2017年03月17日

すげえラーメン屋



最初、ラーメン屋のすげえ店主とタイトルをつけたら

全然面白くないので、すげえラーメン屋とした。

ネタばらして書くのもなんだが、

このラーメン屋のスープが絶妙にうまい訳ではない。

シコシコ麺じゃないし、チャーシューでもない。



没タイトルの通り、あるラーメン屋の店主の頭脳と

おぼしきものがすげえんである。


まあ、カウンターとテーブル席あわせ、

20数人は入れる店なのだが、週末の昼に入るとほぼ満席。

過去に数回入ったが、なかなかうまいラーメン屋ではある。



しかし、24時間かき回せ続けたスープとか、

純国産小麦に徹底的にこだわったとか、

チャーシューへのこだわりが命より大事とか、

そんなんでは全然ない。


まあ、ほどほどにうまいんである。



「これは時間がかかるなぁ」などとため息まじりに

空いているカウンターに座り込み、

なんとなく、味噌ラーメンなんかを頼んだ訳である。


店内は子供もいてザワザワしている。

鼻をかんでいる爺さんのグループが

笑顔で若いころの自慢話をしている。


ペンキ職人らしい3人組は相当腹を減らしているらしく、

店主の一挙手一投足をじっと凝視している。


基本的にここは腹をへらした奴ばかりなので、

なんだか店内は妙な殺気も感じられるのだが、

店主はそんなことは全然気にしていない風にみえる。


というか、アルバイトの女の子に

ときどき冗談なんか飛ばしてる。


割と広めのラーメン屋なのに、

この店は店主とこの女の子の二人で切り盛りしている事に

ハタと気づいた。


で、これは味噌ラーメン遅いぞなどと思っていたら、

すげえスピードで次々にラーメンができあがるではないか。

ギョーザもひゅーひゅーとできあがる。


以前来たときはまるで気がつかなかった情景である。


よくよく観察すると、

店主の手はすげえスピードで動いている。

しかも次々にお勘定を払うお客と入り交じる。

注文する客も野菜ラーメンふたつ。

で、ひとつは麺かためねぇーとか、

ビール一本くれとか、いろいろ言っちゃうのだが、

店主は、どの席の誰が何を食ったか把握していて、

お勘定するお客に幾らと、微笑みとすげえ暗算で返す。

その間、手はすげえスピードで働いているし、

ささっとお金のやりとりを済ます。

同時に次々に飛んでくるオーダーにも微笑んで「へーい」と応え、

それが全然間違ってない。


で、気がついたのだが、

アルバイトとおぼしき女の子はというと、

この子はとにかく洗い物しかしていない。

ひたすらスローにどんぶりを洗っているのであるからして、

あとはすべて店主がやってのけている。


外見的に、ちょっと昔グレチャッテサ、という風貌で、

歳は40代半ばといったところか?


働きざかりである。


がしかし、この人のあたまのなかはどうなっているのだろう、

とふと考えてしまったのは、私だけだろうか。


過去に私はコーヒーショップでバイトをしていたことがあって、

そこでの注文で記憶できるのは、せいぜい4品だった。

すげえ記憶力が弱いんである。


だから余計にこの店主の技と頭脳に驚いてしまうのだが、

実はこの店主が数学の先生だったらとか、

もっと若いころに東大の受験生であったならとか

アレコレ想像するも、

風貌から醸し出されるるイメージは、

どっからどうみてもラーメン屋の店主が

ピタリと一致するのである。


で、全然関係ないが、昔、あのドイツのBMWの事を

「羊の皮を被った狼」と、みんなが評していた。

いや、宣伝か?

とにかくあの車をみていて、

確かに的を射ていると思った覚えがある。


結構うまいみそラーメンだったなぁなどと、

ごきげんで国道を走りながら、

あの店主をBMWばりに考えてみたのだが、

頭に浮かんだのは、

せいぜい「ヤンキーの皮を被った数学博士」だった。


また、つまんないものが浮かんでしまった。

それにしても、デキル男なのであるよ。





2017年03月09日

ウェラブルデバイス初体験



僕の手首にはウェラブルデバイスが巻かれている。

いや、正確にいうと、

私が3日前に意を決して自ら巻いてみたのだ。


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このウェラブルデバイスは時計をはじめ、

歩数、距離、消費カロリー、心拍数、血圧、運動の度合い、

睡眠時間とその質、たとえば深い眠り、浅い眠りなどが

すべて記録される。

こうした類いは、他にカメラとかメールとか、

目的別にいろいろ販売されている。


ネット検索「ウェラブル」で、結構この世界がみえてくる。


手持ちのスマホとはBluetooth接続とアプリ連携で使える。

こう書くとすげぇ難しいように思うが、

要は指定されたアイコンを頼りにダウンロードし、

スマホの設定でBluetoothをオンにすればいい。


で、この健康系ウェラブルデバイス。

改めて己の数値をみてアレコレと思うのだが、

これは便利だぞと人にすすめたい半面、

意識するとかなり監視されている感が強い。


昨夜は、嫌気がさして一度外して放り投げた。

スカッとしたね。


が、数時間後には気を取り直して、再度腕にはめてみる。

今度は、このウェラブルデバイスに関する見方を変えてみる。

うーん、なかなかカッコいい。

未来感が全開。


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明日はちょっと目立つよう腕まくりをして街を歩いてみよう。

で、やはりというべきか、外出先ですっかり他の事に目がいき、

付けていることを全く忘れてしまう。


今朝、ようやくウェラブルデバイスを付けていることに気付いて、

iPhoneで己の数値をチェックしてみる。


おお、昨夜は深い眠りと浅い眠りが程よくミックスされ、

眠りの質は「良」と表示されている。

心拍数は少々高めで出ている。

これは最近風邪をひいたらしいのでしょうがない、と自己判断。


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まあ、なかなか面白いデバイスではある。

が、欠点もある。

血圧の測定数値がちょっとあやしいように思う。

なぜなら、そもそも私の血圧が低血圧気味である訳もないのに、

常に低めに出る。

これは血圧高めの私としては、真実を排除して非常にうれしい数値である。

真実など、この際どうでもいいんである。


で、このウェラブル…(なんか長いので嫌気がさしてきたなぁ)は、

半年遅れの誕生日プレゼントとして長男から貰ったものなのだが、

当初は「タバコをやめろ」との要請から

電子タバコのアイコスを貰う予定だったが、

相変わらずどこも売り切れで、ではということで

このウェラブル…にした次第。


アイコスはよくわからないが、このウェラブル…は、

健康に不安のある年代には使える。

とにかくシニアはいろいろと不安なのである。


日常の己の数値の目安を知る上ではなかなか便利であるし、

なにより手軽なのがいい。


しかし問題がいくつかある。


まず数値が甘いこと。特に前述のように血圧に顕著。

あと常に身につけるデバイスとしては、

充電池の使用時間がちと短いように思う。

ついでに取説の日本語がちょっとね…


ちなみに充電はUSBオンリーなので、ココ気にしよう。

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プライスは、確かアマゾンで6000円前後だったように記憶している。


いまさら監視されたいシニアにおすすめです。






2017年02月26日

絶望のカフカ




カフカといえば「変身」が有名。

私も「変身」しか読んだことがない。

精一杯、苦労して読んだ。

で、以後は読みたいとも思わない。

ほんとは長編の「城」とか「審判」も続けて読むつもりだった。

しかし、やめた。

いや、挫折したのだ。


―ある朝、目覚めると私は巨大な虫になっていた―


「変身」はなんの脈絡もなくこのように始まり、

最後まで希望のないまま終わるのだが、

読後の疲労感だけが残っていたのを覚えている。


しかし最近、ひょんなことから、

再度カフカに関する書物に惹かれ、

ついにそれを買い、読んでしまった。


帯にあった「絶望」という二文字が気になったからだ。

しかし、その本は彼が書いたものではなく、

彼の発言、メモを集めた本、とでもいおうか。

題して「絶望名人カフカの人生論」(新潮社刊)。

著者は、カフカの翻訳や評論をしている、

頭木(かしらぎ)弘樹という編訳者。



「絶望」がなぜ気になったのか?


これは、自分に思い当たるフシがあったからに他ならない。

生涯の絶望は、決して忘れるものではない。

いまとなっては笑える事柄でも、当時のことを思い返すと、

やはりやりきれなさが甦る。


そして絶望は複数でやってくる。

単体の不幸ならなんとか踏ん張れるものも、

そういうときに限ってショックは重なって押し寄せる。

だから人は絶望するのだ。



さて、カフカの著書を読んだときのあの憂鬱感は、

どこから来るものなのか?

なにはともあれ、

彼は近代を代表する小説家でもある訳で、

それはいかなるところが評価されているのか。


さらには、カフカの絶望とはいかなるものなのか。

彼は生涯どの程度の絶望に陥ったのか。

そして世間でいう絶望とはどのようなものなのか。


自分と照らし合わせ、その「絶望」とやらの

本質というか程度というものが知りたかったからだ。



まず、カフカの文学的評価は、おおよそ次のようなものだ。


「現代の、数少ない、最大の作家の一人である」(サルトル)


「カフカは、もはや断じて追い越すことのできないものを書いた。

…この世紀の数少ない偉大な、完成した作品を彼は書いたのである」

(ノーベル文学賞作家エリアス・カネッティ)


「フランツ・カフカが存在しなかったとしたら、現代文学は

かなり違っていたものになっていたはずだ」(安部公房)


私にはよく分からないが、カフカに対する評価は相当なものである。


なのに、彼が生涯抱いたものは「絶望」なのである。


この本には彼の生涯における、絶望的な体験や言葉が、

それこそ洪水の如く溢れ出ている。

それはなんというか、壮絶でさえある。


たとえばこうだ。


「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

将来に向かってつまづくこと、これはできます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」


なんというか、すごい。



また、カフカは結婚したいと強く願いながら、

生涯独身だったそうである。

これは彼のあまりにネガティブな思考から、

自ら結婚を破談にしてしまったらしい。


彼(カフカ)によると自分は身体が虚弱で、胃が弱く、

不眠症だった。


家族と仲が悪く、特に父親のせいで、

自分が歪んでしまった…


で、彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、

未完である。



彼は嫌々ながら生涯サラリーマン勤めをしたそうだが、

ここでも彼は何事にも成功しなかったそうだ。

彼の特質は失敗からはなにも学ばないこと。

よって彼は常に失敗し続ける人生を送ったそうだ。


こうなると、彼の小説は趣味的にとでも捉えられる。

ようやく死後、世に出ることとなったのだが、

なんと、彼は亡くなる前、

友人に「遺稿はすべて焼き捨てるように」と

遺言したそうである。

しかしこの友人が遺稿を出版し、

結果、カフカの名と作品が世に出た訳だ。


彼(カフカ)は言う。

ぼくの人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、

費やされてしまった。          ―断片


しかし、ここに人生における価値があるのでないかと著者は言う。

「人生の多くが、むなしく費やされるとしても、それでもなお人は

何かをなしうるということでしょう」



永い人生で、人は何度も絶望する。

そんなとき、

「死ぬ気になれば何でもできる」とか励まされても、

しらけるばかりである。


「追い求め続ける勇気があれば、すべての夢はかなう」

これはウォルト・ディズニーの名言だが、

絶望している人間を救えるかというと、

この場合は適さない。


強い人間、成功者の言葉には、どこかザルのような隙間があり、

そこからこぼれ落ちるものは、まず見えることはない。



カフカは誰よりも弱い人間だった。

心身とも弱い人間だった。


よって、強ければ気づかないことにも気づけた。

たとえば、足が弱ければ、ちょっとした段差にも気づける。

人の心に寄り添うこともできる…



「ぼくの弱さ―もっともこういう観点からすれば、

じつは巨大な力なのだが―」


カフカの言葉です。




(本稿は「絶望名人カフカの人生論」(頭木弘樹:新潮社刊 )を
引用、参考として構成されています)









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著者プロフィール
東京の出版社、広告会社を経て、
フリーのコピーライターとして
独立。主に、新聞・雑誌広告、
ラジオコマーシャルを手がける。
法人プロダクションとしてスタ
ートしてから早ん十年の月日が
流れる。
現在はコピーライターの他、企
画、webマーケティング、各種
プロモーション、プロデュース、
コンサルタントの仕事等を
こなす。

一男一女の父。
少林寺拳法、書道の他、
アウト・ドアとカヌーが趣味。
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