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いまはただ、ビバルディの「バイオリンコンチェルト・愛」を静かに聞くしかないだろう。

世界の緊張?

馬鹿と小心者たちが勝手に騒いでいるだけのことを真剣に考える気もしないが、いずれにしても自分(指導者)たちの国内向けの面子や沽券のため膨大な軍事費を国民から搾り取らざると得ない彼らは只のパシリであろう。

誰のパシリ?

結果的に誰が儲かっているか考えればスグ分かるというものだが、お互いのマスコミの煽りで国民はひたすら税金を払いバカで小心者のパシリを支持していると言うのだから自分の足を喰っているタコとなんら変わるところはない。

したがって

アメリカと北朝鮮、NATOとロシアが突っ張り合いを際限な繰り広げていても詮無いこととしか言いようがない。

もちろん

北やロシアに比べアメリカとNATOの圧倒的な軍事力の差は歴然であって、やれるもんならやってみるがいいと、つい僕なんぞは思ってしまう。

なんとならば

どうせ一寸先は闇でしかないのだから「核」であろうと「通常兵器」であろうと相手の反撃を恐れていてはどれだけ軍事力の差があろうと「いくさ」となれば「もう」関係はないのである。

すなはち

肉を切らせて骨を切る覚悟があるかと言えば双方ともそれは「ない」からなのだ。

ということは

NATOとアメリカは相手が窮鼠猫をかむところまで追い込んで、結局は、実際使わない核を含めた無駄な兵器を増産しているだけと言うことになる。

この

単純極まりない構図をあたかも危機が迫っているように御用マスコミが連日報道し、国粋主義者を名のる不届き者の指導者への支持を高止まりさせているというのだから、これはもはや「喜劇」というしかないだろう。

さすれば

いくら「座して死を待つ」と揶揄されても僕なんぞは悠々としてビバルディやモザール(モーツアルト)のバイオリンやピアノのコンチェルトでも聞きながら愛する人との駆け落ちの顛末でも想像していたほうがよほど楽しいというものである。

いずれも

最後は「どうせ」死に至るのならバカな指導者と心中するより、愛するものと心中することを想像していたほうが
綺麗であろう。

しかし

滅多なことで実際の破局など訪れず、単に兵器産業が相もかわらず隆盛を極めることであろうよ。

では

心中のほうはどうなるかって?

それは「短くも美しく燃え」という映画でも見れば分かると言いうモノ、僕は恋愛の結末にいちいち解説するほど野暮じゃない。