岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

2018年06月

まだ終焉ではないと思いたい

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「紫陽花や 藪を小庭の 別座舗」、、、芭蕉

というわけではないが、つくづく生きることの儚さや、僕が長年曲がりなりにも取り組んできたジャーナリズムの衰退も「政治」の退廃に負けじ劣らずの情けなさに、自らのふがいなさはもとより、「愚」こそが必要不可欠の世の中を嘆くことしきりである。

はからずも

この陰々欝欝たる梅雨空のしたで、けなげに我が家の藪をすこしでも「あかるんで」見せてくれる紫陽花にこころを寄せんとすれども、一向にはれないままの長き怠惰な日々をすごしてきて、なおいっそうの憂いが増すというものだ。

しかしながら

漂いつつも沈まぬかのセーヌにある小島のように、不屈の精神で「政治」に関与していきたいと再び思い直してはいる。

けだし

これは「未練」でも「郷愁」でもない、いくら冷笑されようと「破邪牽制の剣」を捨てるわけにはいかないのである!!

とまあ、、、

決意はすれど筆致も思うに任せず、かばかりか取材する価値もない「ねた」ばかりで困ったものである。

いつか

それでも梅雨は晴れるときがくるだろう。

そして

僕は来る7月7日についに齢70を数えてしまう羽目になるのだ。

嗚呼

ひきつづきの「蹴鞠論」

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低調な議論で碌を食む稀代まれなる「政治家」という職業を唯々諾々と自分の金を削って(税金)もなお黙ってやらせている国民有権者の被虐趣味は言うを待たないが、その嘘で固めた政治家を仰ぎ見てひたすら「忖度」と御奉公でお仕えしている宦官も普通ではない変態ぶりでは負けてはいないようだ。

しかるに

「宦官」なるがゆえに正常な性欲ではなくゆがんだ性の持ち主らしく、宦官によるセクシャルハラスメントは限りなく表に出ているケース以外でも数えきれないらしいのだ。(財務省、外務省だけでなく)

また

それを管理する立場にある「ミゾウユウ」氏が旧態依然としてこういったことは「罪にはならない」という意識をお持ちであるから、いっそう世界の恥として日本の性差別は秘かにに広がっている(少なくともなくならない)ともいえるのである。

ゆえに

もはや先進国とは程遠い議会や内閣の人事構成のみならず空虚な掛け声だけの「女性が活躍する社会」の実現は百年一日、かの平塚らいてうの時代から基本的はなんら変わってはいない。

ちなみに

世界の国会議員が参加する列国議会同盟(ジュネーブ)の報告によると、日本は今でも(2017年統計)各国議会の女性進出は193カ国中の順位で158位である。

もちろん

これは先進国では最低水準でありアジア地域でも中国(71位)、韓国(116位)より低いのが事実である。

それでも

安倍晋三は「すべての女性が輝く社会づくり」を高らかに(恥ずかしげもなく)宣言している。

しかし

いまだにそれは実現されそうもなく、すべてを嘘で固めたキャンペーンで自分と同じような知的に遅れた有権者をだまし続けて議席多数を得、平然と権力の座に居座っているのである。

ではあるが

これはなにも与党や宦官たちに限ったことではなく、裏返しにこのような風潮を許しているのではないかと思われる人々もいるような気がしてならない。

というのは

野党とくに女性議員たちの声はワンパターンの、あるいは流行の横文字パフォーマンスに終始し、結局はすべて議席多数で押し駆られることを「前提」にただ踊りまくっているようにしかみえないからである。

さらに

いまこそ野党は政府や行政に対する「突っ込みどころ」が満載であるのに、ワザトその舌鋒を鈍らせ的外れな質問を繰り返し宦官どもの「受け流し」をかえって促しているようにしか「僕には」思えてならないのだ。

それゆえ

野党とりわけ女性議員の価値を「結果的に」低めるための儀式(僕はそれを「蹴鞠」と呼んでいる)をやり続けて低調な国会運営を進めている「ように」思えるのだ。

それゆえ

そのような「野党?」幹部を「僕は」許せない!!

というと

単なる僕個人の隔靴掻痒の思いから皮肉を言っているように誤解されがちだが、たとえば新党?国民民主党の玉木共同代表なんかは具体的にいわゆる「モリカケ」追求を見事に(上手に)避けて(彼本来の)新自由主義者の深慮遠謀を垣間見せているように思われてならないのである。

というか

そもそも「国民民主党」などというものは「現在」与党のナンミョウと「実質与党」の維新が抜け落ちた「後」に自民党を補完する為に作られたといわれても仕方がないものであり、、、、

それゆえ

新生「国民民主党」が旧民主党の左翼ゴリゴリは立憲、右派は希望、ベテランは無所属・・・に霧散したわけで、隠れ自民党応援団としての旧民主の「カス」・ごみためであるというしかない。

もし

それに文句があるのなら君たち自身が記した党綱領や党の基本政策に基づいて反論したまえ、少なくとも僕が熟読した限りでは自民党より(自民は融通無碍)「新自由主義」的であると思うがそこが野党共闘とは矛盾してないか?

改めて糾したい、蹴鞠野郎ども!

政治が水没している、、、

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わかっている。

みな

よーくわかっている。

もはや

日本の政治が水没していることもすでに知っている。

にもかかわらず

与野党力を合わせて国民が「政治」に倦んで辟易してしまうように国家機関・NHKと協力して延々と国会八百長田舎芝居をみせつけ、いかにすれば「実のない議論」ができるか模範を連日示しているように思えてならない。

しかるに

少しでも知的な国民が「まったく」いなくなり政治に参加しなくなることを真の目的にしている政治家?連中はたぶんそのような政治の実態を示して内心「してやったり」とほくそ笑んでいることだろう。

なぜなら

まったくかみ合わない議論の典型としての「党首討論?」という一種のギャグを見ても明らかなように、国民有権者にまともな人がいなくなり、痴呆症もしくは生来の馬鹿(たとえば安倍、麻生のような)しか政治に参加しなくなることを狙っていることは明々白々であるからだ!

だって

野党は居眠りはおろか八百長プロレスや、議会そのものを欠席しても国民の税金は自らの給与だけでなく歳費や手当、助成金などとしてもたっぷりともらえるし、与党はたとえ「行政」を監視しなくても「膿を出す」という空念仏さえ唱えていれば権力を私物化できお友達を勝手にエコヒイキできるのであるから、やはり「乞食と政治家は三日やったらやめられない」というのはホントなんだろう。

また

政府と一体となった司法は権力の意にままに違法なことを繰りかえす行政(宦官)を罰しないというのだからもはやわが国は法治国家でなく無法地帯となってしまっている。

では

いかにしてわが国がかくのごとき体たらくとなったかといえば、話は簡単、ほかに選択肢がないから仕方なく安倍でもいいかというときからこの悲劇(喜劇?)が始まったというべきであろう。

もっと

具体的にいえば、安倍一強内閣が司法や行政だけでなくNHKの人事権まで掌握しているのだから役人は自分の立場をまもりさらに上を目指すため「忖度」するしかないからである。

もっと

えげつなくいえば佐川 宣寿しかり山本真千子 しかり、首にならずに上を目指すのなら「馬鹿殿さま」への多いなる忠誠心を示すため「忖度」して行政や司法をゆがめる(嘘をつく)しかないのであろう。

さらにいえば

トップから下まで嘘をついても怒られるどころか褒められるのであるから、みなで嘘つき競争をしているのである。

そして

どれだけ嘘をついても罰されないのはなぜか?


それは

神がひさしく不在であるからに他ならない。

では

民主主義社会において「神」とはだれか?

それは

言わずもがな、、、国民有権者である。

したがって

その「神」の監視を逃れてやりたい放題やるには国民をあきれさせるしか手はないのである。


ゆえに

僕もその術中に嵌りそうなのだけれど、政治的無関心こそ政治家にとっての福音なのである!!

だから

僕を含めて一億総活躍ではなく総愚民化こそ安倍内閣の目的であることは明らかなのだ。
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