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長い冬も終わり、ようやく時折訪れる寒さもなくなって春爛漫だというのに、何となく心が晴れない。

もとより

個人的な理由は誰にでもあり、悩むことが生きることでもあり、例えば愛する人に逢えない、何事も上手くいかない、、、等等は生きている以上日常茶飯事で、すなはち「月に群雲花に風」思うが儘にならないことが人生そのものの「運命」であるともいえる。

ゆえに

その様なことは些細なことで取るに足らないことかもしれないが、日本社会の変容ならびに世界の情勢における「きな臭さ」の異臭は耐え難くまさにこれこそ「取るに足る」ことであると思われてならない。

というのは

それぞれの思惑、平たく言えば「はったり」で日本社会のみならず世界が動いてしまうということに対する憂慮が気分を鬱屈させてしまうのだともいえる。(お前が心配してドーする?)

しかるに

その原因が「小心」であるからというのはどうであろうか?諸賢の見解を聞きたいものである。

で、

自分のことはさておき安倍晋三にしても金正恩にしても、、、あのドナルド・トランプにしてもあまりにも何かを怖がっており、その恐怖感がさらに強い力の誇示(口先だけでも)に繋がっているように思えてならないのだ。

そして

そのことは、そのような小心者たちを自らの指導者に据え置いている国民が怯えてしまっていることの証左でもあるともいえよう。

もとより

中東や極東での地政学的な緊張を生じさせることが「ある目論見を持った人々」(たとえば軍産だとか民族浄化主義者?)の仕掛けた罠であるとか深慮権謀であるとか言う説もあるにはあるが、いずれにしても米、日、北朝鮮の指導者は明確に狂っていると思われてならない。

ということは

それらの国と国民が狂っておるということであり、あまりの「小心翼々」がゆえにより大きな恐怖に駆られてかえって大胆になり思わず「それを」起こしかねないという自己矛盾を抱えてしまっているということである。

もちろん

それとは「第三次世界大戦」であり「世界の破滅」である。

また

一方で「そんなことが起きるはずがない」と根拠のない楽天論と「起こるかもしれない」という悲観論が錯そうしいずれにしても冷静で科学的とは言い難い。

まして

誰も望んではいないのだけれど、ほんのちょっとした間違いや行き過ぎが「直ちに」あらゆるシステムを(誤?)作動させる可能性があると言いうのが現代社会では「ありうる」ことなのである。

それを

「杞憂」とかたずけるのは容易い。しかしその「杞憂」がチェルノブイリやフクシマや実際起こりそれが今も続きていることを忘れてはならない。

だから

決して取り出してはならない「タブー(原子力)」を人類が欲望と恐怖心に駆られて手にしたときから間違いは始まっており、惑星衝突で恐竜の時代が終わったように、自らの間違いでいずれは人間の時代が終わることも「運命」なのかもしれない。

ゆえに

過剰に危機感を煽る気はないが、だからと言って「杞憂」で済ますのは間違いだと思われる。

なぜなら

北の正恩も米のトランプもそしてわが国の晋三も決して強靭な精神力があるとは到底思えないし、むしろビビりすぎるがゆえに何をするか分からないと思えるからなのだ。

じっさい

狂人を装っているうちにほんとに狂ってしまった人を僕は何人か知っている。ヒトなんてものは所詮そんなものである。

返す返すも

彼らに「座して死を待つ」泰然自若たる肝の据わった度胸がほしいものであるが、「小心」しかとりえのない彼らがまことに残念である。