2020年02月

週刊メインストリーム通信Vol.458 平成を振り返って 松島早七代

人間は「慣れる」生き物だから幸せな毎日にも慣れてしまう。感謝を忘れないように。

 

平成最後に読んだ本に書いてあったフレーズ。結婚して子どもが生まれてから、今まで本なんか全然読まなかった私が本を読むようになったのは驚くべき変化だ。人間は「慣れる」生き物、ほんまその通り。今の自分の生活が当たり前になっている。良く家事をしてくれている旦那にも感謝の気持ちを忘れたらあかんなと思った今日この頃。

 

現在2人の子どもの子育てしながら、介助スタッフとして働いている。私の周りには子育ての先輩や友達がいて話には聞いていたが初めて子育てしてみて「こんなに大変だったとは!」と知る。子育て中のお父さん、お母さんほんまお疲れ様です。子どもって忙しい時に限って寄ってくる。子どもってなかなかさっとできない。子どもってなかなかはっきりいえない。育休中に感じたことは子どもは可愛いけど、1日中ずーっと誰とも話しせず子ども(赤ちゃん)と2人きりだと大人と話したくなったし外の社会と繋がりをもちたくなった。仕事だと分かっていても誰かと話できる旦那が羨ましかった。1人目の時はとにかく余裕がなくて今思えばちょっと産後うつになってたのかなと思う。保育所入所激戦区の西宮で保育所が決まり、ほっとした反面少し寂しい気持ちにもなった。働きたくても保育所に入れない人もいる中でなんとも言えない気持ちだった。仕事復帰するともっと余裕がなくなるのと同時に私の中のモヤモヤした気持ちがどんどん膨れ上がっていった。メインストリームは夜にお客さんの歓迎パーティー等がよくある。パーティーだけではなく普段も夜遅くまでうだうだ話してることがあって、そんなんが好きな私に葛藤が出てきていた。事務所に残ってもっとみんなと話したいけど、帰って子どもを寝かしつけなあかん。子どもがいるから子どもを見ることは当たり前。頭では分かっていても気持ちが整理できていなかった。どんな働き方をするか、どんな子育てをしていくかを日々日常が流れていく中で考えれていなかった。今は自分ができる範囲で自分なりに関わっていこうと納得できたら前向になれた。育休中メインストリームから少し離れる時間があって思ったことは、私やっぱりこの仕事が好きなんだなっということを再確認できた。働けるってことは幸せだなっと実感した。

 

私は今メインストリームで2018年4月から始まったインクルーシブ教育部に関わらせてもらっていて、それがすごくやりがいがある。障害があっても地域の学校に行っている子を持つお母さんの熱い話は何度聞いても泣きそうになる。

障害者のことをまだまだ知らない人が多いのが現状の今。メインストリームのスタッフの子どもが小学校に行った時に言った言葉が「何で車椅子の子がいないの?」だった。これ聞いてみなさんどう思いましたか?障害者と日々関わってたら障害者が当たり前に町に、学校にいるものやと思っている子ども。そんな社会いつになったらできるやろうか。そんな社会にしていきたい。娘の友達がメインストリームに遊びに来た時に「あの人何で車椅子なん?この人は車椅子に乗ってるけど歩けるの?」と聞かれていた。私は何も教えてないけど、娘は娘なりに説明していたしよく見てるなーと感心した。平成が終わり令和の時代が始まった。どんな時代になるのかな。障害者のことを知ってもらうには私達も活動をもっと頑張っていかなければならない。今から楽しみなのは、子どもの頃からメインストリームに関わってる子どもがどんな子になっていくのかな。

 

松島早七代

週刊メインストリーム通信Vol.457 だんない講演会報告

皆さん、こんにちは。数矢です。

今回のメルマガは、128日に行われたCILだんないの講演会についてお伝えします。

 

「だんない」は、滋賀県にある自立生活センターです。周りを見渡せば、田園風景、山、春に訪れれば西宮ではなかなかいないモンシロチョウがいるという自然いっぱいな所です。

私とだんないとの関わりは、遡ること約3~4年前から始まりました。当日、私は関西ブロックの若手当事者の集まりのヤング委員会に入っていて、その委員会の会議がだんないであり、その時に初めて訪問しました。それ以降、地域交流を目的にした「だんない祭り」に参加させてもらったり、コスタリカの研修も受け入れてもらい研修生と同行しました。

だんないはCILの活動を同じようにしていますが、1つの特徴として僕が一番印象的だったのが、「余暇活動の保障」っていう活動です。だんないがある地域は田舎で、週末に遊ぶところ(西宮でいうとガーデンズ、甲子園など)がないので、自立障害者の余暇を良くするために電動車椅子サッカー教室や旅行などを企画しているそうです。田舎ならではの活動だなと思いました。そして、ここ最近では滋賀県に差別解消条例を制定するため尽力されていました。また、後にも触れますが、地元高校への介助者派遣も行っています。

また、そのようなだんないが去年で創立8周年ということで、記念シンポジウム「親子の壁を越えていきたい!」が開催され、鍛治さんと参加しました。

 

そして今年12829日で、だんないに講演に行ってきました。この講演会は、今年に行われるだんない主催のシンポジウムの事前内部学習会として行われました。先ほども触れましたがだんないは毎年シンポジウムを行っていて、来年度は「言語障害」にスポットライトがあてられて開催予定です。なので、今回の講演テーマとしても、「障害当事者の人生のあゆみと言語障害」でした。助っ人として、鍛治さんにも来てもらいました。

 

自分史を話す機会などはたくさんあるのですが、「言語障害」をテーマとして話すのは初めてでした。僕には切っても切り離せない言語障害ですが、改めて人生を振り返って自分の言語障害について考えました。

講演会の中では、子供時代~大学時代は「通じないし、黙っておこう」とか「周り(母親など)が話してくれるし、喋らんでいいか」とかネガティブな考え方をしていたことを伝えました。

でも、メインストリーム協会との出会いなどでたくさんの人と話す機会が増え、ネガティブな考え方が「自分のことは、自分で伝える」ことが大事と思えるようになってきました。

そして、現在はありがたいことに鍛治さんの繋がりのおかげで講演会に行く機会も増えたり、もっとたくさんの方と喋る機会も増え、経験を積むことで徐々に自信が付いてきたことも今回の講演会に改めて感じました。

 

幼いころ(小学校時代)を思い出すと、一日の半分を支援学級で学んでいてなかなか周りの友達とコミュニケーションを重ねることができなかったと思います。支援学級から何時間か普通学級へ行って勉強(一般にこのことを交流と言います)をしますが、普通学級で友達と話をしますがみんなの話題や会話のスピードに付いていけず、結局誰とも仲良くなれなかったと思います。

そのように振り返って思うことは、言語障害がある事がコンプレックスと思ってしまいコミュニケーションの失敗をしたくなくて、ずっと黙っていたと思います。このような状況を少しでも解消していくためには、子供の頃からたくさんの人と出会えてコミュニケーションの失敗をしながら覚えていく“分けられない環境”を作ることは、やはり必要だと私は思います。大人になって身につけるのは、本当に大変です。

 

今年に行われるだんない主催のシンポジウムもテーマは「言語障害」なので、また詳細が決まればお伝えしますね。私も、パネラーで参加する予定です。

 

最後になりますが、だんない訪問2日目には、だんないが介助派遣を行っている「伊香高校」の視察にも行ってきました。詳しいことは今回のメルマガでは文字数オーバーするので書けませんが、伊香高校に通っている脳性麻痺の男子生徒で授業を皆と一緒に受け、野球部のマネージャーをしてたくさんの友人と共に青春を謳歌しているそうです。授業中を見学したのですがだんないが派遣している介助者を使いながら勉強をしていました。

勉強ばかりしていた僕からすると、野球部のマネージャーもして学校生活を楽しんでいるようで、とてもうらやましく思いました。これからも高校生活を楽しんでもらいたいですね。

 

このようにインクルーシブ教育の推進も行っているだんないと、これからも繋がり合って活動していきたいと思うと共に、「言語障害」のシンポジウムに向けてネタ集めなどをして準備をしていきたいと思います。

週間メインストリーム通信Vol.456 シリーズ平成を振り返る 真名野編

私が中学生になるときに昭和から平成にかわりました。
年号がかわるときは家のこたつの中でテレビを見ていて発表されたのを今でも覚えています。
平成にかわりましたが、特に自分が何か変わったわけでもなく普通に中学生活を過ごしており、当時販売されたスーパーファミコンや初代ゲームボーイも持っていなかったのでよく友達の家にやりに行ってました。ちなみに、卒業する時に在校生が歌ってくれたのは、当時ヒットした大事MANブラザーズの「それが大事」でした。
私は頭が良くなかったので地元のみんなが行く公立高校には行けなくて、神戸の方にある男子校に行きました。この高校はなかなかユニークな学校でテスト問題にアルファベットをA~Zまで書きなさいがでたり、数学の平均点が1桁などがあるような学校でした。
これを書けばわかると思いますが、どんな学校かはみなさんの想像にお任せします。

高校三年生の時には阪神大震災があり、学校まで普段なら1時間ちょっとで着くんですが、いろんな公共交通機関が一部止まってたりして、数時間かけて学校に行ったことを覚えています。この高校時代はポケベルやプレイステーションが流行ってましたが、残念ながら私はこれももってませんでした。
高校卒業後そのあとは2年間ぐらい何もしてない時期があり、このころはバイトして、友達と遊んでの繰り返しで将来何をしよかなんてまったく考えず、同じような日常を繰り返す日々でした。20歳になった頃に今後どうしようかなーと思いだして漠然とですが福祉の世界に行こうと思いました。しかし、今思えばこの直観みたいなのが私の大きな分岐点だったと思います。
福祉の世界に進んだことによって、平成の中でも大きな出来事に上げれるメインスト
リーム協会に出会うことになりました。
どのようにメインストリームと知り合い関わったかは「私がメインストリームのスタッフになったわけを」読んでください。決して面白いものではないので期待はしないでください。

さて、ここからは平成での大きな出来事メインストリームと出会ってからのことを振り返りますのでもう少しお付き合いください。
メインストリームと関わっていろんなことが思い出されますが、少し絞って海外編で行かせてもらいます。メインストリームと関わり多くの海外に行くことができ、台湾!韓国!カンボジア!ネパール!コスタリカ!パキスタン!モンゴル!と、何カ国も行き、複数回訪れた国もあります。その中でも、特に記憶に残っている3つを書きたいと思います。
 
まずは、2007年にASIA TRYを行った韓国、ここでは韓国のCILのメンバーを中心にダスキン研修メンバーや日本の各地のCILの人たちと共に韓国社会に障害者の事を知ってもらおうと声を出して1週間歩きました。私自身初めての大きなイベ=ントでしたし下見にも韓国に行ったりもして思い出深い物でした。
このころは、IKKOさんギャグ「どんだけ―」を多用してました。

次は2010年に行った台湾!
これは、スタッフ修行として1ヶ月間台湾の自立生活センターで勉強するもので、向こうのメンバーになにが伝えれるか、また台湾の障害者運動の現状を知るというものでした。
海外に行くこと自体頭の中になかった私が1ヶ月間も滞在するなんて本当に貴重な経験をさせてもらいました。
1ヶ月も行っていたので、近くの焼きめし屋のマスターとも顔見知りになったり、初対面のセンターの人たちとも仲良くなり、帰るときには寂しくもなり大好きな国の一つになりました。あっと、この時は3D映画の「アバター」がヒットしてましたね。
私はテレビで見ましたけどね。

最後は、2012年行ったボリビアかな、セミナーをやりに行ったのですが、この国の事は全く知らなかった国でJICAの研修でメインストリームに来た時に初めて知りました。日本のちょうど裏側にある国で、首都の空港は標高が約4000mぐらいの所にある国です。
まさか、自分がボリビアに降り立つなんて夢にも思いませんでした。
ボリビアでは、障害者運動があまり発展していないときで、日本では見たことのないようなボロボロの車いすに乗っていたり、厳しい環境で暮らす人に話を聞いたすることもできました。また、陽気な人も多くダンスを踊ってくれたり、歌をうたってくれたりとすごいフレンドリーだった事が記憶に残ってます。
今、思い出深い3カ国を振り返りましたが、これ以外の国でもたくさん思いではあります。また、機会があれば、文章にするのは苦手なんでまた誰かに口頭で話せたらなと思います。

では、「平成を振り返る」今回はこの辺で終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

週間メインストリーム通信Vol.455 自立生活ツアー

みなさん、こんにちは。坂本です。今回のメルマガは1月17日(金)にメインスト
リーム協会で行われたILPの企画である「自立生活ツアー」について報告します。
今回の自立生活ツアーの目的は「他事業所との交流を深めて繋がりを作ろう」とい
うことです。今回の対象は「社会福祉法人あまーち」に所属する障害者2人と健常者1
人です。

さて、本題に入る前に上記の「社会福祉法人あまーち」(以後あまーち)について
補足しておきます。あまーちは、メインストリーム協会がある西宮市からほど近くの
尼崎市にある生活介護と居宅介護の事業所です。建物も4階建てとかなり大きく驚か
された記憶があります。あまーちの理念は「兵庫県尼崎市およびその近隣都市におい
て、どんな障害があっても地域の中で自分らしく生活していける場を作ること」を目
的としています。その理念を考えると、障害者施設とは違って自立生活センターによ
り近いといってもいいかもしれません。あまーちに初めて訪問させて頂いたときの印
象は、障害者がみんな若いなーって感じでした。この人たちにも自立を知ってほしい
なということで今回の企画「自立生活ツアーを考えました。

今回の自立生活ツアーは日帰りで行われまして、まずオリエンテーションというこ
とで、それぞれの自己紹介、今回の目的、自立生活センターの話をしました。参加者
の2人の障害者には以前会ったことがあったので、和気あいあいとした雰囲気で始め
ることができました。そして、次に障害者の自分史を自立の映像を使って話をしまし
た。あまり自立している障害者の話を聞くことはあまりないようだったので、しっか
り話を聞いてくれていました。
そして最後にお宅訪問を行いました。お宅訪問はまっさんこと高橋雅之さんに協力し
てもらい、まっさんの施設の話、病院の話、メインストリーム協会との出会いなど自
分史を語ってもらいました。参加者の一人は自立している現場を見たのが初めてだと
いうこともあり、すごく熱心に話を聞いていました。その中でまっさんの印象に残っ
た言葉があります。それは「自立するなら若いうちから」という言葉です。50代で
自立したまっさんの言葉はすごく重みがあったようで、そのことは参加者の印象にも
すごく残ったと言っていました。
という内容で、今回の自立生活ツアーを終えました。現在のILPチームである坂本、
数矢、高橋えりこ、坂出、太田はるか、矢野にとって、やはり自立を知ってもらうこ
とが第一だということを改めて認識することができて、良かったなと思いました。ま
た、企画を終えてチームで反省を含めて話し合ったときに、今回は1日物のイベント
でしたが、これをきっかけにしてイベント等に誘ったり、気軽に相談できる関係にな
れるように今後も繋がっていき、来年度も多くの人に「自立生活」を知ってもらえる
ようなイベントを企画したいとチームで改めて確認することができました。
 
最後に、参加者の感想を一部紹介して終わりたいと思います。◎今日の交流会で話
したことで印象に残ったことは?「障害者には障害者にしかできない仕事がある!と
言われて、改めて、あーそうだなと思ったり、何でもあきらめなかったら仕事につな
がるんだなと思った。海外研修の話にひかれ、自分も参加してみたいと思った」「早
いうちに自立はした方がいいという言葉が残っています」「一人暮らしをして環境が
180度変わり、何よりも楽しいと話されていたこと、自立は介助者とともに生きる
ことという言葉」◎自立生活を見てどう思いましたか?「どんな障害があろうと自立
生活はできる。そこには自分の意志と周りにどれだけサポーターがいるかが重要なの
だと思いました」「みんな自分がこうしたいという熱い気持ちをもちながら毎日楽し
みながら生活されているなと思った」「健常者と変わらない生活をしていて僕の自信
になりました」◎自立生活の印象は変わりましたか?「みなさんがやりたいことを実
現するために自立生活されているのですごいと思いました」「自立は「自由を楽し
み、人生を豊かにすること」であると今回のツアーで感じました」「高校生のときに
も一度ILP合宿などで、メインストリームさんに関わらせて頂く機会はありました
が、より自立というのが自分の中で身近に感じられるようになってきました」。

週間メインストリームVol.454 平成を振り返る 数矢編

本日のメルマガは今日誕生日を迎えた数矢雄の「平成を振り返る」です。

 
みなさん、こんにちは。数矢です。
シリーズ「平成を振り返る」ということで、先ずは年表にまとめてみました。その後
で、平成最後の年始にあった同窓会を通して、平成を振り返ろうと思います。

平成元年(0歳)1月31日 兵庫県三木市に生まれる。のち、脳性まひと診断され
る。
※同年の11月に、メインストリーム協会が設立
平成5年(4歳)主治医のすすめで、地域の保育園に入学。
平成6年(5歳) 三木市立緑が丘幼稚園に入学
※兄に憧れ、地域の小学校に通うために母親と教育委員会に何度も交渉
平成7年(6歳)三木市立緑が丘小学校に入学※特別支援学級に入っていた。
平成10年   ゆとり教育導入 ※勉強をしなくなる。
平成13年     三木市立緑が丘中学校に入学
※普通学級で勉強をするには、母親の学内介助が条件
平成14年 「マザコン」「アメーバ」とあだ名が付く。
平成16年 兵庫県立三木北高校入学
平成17年 脳性まひがアホに見えると気付く。※勉強を、本気でするきっかけにな
る。
平成18年 高校卒業、浪人決定
平成20年 関西学院大学理工学部に入学※物理学者を目指し、勉強する。サークルに
入る。
平成21年 メインストリーム協会を知る。
平成23年 ILPを受けて、人生で初めて介助者を使う。
平成24年 大学卒業、台湾一人旅
 5月末 西宮に移り、ILルームに住む。 9月  スタッフになる。
      10月 家が決まる。
平成27年 7月 アメリカにADA法を勉強しに行く
平成28年 2月 ネパール修行研修(1か月)

平成31年の正月、Facebookのメッセージがきっかけで幼なじみと食事へ行って、中学
校の同窓会へ参加しました。
みんなと会うのは10年以上ぶりでしたが、懐かしい思い出話や近況を話したり、とて
も良い時間を過ごせました。「アメーバ」とあだ名を付けられていたことや、私が給
食の牛乳を飲んでいたら後ろからビックリさせて面白かった話などの思い出を笑いな
がら話していました。
また、私がメインストリーム協会でやっている活動や自立生活のことを話したり、カ
ンボジアに彼女がいたことや、ネパールに修行研修で1か月行っていたことについて
写真を見せながら話したら、海外で仕事をしている同級生や海外旅行好きの同級生な
どと盛り上がることができました。
当時は制度などが不十分で支援学級に行っていたりしていて、小中学校は辛かったこ
ともたくさんあって、自分から壁を作っていて周りの同級生と今一つ仲良くなれな
かったけれどみんなと一緒の地域の学校に通えて、とても良かったと改めて思いまし
た。また、メインストリーム協会に出会うまでの私であれば、このような同窓会に意
地をはって行こうと思わなかったけど、西宮で自立生活をして海外研修に行ったり、
全国の仲間たちと出会う中で「自分らしさ」などが見つけられて、同窓会へ行こうと
思えたことが平成で1番よかったことだと思いました。
この平成最後に行われた同窓会は、自分自身の平成をかけがえのない同級生たちと振
り返ることができ、三木市から西宮市に来てメインストリーム協会の一員として活動
できていることに再確認できた出来事でした。
私は、先輩の鍛治さんや地域の方々に教わりながらメインストリーム協会の「インク
ルーシブ教育部」で活動しています。最近は、少しずつ講演会などで自分の支援学級
の経験などを話す機会が増えたり、外部の方々と出会え、悩むことも多少ありますが
とても有意義な毎日を送っています。インクルーシブ教育部のモットーの「最初の分
離は、一生の分離」を肝に命じて、様々な人と繋がって「どんな人でも過ごしやすい
学校や社会作り」を目指して日々勉強していきたいと思います。また、私に自立生活
のイロハを教えてくれたILPにも力を入れていて、より多くの障害がある人に自立生
活の楽しさや人権などを知ってもらう為、日々勉強して、メインストリーム協会の仲
間たちと切磋琢磨していきたいと思います。

私の「平成」は遠慮がちで突き抜けられなかったので、「令和」は活動もバリバリ
やって、遊びも全力で、アクティブな毎日を過ごしていきたいと思います。

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