2010年01月08日

『身延山久遠寺宝蔵』は “存在感”のある建物を目指した 1 … 銅板瓦棒葺のむくり屋根

屋根近景屋根断面詳細1西立面図『身延山久遠寺宝蔵』は収納庫。『東大寺正倉院』のように、収納物を半永久的に変わりなく保存できることが最大の目的の建物。その意味では、大げさな飾りは不必要。
しかし、同時に収蔵物の貴重さと日蓮宗総本山の宝蔵らしさを体現した建物であることも望まれた……この点でも『正倉院』のストレートな機能表現と“飾りではなく存在感で建物のステータスを示しているのがお手本になった。

むくりの入母屋屋根 1軒先詳細図棟部詳細図屋根銅板葺 工事写真では“存在感”がある建物とするには、どうすればよいか?
それは「豊かな形態の建物」にすること、「実寸以上に大きく感じさせる建物」をつくること、と考えた。
具体的には、『桂離宮古書院』を参考にした……『古書院』は実寸がそんなに大きな建物ではない。しかし、ゆったりとした“むくり屋根”と、その屋根のシルエットの見せる“日本刀のようなエッジの鋭さ”で、スケールの大きな建物に感じさせている、と思うのです。

屋根鉄骨工事屋根木工事屋根銅板工事2屋根銅板工事3『身延山久遠寺宝蔵』では、「豊かな形態」に加えて、「頑丈さを感じさせる」ことも意図した……だから、屋根では“締め付け、押さえ付ける”という強風に備える要素をデザインに取り込んだ……棟の鞍や屋根面の瓦棒がそれに当たる。 (続)
  

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2009年11月18日

桂離宮の“むくり屋根”の美 は 日本刀の美 に通じる

日本刀の切っ先桂離宮古書院のむくりの入母屋屋根むくりの入母屋屋根 1京都御所の紫宸殿等がこけら葺なのを見てもわかるように、公家階級にとって正式の屋根は「こけら葺」……「こけら」は腐り難くて柔らかいヒノキ・サワラ・スギ・エノキなどを年輪に合わせて竪に2〜3mmの厚さに削いだ薄板……厚板だと切妻屋根にしか葺けないが、薄板にして葺くと、微妙な曲面にも馴染んでどんな屋根形態にも葺くことができる。

その自由な屋根形態に葺ける「こけら葺の“むくり屋根”」のなかでも、『桂離宮』の入母屋の“むくり屋根”は飛び抜けて素晴しい。特に古書院の屋根は、ゾクッとするほど鋭くて、かつ、雄大……この印象は、日本刀の名刀に似ている、と私はおもっている。

桂離宮古書院 断面図新御殿 断面図こけら葺の修理中(桂離宮の昭和の大修理)破風のアップ同じ「こけら葺の“むくり屋根”」でも『飛雲閣』や『千歳橋』からはここまでの印象を受けない。

『桂』の屋根に名刀のようなスゴミがあるのは“破風や軒先の「こけら」の小口の見せ方(角度と段数)”にあるのではないかとおもう……「こけら葺」の端部は、ある程度の張り重ね厚さが必要なのだが、特に、破風の上段の積み重ねたこけらは下にベントして、鋭角気味なこけら小口上端のつくるラインは極めてシャープ。

そして、二段の内の下段のこけらは全くの飾り。この下段のこけらは、機能的には無くても構わないが、デザイン的には有るのと無いのとでは存在感は大違い。

新御殿 正面『桂離宮』が造形的に優れていることは早い時期から公家・武家や庭師などの職人の間では知られていたらしい。
1663年の後水尾上皇の行幸に合わせて『桂離宮新御殿』が完成し、現在の規模の建物になったが、早くも1689年には小堀遠州の末孫・小堀仁右衛門が願い出て見学したのを手始めに、江戸期を通して参観が行われた記録が残っている。

私は、「“むくり屋根の始まりは伊勢神宮」だと見ているが、「“むくり屋根の美を確定したのは桂離宮」ではないかとおもっているのです。
  
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2009年11月17日

“むくり屋根”に関する 私の独断的仮説 6 … 公家は「“むくり屋根”は美しい」と感じた

桂離宮 古書院桂離宮 園林堂金閣寺 夕佳亭公家文化に属する“むくり屋根”で現存する古いものとしては、いずれも江戸時代初期の『桂離宮古書院と園林堂』と『金閣寺夕佳亭』がある。
『桂離宮古書院』は、桂宮家(八条宮家)の別荘で1615年の大阪夏の陣の頃に建てられた。そして、『桂離宮園林堂』は桂宮家の持仏堂(仏教の建物だから瓦葺)。
『金閣寺夕佳亭』は金閣寺の僧が、“姫宗和”と呼ばれて優雅な茶の作法で公家に受けの良かった茶人金森宗和に、後水尾天皇の御幸のために建てさせた茶室。

千歳橋修学院離宮の『千歳橋』千歳橋 2後水尾天皇(1596-1680)は江戸最初期の長寿の実力派天皇で、自身が『修学院離宮』を造る参考にと『桂離宮』を二度行幸している……『園林堂』には後水尾天皇の書による額が残っているくらい……つまり、この三つの“むくり屋根”は同一天皇が関わるほぼ同時代の建築なのです。

その後水尾天皇の造った『修学院離宮』の建築に“むくり屋根”はないかと見ると、上御茶屋の浴龍池に掛かる『千歳橋』の片方の屋根が“むくり”。

二条城本丸御殿(1847年築・旧桂宮邸御殿)公家によるもう少し規模が大きく新しい“むくり屋根”は『二条城本丸御殿』。この建物は、元は1847年に京都御苑内に建てられた『桂宮家御殿』で、1854年の内裏焼失時には孝明天皇(明治天皇の父)の仮皇居となり、1862年に徳川に輿入れした皇女和宮も直前まで住んでいた由緒ある住宅……桂宮家の本宅だから桂宮家の誇りである桂離宮古書院を模して造られている。元はこけら葺だったが、明治26年に二条城本丸に移築された時に瓦葺にされたという。

もちろん、公家は江戸期の「商」のように腰を低くする必要は何もない。現在まで残された、これらの“むくり屋根”を見ても「“むくり屋根”は美しいから」と純粋に造形的に考えて造ったに違いないですね。
  
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2009年11月15日

“むくり屋根”に関する 私の独断的仮説 5 … 「士」は“むくり屋根”を避けた

西本願寺飛雲閣(聚楽第から移築)飛雲閣 GM写真飛雲閣 正面図日本には大陸にはない“むくり屋根”という屋根の範疇があるが、実は江戸時代の「商」が建てたものを除くと、“むくり屋根”は然程多くは現存していない……恐らく、実際に建てられた数も、「商」が建てた数に比べると、「士」や「僧・神官」や「公家」が建てた数は圧倒的に少なかったのではないか。

『西本願寺飛雲閣』は豊臣秀吉の『聚楽第』からの移築といわれ、2層・3層は“むくり屋根”。しかし、最近の研究では江戸時代に建てられたのではないか、といわれている。
そもそも、池の畔に建つ舟入のできる楼閣は、公家の平安文化の産物。だから、この楼閣を建てたのは「士」または「僧」に属する人物であっても、精神は「公家」と言っても良い。
ただし、優雅というよりも、むくり屋根あり反り屋根あり唐破風ありのテンコ盛り。日本建築としては、異色でおもしろい。秀吉が建てたといわれれば、ナルホドとおもえる。

宇和島藩伊達家の表門(江戸東京たてもの園)旧因州池田家表門(黒門、江戸時代末期)この他に「士」に属するとおもわれる“むくり屋根”としては『旧宇和島藩伊達家表門の片側番所(江戸東京たてもの園)』がある。いかにも大名屋敷の表門らしいが、実はこの門は大正時代に港区白金に新築されたもの。この時、伊達家はすでに華族。
そして、この門以上に格式の高い門としては、江戸末期の『旧因州池田家江戸屋敷表門(両側番所)』が現存する。こちらの番所は“唐破風”だから、大名屋敷表門として極めてオーソドックス。

私は、江戸時代の「士」は基本的に“むくり屋根”を避けたのだとおもう。お辞儀をして腰を低くしているような形態は、「士」に相応しくないという判断があったのではないか。
  
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2009年11月10日

“むくり屋根”に関する 私の独断的仮説 4 … “むくり屋根”は 「江戸時代の身分制度」があったからこそ広まった

招き猫招き屋根 と 切妻屋根お辞儀お辞儀は難しい京町屋の模型京町屋の“むくり屋根”




「士農工商」という江戸時代の身分制度で最下位に置かれた「商」は、経済力からいうともちろん最上位……「士」も「商」に借金まみれで、実際のところは頭が上がらない。「士」が徳政令をいくら発して「商」への借金をご破算にしても、急場を一時凌ぐだけ。
それでも、「士」が目に余る「商」を、時には取り潰したのも事実……だから、「商」には腰を低くすることと贅沢な生活を避けることが、末永く生き延びるために必要なことだった。
真面目に、質素に、謙虚に、商売繁盛だけに精を出すのが、望ましい「商」の姿だった。

私は、その望ましい「商」の姿を建物にまで体現させたのが『京町家』だとおもうのです。
屋根は“招き屋根”であるというだけでなく、“むくり屋根”としてまるでお辞儀でもしているかの如く、腰を低くしている。直線屋根よりも強くそう感じることは間違いない。
“そり屋根”のように、胸を張ってりっぱな雰囲気は、武家屋敷や神社仏閣のもので、「商」に相応しいものではない……こう言い訳ができれば、手招きしているような、お辞儀をしているような“むくった招き屋根”は、「実は、カッコ良い」と考えていても、誰からも非難されない。

つまり、日本独特のむくり屋根、「江戸時代の身分制度があったからこそ全国のの間に広まった、と私は見ているのです。

京町屋(明治村)岐阜美濃市の商家岡山県井原市の蔵造の商家犬山市の商家

  
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2009年11月08日

『古代出雲大社本殿』 も “むくり屋根”だった!? … 出雲大社は7回倒壊した

発掘された巨大柱の平面4m×3本の柱(鎌倉期の本殿跡か?)巨大柱跡の発掘現場出雲大社関係の古文書には、本殿が倒壊したり焼失したりの記録が7回あるという。

出雲は神殿にカミが降臨するところとして“高さ”を求めたらしい……「古代出雲大社本殿は高さ16丈(48m)であった」という俄かには信じ難い記述が「古事記」「日本書紀」にある……ところが、2000年にそれを証明するような巨大柱(直径1.4mの大柱3本セットで直径3m)が発掘されたのです。
「高さ48m神殿跡の発見!」と大ニュースが流れたが、その後の調査でこの巨大柱跡は鎌倉期のもの(高さ35m)と見られている。
平安末期には存在したといわれる「高さ48m神殿」の柱は、どのくらい巨大だったのか?屋久島の縄文杉でも高さ30mくらいだから、とにかく想像を絶するスケール。 

出雲大社本殿の高さ比較古代出雲大社本殿の復元模型鎌倉時代の出雲大社本殿の模型現在の出雲大社で、これらの復元模型を見ると、平安期の「高さ48m神殿」は“むくり屋根”。しかし、常識的に考えても、高さ48mの神殿の屋根を茅葺にするというのも信じられない。強風時にはすぐ吹き飛ばされるようにおもう……恐らく、伊勢神宮をお手本にして模型をつくったというだけで、確たるものに基づいてはいないのではないか……出雲大社の謎は、まだまだ多いのです。
  
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2009年11月06日

“むくり屋根”に関する 私の独断的仮説 3 … “むくり屋根”は 伊勢神宮から始まった

伊勢神宮正殿 妻側東西断面図伊勢神宮が現在のような建築様式になったのは紀元元年前後のことらしい。
その後、何度も式年遷宮を繰り返すことで、直接の工事関係者にしかわからないようなレベルの細部の微妙な変化を繰り返して洗練されてきたのだとおもう。

実は、この伊勢神宮の屋根がものの見事に“むくり屋根”なのです……木部の屋根構造は直線屋根で、茅葺部分がゆるやかだが明らかにむくっている……この構成は、直線屋根の鉄筋コンクリート造に蔵造の“置き屋根”として、鉄骨造銅板葺の“むくり屋根”を載せた身延山久遠寺宝蔵と全く同じ。

私は、江戸期に全国に広まった“むくり屋根伊勢神宮を始まりとしたのではないか、と推測している。


伊勢神宮 立面図家形埴輪(岡山市造山古墳)復原された穀物倉(高床式倉庫・登呂遺跡)復原された高床倉庫(塩尻・平出遺跡)そもそも伊勢神宮は、古代遺跡から発掘された穀物倉庫の家形埴輪や復元された高床式倉庫からもわかるように“高床式の穀物倉庫”を神殿にしたもの……穀物倉庫を神殿様式に高めるとは、いかにも農耕民族らしい。こんな例は、他にないのではないかとおもう。

日本列島に住んだ民族は、無数に存在したであろう草葺の穀物倉庫から“丸っこい屋根形態の魅力”を、神殿様式の中に“むくり屋根”として唯一表現した民族だとおもうのです。

  
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2009年11月03日

“むくり屋根”に関する 私の独断的仮説 2 … “むくり屋根”の萌芽は 草葺屋根

復原された竪穴式住居などを引き合いに出すまでもなく、「草」は人類が選んだ最初の屋根葺き材ではないかとおもう。

ドイツの民家イングランドの民家アイルランドの民家しかし、欠点は燃えやすいことと、メンテナンスが面倒なこと……それでも、未だに現在も廃れることなく、世界中のアチコチで使われ続けている味のある建材。


しかし、「草」は耐久性・耐候性に劣るから、年月を経ると腐ってきてヘタってしまう。そのせいで、直線屋根に葺いても何となく屋根は“丸っこくなる”。特に、軒先はそう……基本的にピンと反った感じに仕上るのには、草葺屋根は向いていないのですね。

韓国の農家台湾の農家そして、“丸っこい屋根形態”を魅力的と感じる人も世界中に多かったのだと想像する。つまり、“むくり屋根”が生まれる可能性は常に世界の各民族の前にあったのだとおもう。

ところが、その魅力を“むくり屋根”というジャンルをつくって表現したのは、日本列島に住む人たちだけだった。

茅葺屋根のいろいろ「洋小屋」で屋根をつくる文化の人たちには、建築構造面で屋根面を曲面にするのは難しかったから仕方がないが、「和小屋」で曲面屋根を容易につくれる文化の東アジアで、何故、“むくり屋根”は日本だけで広まったのか? 

私は、“草葺(茅葺)の神殿”が生まれた文化が、そのキッカケになったのだとおもっている。 (続)
  
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2009年11月01日

“むくり屋根”に関する 私の独断的仮説 1 … “むくり屋根”は 日本独特 

洋小屋和小屋民家の在り様に関心のある私は、世界中の民家の写真を見てきて独断的(他に語る人を知らない)だが、いくつかの確信を持つようになった。それを紹介したい。

木造屋根の構造は“洋小屋”と“和小屋”の2種類がある。
ヨーロッパでは屋根部材を「三角形(トラス)」に組上げる“洋小屋”で、東アジアでは屋根部材は「母屋と垂木」で組上げる“和小屋”だった。

だから、ヨーロッパの民家屋根は曲面をつくり難く、ほとんど直線屋根。
ロビン・フッズ・ベイの町並み(イギリス)中国雲南省の民家の建設現場ソウルの家並みそれに対して、東アジアの民家屋根は「母屋」の高さを調整して小さい部材の垂木で曲線をつくれるから、曲面の屋根をつくることが容易。だから、屋根はそるのもむくるのも選択次第。

かし、どういうわけか、中国や朝鮮半島の民家屋根はそり返っているか直線。民家屋根に限らず、屋根という屋根がそうだと言っても良い。目にしたことがないのはむくり屋根”……多分、そった屋根の方が、軽やかで立派に見えたからでしょう。

ところが、日本の屋根は、そり返るのは寺社仏閣や武家の屋根だけで、民家屋根は直線かむくり。そり返った民家屋根は特殊なのだとおもう。

工事中の“そり屋根”改修工事中の桂離宮古書院どうやら、主の身分と建物の性格によって、そるか直線かむくるかが選ばれたようにおもう。

で、私が“むくり屋根”は日本独特と考える理由は単純……日本以外で“むくり屋根”を見ないから。
逆に言うと、何故、日本にむくり屋根が広まったか、という疑問を考えるということですね。 (続)


思いつくまま、古い順に並べた“むくり屋根”

桂離宮 古書院桂離宮 園林堂夕佳亭 正面二条城本丸御殿(右、旧桂宮邸)






京町屋(明治村)岐阜美濃市の商家岡山県井原市の蔵造の商家犬山市の商家
  
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2008年12月07日

本瓦葺の“唐破風” で 巧みな雨処理 … 桂離宮の園林堂(おんりんどう)

寺院建築と武家建築は瓦葺(瓦は寺院建築と共に日本に入ってきたし、武家建築は燃え難い屋根材を歓迎)、神社建築と公家建築は桧皮葺やこけら葺……というのが古建築では一般的。

本瓦葺 (丸瓦と平瓦)古代瓦(丸瓦と平瓦)

桂離宮の園林堂

園林堂のGE写真

 

 

 

 

しかし、日本特有の“唐破風”は屋根が曲面で構成されるため瓦葺は難しかった。瓦と瓦の間が、口を開けては漏水の原因。だから、瓦葺の唐破風は少ない。

日光東照宮陽明門のように一見本瓦葺のようでも、実は銅板葺というケースもある。これは慣例は守りたいが漏水は怖いという結果でしょう。

ところが、堂々たる本瓦葺で、雨処理も見事にこなしているという優れた実例もある……桂離宮の回遊式庭園の中にある園林堂(おんりんどう)がそうです。

桂離宮は公家の別邸なのに園林堂が本瓦葺なのは、持仏堂で仏教建築だから。

この唐破風に適さない本瓦葺(丸瓦と平瓦で葺く)で、どう雨処理したのか?

園林堂と太鼓橋の参道桂離宮・園林堂 の 本瓦葺の唐破風

桂離宮・園林堂

園林堂の唐破風下

 

 

 

 

まず、唐破風の曲面への適合は“棟なしの2列の丸瓦だけを特寸”にすれば済むようにした。しかも、この丸瓦を雨水や雪溶け水が落ちてこないように土手として利用している。

だから、正面に落ちてくるのは、瓦1枚分の雨水だけ……極めて巧みな解決法です。

太鼓橋を渡って園林堂へ至る園林堂の屋根は、“むくりの本瓦葺の方形屋根”に“本瓦葺の唐破風”を差し込んだ形態。桂離宮の東屋の中でも異質。

それでも、一見鄙びた太鼓橋を参道に組み込む工夫なども加えて違和感無く造り上げている。太鼓橋の手摺部を刈込風に作ろうというユニークな発想はなかなかできるものではない。太鼓橋の曲面といい、刈込や丸太ノンスリップといい、園林堂の屋根形態に呼応している。

園林堂の建設関係者の力量も、かなりなもの。

  
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2008年12月03日

「てりむくり」の切妻破風が生んだ“唐破風”は 日本特有のもの 

妻壁が風を受けると風を左右に分けるから“破風”と呼んだ。

伝統的建築の屋根の基本形は「切妻・寄棟・入母屋」の屋根。このうち寄棟には屋根に妻壁がない。だから、“破風”は『切妻破風』と『入母屋破風』の二種類。

屋根の基本形

反り屋根の工事

むくり屋根の断面図

 

 

 

 

これに東アジアの小屋組(屋根の構造組のこと)構法では、曲面屋根を造り易い。だから、中国・朝鮮では『反り(照り)』が加わって、『反りの切妻破風』と『反りの入母屋破風』となった(北京・紫禁城大和殿は『反りの寄棟』)。

この二種類の破風の違いは“雨を落とすか、雨を遠ざけるか”ということ……これは中国・朝鮮の気候ではあまり重要なことではない。が、日本では重要な違いだったのです。日本では玄関や客寄せの部分には『切妻破風』が多用されたのだと思う。

これに加えて、日本だけは『むくり(起くり)』の美も発見した。

だから、法隆寺金堂は『反りの入母屋破風』に対して桂離宮は『むくりの入母屋破風』。

出雲大社は『反りの切妻破風』に対して、伊勢神宮は『むくりの切妻破風』……というように四種類の破風が造られたのです。

そりの入母屋破風 の 法隆寺金堂

むくりの入母屋破風 の 桂離宮

そりの切妻破風 の 出雲大社むくりの切妻破風 の 伊勢神宮

 

 

 

 

しかし、『むくり』の美意識を持つと、玄関や客寄せを『反りかむくりの切妻破風』だけとすることでは満足がいかなかったのでしょう。

唐破風は日本特有摂社 出雲建雄神社拝殿 (現存する最古の唐破風)

そこで、考案されたのが『唐破風』……反り(照り)とむくりの合体で、日本人の美意識に大いにマッチしたのですね。

『唐破風』というと中国から入ってきたように聞こえるが、この場合の『唐』は『新奇な』という意味。日本特有の意匠なのです。平安時代のころからあったといわれるが、現存する最古の唐破風は鎌倉時代のもの。

『唐破風』は、“雨処理の有利さ”と“貴人を迎え入れるに相応しい意匠”ということで、その後の日本の伝統建築で大発展したのですね。

  
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2006年01月24日

うだつ の上がる 町並み

うだつ飾りの種類『うだつ』は隣家との間にたつ防火用の袖壁です。現在の建築基準法でも『防火壁』という概念があります。木造の建物は原則、延床面積が1000屬鯆兇┐襪繁媛佇匹廼莢茲靴覆韻譴个覆蕕覆い鵑任垢諭ただ、防火壁には「耐火構造(木造不可)で、自立。組積造(コンクリートブロック・レンガ)不可。屋根面から50cm以上突出」等々の細かい制約があります。こんな制約を受けるくらいなら、誰でも木造にしないで鉄筋コンクリート造や鉄骨造にしますよね――ということで、『防火壁』は概念あれど実現させる者なしの状態です。

美濃の『うだつ』も木造漆喰塗込めですから防火構造ではあっても耐火構造でないので『防火壁』にはなり得ません。それに屋根葺きが瓦になったのは明治以降のこと。江戸時代はずっと石置きの板葺き屋根だったといいますから『うだつ』があっても少し大きな火事にはお手上げだったんだと思います。現に美濃も何回か大火の洗礼を受けています。それでも『うだつ』は次々に競って造られ続けた。何故か。それは「うだつを上げる」ことが商人の繁栄と地位のシンボルになったから。

むくり屋根のうだつ江戸時代の「商」は家を本二階にすることも瓦屋根にすることも少しでも奢侈につながりそうなことは厳しく禁じられた。そして店の間口の長さで重く課税されたとあっては、「士」から防火の効ありと認められた『うだつ』にうだつを上げることぐらいでしか家では自己表現できないですよね。実際、町並みを歩いてみると『うだつ』と『うだつ』の間は二層の屋根と格子戸・虫籠窓が続くのみです。『うだつ』以外に個性はないといっても良いような状況。おまけに美濃は紙商人の町。同業者で成り立って長く繁栄してきた町です。生活上・商売上の競争も協調も大変なものだったことは容易に想像がつきます。

今年は美濃地方も雪がよく積もるそうです。でも、大雪の後も美濃市では住民総出で除雪をして朝の通勤通学の頃にはすっかりきれいになっているのだと、近くの町に住む方から教えてもらいました。この強い共同体意識が古い町並みを今にまで残している理由の大きな一つですね。(続)

うだつ 1うだつ 2うだつ 3うだつ 4 

 

 

 

 

 

  
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2005年09月18日

むくり屋根-私の場合・・・『現代の正倉院』をめざして

身延山久遠寺宝蔵1私が関係した『むくり屋根』の建物では思い出深い仕事があります。30年前、修行中に担当した身延山久遠寺宝蔵の設計です。700有余年の歴史のあるお寺の収蔵庫の設計ですから、『現代の正倉院』にするゾ――と意気込んだものです。

それまでの久遠寺の収蔵庫は、伝統的な左官で塗り込めた蔵で延焼を防ぐだけという程度のものでした。計画的な分類も整理もない。湿度も高くジメジメしていた。棚には書籍が山積みで、よーく見ると和紙の間を小さな白い虫がうごめいている状態。床には綺麗な布団が掛けてあるのでめくってみると日蓮様の座像があったりしました。

宝蔵収納物の分類身延山久遠寺宝蔵 内観ということで、収蔵物の分類から設計は始まった。プランはこの分類に沿った形にしました。二棟にすることでリスク分散も図れます。湿気を避けて、高床以上のキャンティ(持ち出し)形式。頑丈な台の上に宝の箱を二つ並べたイメージの建築です。宝蔵の室内は床・壁・天井とも二重の空気層で護られており、その空気層が自然対流するようになっています。屋根は銅板葺、軒裏はアルミプレート張り、外壁はコンクリート打ち放しにアルキャスト( アルミ鋳物板)張り。費用は掛かりますが、見事なメンテナンスフリーの仕上げです。先日、この建物をパソコンで検索してみました。たまたま、ある宗教大学の学生さんのブログに「だいぶ前に建てられた宝蔵なのに新築同様の雰囲気があり、貴重な史料も大変良い状態で保存されていて感激した」という書き込みを見つけました。設計者冥利に尽きます。

身延山久遠寺宝蔵 立面図・断面図で、この銅板葺の屋根が『むくり屋根』なのです。どの程度のむくりにするか。これはもう設計者の『目』だけが頼り。この銅板のむくり屋根の下には、コンクリート打ち放しの直線屋根スラブがあります。まずこのコンクリート屋根の勾配を5.5寸勾配(10寸水平に行って5.5寸上がる勾配)と決めました。屋根足場がなくても作業できる勾配の限界が経験的に5.5寸勾配だったからです。そして、この上にH鋼を曲げて伝統的な蔵造りに見られる『置き屋根』のように鉄骨骨組みの『むくり屋根』を置いたのです。確か半径18mの円弧を中心に3種類の円弧をベニヤ板で用意してもらい、現場のコンクリート屋根の上にセットして地上から見上げて自分の『目』を信じて決定しました。多分、『むくり屋根』は同じようなプロセスで決められるのではないかと思っています。

この建物は思わぬところから評価されました。アメリカにアルミニュウム総合一貫メーカーで「レイノルズ社」という会社があるのですが、その創始者がアルミを使用した優れた建築に「レイノルズ賞」を出していた。その賞をいただいたのです。そのご褒美として、ヨーロッパ建築見学旅行をしてきました。ちょうど、私の独立間近の出来事で懐かしい思い出ですね。

身延山久遠寺宝蔵2身延山久遠寺宝蔵3身延山久遠寺宝蔵4

 

 

 

 

 

  
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2005年09月16日

むくり屋根は 日本独特です

伏見稲荷大社 御茶屋有澤山荘 向月亭・菅田庵菅田庵桂離宮 立面図桂離宮 立面図

 

「むくり屋根」の美に日本人が気付いてそれを意識していくことに、茅葺を主とした草葺屋根が大きな役目を果たしたのではないか――と私は推測しています。

茅葺金閣寺 夕佳亭50年程前の私の子供時代の記憶をたどっても、まだまだ草葺(わら葺)の農家は珍しい存在ではなく普通に見られるものだった――ということは、竪穴式住居の古代からつい最近まで草葺屋根は長い長い期間を存在し続けたということになりますね。

そして、板葺や檜皮葺(ひわだぶき)や柿葺(こけらぶき)や瓦葺や金属板葺に比べてはるかに日本人の生活に密着した屋根葺材だったと言えます。

この草葺の一番の特徴は、葺いた後で刈り上げて形を仕上げるという点。かっては、刈り上げ仕上げ専門の渡りの技能者集団もいたといいます。この刈り上げて仕上げる時、ある程度自由に形を整えられるんですね。私たちが散髪をするのに似ています。渡りの技能者集団を介してこの刈り上げの技術や形態はいろいろ試みられ高められ伝えられていったんだと想像します。

伊勢神宮 立面図伊勢神宮内宮実は、草葺で「むくり」の形態が見られるのは結構早い時期なんです。

私は伊勢神宮内宮の屋根にすでに「むくり」が見られると気付きました。屋根面の木部は直線で平面ですが、その上の茅葺はゆったりと軽くむくった曲面です。これは純粋に美的感覚で決められる部分です。

伊勢の神殿の20年毎の建て直し(式年遷宮)はおよそ1300年前の天武天皇の時代に定められたものですから、いままでに65回程建て直されたことになります。

経験的に言うと、限られた少数の工事関係者以外は気が付かないような微改変というものはどこかにあるものです。茅葺の刈り上げラインはその最たるものじゃないかと思うんですね。

ですから、私は日本人の屋根形態に対する美意識のひとつの典型が伊勢神宮の屋根にはあると考えています。
このように草葺によって育まれてきた「むくり」の屋根形態が、徳川政権の商人に華美な生活態度を許さないという政策への対応策にも合致した。つまり、町屋の瓦葺の“頭を垂れたように見える「むくり屋根」”として開花したということではないでしょうか。

こう理解すると、「むくり屋根」が日本独特であることは当然だと思いますね。

京都迎賓館 模型京都迎賓館今年の春、京都御苑に出来上がった京都迎賓館の屋根も極ゆったりとむくっています。

この和風建築は故村野先生や故吉田先生の“華のある和風”にはとても及びません。が、癖のない伸びやかな大きな空間をゆったりとした「むくり屋根」に包み込む構成には好感が持てます。

むくっているわけですから、日本独特の建築ということになりますね。

  
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2005年09月04日

むくり屋根は 日本独特か? 2

ドイツ ヴェルニゲローデドイツ エルマティンゲンイングランド ラフォード・オールド・ホールイングランド ワイランズ・コテージスイス ベルンヨーロッパの屋根は「そり屋根」や「むくり屋根」のような曲線となることはまずありません。すべて直線で構成されていると言っても良い。東アジアの主流である曲線で構成された伝統的建築の屋根群と比較すると・・・不思議に思えます。

でも、この理由は明確です。そもそも屋根の構造が違うのです。

和小屋 と 洋小屋ヨーロッパの屋根の構造は「洋小屋」と呼ばれるものです。つまり、屋根の骨組がトラス(三角形)で構成されているのです。

この骨組だと屋根のシルエットを曲線にしようとすると大変な無理が生じます。構造に従って素直に屋根を仕上げれば直線になるのは当然。それと、屋根裏を部屋などに利用するときは束のような柱状の部材が少なくて「洋小屋」は具合が良いんです。

結論的に言いますと、ヨーロッパは『屋根より壁』に関心がある文化だと思いますね。

これと対照的に、東アジアの伝統的建築の屋根はほぼ曲線で構成されています。この理由もひとつは構造にあります。「和小屋」と呼ばれているものです。そして、東アジアは『壁より屋根』により関心が強い文化だと思えます。

桧皮葺の現場桂離宮 古書院断面図現代の在来軸組構法の屋根も「和小屋」です。この構造は梁から細かく立ち上がった束が母屋という水平の部材を支えます。そして、屋根面に沿って垂木を直角に母屋に架けるというもの。

ですから、束の高さを調整して母屋を安定させさえすれば、案外簡単に屋根面をそらせたりむくらせたりできそうですね。後は、それが美しいと感じるかどうかなんです――アジアの大陸の人達は「そり」を美しいと感じた。

日本人は「そり」を美しいと感じると同時に「むくり」の美も独自に発見した――というのが私の仮説です。 (続)

  
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2005年08月29日

むくり屋根は 日本独特か?−1

 法隆寺神社仏閣・城郭・御殿などの大きな屋根はほとんど「そり(反り)屋根」であるのに対して、桂離宮などの数奇屋風の建物の屋根は「むくり(起くり)屋根」であることが多い。町屋などもそうです。逆に言うと、数奇屋風の建物や町屋は「むくり屋根」かせいぜい「直線屋根」で、「そり屋根」であることはまずないと言っても良い。

私は、この理由は大きな屋根は反り返るこ吉備津神社とによって軽やかさを感じさせ、小さな屋根は膨らんでむくませることによって柔らかさ・豊穣さを感じさせたいんだなと考えていました。ところが、どうもそう単純な意匠だけの話ではないと最近気付いたのですね。そもそも、「むくり屋根」などと呼ばれる範疇の屋根が日本以外にあるのかなと思うようになったんですね。

北京 紫禁城中国大陸や朝鮮半島の歴史的建造物や庶民の伝統的住居を見ると「そり屋根」ばかりで「むくり屋根」や「直線屋根」は全くと言って良いほど目に付きません。欧州のそれは「そり」も「むくり」もなくて「直線屋根」ばかりと言って良いようです。

 

韓国 慶州 仏国寺イスラム文化圏やその他のアジア圏のことは論ずるほどの知識はないのですが、どうも、「むくり屋根」と呼ばれる屋根は日本にしか存在しないようなのです。どうして、このようなことになったのでしょうか?

 

清水寺それと、清水寺の屋根を見る度に、ユニークで面白いけどどうしてこんな形態の屋根になったんだろうと不思議に思うのですね。上の大屋根はあんなに大きくても「むくり屋根」で、下の屋根(孫庇)は「そり屋根」なんですよ。こんな屋根、他にはありません。崖に張り出した大舞台と関係あるんでしょうか?

 

西本願寺飛雲閣もう一つ、西本願寺飛雲閣の屋根も摩訶不思議です。伝統的建築としては珍しく三階建てですが、上二層の屋根が「むくり屋根」で一階の屋根が「そり屋根」です。何とも面白い形態ですね。
屋根に焦点を当てるだけでも、次々といろんな疑問が湧き上がってきます。

  
Posted by shyougaiitisekkeisi2581 at 22:20Comments(0)TrackBack(0)