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不遜だとは思うが別に天変地異など恐れても仕方がない。

たとえ

それが人類の「不作為?」や「もしかして」欲望によって肥大化されたにしても「やんぬるかな」、それも長い地球時間のほんの一コマに過ぎないであろうから、天変地異によってまたは人為的にまたは天体的な偶然によって「ある種」が絶滅してもそれは「ありうる」ことでしかない。

さらに

地球そのものや「太陽系」そのものが絶対なくならないとは言えないのだから、すべては偶発的なできごと(宇宙の存在すらも)だと考えると、温暖化による気候変動?や原子力による破滅など「ちいせえ、ちいせ〜ぇ」ってことになる。

また

それを認識している生命体ですら希な偶然で発生したのだから、いまさら「嘆いても」仕方がないと思う。だいたい自然や地球や宇宙がコントロールできるかもしれない「科学信仰」自体がただの生命体の一種(ヒト)のためのモノであり稀有壮大なnatureからすれば蜻蛉「のような」儚いものでしかないのだ。

しかるに

認識の主体がなんであれその主体そのものが自然の産物であるのだから、今はやりのAIなんてその帰結でしかなく、彗星の衝突で滅ぼうが(ダイナソス)、北極海に飛び込んで自殺(レミング)しようが、自らの創造物(ハル?)に滅ばされようが「別に」どういうこともない。

そんなことは

既に周の時代の杞の人が憂いたことであって、天が落ちてくることを「前提にして」なお、それを気にせずに生きたければ生きるしかないと言うだけのこと。

だから

生物の一種のヒトが自然に自爆装置ともなりうる武器を際限なく開発したのだから、それによって既に自滅への途を「選択」していると考えるなら、原発ぐらいで驚いてはいけないのだろう。

だって

「杞憂」だすればそれが明日なのかン万年先なのか分からないというだけのことで「それは」必ず起こり得ることである。

だから

それを早めてなるべく多く集団自決したいのだろうから、そうするしかないのだろう。

それとも

そんなことは教えられなったというのか?

ならば

自ら招いた「無知」の罪としてその咎は免れないと考える。

たかが

2〜3万年まえであろうが明日であろうが「たとえば」僕が棲んでる近くの「姶良カルデラ」は絶対「いつか」爆発するのであって、それを増幅させてさらに集団自決を促したいために「川内原発」は存在し、そうしたいという政権を支持しているのだから罰を受けるのは「当然」というしかない。

要は

すべてを杞憂と考えてしまうかしまえないかの違いなのかもしれない。

いくら

「ほんのちょっと前に」福島で苛酷な原発事故が実際に起きているとしても、自分の中で「なかったこと」にしてしまえばいいだけのことなのだろう。

それでも

僕は杞のヒトと同じになってしまう。それは無駄な憂いであるというのなら「恋愛」だっていや「人生」そのものだってこんなに「無駄」なことはないというしかないが。