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僕は60過ぎるまでいわゆるファストフードが嫌いで、なるべく避けてきた。

かばかりか

不味く、かつ不愉快な思いの「外食」もできるだけ避けてきた。(例外はあるが)

しかも

他人と共同で飯を喰う場所が馴染めなくて(脱脂粉乳給食がトラウマ?)自分で調理できない旅先ではもっぱらルームサービスでないと落ち着かない。

つまり

自分が好きな食材を買って自分で調理したものが、自分が食べるのだから当然一番うまいに決まっているから、どんなものも「外で」喰うものが、本当に旨いと思ったことが少ないのだ。(客観的には違うかもしれないが)

ところが

65才を過ぎたあたりから、近くの散歩ついでにいける24時間営業に毎早朝行く不思議な習慣が出来てしまった。もちろんまだ暗い早朝に空いていて、しかもゆっくりコーヒーが飲めるという選択肢が他にないからである。

しかし、、、それでも、何となく

こんなチェーン展開のファストフード店に自分が行くようになったと言うのはどうしてだろうと考えてしまう。あの外食嫌いでとりわけファストフーズという毒の塊を忌み嫌っていたのにである。

それゆえ

いつ死んでもいい年になったことだし、味覚もぼけてきたからと自分勝手に思うことにしているが、実はそうでもない。

それは

その「ファストフード店」に入るたびに、地方都市の郊外のこの似ても似つかぬ殺伐たる「景色」に、「何故か」、自分の人生でもっとも思い出深い夜明け前のミラノ駅構内の古ぼけたカフェにいるはたちの自分を重ね合わせてしまうからなのだ。

いわゆる

それは青春の挫折から日本を飛び出し無鉄砲な旅の途中に初めて遭遇したささやかな事件に過ぎないが、なぜか今頃になってたった一杯の珈琲でそのことを思い出してしまうようになった。

その

時空を超えた浮遊感が、チャラチャラしたマニュアル店の「シアトル系のほっと珈琲」を、ミラノ駅での「イタリア風ラッパッツア」の味わいに一瞬で変えてしまうのであろう。おそらく自分の死期が限りなく近づいているからこんな頓珍漢なことを考えてしまうのかも知れない。

それは

どうせ老い先短い瘋癲老人の白昼夢だからどうでもいいことだが、問題はまだ若い人々がたくさんわざわざ「毒」を食べに「このような店」にやってくることである。なぜみんなそんなに毒が好きなんだろう。

ひょっとして

長く生きていてもろくなことがないことを見越した自決への練習かもしれない。

ちなみに

「このような店」で使われている食材のなかで抗生剤を定期的に使ったことのない家畜の肉はほとんどない。

そんなことは

承知の上で、若者達は僕みたいな死亡志願者と同じもの飲食しているわけだから、刹那的に生きている彼らが哀れといえばまことに哀れである。

たとえば

ある調査結果で抗生剤を使って「いない」のをAランクとすれば、アメリカのチキンサンドイッチチェーンのチックフィレイだけはようやく鶏肉から抗生剤を排除したとしているため「B」評価を獲得してはいるが、ダンキンドーナツとマクドナルドは「C」ランクだったらしい。

また

サブウェイ、ウェンディーズ、バーガーキング、デニーズ、ドミノ、スターバックス、ピザハット、KFC、デイリークイーンなどは、いずれも不合格の「F」の評価を与えられているのだ。

つまり

この調査結果でいえば、「米国の大手飲食チェーンのほとんどは、食肉への抗生剤使用に対する不安の高まりに実質的に対応できていない」ということである。

また

同じくCNNによれば、耐性菌の危険性については米疾病対策センター(CDC)や世界保健機関(WHO)が何度も警鐘を鳴らしてきたが、米国では年間少なくとも200万人が耐性菌に感染し、2万3000人が死亡しているとしているとしている。

さらに

今回の調査では、抗生剤を段階的に減らす代わりに成長促進ホルモン剤の使用が増える可能性もあるとの懸念から、そうしたホルモン剤の使用についても各社に尋ねており、評価には反映されていないものの、ホルモン剤の使用は動物保護上の懸念や、人間の健康リスクへの懸念を生じさせる恐れもあるとも指摘しているのである。

それでも

自動販売機が増えるように、日本でも爆発的に増え続けたファストフードはこんな片田舎でも「いまだに」結構はやっており、来客は僕のように棺桶に片足突っ込んだものだけでなく老若男女訪れており、とくに子供たちは大はしゃぎなのだ。

わざと

僕のように毒だと知って訪れているものはいいが、おさない子供と若い母おやがうれしそうに毒を食しているさまをみると人生の「無常」を感じてしまう。

しかし、、、

TPPしかり、原発しかり。日本人の「毒汚染好き」には驚いてしまう。

まあ、

そうはいっても日本最大の毒素・晋三君を支持しているのだからそれも当然といえば当然かもしれない。