20110926k0000e040078000p_size5禁固刑であるがいずれも執行猶予がついていることは事実上拘束されることはない。ということは「実」をとったということだろう。もちろん実とは「有罪」という果実である。

この果実さえあれば、協力体制にあるマスコミが「有罪」という二文字だけをクローズアップしてくれるだろうし、法曹界の実権を握っている阿波狸からにらまれて(裁判官)「本人の将来を傷つける」ことにはならないだろう。むしろ引き立ててくれる筈である。判決当日現にそれに逆らった官僚がひとり見せしめになっている。

つまり当日の午後に登石郁朗君の高裁昇格が決定的となり、古賀茂明君が首になったのが同じ日の午前中であったことが大いに笑えるのである。あまりにもハッキリしていて分かり易い。琴将菊はガチンコで大関になり、官僚・司法・マスコミ共同体は八百長花盛り、なんと目出度いことであろうか。いや間違えた、なんと「お」目出度いことであろうか。(どうもITに弱くて、、、)

そういえば登石君には訴因変更をやった実績もあり、もともと同じ法務官僚として検察とはねんごろであった。だからそもそも検察調書など要らないのであって、あらかじめ検察が描いたストーリーを耳打ちさえすれば「有罪」判決なんか「あらかじめ」予定されているのである。しかし年齢的には高裁どまりなのが本人は残念でありましょうが、、、。

かくて恐怖政治は滞りなく行われ、司法、行政、立法そして無料で政府の建物内に棲みついている記者クラブメディアもさぞいまごろ祝杯を挙げていることだろう。邪魔者は粛清する、きわめて分かり易い権力は多くの物分りのいい国民を相手にし粛々と「目立たず」増税を敢行していればいいということである。

マスコミは陸山会事件より取調べの可視化に焦点をずらし、ことの詳細を外して有罪のみをアピールしているが、虚偽記載という形式犯そのものに言及せず、ひたすら10月6日の「検察審査会」強制起訴の裁判にたいする世論を一定方向に導こうと画策しているようである。かって検察審査会そのものもマスコミ手製「輿論」であったのだから当然といえば当然の帰結ではあるが、僕個人としてはこの歳になって日本国の大学で法学部だったことが悔やまれてならない。

「中途半端に宗主国に弓引くとこんな目にあうのだぞ」という見せしめは日本司令官の義務である。

予定調和の判決の日。日本が法治国家を辞したことを高らかに宣言した日として長く歴史にその名を刻されるであろう登石郁郎。