
日本に残って建築家として生きる道を選んだモーガンは、自身が建設に関与した日本郵船ビルに設計事務所を構えた。その後1926年にはアメリカ人のコミュニティーがあって、東京以上に関東大震災の地震被害を受けていた横浜に移った。1928年からはモーガンが設計した横浜関内のユニオンビルディングに設計事務所を置いて1937年に亡くなるまで旺盛な設計活動をしています。


モーガンはアメリカ人特有の明朗快活な性格を特に強く持っていたそうです。その性格も幸いしたようで、横浜の欧米人コミュニティーの公的な施設――アメリカ領事館、根岸競馬場(現存)、クラスト・チャーチ(現存)、外国人墓地正門(現存)――から、ミッション系の学校建築――関東学院専門部校舎(現存)、同中学部校舎(現存)、立教大学予科校舎(現存)、東北学院礼拝堂(現存)――まで設計している。この他に外資系銀行や欧米人の住宅などを10年少々の間に横浜近郊に実現した。大忙しですね。
作風も多彩。お得意の古典様式であったり、スパニッシュ風、中世城郭風など持ち前の器用さを大いに発揮しています。

このように、J・H・モーガンは横浜の建築文化を彩った外国人建築家の筆頭です。
来日のキッカケとなった旧丸ビルは1999年に取り壊されました。が、奇しくもこの年に藤沢市大鋸に1931年頃建てられたモーガン自邸が現存しているのが判明したんです。
当時、債権整理回収機構の管理下にあった敷地の深い緑の中に埋もれていた旧モーガン邸が偶然発見された。この敷地はすでに開発の危機にあった。急遽、地元を中心に『旧モーガン邸を守る会』が結成され、現在日本ナショナルトラストによる募金活動が展開されています。
































