岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

三島由紀夫

中年・初老?の星となれ!

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僕が有望な若手代議士で一番の切れ者として紹介された前原は確かに当時若かったし見様によっては「男前」と言ってもよい颯爽として溌剌、しかし丁寧で優しい語り口であり「この男は、、、」という強い印象があったことを覚えている。

なぜ

印象深かったかと言えば単に「男前」であったからではなく、何となく、、、語り口こそ穏やかだがどこか2・26の反乱軍将校を一瞬で彷彿とさせる顔立ちであったからである。

つまり

穏やかな目線の先にほの見える「決意」というか「蹶起」というか、悪く言えば「狂気のようなもの」を至近距離に漂っている「空気感」から「僕が」感じたからである。

しかし

それは只の僕の考え違いかもしれないし、インタビューでもそのようなことはおくびも出さなかったから誤解である可能性も大いにあると思われる。いわゆるカン違いって奴であったのかも知れない。

にもかかわらず

その「青年将校」はあっという間にいつの間にか先輩を押しのけ新生(当時は)民主党の党首となっていた。

そして

その早すぎたリーダはすぐにつまらんことで失脚し、その後十年以上も彼の「トップになれる才能?」は控えられ、押さえられてきたのである。

ただ

彼の才能を認めつつも、「僕は」前原誠司という男に安倍晋三以上の「危険さ」を感じてしまうのだ。

なぜなら

前原の(たぶん)直情径行の「情念」は「今でこそ」棚上げされており、戦術として憲法改正や反共など「前原オリジナル」が封印されているが、「僕は」彼こそが安倍なんかと比べ物にならない「右翼」だと今も思っている。

だから

すなはち「危険」であると言っているのではなく、どこかに秘めている彼独特の「潔さ」こそが彼の右翼「性」の真骨頂であるだろうし、そんじょそこらのウヨクとは違うかっての保田 與重郎を連想させる「浪漫」の香りが抜けないような情熱に「まだ」期待しているのである。

というか

その喩が古すぎるというなら、どこか三島由紀夫的な雰囲気が残っていると感じていると言ったほうがいいのかもしれない(それも古すぎる?)。

もちろん

齢28で政経塾から直ちに代議士になったかっての紅顔(?)の美青年もいつの間にか慎重でずるがしこい知恵を蓄えた初老の(?)ベテラン政治家になったことはよ〜く分かっているつもりである。

そして

政治家として長生きするためには嘘も覚えたことだろう。

しかし

それを認めたうえでもなお、懐に隠し持った「妖刀」はいつ刺し違えてもいいような「構え」を崩さないようにおもえるのである。

ゆえに

「外交安全保障政策」や「対共産党」への態度がどうこうと言っているのではない。そんな「枝葉末節」など所詮は選挙戦術に過ぎないのだから「民主的に」党内の意見を聞くことになるだろうけれど、かれの「燃える血潮」はそう簡単になくなるとは思えないのである。

そして

それがなくなったりしたらただの「鉄ちゃん」に過ぎないどこにでもいるオッサンになるだけのことだ。

もちろん

枝野だろうが、前原だろうが、泥船=民進党が再生することは未来永劫ないだろう。

ただ

前原の秘められた「狂気」に少しばかり期待するしかないだろう。

けだし

狂気とは凶器であり、具体的には大胆な政界再編への夢でもある。

つまり

守りに入ったら泥船が沈むのが早まるだけであるから、民進党をぶっ潰すとか、「殺す」勢いで党改革を断行しないと明日はないということである。

前原誠司よ

お前の特徴は自信過剰&前のめりしかないのだから開き直って元の前原誠司に戻れ!

文科省は日本民族を消したいのかっ!

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おぼろげで優雅な日本固有の景色であるとか、揺れ動くもたおやかな自分(日本人)の微妙な情緒なんぞ毛唐に伝えられるはずもないし、またおのがじしそれを他言語で伝えたいとも思わない。

ただし

もし伝えるべき要件があればなるべく正確に伝えたい。とくにこちらからの要望に於いておや、、、、、ただそれだけのことである。

一例を挙げれば

三島由紀夫はアメリカの放送局のインタビューに正しく英語で答えてはいるが、自分の小説においてはやや過剰なほど日本語でしか顕せないような「大和言葉」しか使わなかったのである。

しかるに

ドナルドキーンがいかに苦労したかが忍ばれる。


ところが

かって、現地司令官の既得権を死守したい大馬鹿卑劣漢の連中は進駐軍の隣にいることでやくざも警察も無視できるだけでなく自ら現地人(すなはち日本人)にたいする支配力をより強固にできたものだから、いまだに宦官たちの考え方が当時と変わっていないのである。

もとより

身をひさぐ以外に喰う道がなかったパンパンを責めても詮無いことではあるが、男性でありながら「宦官」になって
毛唐に身も心も売ることを何とも思はない日本人が「いまだに」いると思うにつけまことに情けない限りである。

つまり

それが彼らが戦後ずっと推し進めている「英語教育」なるものの本質が宦官主導体制の保持であることは言うまでもあるまい。


それゆえ

宦官たちが英語を介する人間と英語を介さない人間とを明確に差別化できる植民地社会を目指していることは明らかである。

ということは

かってのインドとかシンガポールとかと同じように毛唐すなはち神の言葉を宦官が預言者として神に成り代わって伝えるためには、どうしても通事「のようなもの」が必要でありそれが出来る者が同じ奴隷でも上位を占め、残りを死ぬまで貧者にとどめ置こうとする企みなのだ。

ちなみに

今回文科省宦官が出した英語教育に対する方針こそがそれを如実に顕している。

それは

今回安倍政権が打ち出した「英語教育改革実施計画」のことで、2020年、小学校5年から英語を正式教科にし、中学・高校の英語の授業はオール・イングリッシュ方式、つまり日本語を禁止し英語だけで授業を行うことを謳っているのである。

まだ

日本語も固まらない子供の時点で「思想の構築」とか「概念把握」とかいうことをできなくさせるため、文科省の宦官たちがこれを企み、極めて英語コンプレックスの強い安倍に持ちかけたのは「兵法」としても卑怯極まりない。

これが

もし宮沢喜一だったらそのようなことは提案しなかったはずである。


それはともかく

こんなことを進めれば、一知半解な少数のグローバル・エリート?のみが英語で会話し、土地に愛着を持たず、好きなように動き回り、英語が出来ずそれ故英語を畏怖している土着の庶民は学問からも疎外され、いい職にも就けず、収入格差も大きくなって自信さえ失い、ひいては国民を英語階級と現地語階級に分断することになるだろう。

つまり

相対的な日本語能力の低下もしくは日本語蔑視化は日本固有の文化や哲学の劣化につながり、なお一層の対米従属の格差社会につながることになりかねない。

どうして

情報だけは鎖国状態にして偏った英語教育だけを進めているのかぼくにはどうしても理解できないのである。

たしかに

知識は豊饒であるべきで、他国の言語を理解したり異邦人にモノを要求したりすることはあり得ることだろう。ただ
何故他言語を無視し「英語」だけに特化しなければならないのか全く分からない。

しかも

多様な知識がバランスよくあるという前提で、物理だとか数学だとか言語学(のひとつ「英語」)だとかを選択するのなら分かるけれど、なぜ日本語で知識の体系が出来上がる前にネイティブでない言語を頭にいれて子供の知識を混乱させる必要があるのだろうか。

やはり

一世紀遅れの植民地主義を日本に根付かせようとする宦官どもの悪巧みであるとしか考えなられない。

なぜならば

いまだに旧植民地の「英語力?」は子供のころから英語塾?に通わせている日本人よりはるかに習熟しているからである。(ゆえに自立できない?)

だから

僕は日本の文化や教育を破壊させる政府の方針に断固反対したい。

というのは

言語を理解することと納得することとは全く違うからである。

そのいい例が

全く英語が理解できない安倍晋三が辺野古新基地建設に納得しているということである。また、逆に英語を理解しているからこそ沖縄県知事は納得していないという皮肉な現象も起きている。

ことほど左様に

総理大臣ですら出来なくてもやって行けるような英語をなんで一生使わないかもしれない国民「すべて」に課すと言うのか理解できなのである。

第一、

中高すべてを英語で、いったい誰が教えるというのだろうか?

「空っ風野郎」こそがホントの業界人なんだ!

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昔は夜に遭っても「おはようございます」というのは僕のいた限られた業界の隠語であったが、いまや「お疲れ様」「フリップ」は当たり前、すこしななめにして映し易くする「やおや」なども素人でも平気でいうようになった。

しかし

さすがに「たんがす」なんてのはまだ知られていないと思っていたが、その業界の隠語は知らなくてもその演出方法が最近は普通の結婚式なんかでも使われているらしい。

もとより

それは炭酸ガスの煙幕を使った演出法の略称であるが、たかがオリンピックのエンブレム発表の時にすら使われていたのにはおどろいた。格闘技スターの登場じゃあるまいし馬鹿じゃなかろかと思う。

ことほどさように

意味も深く考えずただ単純に先人の真似をするという悪しき傾向は、国のトップにまでおよび、さらには国会の周囲からこだまする国民の声を無視して強行採決に及んだ自分の爺さんの真似する輩まで現れる始末だ。

この

自己陶酔という誤解にもとずく行動様式は、自分で勝手に「こうかもしれない」と先回りするずるがしこさにも繋がっているように思われる。

というのは

最近の若い記者は別に権力があからさまに弾圧しなくとも、上司が連日ゴチになっていたとしても直接自分じゃないのだから、慮る必要などまったくないはずである。

たしかに

たまに「心得」とかいう社内でメモが配られることがあっても、それは単なる留意事項といったものであり、第一、現場で作業しているスタッフはそんなもの読むわけがない。

いまだに

マスコミの現場の作業は己の経験と勘以外に頼るものはないのだ。

にもかかわらず、

作業中「これまずいんじゃねー」とか勝手に言って、まだ、だれからもクレーム付けられてないのに自主規制するというバカな傾向が「賢い」と思い違いしている者が多い。

たとえば

すべてにモザイクをかけた街の風景、手錠だと見え見えなのにその手錠だけをぼかしているとか、やっと探し当てた「雁首」(顔写真)にそっくりモザイクをかけてしまうとか、、、数え上げれば枚挙にいとまないが特に悲惨な原発事故の「詳細な」映像とか、2001年の貿易センタービルの「よりの画面」とかを神経質に使わ「ない」のには大いに問題があると言わざるを得ない。

つまり

文句を言われる前に自主規制する、上司から注意される前に縮こまることが「賢い」と勘違いする「愚者」が増えてきたということであろう。

ということは

マスコミを「堅気」の商売だと勘違いしている馬鹿
、、、、、、、、がいかに多いかということである。

「俺たちゃなぁ〜」

と言い始める市っあんじゃないが、明日をも知れないよるべないやくざな「空っ風野郎」こそが、お天道様の下で働かない商売の本質であることがなぜ分からないのだろうか?

そのてん

思想は違うけれど三島由紀夫の潔さを改めて評価するしかないだろう。

なんとなら

東大「法」学士の彼が生きていればきっと「憲法改正」をせずに姑息なことをやって生き延びる日本人像には猛反対したことであろう。

ドローン騒動の醜さ。

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「威力業務妨害」ぐらいしか思いつかないが官邸の屋上でどんな「業務」がドローンによって妨害されたのだろうか?ドローン自体が一か月ちかく見つからなかったにもかかわらずである。

しかし

犯罪としては軽微ではあるが、この種のやり方はどうも気持ち悪いだけで、反権力とか反原発のムーブメントに伴う自己自己犠牲性的な痛快さがないためかえって逆効果であると言える。

このことは

「犯人」山本泰雄本人の反原発の意図とは関係なく、むしろ結果的に安倍ゾンビ原発推進政権をいっそう強力にする為に行われたと言われても仕方があるまい。

とまれ

首相官邸屋上で小型無人機「ドローン」が見つかった事件で、関与したことを示唆するブログの気持ち悪さと言ったらない。

たとえば

ブログの主であろう山本は福井県小浜市に住み自らを「官邸サンタ」と名乗っておるようだが、原発のある自治体に隣接する彼の棲んでいる小浜市は「原発が事故ると直撃コース」「再稼働を止める活動をしなくては」と書き連ねており、そこまではまともだが、それから先がどうもまともじゃない。

それは

彼のブログに「反原発アピールなら汚染土か」として、昨年10月〜今年3月、3回にわたり福島県入りして土を採取した経緯などを書き込んでいるがその採取した過程がすでに何となくマニアックで偏執的な感じがするからである。

また、

黒く塗られたドローンや「汚染土100グラム搭載」の容器の写真を載せていて「(ドローンの)法整備前に飛ばしてしまおう」と自己逡巡さえしている。ここに彼の絶対的孤独と性格の暗さまで感じてしまうのだ。

そして

ついに彼は行動を起こしたらしく、4月7日に小浜市を出て8日未明に東京・赤坂に着き、9日未明に赤坂の駐車場からドローンを飛ばしたのである。

さらに

彼は「官邸上空…中庭…全く見えない…真っ暗」だったため、官邸の前庭に向けて降下させたが「そのまま完全ロスト…現場離脱」してしまい、同日午前、小浜市に戻り「帰宅後ニュースを見るが…何も報道ない…」と書き込んでいるからさぞや発見もされる話題にもならなかったことを嘆いたことだろう。

しかしついに

22日になってドローンが見つかり、機体に付いた容器に液体が入っていたとマスコミが一斉に報じたにもかかわらず「遅せーよ職員! 2週間放置て…」と悔しがり、「放射線も感知してくれたか…液体とか言ってるけど土だし」とか自ら書いて自分の犯罪が「ちゃんと」検証されないことにもさらに嘆いているのである。

、、、、、これらから僕が感じるのはただ「不愉快さ」だけである。

だいいち、

ドローン自体が気味悪く、見るだけで虫唾が走り、この上なく「醜い」。使う人も、作った人の意図も、そして形状も、動きも、すべからく醜い。殺人兵器としていろいろなものが開発されて久しいが、いずれもその卑怯千万さは飛び道具どころではなく、所詮戦の道具でしかないけれど「それなりの」無骨な潔さ、とか、、、すなわち己が傷ついても闘う(戦う)という三島的なある種耽美な「美」のかけらも感じられない。

たとえ

偏執的で病的だったとしてそこになんらかの「美」さえ感じさせるであれば、それが、たとえ犯罪であっても「僕は」認める。

しかし、

このドローン騒動にはまったく美学がなく、ただ醜いだけである。

それは

とうぜん、自首した山本何某という中年男性にも、捜査にあたる官憲にも、官邸の住民である安倍晋三以下の一族郎党にも、、、、そうである。

そして

かような類いの悪臭は民主党からも臭っており、安倍晋三に異常な「ツキ」を与えてしまっているだ。

いずれにしても

「くせーよ」

ブログ主からの「しつもん」です。

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この年になってどうせ人生の納期(死期)も限りなく近くなってはじめて自分が「貨物船フェチ」だったことに気が付いた。


何の脈絡もなく、大したストーリーの才のない三島由紀夫が好きだったり、子供のころからの鉄道ファンだったり、いわゆる「工場燃え〜」であったり、湘南や地中海つまり「海」に面するところに棲んでみたり、したのはなんだったのか。どれにも満足しなかったけれどなぜ「そういうもの」に惹かれてしまうのか自分でも不思議であった。たんに
「気が多い」というだけでは説明つかない衝動にその時々で突き動かされてきたのだ。

しかし、やっと分かった。いずれも「かすかに」貨物船に関連していたからだろう。

たとえば三島の小説の展開には何の魅力も感じないがすべての彼の作品に漂う「貨物船」の「匂い」に惹かれただけだったのだ。だから新井由実の「♪ソ〜ダ水の中を”貨物船”が通る〜」という声を聴いただけで訳もなく動揺したのだった。

このようにして個人の嗜好には「何の理由もなく」もしあったとしても後付けの論理でしかないのだ。

幼児体験もトラウマも社会環境も時代背景も、そして個の伝え持つDNAすらも、まったく関係ないわけではないが、基本的には関係ないのである。いくらでも理屈や能書きは「あとで」いえるけれども、実はすべてのことに「理由」などないのだ。

そのようにして

凡人の「ひらめき」など取るに足らないが、政治家の「ひらめき」は民族や国家の存亡を決めることがあり、芸術としては興味深いが政治がこの「理由なきひらめき」によると危険極まりない。

それゆえ

しかたなく合意といういちばん「つまらない」結論を導き出すしか統治の方法はないと古代ギリシャの市民は考えたのである。

「民主主義」とは妥協の産物でもあるから「誰もが望む」ことであり、かつ、「誰も本当には望んでいない」ものでもあるのだ。

ならば他にもっといい方法を具体的に提示しろと言われると

正直に言うと「貨物船フェチ」にとって「政治」を真剣に考えたことがないため、自分にはわからないというしかない。


同様に、

当分「方便」としての民主主義の形式をふまえたような格好で「戦争フェチ」集団が内閣を構成することだってあるのだろう。

たとえ内閣の19人中15人が極右集団の会員であったとしても、選挙で選ばれた人で作られた内閣の長の専権事項として内閣のメンバーを抽出するのだから、手続き上「民主主義」であるのだから「反知性戦争フェチ」を除外する方法は一切ないのである。

外国のメディアでは安倍内閣の「右傾化」を批判しているようだが個人の嗜好に理由がないように、一国の運命は時の政権の「嗜好」が大きく影響することに「本当の理由」は「ない」のであろう。

それは時代を吹き抜ける「不思議な風」でしかないのかもしれない。

天変地異がおこると決まって後付けで低気圧がどうじゃら、高気圧がどうじゃら、編西風の蛇行がどうじゃら、まして大地震は地下のマグマがとか、大地のひずみが云々というけれど、なぜ起きたか説明しようとはしないのである。

つまり「宇宙の成り立ち」についての説明は何度も聞いたけれど「なんでお空があるの」「なんで僕は生まれたの」という本源的な「問い」に科学者(人文も含めて)答えようとはしない。

哲学的宗教的な答えなど糞喰らえ、何の答にもなっていない。

タメにする理屈などいらないから

なんで軍隊を強くして戦争をしたいのかだれか教えてくれないか。それも偏愛(フェチズム)の一種ですか????

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