に従わなくてもいいというのはおかしい。

だから「今後{国会}で審議し違憲でないように善処します」、などといういのは「完全なる言い逃れ」に過ぎない。ひき逃げ犯を放置し、殺人犯を「今度から人を殺さないように善処します」と言って許すのであれば三権分立は絵に描いた餅であり法による支配というのは「嘘」だったということになるのだ。

嘘に嘘を重ねることを最も嫌う閻魔大王だったら即地獄行の判決を下す。当たり前である。

不祥事を起こした張本人が自浄作用しますと嘘をいってなにもしない事例はなにも国会だけではない。最近だけでも柔道連盟、東京電力、相撲協会などなど数え上げればきりがないけれど、いずれもじぶんたちの「お手盛り」で事実調査、改善などというのは不可能だというのは火を見るより明らかである。

誤解しないでほしい。今の一票の格差の問題をのみ論っているのではない。嘘をつくなと言っているのである。それも偽りの装いで「ただちに健康に害はない」とか「善処します」とかいうのはつまるところ「数年後に前立腺がんになりますよ」とか「なにもしないで放置します」と言っているのと”同じ事”である。

たとえ国民が許しても(誤魔化されても)閻魔大王は断じて許さず大いに怒るのである。

                                     三隅健二監督 大映映画より

外国語ができるって?へ〜見上げたもんだカラスのションベン

日本人は絶対に金髪碧眼にはならない。しかし小さい時から金髪碧眼を「美」として刷り込まれてきた低レベルの日本人は、何とか欧米化しようとしてマクドナルドを食べコカコーラを飲んで英語のお勉強をしてきたけれども、金髪にも碧眼にもなれず、足もそれほど長くなれないばかりか、さまざまな新しい成人病をふやし、アジア人のなかでも最も外国語ができない民族になってしまった。

にもかかわらず外国語のひとつでしかない英語(米語)の語学学校が街に氾濫し、日本語もおぼつかない就学以前の幼児に英語らしきものを教えているのが流行しているらしい。

第一、親がまったくしゃべれないのにかぎってわが子に外国語を押しつけているのはとても滑稽としか言いようがない。また社長が下手くそなカタカナ英語しかしゃべれない会社に限って社員に社内で英語で会話しろと強制している。結果その日本の会社の会議室ではおやじたちが学校のESSにみたいになっていて、はたで聞いていると笑わずにはいられないことになっているようだ。

これらの行為は集団的マスターベーションにすぎないが、どうせ自慰行為ならなにも仲間内だけで通じ合う暗号のような世界に全く通じない「英語もどき」であそんでもおもしろくないだろうと思う。まして他者を説得し納得させ打ち負かすような内容を不慣れな言語で行えというのは、薙刀の師範にサッカーの試合をしろといっているようなものである。これをもってインターナショナルになったとかグローバルに対応していると勘違いしている日本人は白痴としかいいようがない。

ちなみに日本語は母音優位の言語である。そのため日本人の脳は、言語処理能力が他の言語を母国語とする人と違って、左脳(言語脳)で処理される。だからこそ桜を愛で紅葉を愛したおやかな日本独自の自然と心通わせる日本固有の情緒が養われ、日本的文化がそだってきたのである。その立派な文化がありながら毛唐の猿真似をしてなにになろう。

基本的にアルファベットとその発音と形態が違うのは「音」ちがうからであり聞いているものが違うのであって、それは風景・景色が違うからである。だから毛唐に和歌が読めないように我々には外国語の発音ができないのである。自然環境(音、景色)が違うから言語が違って当然である。

 あるひとは「西洋文化は人間中心主義、白人中心主義で他者を押しつぶし殺してきた、言ってみれば、野蛮な文明です。それが目標とするのが今明らかになってきた強欲主義・悪魔の世界です。そんなものは生きるに値しないものではないでしょうか。英語中心主義は、他の生き物を下位に位置づけ、他民族を畜生とさげすむ醜い文明を世界に押し付けるための道具ではないでしょうか。すべての生き物に優しい日本的情緒こそが、世界に誇るものだと思います。その意味ですべての生き物に優しい日本の文化、日本語による日本的情緒、日本文化を守ることこそが、一番大切だと考えます。英語が苦手なわれわれ日本人が世界と意思疎通を高めるためには、
英語が必要ならば、翻訳機械を充実させることで解決するべきだと思います」と述べている。まさに正論である。

にもかかわらず全く英語が喋れない(官僚が書いたものを読んでいるだけ)我が国の宰相は日本の公務員や企業に採用するためにTOEFLのスコアを利用したいといっている。まさにここまで英語コンプレックスがつよいと笑ってしまう。例に出した莫迦な親や社長と同じである。だから一知半解なTPPを有り難く押しいただいて喜んでいるのであろう。

参考までにTPPの話をすると、、、韓国の情報にくわしいある筋の彼はこう言っている 「FTAの交渉にあたっていた韓国外交通商部の担当者が内容を理解しきれずに協定を結んでしまった可能性が否めません。韓米FTAは序文と24章から構成されていますが、韓国語の翻訳版からは296カ所の誤訳が確認された。英語の原文はA4サイズで700ページ。2ページに1つの割合で間違えていることになります。私も韓米FTAの英語の原文にあたりましたが、米国独特の法律用語が多用され、二重三重の言い回しが使われていた。何回も目を通してようやく『米国の国内法が優先する』と書かれていることが理解できました。何人かの学者に確認しても同じような反応です。つまり、英語が堪能なだけじゃ理解できない内容なんです。よほど自由貿易協定に精通していて、高度な法律知識がないと無理なんです」ちなみに韓国の官僚の方が英語力は日本人よりはるかに優れている。


なんどでもいう。土台、花鳥風月の「音」の感じ方が違うから言語空間そのものが違うのだ。こちらにはこちらの文脈があるのだから対等であれば日本語で条約の原文をつくるべきだと思う。アメリカは英語でいいだろう。それをお互いそれぞれ第三国語に翻訳し(国際的にはずっとフランス語が使われてきたが、、、)それを突き合わせて齟齬のないようにするべきである。

出来もしない英語を訳してああでもないこうでもないと言っている莫迦な官僚を増やすだけの効果しかなTOEFL
の導入には反対である。日本は植民地ではないのだから英語を母国語にしている奴らに英語の認定をしてもらった奴が英語の条約を押し付けられるのは納得がいかない。

おそらく東大卒であろう日本の高官が外国に行って言葉が通じずあたふたしている光景を僕は何度も見てきた。
あのこわばった意味不明の笑顔なんぞもう見たくない。

それで、「げーごくごができんだって、そりゃ大したもんだなー」と国内で言われるだけにしとけばいいものを。あえてtoeflを採用する必要はない、アメリカの団体に寄付するだけでカネをどぶに捨てているようなものであるのだから。

「強きを助け弱きを挫く」卑劣な東電を許すな!!

米空母ロナルド・レーガンの乗組員は5000人以上いる。うち相当な数のマリーンがいわゆる「ともだち作戦」に駆り出された。といっても二年前の東北大震災の手伝いという名目のリップサービスに過ぎなかったし、その当時からすでに僕は気色悪いと思っていた。それをマスコミが囃し立て一種の美談化しようといういやらしい意図が透けて見え、反吐が出そうであったことをいまも思い出す。

しかもそれはアメリカ(というか国際基準)の基準で原発から80劼痢峇躙蔚莪茵彝阿任諒栃爾粒萋阿任△辰燭砲垢ない。日本人が10キロとか20キロとか言ってる時にである。この人種差別的扱いを日本人は笑顔で許容したのである。僕はこの非科学的かつ屈辱的対米隷属をけっして忘れてはいない。



そして今CNNなどが伝えるところによると、これに関わった乗組員たちが東京電力を告訴したという。いままで8人だったのが今週28人にふえ、このままいくと100人を超えそうであるようだ。ということは賠償金を独りアタマ10億円を請求してそうだからトモダチ作戦に参加した米兵全員ともなれば何十兆円になるか想像もつかないことになる。

米兵たちは当時「安全である」とか「ただちに健康に影響がない」といわれて騙されていたからというのが、彼らの東電に対する賠償責任追求の根拠であるらしい。今の健康と将来の健康も含めて東京電力は賠償しろというのである。言わずと知れたアメリカは訴訟社会であるから、東電が金をだすことになったら原告の頭数が増えるのは間違いない。さらに集団訴訟にでもなったら天文学的賠償金を東電は払わされることになるだろう。

個人的感情からいえば「ざまあみろ」であるけれど東電で払いきれるはずはないから結局国家が救済することになるが、それは我々の汗水たらした税金又は毎月の電気料金からということになるのだからすなおには喜べない。しかも日本人からみるとこの冗談みたいな訴訟が実際はアメリカの裁判所で行われるのだから決して楽観はできないのである。

ご存知のようにアメリカには弁護士が強引な腕利きとしてゴロゴロしあぶれており、一旦金がとれるとみるや禿鷹のように毟り去っていくのが常である。とくに東電のような日本人に強く外国人とくにアメリカ人に弱い「内弁慶」なひよわな企業はいちころであるだろう。

トヨタのような海外進出企業は様々な辛酸をなめてきてそれなりの対処法を身に付けたけれど、東電のような国内独占企業でかつ厚い政府の保護下で大きくなった「ただのデブ」はアメリカの弁護士にとっておいしい獲物でしかない。時代劇ならこの越後屋=東電がやられるのは痛快であるが、結局小判の出所は我々の財布であるから東電とすれば痛くもかゆくもないようだ。

東電社員ひとりひとりにとっては自分のハラさえ満ちていれば国家や企業まして国民がどうなろうと知ったことではないのだろう。その証拠に莫大な金を浪費して廃炉に向かっている福島原発の複雑な電気系統の故障がねずみ一匹だったと「平気な顔」で言っているとっちゃんぼーや然とした社員の面をみればよくわかるというものだ。

しかしなめられたもんですね。

80キロに以遠に一時的にいた米兵一人に10億円、フクシマの二十キロ圏内の住民や50キロ以内にいまも非難している日本人には雀の涙も出し惜しみしている現状に、憤りを感じないのだろうか。マスコミは報道しないし相変わらずテレビのお笑い芸人に喜んでいる日本人はまともじゃない。対米従属やっぱりマゾの変態としか僕には考えられない。

「ぶって姫」が当選する国家だもん、ま当然と言えば当然。沖縄で同胞の少女がレイプされても土地やお金を供出している国だから、憤るほうがおかしいのかもしれない。

でも、おかしくても、この行方に注目しようと思う。
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