2013年01月25日

“反ユダヤ”は こうして ナチス精神の柱とされた

ニュルンベルクのナチ党党大会 ナチス・ドイツでユダヤ人迫害の法的根拠とされた『ニュルンベルク法』の成立は、1935年のニュルンベルクでのナチ党党大会の最中に、ヒトラーが突如「2日間のうちに、ユダヤ人から公民権を取り上げる法律をつくれ!」と内務省に命じたことからスタートした(「2日間ではとても無理です」と常識的な返事をするような者を、ヒトラーは嫌い遠避けた。正に独裁者!)。ミュンヘン一揆の失敗と逮捕・拘束から“法に基づく政治活動の効力”を学んだヒトラーは、この時期“反ユダヤ”をさらに強力に推し進めていくには、“反ユダヤ”行動を合法化しておくことが必要だと閃いたのでしょう。
   そして、特例としてニュルンベルクに招集された国会で、本当に2日後に『ニュルンベルク法』(「ドイツ帝国市民法」と「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」の二つ)が制定された。

ムッソリーニ   それにしても、ファシズムの先輩でお手本でもあるムッソリーニなども「ナチスのいうアーリア人など存在しない。アーリアン学説などを信じる者は麻痺した知性の持主。そもそも、ユダヤ人は古代ローマの昔からイタリア社会に根付いており我々には不可分不可欠な存在」とナチスを痛烈に批判した。
   それにもかかわらず、ヒトラーは何故“アーリア人至上主義”と“反ユダヤ”をナチス精神の柱に据えたのだろうか?……第二次世界大戦後、この疑問に答えるいずれも有力な諸説が出されている。しかし、私は以下のように考えるのが一番納得がいく。

歌劇 ニーベルングの指輪ゴビノー伯爵   19世紀半ば、ドイツでは作曲家リヒャルトワーグナー(1813-83)らがアーリアン学説を肯定し「ドイツ人こそが最も純粋なアーリア人」とドイツ人の民族意識を鼓舞し権威付ける動きがあった……歌劇『ニーベルングの指環』に代表される、民族感情を掻き立てる壮大重厚な神秘的音楽芸術は、理論・理屈を超えてドイツ人を魅了した、と容易に想像できる。
   もちろん、理論・理屈でアーリア人(白人)の優越性を唱える著作もあった。
 ワーグナーと同時代人のフランス貴族のゴビノー伯爵(1816-82)の「アーリア人は支配人種という欧州の植民地主義を正当化する主張は、ナチスに大きな影響を与えたといわれる。
   こういった民族意識の高揚は、当然“アーリア人(ドイツ人)至上主義” に結び付く。そして、そのように優れたドイツ民族が、周辺の劣る民族を従えてゆくことは自然な成り行きと考える……つまり、“ドイツの侵略性の肯定”だ。

ヒトラー と 若きナチス   ヒトラーはアーリア人(ドイツ人)至上主義さらに反ユダヤを付け加えた(ゴビノーには“反ユダヤ”思想はない。逆にユダヤ人の優秀さを讃えている)……「ドイツ民族は素晴らしく優秀な民族で、この世の支配者と成るべく宿命付けられているのだ!」と鼓舞するだけでは民族意識の高揚の持続性には不十分、とヒトラーは見ていたのではないか(これは鋭い見方!)。
   そこで、街頭での大衆運動の中から頭角を現した演説の名手ヒトラーは、“欧州の大衆の心に巣食うユダヤ人に対する妬み・恨みの感情”が使える、と直感したのだと思う……当時の欧州の金融界や産業界を牛耳って豊かな生活を謳歌しながらも、決して社会に同化することのないユダヤ人たちを皆で懲らしめてやることは、想像するだに痛快事ではないか!

演説をぶつヒトラー   ヒトラーは「ユダヤ人はアーリア人(ドイツ人)の純血を汚し、ドイツを弱体化させる民族。このような忌わしい民族は社会から排除しなければならない」とキリスト教徒との結婚(混血)の多かったユダヤ人を非難する演説を、得意の身振り手振りを交えてぶった。さらに「第一次世界大戦でドイツが敗れたのも、ドイツ帝国の軍事行動をユダヤ人と共産主義者が背後で妨害したから(背後の一突き説)」と程度が低いとしか言えない持論を展開した……反応は上々。
   大衆に巣食う恨み辛みの感情に訴えることができればその主張の持続性は保証されたようなもの

   こうして、“アーリア人至上主義反ユダヤ”はセットでナチス精神の柱とされたのです。   (続)


Posted by shyougaiitisekkeisi2581 at 23:59│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
ヒトラーの狂気も民族主義ーそれゆえワーグナーの作品を彼は好んでいたのでしょうかね!小説「ロンギヌス迷宮」という本は、その狂気の根源をどこかドイツ神話世界、さらに宗教まで昇華する姿を描いてました。だkら、聖なる槍・ロンギヌスを祭壇に祀り・・・そんな「聖槍」が日本にもたらされていた。それを戦後、英国陸軍とフリー・メイソンが追いかける構図にした作品でした。軍事技術、ドイツ国内事情を前半部で、宗教観や歴史観を後半部で語る物語は史実の調べが凄く、リアルな描写は取材力を否応無く感じる。フィクションなのか?とつい疑ってしまう本でした。二度読んで、文中に潜む「暗号」めいた部分を自分なりに解読したつもりですが・・・横書きのチョット変わった編集。
Posted by 久保寺 進 at 2013年01月29日 14:09