先週末土曜は、なんとも微妙な天気予報。
金曜夜は痛飲してのんびり起き、晴れ間が出てきた午後から、近所の呉羽丘陵でトレラントレーニング。
白鳥城跡には、黄色いアヤメ?ショウブ?カキツバタ?がたくさん咲いていました。

御鷹台では、白い小さな花をたくさんつけた木が。
エゴノキ?よくわからんけど、キレイでした。

呉羽丘陵、地味にアップダウンが連続して、なかなかいい運動になるのです。
しっかり汗をかいた後に飲むビール、最高ですなあ。

この日は涼しかったので、晩ごはんに豚肉のトマト煮込みを。
相変わらずワインがすすむくんで、この日も予想通りへべれけに...

そして日曜の朝5時、目覚めるとなんと晴れてる!
いてもたってもいられず、おなじみの鍬崎山へ。
6時20分、あわすのスキー場(600m)より山歩き開始。

かわいいミヤマキンポウゲがたくさん。

6時45分、貯水池。
いつ来ても撮りたくなる、不思議な構造物です。

貯水池から大品山までの登りはキツイけど、グリーンシャワーに癒される。

イワウチワの次は、イワカガミの出番です。

厳冬期はパウダーツリーランを楽しめる大品山、今の季節は、素晴らしいブナの新緑浴が楽しめます。

筆コッシ―も見かけましたが、今シーズンは十分楽しませてもらったので、また来年。

ティッシュのようなタムシバ。

7時30分、大品山分岐へ。
ああ、今日はなんかバテバテだ。
昨日の深酒と、日頃の運動不足のせいだろうか...

それでも、老体に鞭打ってガシガシ登る。
独標手前の鎖場は、積雪期は難所となるが、今はスイっと。

8時15分、独標(1,756m)。
ここから眺める鍬崎山は、「富山のマッターホルン」はちょっと言い過ぎだけど、ピラミダルで美しい、堂々とした独立峰の威厳に溢れています。

標高1,800mを超えると、さすがに残雪が増えてきます。
気温も上がってきて、雪を掘ってキレイなところをガリガリ食べながら登ります。

可憐なバイカオウレン。

近くて遠い、鍬崎山。
何度もニセピークに騙されながら、ヒーヒー言いながら登ります。

山頂近くには、最後の名残りのサクラが。

そして8時55分、鍬崎山(2,089m)。
ぐわー、疲れた。近年稀にみる疲労感。
二日酔い&運動不足に加え、老いによる体力低下というトリプルパンチが効いたか...

しっかし相変わらず、眺めは最高。
巨大な薬師岳は、安定の存在感です。

北ノ俣岳と黒部五郎岳は、まだ雪が多い。

林道の開通を待つ有峰湖。

大日連山から立山、浄土山、龍王岳、鬼岳、獅子岳、鳶山、越中沢岳へと連なる稜線。

立山カルデラをズームで。
この迫力のえぐれ具合を俯瞰できるのは、鍬崎山ならでは。

弥陀ヶ原を見守る、大日連山とひょっこりキング。
やはり、今年は本当に雪が少ない。

そして愛しの毛勝三山。
今年の春は、周回するタイミングを逸してしまった...
来年は、ぜひ!

美しい眺めに癒されて、9時10分、下山開始。

軽快に下って、最後の試練、大品山への登り返し。
グリーンシャワーに、エネルギーを貰いながら。

ゲレンデトップに戻り、下界を眺める。
なんとも平和な風景です。

そして10時35分、スタート地点に戻る。
ああ、今日も無事帰ってくることができました。
山の神さま、本当にありがとうございました。
近年稀にみるバテバテぶりで、ちょっと焦りました...
いつまでも若くはないんやぞ、という山の神さまからのメッセージだったのかも。
これからも、身の丈に合った、安全登山を楽しんでいこうと思います。

スキー場には、新しく巨大なブランコが設置してありました。
子供たちがキャーキャー言いながら、楽しそうに乗っていました。
そして流れていたBGMは、「アルプスの少女ハイジ」。
やはり、そういうイメージなのね。

家に帰って片づけをし、午後からいつもの環水公園へ。
午後からは雲が出て、パノラマは見えず。

次女とスタバデート。
暑かったので、ゆずパッションティーが美味しかったです。

たくさんの人々が、のんびり寛いでいました。

そしてやっぱり、いつもの儀式。
京都麦酒のゴールドエール、吟醸香ほのかな上品なビールで、美味しゅうございました。
生きてるって、本当に素晴らしい。

暑い一日だったので、豚キムチと冷や奴と漬物でさっぱりと。
予想通り冷酒がすすむ君で、今宵もへべれけになって、週末のひとときは過ぎていきました。

体力低下を身をもって感じる今日この頃、「かっこよく年を取る」とはどういうことなのか、しばしば考えるようになってきた。
そんな中、先日の北日本新聞の朝刊に、まさにその話題について参考になるコラムが載っていて、なるほどなあ、と感銘を受けた。
以下、看護師で僧侶でもある玉置妙憂(たまおきみょうゆう)さんの文章を抜粋で。
世の中には「美魔女」と呼ばれる方々もいらっしゃって、いくつになってもしなやかでお美しく、「すてきだな〜」と思います。けれど、あの手この手で頑張って必死で若さを保持しなければならないのなら、私はそうなりたくありません。
「わあ、お若いですね!とても〇〇歳には見えない!」と言われるのが、私には「かっこいい」とは思えないのです。
電車内で時々、席を立って譲ろうとした若者が、その申し出を断られている光景を見かけます。断った方はなんだか「つん」としていて、若者は所在なさげに別の車両に去っていく...
私は、たとえ体力に自信があったとしても、次の駅で降りるのだとしても、「ありがとう。すまないね」と言って席を譲ってもらうと決めています。その若者の感性を育み、日本の未来を豊かにするために!
「まだまだ席を譲られるような年ではない」と己の若さを誇示するより、相手の思いをくんで動くことができる、その視野の広さと余裕こそが「かっこいい」のではないでしょうか?
でも、もし地球の気候がおかしくなって食べる物がなくなるような事態になったら、「若い者が食べなさい」とパンを譲る。それが私の思う「かっこいい年寄り」です。
いやー、おっしゃる通りです。
山で例えるなら、剱岳早月尾根を6時間で日帰り往復することで、「すごいですね!とても〇〇歳とは思えない!」と言われることが、「かっこいい」ことではない、という感じでしょうか。
いろんな経験をつむことで、ファストハイクも、トレランも、アルパインクライミングも、沢登りも、テン泊縦走も、山小屋泊も、雪山登山も、山スキーも、里山歩きも、山メシづくりも、ゆるキャンも、すべて多種多様な山の楽しみ方だと受け入れ、認めること。
その視野の広さと余裕こそが、「かっこいい」のだと思います。
これからも、年齢と経験と環境に応じた、身の丈に合った山や自然を楽しんでいきたいと思います。
このブログを通じて、山や自然の魅力や、日常の些細な幸せを少しでも感じていただけるなら、それに勝る喜びはありません。
