2010年01月26日

38年前の見学写真 1 … 広瀬鎌二 『SH-30(牧田邸)』 … これぞ 大人の設計

『SH-30』のパース『SH-30(牧田邸)』の1971年見学写真私は大学院時代の1972年に、建築家の介在した数十軒の住宅と、介在しなかった数十軒の住宅の住み手の聞き取り調査を行った。

もう、今から39年も前のこと。随分、迷惑な調査をしたものだと思うが、学生にしか許されない特権、と図々しい気持ちがあったのも事実。それでも、多くの方々に好意的に接していただいたのは、感謝の限り。

その中でも、広瀬鎌二先生の『SH-30(牧田邸)』は印象に残る住宅のひとつだった。

当時の建築家が介在した住宅の特徴は、吹抜やトップライトが必ずと言ってよいほどあった(今も変わらないか)。ところが、広瀬先生の『SH-30』は鉄骨の平屋で、そんな設計手法は使っていなかった。

『SH-30』 2平屋とはいえ、こんなに出来るのだ、と感心するような細い細い角鋼の柱と、薄い薄い屋根スラブで構成された、しっとりと落ち着いた雰囲気の住宅だった。
人を驚かすようなところは、特に何も無い。
が、各室とそこから眺められる庭との良い関係があったのですね……「これが大人の設計だよ」と先生に言われたような印象。『SH-60』とは全然違っていた。

その頃、広瀬先生の指導していた武蔵工大の建築科では、設計者としての実務をスパルタで叩き込んでいたらしい。
「発想を自由に、個性的に、豊かにしよう、なんて考えるのは10年早い。まずは、優れたお手本を真似して、実務が出来るようになりなさい」という考え方……広瀬先生はこの方針で、朝から深夜までの長時間の講義・演習で学生を絞り上げていたそうだ。
先生には、戦時中の体験などから「何が自分の身を助けたのか」と考えるところがあったのでしょうね。

早稲田の建築教育は、これと真逆で、自由放任。ありのままに言うと、放ったらかし。
「環境さえ整えてやれば、育つ奴は勝手に育つよ」といったところだった。まぁ、入口はいろいろでも、結局のところ、本人次第ですが…。

CSH-21(1958年ベイリー邸)昨年、近くを通りかかって、『SH-30(牧田邸)』が在ったと思しき目白台の辺りに寄ってみた。が、そんな住宅の痕跡は何も無い。すでに現存していないようだ。何とも贅沢な敷地の使い方だったから、マンションにでも建て変わったのでしょうか。

広瀬先生は、「私が最も強い影響を受けたのは、ミースではなく、ケーススタディ・ハウス(CSH、1945年-66年までのアメリカの建築雑誌社がスポンサーとなった、カリフォルニア州近辺の実験的提案住宅シリーズ)」だと、ご自分で表明しておられる。
『SH-30』は、その言葉を最も良く示す住宅だったと思う。現存しないのは、惜しいこと。


Posted by shyougaiitisekkeisi2581 at 21:46│Comments(0)TrackBack(0)

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