2006年07月21日

憧れ〜3歳の自分に戻って

 先日の深夜「明石家さんま〜白洲次郎に会いに行く」という番組を見ました。気付いたのが遅くて途中からになってしまったのがとても残念なのですが、やはり憧れますね。あの生き方・信念・潔さ。

 ご本人曰くあの信念は「幼稚な正義」なのだそうですが、高潔さはどこからきたものかと考えるに、自己都合ではないからこそなのだろうと感じます。

 番組中では英国の「ノブレス・オブリージュ」や日本の武士道についても触れていましたが、それを自身の正義と信念に替えて貫くという不屈の強さはいつ触れても鮮烈です。また『役損を考えなさい』と言うように、物事の裏側や側面までも見通す視点の鋭さに敬服します。

 欠片でもいいから欲しいと心の底から願う姿です。

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 白洲次郎の生き方に今改めて少し触れたことで、忘れられない私の原風景も思い出しました。3歳くらいのことだったと思いますが、黄金の稲穂と畦道に咲く幾つかのピンクのコスモスが風に吹かれて揺れるのを前に、このまま生きていられたらいいのになと思ったことがあります。

 あの頃に戻りたいわけじゃない。ただ、何も心配せずにそこに佇んで在るその感覚のまま常に過ごしていけたら良いのに、と思ったような気がしています。


 実は私は未だに一体自分が何を望んで生きているのかがさっぱりわからないままです。だいいち望みがあるのか、ないのか…。それは子供の頃からずっとそうで、今でも同じなんです。他の人たちのように、欲しいものがあるわけでもなく、なりたいものがあるわけでもない。しかも、やりたいことすらありません。だからいつも、自分はどうすればいいのかわからない。何で自分がここにいるのかがさっぱりわからないんです。

 自分のそういう性質に気付いたのは16〜17歳の頃です。以来ずっと「どうしたい」という意思が持てない自分をどうすればいいのかわからず、迷走です。「どうしたい」とかいう意思は、何かどこかを探せば持てるものなのかどうか。ずっと探し続けてきたというのが実態なんです。

 自分は一体何なのか? 自分は一体誰なのか?
 私はおかしい、としか思えなかった。でもわからないから、そんなことばっかり考えて生きてる。考えてるけど、未だにさっぱりわからない。


 でも今なら「どうしたい」という意思なんてどうでもいいじゃないかという気がします。どう考えても無気力、ダメ人間にしか思えない時期もありましたが、実はもう一度3歳の頃の私に返って生き方を考え直してもいいんじゃないのか。人間、最後は食べていければ何でもいいのだから。特別気張らずにいこうじゃないか、と。


silence_master at 14:30│Comments(0)

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