岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

舛添要一

禿鼠の後釜?どこまで続くぬかるみぞ。

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そもそもおよそ30年ぐらい前からせこくて下品な田舎者であった禿鼠を僕は個人的にずっと嫌ってきたから彼が職を辞しても「ざまぁみろ」としか言いようがないが、一方で日本のメディアや自民党の伝統芸ともいえる「使い捨て文化」には辟易するばかりである。

つまり

利用できさえすればバカでもへちまでも構わずに持ち上げ、いったん躓いて溝に落ちた犬は徹底的に叩くという「芸」をし、それを支え続ける「大衆」がいる限り、日本の政治の劣化は決して止まることはないだろうということだ。

にもかかわらず

禿鼠なんかよりはるかにダーティな現在の内閣は腰が引けて「叩けない」メディアというのはむしろ「政治」より劣化が激しくもう病膏肓に入っていると言って過言ではない。

ところが

何の実力もコネクションもない禿鼠だからいくらでも叩けばいいはずなのだが、そこでもぎゃあぎゃあとただ騒ぐだけで腰が引けていることには変わりなく、X氏だとか女支社長だとかただの風景にまでモザイクを掛ける始末であるから情けないことこの上ない。

だから

はっきりと死人に口なしだからホテル三日月で逢ったと嘘を付いてばれないのは元記者・芹澤邦雄を想定するしかなかった、、、とか、様々な証言をしている女社長・吉川美鈴さんで「すら」禿鼠そのものの人間性は嫌いであったとか、、ハッキリ伝達すればいいだろうに、向後に憂いがあるかもいって知っているのに書かないのなら記者の資格などない!

そんな

腑抜けは禿鼠云々のまえに即辞めた方がいいと思う。


さはなりながら

どうやら今年の暑い夏の「闘い」は参院選後ただちに都知事選と続いていくわけだからまさに「何時まで続くぬかるみぞ」となってますます民衆の政治ばなれを加速させ、その「うんざり感」が一層の棄権者の増加を促し、結果的に安倍一強をさらに強固なものとすることだろう。

さすれば

禿鼠は一時的には自公乃至与党がかって支持したことの陰りを想起させたものの、長期的にみれば婉曲に大衆の政治離れを助長し、結果的に棄権者を増やすことにつながっていくだろうからむしろ与党の貢献者ともいえるはずである。

いずれにしても

依然としてそれを選んだ都民の責任は問われないままに、ふたたびポピュリズムここに極まれりといった選挙戦が延々と繰り広げらることであろう。これでもかこれでもかと大衆がなるべく政治に倦むように、、、である。

ちなみに

直ちに都知事候補として与党では小池百合子とか丸川珠代だとか桜井翔のオヤジだとかが上がっている他、野党では蓮舫を筆頭にヤワラちゃんとかの名も取りざたされており最終兵器の目玉として澤穂希すら「もう」噂され始めているようだ。

しかし

与党の本音としては「改憲勢力」として、どうしても橋下徹を大阪から引っ剥がして首都東京の顔にしたいらしくすでに水面下で蠢いている。

馬っ鹿じゃなかろか!

男女のことなど語る資格はないが、、、

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@STジブリ

とてもロマンティックな絵空事ほど人々の感動を呼ぶものだ。だからといって、たまたまその作品を制作したひとが「男性」だったからちょっとした物議を醸しているだけで、まして性差別意識などまったくありえなかったと信じたい。

というのは

イギリスのガーディアン紙から「思い出のマーニー」のプロデューサーにされた「今後ジブリでは女性監督を採用することはありますか?」との質問に西村義明Pがこのように答えたからである。


「どんな映画かにもよります。実写と違い、アニメーションでは現実世界を簡略化する必要があります。女性はより現実主義的で、日常生活をうまく管理する傾向があります。一方、男性はもっと理想主義的ですね。ファンタジー映画は、理想主義的なアプローチが必要なんです。だから男性監督が選ばれてきたのは‘偶然”だとは思えません」

、、と彼が答えた。ただそれだけのことである。

いわば

これはその場での極めて個人的な「意見」に過ぎなく、たまさか彼ら(鈴木氏を含めて)が興業的に満足させ得るものかどうかでPとしてはどうしても男性監督を選ぶことが多かったと言うだけで、その制作会社のキャラクターや職場環境によることも多く、その時、ジブリに女性の監督で必ずふさわしいと思える人がいなかったということも考えられる。

しかし

そのことが‘偶然”であったかなかったかなどは神が決める「運命」の問題に近く彼が言うのはすこし早計だったかもしれない。

でも、だからといって

あえて男女差別とか区別とかいう問題になるのはちょっとおかしいような気がする。

もとより

僕自身はすべてにおいて女性の方が優れていると思っており、その証拠に自らの胎内で時を刻める能力など男性には当然にないものであろう。

また

何を持って優秀とするかにも依るが、少なくとも生物の「類」として生き抜くための智慧が女性の方が発達しているのは当たり前だのクラッカ〜である。

また

何も持って現実的だというのか分からないが、すくなくとも生き抜かなければ「ならない」義務感とすべてのファンクションを鍛えているのはどうしても「女性」ということになる。

さらには

理想主義的でありすぎる男性は現実が「より」コントロールできないからただ理想に走っているだけであって、現実をコントロールしつつ、なお「夢のような世界」を仮にでも実現させることは女性にしか出来ない。

だって

宝塚の男役に「無垢付けき生物学的男」がなったら、誰も見ないだろうし即会社が倒産に追い込まれることであろう。

いずれにしても

「一般的に」女性のほうがはるかに優秀にできており、男性など「基本的に」精子の無責任な放出のほかはなんのめぼしい機能も有してはいないのである。

もし

それでも人間の男性に備わっているモノがあるとすれば「卑怯未練」ぐらいだけである。

その言い例が

舛添要一と甘利明であることは言うまでもない。

(前置きが長すぎた?、、、、「反省」

ふたたび登場妙薬「バカナオール」

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以前にも言ったことがあるが、バカは決して治らないのだ。

それはもちろん

安倍や麻生といった生物学的に脳に先天的な(安倍の場合は腹も)著しい問題を抱えたもののことをを言っているのだが、それだけではなくひたすら卑怯未練を貫いていると脳が劣化して後戻りできない場合もなかなか治癒は難しいということでもある。

そのいい例が

舛添要一や甘利明であることはもはや言うまでもあるまい。

とりわけ

「アベノミックスを一段と吹かして世界的経済危機の‘‘恐れ”を乗り切る」などとたわけたことを言い放っても、そのバカさ加減を誰も指摘できないところが日本の悲劇ともいえる。

つまり

誰もが二重三重の過ちや論理の馬鹿さ加減を承知していながら、自民ナンミョウはおろか報道(狗HK)がこのことを誰も指摘しようとしないことである。

なぜなら

まず第一に世界的な経済危機が迫っているとはG7のどの国も思っていなかったし、第二に「一層エンジンを吹かす」ということは今まで前例のない大胆な金融政策のアベノミックスが失敗であったか少なくとも減速していると逆に自ら認めたことになるのではないか。

にもかかわらず

小心翼々とした財務省の一部が内部だけで批判した文書を作成したものの結局壮大な自慰行為に終わり、狗HK以外のマスコミも野党も例によって「へっぴり腰」を崩さないままである。

なるほど

自己保身だけでなく半径1M以内の子や孫を路頭に迷わすわけには参るまい。だが実際は路頭に迷う恐れなど「まったく」ないと思われる高給・既得権者になればなるほどそうである。彼らの平身低頭、詔あらば従うのみという態度は、家族を守るというのは口実だけで、ただの「強欲な卑怯者」の振る舞いに過ぎない。

だから

現実的な経済の予想をしても「彼らには」ほとんど意味はないと思われるが安倍がどうしても裏の主旨「憲法改正発議権」を隠して焦点をアベノミックスの是非論だけに絞りたいのなら、いちおう客観的な下振れ予想も提示せねばなるまい。

すなはち

世界経済全体は若干上向きになっているが個別日本経済の下降れには歯止めがかからず、アベノミックスがさらにこれに追い打ちをかけている。

だから

プライマリーバランスなどもう気にしている余裕がなくなり消費財を延期するしかなかったのであるが、これにより皮肉にも延期効果がかえって「下振れに」働き、かって増税を前提とした16年度を0.86%増、17年度を0.00%「程度」とみていたのであるが、この延長により個人消費のいわゆる「駆け込み需要」がなくなったため16年度が0.73%増から0.29%増に下方修正されてしまったのである。

また

設備投資も16年度を2.63%増としていたものを1.39%増に下げるしかなかったし、頼みの輸出ですら16年度だけでなく更には17年度まで下方修正が余儀なくされておりされており、理由がまたしても「世界経済への警戒感が消えていない」からとしており、どこまで行ってもバカにつける薬はないのである。

これが

アベノミックスおよび消費税再々延期なのど安倍内閣の経済政策の具体的現実的な「効果」である。

したがって

これが「アベノミックスを進ませるか、止めるか」を争点にしたい自民ナンミョウその他の選挙戦術であると思われる。

ということは

経済など細かく分かる筈もないと彼らが国民有権者をバカにしているとしか思えない。

ならば

それでも安倍政権大勝利なら、ほんとに「バカナオール」を服用する必要があるのは「国民・有権者」の方かも知れない。

永田町界隈の景色:「落ちた犬は〜」

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日本マスコミの伝統芸としていろいろあるけれど、なんといっても最も強烈なのが「打落水狗」なのだと思う。

そして

それは何も政治家だけでなくあらゆる分野でもすさまじく、ついこないだも目の大きな毛唐の娘などもその袋叩きあったのが記憶に新しく、マスコミが「相変わらず年中行事をやってるな〜」と思わず笑っていまうほどであった。

すなはち

これらは大衆の娯楽の一つの類型(なまはげ、流鏑馬、NHK紅白、、、のような年中行事)であるから、普通なら「またか」というだけで、次から次によくネタは尽きないと感心はするが、「打落水狗」の習慣自体はどうでもいいと思ったことだろう。

しかし

僕は個人的に人品骨柄すべてにわたって下劣なこの禿鼠だけは昔から(平成の始まるころから)ずっと嫌いであり、今回の彼のケースだけは絶対に許せない。

だって

そんな彼が都知事にまでなった時にはあまりの落胆に一時筆を折る決意までしたほどであるのだ。(別に僕が筆を折ろうが折るまいがそもそもこのブログが「筆」であるかどうか疑わしいからどうでもいいけれど、、、)

ことほど左様に

およそ四半世紀に渡る僕の仇敵であった妖怪;禿鼠がマスコミの習慣=打落水狗に今ようやくひっかかってきたかと思うと個人的には嬉しくて仕方がない。

それも

もともとが彼の目をむいて怒る迫真の芸が数字になるからという理由でしぶしぶテレビで使った僕らにも責任があるが、これほど大化けして都知事閣下になるとは思ってもみなかったから、やはり業界の「使い捨て習慣」もまんざら捨てたものではないと「も」考えていたところだった。

ところが

業界が自ら使い捨てなんかしなくても、伊勢志摩や参院選のまえに一瞬できそうだったネタ切れの空白をこの話題で埋めてくれているのだから世の中上手くできているものだと今更ながら感心する。

、、、と、いささか

冗談めかした前置きが長くなったが、この話題には彼個人の「せこい資質」の問題だけでなく、さまざまな政治的な思惑も絡んでいるようである。

そのなかでも

都議会自民党と彼とのそりが合わず根底にある彼らの願望として毒にも薬にもならない一番使い勝手の良い「ノビテル」と首を挿げ替えてほしいというのがこの「話題」急浮上の原因であるとされている。

しかし

僕はむしろ甘利隠しや、特に直近の同じ「朝生」出身の某女性閣僚のスキャンダル隠しがあると思っている。

とりわけ

放送法という自分たちに飯のタネを奪われる恐怖はものすごく、業界内では「さわらぬ神にたたりなし」というために泣く泣く別な生贄が必要だったと言う人もいるらしい。

それはともかく

この一番の責任はだれあろう東京都民有権者にあると思われる。つまりテレビの情報だけを金科玉条に奉り、ある時は太陽の季節オヤジある時は〇〇キャンペーンガールそして女スパイ風女子アナ等々、、、、、コロコロと変わる「まるでテレビのような」軽佻浮薄なる人物を(大阪も同じだが)推してきた有権者にも責任はあると思う。

もちろん

騙したテレビが悪いと言えば「鶏卵議論」になり、それまでになってしまうが、実際に近くの投票所に行って剥鼠に具体的に投票したりまたは棄権したりして結果禿鼠を当選させたという事実は変わらないのである。

ほんらい

政治家もマスコミも「お客さま」である国民有権者の悪口は「思っていても」絶対に言わないと言う「お約束」となっているが、ただの死にぞこないで利害関係のない僕は、自分を含めた国民の平均民度の低さにこのようなスキャンダルが出るたびに驚き、正直に「有権者責任論」を唱えたいのだ。

それでも

ふたたび「打落水狗」が起きるまで第二、第三の禿鼠が出現していくのだろう。

けだし

それが贋作か真作か直接遭遇しないとなかなかわからないのも事実なのだから、それを伝える媒体は良くも悪くも決して「嘘」をつかないと言う厳格なるルールを具体的に作るべきあろう。

だって

「反省」だけなら猿(軍団)だってできるのだから(古〜っ)。

またもやサボる政治ブログの日。寝不足なんです。

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時々「あの」バブリーな時代を懐かしむときがないこともないが、すでに自分に輝きが失われ齢を重ねるごとに萎えてしまった今、もうあのころの経験は物理的に無理だ。しかも一人なんだから何しても詮無いだけである。

どうせ孤独なら日本の最南端で桜島を眺めて錦江湾の夕暮を地元の幸を食べながら薩摩の焼酎を飲るのも、地中海に沈む夕日を浴びながらコートダジュールのキャップ・ダ・ァ―ユでワインを飲みながら過ごすのも大して変りない。それでも日本国籍の日本人そのものの肉体をしているので、日本国内で暮らした方が「若干」便利であるといえよう。

死ぬまでの時間は以外と長いけれど、自分で料理を楽しみながらただ過ごすだけの身体と運命にあって選択肢は無限にあるけれど、若い時のように「ああしたい」とか「こうしたい」ことなど何一つない。

旅行も飽きたから宇宙旅行ならと思うけれど金銭と体力的に無理だろうし、特に見たいものもない。たとえ目に前に世界一の美女が現れても「あああなたがそうですか」というぐらいで、だからどうと言うこともないだろうと思う。もともと金銭には無関心であり、住処も雨露さえ凌げれば豪邸もボロ屋も大して変りないとおもっている。

しかしながらさりながら、「あの」時代の光と影の煌めきは一体なんだったんだろう?

ところで、、、

少子高齢化社会を迎えたいま減速した持続可能「しか」選択肢は残されていない。それでもぎらぎらした下品な目をむき出しにした禿が原発を稼働させながらさらなる発展を目指すという。狂気の沙汰である。

それでも東京ではそうしたいと言う人が大半だという。やはりあんなとこにいなくてよかった。

因みに鈴木英人は同じ年で彼が7月6日に生まれ僕は翌日の7月7日に同じ九州でうまれたらしい。だから同じ時代を生きてきたけれど「あの」時代の輝きはもう僕らの追憶の中のイメージでしかなかったのだという「当たり前のこと」をつくづく感じた。

急に思い出した。いよいよやばいか,,,w

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