岩下俊三のブログ

黄泉の国へは何時でもいける。生きてる限りは、やはり「反帝反スタ」のままなのだ。

辻元清美

新しい左派と右派の時代

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しばらくブログなんぞは開店休業にしようと思っていたがフェイクニュースとまでは言わないが「雑音」が多く入り永田町もかなり混乱しているから僕なりの「整理された」見解を述べておくしかなくなった。

というのは

百合子ちゃんの考えなんかその場その場の「運動神経」でしかないし、若いときからある種の度胸と愛嬌?の使い分けが本能的に巧みな彼女の心中など読めるはずもないのである。

それゆえ

都知事選以降にわかに評論家然となった奴らの小池評はいずれも的を外れているのである。

しかたがないから

老骨に鞭打ち、勃つこともなく萎えきっているこの僕が無理して政治談議をしなければならなくなってしまったのだ。

如何してくれる?


、、、というのは冗談にしても、

少なくとも日本新党以前の彼女の生態をしっているものはおそらくいないと思われる。あの中田宏ですらナショナル塾だったからそれ以前の百合子を知っているとは思えないからである。

したがって

都知事の座をなげうって衆院選に出るのでないのと他人が推測してもまったく意味がないのだ。

なぜなら

彼女は世界的学生運動の盛り上がりの時代のしっぽではあったけれど海外に出て行った若者の多くが感じていた「ヒッピー(死後?)」的な世界浪人的な雰囲気を知っているのである。

だから

彼女は既存サヨクも既存ウヨクもそのくだらなさを十分知ったうえで当時ようやく国連の公式言語となったアラビア語をいち早く学習して社会に躍り出る選択をしたのだったのだ。

ゆえに

彼女の保守は新しき保守の試みであったのだが当時の大人はそれをこころみるもことごとく上手くは行かず、細川も小沢もそして自民党をぶっつぶすといって覇権を握った小泉ですら隔靴掻痒のまま「新しい保守」の完成にはいたらなかったのである。

いってみれば

20世紀型の保守の枠をを脱出しきれない保守「自民党」を再生させたのは皮肉にも旧民主党であったのだから。

そして

その敵失のおかげて相変わらず20世紀型の保守を続けている安倍晋三の「自民党」は21世紀型の小池「希望の党」に脅かされているのである。

だから

ようやく彼女が21世紀型の保守を完成させようとしているのであって、同じように「あの時代の」雰囲気を知っている全共闘のペット(今はオバサン)である辻元清美ちゃんと根っこは変わらないのである。

ゆえに

20世紀型「保守」と20世紀「革新」は彼女らの共通の敵であることを我々はよく認識すべきなのである。

ということは

図らずも「民進党」の分裂が新しい保守と古い保守を分けているように、古い革新と新しい革新(リベラル)とが選別されているのである。

それゆえ

20世紀型の赤旗ガンバロー爺婆と20世紀型の金満地元顔役とが長年創り上げた55年体制はすでに金属疲労の限界に達しておりいずれなくなっていく運命なのである。

ということは

今回の選挙では実現しないだろうがすぐに風読み狸と融通無碍ペットが二大政党となっていく時代が早晩訪れる筈である。

ちなみに

小池百合子と辻元清美は同じ根を持つ仲間であり、現実にも仲の良い飲み友達でもある。

ブルーな日曜日(月曜日じゃないのに、、、)

IMG_1952
人生なんていつどこで何が起きるか分からない。予知や警戒にも限度がある。

結局

備えも大事だが、つまるところ一寸先は闇でしかないから、死んだら死んだとき、被災したら被災した時、、、、その時どきに精一杯生き延びるため頑張るしかないのだろうけれども、、、、災害だけでなく、病気でもそうだが、、、、「それでも」死ぬときは死ぬし、生きるときは生きるのである。

つまり

すべては「運命」でしかない。

しかし

ヒトは変えることが不可能なその「運命」を努力すれば変えられるという幽かな「希望」(幻想?)をもって日々を過ごしているというだけであると、、、最近「僕は」考えている。

杞憂?

そうではない。

我が国に在っては、あながち杞憂ではなく必然であるかもしれない天変地異が平穏な生活のただ中に突然起きる蓋然性が極めて高いのだから、日々「空が落ちてくる」恐怖におびえる者を嗤う賢者でばかりはいられないのである。

だからといって

おのがじしの「老い」がそう思わせるのではない。わるいが、残念ながら「老い」がそう思わせていると気休めをいって自分自身を説得するほど愚かでもないし愚鈍ではないと自分では思っている。

ということは

逆に言えば、それは少しも悟れないしまったく人生を達観することが出来ていないことの証だともいえるだろう。

さはさりながら

刹那的にしかも自由にその場その場を切り抜けているだけの人生を選択しているのは絶対的「孤独」に顕っているからというばかりではない。

いくら

関係性を拒否しようともその「煩わしさは」遠慮なく訪れる。

だから

たとえ刹那的であっても、対応するしかないのだ。

まして

ヒトのゼニをもらっている人間は少なくともその期待に応えなければならない。だれの世話にもならず誰からもゼニをもらっていない自分でさえ「煩わしい」世間にすこしは責任を感じているのだから、強制的にカネを徴収している舞台俳優ならそれなりに緊迫感をもつ必要があるはずだ。

そもそも

強制的でなければ、そのような三流の下卑たパフォーマンスなど見たくないから誰も木戸銭を払うものなどいないのだけれど、それでもしっかり「税金」は納めさせられ国会では相変わらず消化試合を見続けさせられているのだ。

これも

一種の災害に近い。すくなくとも「難儀」である。

そして

この人為的な「災害」の被害者である僕は自然災害とは違い「諦める」ことがなかなかできないのだ。

それゆえ

折角隠遁しても何の悟りも開けない己に今日も絶望するしかないのである。

ただ

訳の分からん(言っている本人すら)「事態」云々のことば遊びで我々の税金を無駄に使い、どぶに捨てていることにどうしても「仕方がない」と「僕は」諦められないのである。

天変地異なら

諦めらるのに人為的な被害には諦められないという自分の修行の足りなさを特に痛感した今日の朝であった・・・・

それにしても、、、、、、、

美意識としては?だが政治家として党派をこえた辻元清美は見物

TKY200406140227辻元清美が社民党を辞めた。NHKは丁度良い時間の「七時のニュース」でこの話題をを意識的にニュース項目から排除した。でも確かに辞表届けは党に提出され、記者会見は大阪市の貸し会議室で開かれた。民放は五時のニュースでそろってこれを伝えた。マスコミと政党との事情はあるていど推測できるが、とりあえず民放の情報不足とNHKの保守性は明確にアピールできたようである。

それはさておき本題に移ると、そもそも辻元は議員になるまえから団塊世代の隠れアイドルであり、もと全共闘の恋人だけでなく、死んだ小田実や高野孟など「左翼系」サポーターは数しれない。歯切れのいい大阪弁と奔放な性格は10歳以上離れた「左翼系」叔父さんたちのおもちゃであり、小生意気ではあったがそこが爺殺しのポイントでもあった。ために社民党を膨らませ、またしぼませてもきたのである。旧社会党系の昔からいる爺さんたちは、この「左翼系」アイドルを内心快く思わなかったが、党の花(トウがたっても党の華?)としてしたたかに利用した。しかし党の要職にはつけようとはしなかった。何をいいだすか分からないうどんやのネーちゃん辻元より東大卒の愚鈍な弁護士学芸会級長さん福島を重用したのである。爺たちはわずかに残っていた組合利権をうばわれたくなかったからである。その点ちんちくりんな優等生は信頼できたのである。したがって社民党はふたたび旧社会党的ドクマ教条主義に陥ってしまった。そして奔放な娘に手を焼いた爺たちは連立にかこつけて国土交通省に里子に出した、、、まではよかったが、前原「団十郎」のうつろな流し目に篭絡され、ついに社民党を家出してしまったのである。

社民党の新しいスタイルは柔軟性にあった。それがなくなって頑固にキャンペーンを連呼するだけなら共産党のほうがいい。現実政治の蜜の味をみずほは捨てて党に忠誠を誓った。しかしこの日から清美は違っていたのである。国土交通省を去るときの涙は単なる感傷ではなく、理想と現実のギャップでいずれは社民党を離れなければならなくなるという自分の運命に泣いたのだと思う。

迷いもあればしたたかな計算もある。選挙区の事情も土井たかこへの義理もある、みずほとの見えない確執もあるだろう。それでもなお彼女はこれで確実に政治家として成長したような気がする。しかし波乱万丈な女性ではあるな〜とつくづく感じる。

念のために申し添えるが、まだ自分には最低限の美意識はあるから人類と類人猿を間違えるほどボケてはいないつもりだ。

はたして平成メス猿芝居公演か、党派越えの実験か。

鳩山由起夫はアメリカと平野に屈した。沖縄、社民切り

IMG_0663結局普天間問題の五月決着は、社民党と沖縄を切り捨てることとなった。政治は結果が求められる。丁寧な口調、ギリギリ、命がけ、苦渋、さまざまな言葉が空虚に乱舞しさえすれば、前言は容易に取り消せると考えたわが国の宰相。沖縄県民の怒りをを受けても、他人事もしくは実現不可能なパフォーマンスにしてしまう「やまと」。じつに情けない。この際社民・福島みずほは、下駄の雪(踏まれもついてくる)ではないとハッキリいうべきだ。どうせ辞任を固持し罷免されたのだから、流れとしては連立離脱だけれど、日曜日を待たず早めに離脱するべきだ。

stt0909240808005-p1自民党が去年ながした詐偽男アニメが、図らずも大当たりだった。口先だけの甘言に国民は乗った。みずほちゃんも「厭よ、厭よも好きのうち」的なよがり芸を見せていたが、流石に最後はプッツンしたようだ。この際前原軍事オタク配下の辻元清美・うどん屋ねーちゃんが、内閣にひとり留まって、連立を続けることのないように願うばかりだ。社民党はどうせ消滅する運命なら、ここは一番大勝負、辺野古移設反対一点で戦えば、おおばけするかもしれない。姑息な選挙めあての連立維持こそ命とりになる。国民はそれほど莫迦ではない。(ある程度莫迦だったけれど)

幻想は砕かれた。たしかに新政権は既得権益に一部切り込んだし、問題を提起した。しかし、検察やマスコミには喧嘩できても、宗主国のぽちであることは自民党と全く変わらなかった。側近、政府高官、取り巻きたち(無能卑屈の平野に代表される)に説得されて、最後は白旗を挙げた。へたにダダをこねた結果残るは不信だけである。

60過ぎたマザコン詐欺師に、それでも期待していたいとおもった己の不徳を反省して、もう寝るしかない。馬鹿野朗!

福島みずほ・辻元清美「夕顔」説

photo132875社民党のあやうさは、もともと亡霊とか物の怪といった存在してないものが存在している、成り立ちそのものの不条理から来ている。いまに始まったものではない。が、泥船自民党から民主党へ乗り換えた田村参議院議員によって、参議院も社民党なしでも過半数に届くようになったので、ますます妖しくなってきた。もともと社民党という名前自体がご都合主義でできており、欧州の社民とは違うしろものである。はっきりいえば、単に冷戦時代の左翼的既得権を守ろうとしているだけの組織である。もちろん、福島みずほや辻元清美は単なるあだ花で、過去を背負わされているだけだから、かわいそうといえばかわいそうである。日本社会党の長い分派闘争と、ボス交と裏工作で自民党と共存してきた歴史などからしてみれば、本来は自民党とともに野に下るべきであったろう。しかしおなじ穴の狢のマスコミが生きているのだから、それもさもありなんか。

そもそも新政権に参加して延命をはかる必要があったか疑問である。
amr0902100848006-p1矛盾と不明瞭な方針でも、日本独特の曖昧さで
「社民」と名乗れるこの党は、しかし一方で、古い保守的な右よりの知能の劣化した戦争マニア勢力に対して、ささやかな建前の防波堤になってきた。アメリカにいたっては、ダーウィンの進化論すら認めないキリスト教右派で劣勢白人の最期のよりどころ=レイシズムが黒人のオバマ大統領を追放しようとしている。だからオバマの欺瞞や、社民の擬制は問題がありながらも、ナチズムよりモアベターとして、存在している。しかし辺野古のような利害と旗印が矛盾するテーマには、無力を露呈せざるをえない。

三宅坂の旧社会党の場所に、社民党と名を変えているだけで全盛期の異物であることに、違いはない。昔総評とブントと左よりのジャーナリストの一大レジャーランドだった三宅坂には、情報を共有してリークしあっていたから、たしかに郷愁はあるけど。一度は安保賛成、自衛隊容認したくせに、また方針転換しても、もう誰も信用しない。第一もうネタがない。社民党は関係ないんですぅと、みずほはいうが、大分の隠居(村山富一)や兵庫のばあさん(土井たか子)を養っているのは、どうしてか。敬老精神と乙女の祈りは、ネット右翼よりましだからといって、いつまでも国民が騙されてくれるとおもっているらしい。でも辺野古の決着しだいでは、連立離脱だけでなく、さらなる分派・解党の危機なのに、金持ち喧嘩せず然として、存在している。ある意味で、これが日本なのだろう。アメリカではオバマの窮地は決定的だ。みずほちゃんやきよみちゃんはそれでも、大丈夫なのだろう。あいまいな日本のわたしたち。

とまれ、国家公務員である自衛隊の幹部が、「トラスト・ミー」を批判している対象が、鳩山であり、政府であり、その一員である福島や辻元なのだ。
論理的整合性を問わない国民性だから、すべては曖昧なままに存在していくのだろう。まあいってみれば「もののあはれ」には質量もなければ、顕微鏡でも確認できないのだから、マスコミが検証報道しないのも当然であろう。

したがって、社民党は夏の夜にたゆとう「ゆふがお」なのだ。ちょっとしぼんで、皺が目立ってきたけど。日本人でよかったね。
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