年度末に向けてなにかとバタバタしており、ろくに山へも行けてません。
ああ、鍬崎山がフェロモンを放って、私を呼んでいる。
4月から、長女が小学校、次女が幼稚園に入るので、いろいろと準備・購入するものがダブルで襲いかかり、経済的な面や経済的な面や経済的な面において、かなりのダメージを受けている今日この頃。
土曜日、久々に富山の中心街に赴き、必要なものを買い揃えました。
制服、カバン、靴、帽子、体操服、などなど。
1ヶ所ですべて済めばいいのだけど、学校指定の業者がそれぞれ決まっており、1つの商店で1つのアイテムしか調達できない仕組みになっている。よって、本日だけでおよそ6ヶ所の店をまわることに。これは、さすがに疲れた。山歩きのほうが、よっぽどラクです。
中には、え?この店、本当に営業してるの?という感じの薄暗い店や、ムム?このつくりでこんなに高いの?とちょっとビックリするようなコストパフォーマンスのアイテムがあったりして、なかなか刺激的な体験をさせてもらいました。
思うに、学校指定の業者とは、今となっては数少ない、「随意契約の最後の聖域」なのではないか。
なぜ競争原理がはたらかないか。それは、永年利用してきた業者をそのまま使い続けるほうが、新たな、もっと良いかもしれない業者を探すよりも、コスト的に安くつくと考えているからだ。さらに俗物的に言うと、最終的にコストを負担するのは生徒側で、学校が指定するものを受け入れて買わざるを得ないので、モノが良かろうが悪かろうが学校側は自らの懐は痛まず、よって改善することのインセンティブも生まれないからだ。
もの哀しい商店街、たくさんの店がシャッターを下ろす中、「なんでこの店、やっていけるんだろ?」と不思議に思う店がけっこうある。
そんな店は、かなりニッチな分野での「最後の聖域」を、静かに、頑なに守り続けているのではないだろうか。
さて、そんな楽しい商店めぐりを終えてヘロヘロになった後、耐え難い空腹感を満たすため、久々に、中央通りのはずれにある「ハッピー食堂」に行ってきました。
かつて、配属された支店の近くにあったこの食堂を初めて知り、そのボリュームと美味さ・安さ・愛想のよさに感動してかれこれ十数年。今も、変わらず老若男女をハッピーな気分にさせています。
この日は、家族4人で、チャーシュー丼、スペシャルチャーハン、ラーメンを分けて食べて大満足。
次女の顔の前に置くと、チャーシュー丼のどんぶりが洗面器のように見えます。
かつて、「昭和の買い物」とは、どんな姿だったのだろう。
バスや市電に乗って市の中心部に行くと、大和というたった一つのデパートをランドマークにして、総曲輪通り、中央通りという2つの大きな商店街が連なっていた。子供にとっては、遠い、憧れのような場所で、いろんなものが、とても眩しく見えた。大和の屋上には小さな遊園地があり、お金を使って遊具に乗ることはほとんどなかったと思うけど、ただそこにいるだけで幸せだった。
めったに行けない場所なので、行く時には、「さあ、買い物にいくぞ!」と気合を入れ、普段よりほんのちょっといい服を着て出かけた。家を出るとき、母親の化粧が長くてなかなか出発できず、やきもきしていたことを覚えている。
そう、市の中心部に行くことを、よく「富山に行く」とか、「町に行く」と言っていた。もともと富山に住んでいるのに、「富山に行く」とは、なんともヘンな表現だ。それくらい、町での買い物は特別なものだった。
久々に中心市街地をぶらぶらと歩いてみて、あの頃の眩しさは全く感じられないほどにさびれていたけど、それでもやはり「昭和の匂い」はところどころに残っていた。薄暗い商店街の専門店しかり、まちはずれにある大衆食堂しかり。
それと対照的に位置するのが、郊外型の大型ショッピングセンターである。
広大な駐車場を完備し、クルマから降りて一旦その建物に入れば、衣服、生活必需品、食料品、レストラン、映画館、診療所、エステまで、ありとあらゆるサービスがワンストップで享受できる。
特に気負いすることもなく、何も考えずにふらっと立ち寄っても、たいていの用事はそこだけで済んでしまう。
平成の世、クルマでの移動を前提としたまちづくりが進められた地方では、こうした大型SCが完全に生活に密着しており、なくてはならない存在となっている。
それは、感覚的に言うと、「買い物」という目的意識をもったものではなく、もっと広義で軽い感じの「おでかけ」みたいなものに近い。カジュアルな格好で、気軽に行けるような。
昭和の買い物と、平成のおでかけ。
どちらがいいとか悪いとか、そういう話ではない。どちらも、時代の要求に応じて形作られたもので、比較しても仕方がない。
ただ、中心市街地の再開発等で大型分譲マンションが販売される度に、あっという間に売り切れる現状に鑑みると、まちなかライフに「昭和」を求める人々のニーズも、まだまだ根強いように思われる。
子供たちが大きくなり、新しい元号に変わる頃、買い物やおでかけはどのようになっているのだろうか。
今の時点でも、ネットショッピングにおいては、「買えないものはないのでは?」と思わせるような、驚くべき充実ぶりを見せている。近い将来、一歩も外にでなくても、クリックひとつですべて事足りるようになっていくのだろうか。それが、未来の買い物の姿なのだろうか。
週末の、昭和の匂い漂う商店めぐりを通して、子供たちは、いったい何を感じたのだろう。