週刊メインストリーム通信Vol.370 新介助スタッフ紹介

どうも23才独身、お腹は妊娠5ヶ月、今年の四月から介助スタッフになりました、細見知明です。

 

僕がメインストリーム協会を知ったのは三年前、大学二年生だった頃の食堂ででした。当時ファミレスでアルバイトをしていたのですが、何か新しいアルバイトで、かつ稼げるアルバイトを探していました。一緒にご飯を食べていたN君という友達が「今度俺アルバイト始めるんやけど、もし良かったら細見も一緒にやらん?」と声をかけられるました。「どんなバイトなん?」と聞くと「障害者の介助なんやけど、でも楽勝やで?甲子園タダで連れて行ってもらえるし、飯も奢ってもらえる。そんだけで時給1000円(当時)やわ!」と言われました。即答でした。「楽勝やな!やるわ!」これが僕の未来に大きな影響を与えました。

 

皆さん障害者に対して普段どんなイメージを持ってますかね?僕は当時障害者ってどんな人達って聞かれたら「足が不自由で車椅子乗ってる人達」ってイメージなだけでした。町で障害者を見かけても、興味が無い、ややこしそうやから話かけんとこって思ってるぐらいでした。

 

メインストリーム協会に面接に行って面接を受ける事になったんですけど、僕は最初健常者が相手やと思ってました。今でも覚えてます。面接官はHKさんという、呼吸器バリバリ、ガンダムのザクみたいにチューブが巻きついていた筋ジストロフィーの方でした。元々軽度障害者が相手だと勝手に思っていたので僕は「いやいや、速攻で病院入院せんとあかんでしょ!?」と面接内容が頭に入らず、ずっとHKさんを見てました。ぶっちゃけ何が楽勝やねん、こんな人達相手に介助なんてできるかい!!と騙されたと思ってました。

 

一応友達のN君(余談ですが、彼は春から広島の小学校の先生として赴任しました。)のメンツもあるので、しばらくはやってみようとアテンダントを続けました。始めたてはあまりアテンダントの仕事が無く、給料も大して入ってこないうえに全然ご飯も奢ってもらえなければ、甲子園も連れて行ってもらえなかったです。当たり前ですよね?そんな仲良くもなってない人に何で奢らなあかんねんと思いますわ、僕だったら。仕事の内容、特にお風呂介助では不安に思ってました。何となく予想はしてたんですけど、下の方も洗わなあかんかったり、処理する内容もあって「そんな人の汚い所洗ったりとか大丈夫かぁ?」って思ってました。もし実際にやって嫌やったらアテンダント辞めよという気持ちでした。最初のうちはやっぱり少し嫌でした、ですが不思議なもので、人間は「慣れ」の生物です、二回目からはおずおずと働いていたら日が暮れるわ!と思いガシガシと下の方も洗える様になってました。

 

そんなこんなで、アテンダントにもだんだん慣れてきて半年程経った時の事務所である当事者スタッフ(通称ネパールの王子)に「この仕事で(就職として)働いて行く気無いの?」と聞かれました。「いやいや、流石に俺も大学出てここは無いわぁ~笑」と言ってたみたいです。

 

大学三回生の後半頃、メインストリームはよく仕事以外でも事務所を利用してパーティーをしていたり、ただダラダラ何人か集まって飲んでたりしていたりしています。そんなイベントにちらほら参加する様になって当事者、アテンダント、介助スタッフ立場は違えど色んな人の熱い思いを話しているところに僕は混ざってました。

ここが僕の中でターニングポイントになっていたんじゃないかな?と思ってます。僕はこんな風に皆が熱い思いをぶつけている事を楽しく思っていて、懲りずに事務所で誰か暇な人が居ないか探していたり、何も用も無いのに事務所に入り浸る様になっていました。普通そこまでこのアテンダントの仕事をアテンダントのみアルバイトとして割り切っていたんやったら、ここまではしないと思ったからです。そんな中、僕はある思いを持つ様になりました。あんな事、こんな事参加してもっともっと詳しくなりたいし、もっともっとこの自立生活運動に向けて自分も深くなってみたいと思う様になりました。「こんな出来事があったから介助スタッフになりたいと思った。」なんていう出来事は正直ありません。この3年間という短い間ですが徐々に自分の中で思いが変わっていきました。以上ここまでが僕がメインと関わってきたおおまかなところです。

 

今年11年ぶりの男性介助者スタッフとの事で先輩達とは結構世代的に離れてしまっている訳ですが、僕には若さという武器がある?らしいので先輩達に負けないよう若さを前面に押し出してメインの活動に全力で臨んでいきます。学生方もぜひ見かけたりしたら声をかけて下さい、ご飯ぐらいは奢ります(笑)



週刊メインストリーム通信Vol.369 新介助スタッフ挨拶


「お前行って来いや!」から僕とメインストリームとの関わりが深くなって行きました。これは居酒屋で何人かのスタッフから言われたTRYへのお誘いでした。

 僕がメインストリームに来たのが21歳過ぎの時だったので、メインではまぁまぁ長めの15年目くらいになります。しかし、メインストリームの活動にガッツリ関わり始めたのは実はまだ9年くらい前のことで、2009年台湾TRYに参加したことでした。それまでは実家から介助に行ってミラージュ作業所に帰る。そのまま介助に行ってミラージュに帰る。たまに実家に風呂に入りに帰るみたいな生活をしてました。ミラージュには毎日誰かがいて、寂しがりやの僕には凄い居心地のいい空間だったんですが、みんな次々と一人暮らしを始めるようになり、僕もそのうちの一人のスタッフの家に毎日入り浸るようになりました。みんな家族のように同じ飯食べたり一緒に遊んだり熱い話したりと、そんなある日TRYのお誘いがありました。

   

自分はそれまで海外に行った経験がなかったんですが、結構楽観的なタイプで、なんとかなるやろー。くらいの気持ちで参加しました。参加したらしたで今まで経験したことのない感覚があり、みんなで一つのことをやり遂げた感がめっちゃ心に残ってて、今でもその話になったら熱く人に話してしまうくらいです。TRY終わってから徐々にメインに関わるようになり、ダスキン研修生、中南米研修生が来たりした時は気づけば朝まで喋ってたみたいなのはよくありました。なんかこうやってメインに関わってると、なんか色々スタッフにしかできへん事ってあるんやなぁースタッフになりたいなって思うようになってました。

 しかし当時はスタッフの募集はしておらず、この先もいつあるか分からないないという状況と聞かされていて自分は一生アテンダントとしてメインにいるんやろなーと思ってました。それならアテとしてアテにしかできないことをやってやろうと決めました。

 

そもそも僕がアテンダントを始めたきっかけは、スタッフであるRさんの弟と同級生だったからです。僕はその時大学生だったんですが、同級生の彼から時給が高いバイトあるでって聞かされ、ちょうど他のバイトも辞めた時期だったので、お金がなかった僕はその話に飛びつきました。が、内容を聞くと障害者の介助の仕事でお風呂やトイレ介助があると聞き、到底自分には無理やと思いました。ですが案外いけると押し切られ、とりあえず事務所に行くことになりました。

事務所に入ると車椅子に縛られてる人がいたり、面接してくれた人はイカツイ人やったりと相当インパンクとがあったのを覚えてます。

 

そして、まぁ嫌やったら辞めたらいいわくらいの感覚でアテンダントを始めた訳ですが、実際に介助に入ってみると意外とできるもんでした。4回生の頃はアテンダント定期研修も受けず辞める気満々、就職活動はしてたんですが御縁がなかったようでメインで再度4月の新人研修を続ける結果となりました。

 

 自分は一度定期のアテに入ると、ずっと同じ枠に入る癖?なのかよくわかりませんが10年以上入ってるところもいくつかありました。同じ人に入ってると人間関係も出来てくるし、色んな話もするようになります。それ以外に旅行に行ったりプライベートで遊ぶこともありました。アテンダントを始める前はトイレ介助も抵抗があった自分が障害者に対して何の壁もなくなっていました。

 そんな中、去年の夏に介助スタッフの募集があった訳ですが、周りは20代の募集であって30代は応募しない方が良いみたいな雰囲気も漂っていて、自分も36歳でもういい年やし行かんほうがいいんやろなって思ってました。まぁ自分にはスタッフの縁がなかったと思ってたんですが、何人かのスタッフから色んな話を聞きました。みんな同じ内容でした。「やりーな!」って。なんか昔、TRYの時を思い出しました。

スタッフ本間はなりたいんちゃうん?何を心配してるん?せっかく来たチャンスやん!ここでスタッフなりたいって言わんでどーするん!自分が自分にそう問うてました。そらそうやなと思いました。あんだけなりたいと思ってて、やっとこさ目の前に来たチャンス誰がみすみす見逃すねん。って。

 

今まで自分が教えてもらった人権の話、メインの活動に対しての熱い話をしてきて、色々考えさせられたり悩んだりしたこともありましたが、その中には楽しさがありました。

これからはスタッフとして、それらの内容を多くの人に伝えていく事に加え、15年のアテンダント歴を基に、自分が続けてきたアテンダントを大事にしていきたいとおもいます。そして深く話し合える人になりたいです。なので事務所でも気軽に声かけてくれたら嬉しいです!

最後になりますが、名前はキムって言われてる木村旬一と申します。これからもどうぞよろしくお願いします!

 


週刊メインストリーム通信vol.368 佐藤ゼミの文書

今週のメルマガは以前メインで行われた「文章作成講座(通称佐藤ゼミ)」でスタッフが書いた文章2作品を紹介します。

 

漫才

楠 佳和

「お義母さん、もっと本気で叩いてもらえますか!?」

まさかこんなことを言うことになるとは思ってもみなかった。これは義理の母と漫才をすることになってネタ合わせした時に、義理の母に注文をつけた一言である。僕は何年か前に忘年会の企画で漫才をした。

なばママと漫才をして欲しい、と言われたときは正直困った。僕はツッコミは得意やけど、面白いことをすることに自信はなかった。マイクを持たないトークは苦手。でもマイクを持ったトークは好き。だから人前で何かをやることに関しては心配なかった。でもさすがに義理の母と漫才をすると思っていなかったし、漫才している所のイメージなんてできなかった。

 

当時は、義理の母との関係は良くなかったし苦手だった。結婚前に勝手に半同棲していたという負い目もあった。なんか強そうな感じと、なんせ顔が怖かった。凄く気を使っていた。正直、何で自分の嫁の母親と漫才せなあかんねんって思っていた。

やらな仕方ない。じゃあどんなネタにしようか迷った。実は学生時代に漫才はしたことがある。面白いかどうか置いといて、ネタ作りに関しては面白いなと思っていた。どんなネタがメインストリームの人にウケるのかを考えていた時、僕が義理の母を怖がっていることを周りにいじられていたのを思い出した。パーン!とひらめいた感じがした。そうだ、義理の母が婿を叩くどつき漫才だ。これなら絶対いけると思った。

最初のネタ合わせ。最初にどつき漫才にしますって言ったとき、義理母は

「そんなん無理やわ~。」

と嫌がった。何親子で乙女やねん!バシバシどつきそうな顔してるやんけ、と思った。義理母もまさか婿であり同僚を叩くなんて思ってなかっただろう。戸惑いもあったのかもしれない。どつき漫才の命、叩くのが甘い。いくら言っても軽くしか叩かない。これではインパクトもないし面白くない。

 

「お義母さん、もっと本気で叩いてもらえますか!?やるなら一番面白いことやりましょうよ。音が出るくらい叩いてください。絶対おもしろいですから。」

たぶん何も知らない人がこの会話を聞いたらおかしいと思われるだろう。でもあの時は真剣だった。今考えると義理母に本気で叩いてくれって頼んでる俺って変やなと思う。でもこれで腹をくくったのか、それからは頭がガンガンするぐらいどつかれまくった。人生であんなに頭をどつかれたのは後にも先にもない。

漫才当日。緊張の中、一番面白いと信じてやった嫁の悪口を言って義理母にどつかれるというネタは思った以上にウケた。嬉しかった。やっぱり何でも本気でやることが大切なんだって改めて思えた。頭は痛かったけど。

多分こんな面白い経験はメインストリームの中では僕しかしていないと思う。次は義理母を僕がどつく漫才をやってみたい。

 

 

面白いことは面白いところ

中原忠

なんでか飛行機の中は面白いことが起こる。マカオ行きの廉田さんはマカオに到着直後、座席から機内用車イスに乗り移る際、介助のフライトアテンダントのかけ声、ワン・ツー・スリーで自らバランスを崩し前の壁へオデコから突っ込み、微量の血祭りに。またラスベガス帰りのMさんは機内で爆睡中。よほど疲れきっての爆睡中だったのか右足が通路へ投げ出されていた。そこへ機内食を満載したアルミ製のワゴンが「ドッカ~ン!」と、すごい音を立ててMさんの右足へ突っ込み、上段に積まれていた、ぼくらのパンが飛んだ。廉田さんは壁に激突し意識がモウロウとしていたせいか周囲からの「大丈夫ですか?」という問いにも答えられず、無言のまま機外に運ばれて行った。しばらくして回復した廉田さんは、痛過ぎてなにがどうなったかわからんけど、「ちゅうげんだけ、おもくっそ笑とんねん!」とだけチェックを入れていた。一方、爆睡中にお食事ワゴンに激突されたMさんは「めっちゃ寝てたし、めっちゃ痛いし、ほんまなにすんねん、めちゃめちゃ腹立つわ~」て、出された機内食「全部食べたった!」といってたりと、こういう具合に飛行機の中は面白いことが起こる。おかげで何度、笑い死にかけただろうか。

 

その中でも本当に死にかけたのが、ラスベガス帰りの下地さんだ。下地さんの空の旅は、座席に着くと当たり前のように腕を組み、毛布を頭からすっぽりかぶって、ずっと眠ったまま。もちろん安っぽい機内食なんかに目もくれないといった、そんな下地さんだったが、その時は違った。下地さんは右手の平を上にした状態で毛布からペロンと通路側に出していた。いや、出していたのではなく、出ていただけだ。ぼくは薄暗い機内で通路を挟んで少し斜め後ろから、ぼんやりと、ペロンと出された下地さんの手を眺めていた。ちょうど機内ではフライトアテンダントが間食にチョコに包まったアメリカンなアイスバーを乗客に配リ出していて、ぼくの目はすっかりアイスバーに釘付け。乗客ひとりひとりに配られていくアイスバーを目で追っかていたその時でした。フライトアテンダントが当たり前のように、ペロンと出ていた下地さんの手の平に「アイスバー」をのせたのです。絶対にアイスバーが欲しくて出していた手の平ではない、手の平にアイスバーがのったのです。ぼくは笑い続けましたが、下地さんもアイスバーを手にのせ続けていました。もう笑い飽きて、その後アイスバーがどうなったかわかりません。

 

ぼくは、こんなに面白いことが起こる飛行機の中が大好きです。だから毎回、飛行機に乗ることが一つの楽しみにしているところもあります。けれどこれって、面白いことが起こるから大好きなのか、大好きなといころだから楽しみなのか、もう訳がわかりませんが、飛行機の中に限らず、面白いことは「面白いところ」で起こるようですね。

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