土曜日
わたしたちは高田馬場のふるいバーでお酒を飲んでいた。岡崎藝術座の一人芝居「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」を観たあとのことだった。さっきまでその中でひとりの若い女優さんが、バーのママの40年分の「いま」を演じていた、その同じカウンターの向こうで、そのバーの実のママであるりつこさんが、手に持った大きな氷を割りつづけ、ロックのウィスキーをつくり続けていた。その時、黒いコートのおじさんが入ってきた。狭いカウンターのまんなかの席にそのおじさんは座った。りつこさんが、あら、二年ぶりじゃない? と言った。言った傍から、こないだ誰それが電話してきたのよ、と普通に喋りだしたりつこさんとそのおじさんは、とても二年ぶりとは思えなかった。りつこさんの40年全部がいまなのだと、その会話はあかしていた。
岡崎芸術座の演劇はおもしろかった。観終わったあと、はじーに向かってぼんやりと、何がそんなにつまらない演劇と違うのかなぁ、と呟いてしまったほど、普通に、高度に、おもしろかった。はじーも困って、すべてが違う、と言った。毎回、毎回、神里くんの演劇は、ただ何かを読み、翻訳する。例えばベケットを、例えば安吾を、シェイクスピアを、りつこさんを。その速度を、質量を、湿度を、翻訳する。40年の演劇の繰りひろげられているあいだ、りつこさんと神里くんは、バーの二階で、ただじっとして聴いていた。観てはいなかった。ときどき、りつこさんの笑い声が聞こえた。あとになって、バーの向こうに戻ったりつこさんは「笑うと怒られるのよ」と冗談っぽく言った。神里くんとりつこさんの関係。いまはりつこさんというひとがいる。でもあと40年経ったら、りつこさんを血や肉にしているバーそのものが、陰もかたちもなくなっているかもしれない。40年もバーを続けるという、嘘みたいなことをやっている、りつこさんという現象。40分かそこら、嘘をつきつづける、演劇という現象。どちらもあまり変わらないのだ。
演劇を観終わって、お酒を飲みながら、わたしたちはさっき入ってきた黒いコートのおじさんの左隣に座っていた。そのおじさんは話しだした。早稲田に通っていたころ、原宿の、いまはキャットストリートの入口となった角の三軒めに下宿していたこと。安田講堂事件の折で試験はレポートばかりだったこと。ドイツ研究会に入ってカフカやサルトルやニーチェを読んだ。髪は伸びほうだい、警官に職務質問されて調べられた鞄のなかには、本ばかりいっぱい詰めてあった。先輩の議論に啓発されて、思想を、哲学をやめないために、倫理の先生になる道を選んだ。そして、そのひとが差しだしてくれた名刺には、「校長」と印刷されてあった。自分の地元の山梨の高校の校長先生に、そのひとは、最近なったのだそうだ。僕はね、保健の教諭のレポートをね、実に興味深く読んだんです。とそのひとは言った。いまの若者が保健室で訴えるのはね、吐き気と、倦怠感。そしてそのひとは、それがただの吐き気ではない、サルトルのいう吐き気のことだと、僕は考えるんです。と言った。そのひとの40年も、そのバーで、全部がいまのことだった。
わたしはその夜、2つの40年の演劇を、ひとつの小屋で観たのだと思う。こういうのを、わたしは、愛と呼ぶのだ、愛と呼びたいのだ。
「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」
岡崎藝術座/作・演出:神里雄大
@高田馬場・バー異邦人
12月8日
わたしたちは高田馬場のふるいバーでお酒を飲んでいた。岡崎藝術座の一人芝居「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」を観たあとのことだった。さっきまでその中でひとりの若い女優さんが、バーのママの40年分の「いま」を演じていた、その同じカウンターの向こうで、そのバーの実のママであるりつこさんが、手に持った大きな氷を割りつづけ、ロックのウィスキーをつくり続けていた。その時、黒いコートのおじさんが入ってきた。狭いカウンターのまんなかの席にそのおじさんは座った。りつこさんが、あら、二年ぶりじゃない? と言った。言った傍から、こないだ誰それが電話してきたのよ、と普通に喋りだしたりつこさんとそのおじさんは、とても二年ぶりとは思えなかった。りつこさんの40年全部がいまなのだと、その会話はあかしていた。
岡崎芸術座の演劇はおもしろかった。観終わったあと、はじーに向かってぼんやりと、何がそんなにつまらない演劇と違うのかなぁ、と呟いてしまったほど、普通に、高度に、おもしろかった。はじーも困って、すべてが違う、と言った。毎回、毎回、神里くんの演劇は、ただ何かを読み、翻訳する。例えばベケットを、例えば安吾を、シェイクスピアを、りつこさんを。その速度を、質量を、湿度を、翻訳する。40年の演劇の繰りひろげられているあいだ、りつこさんと神里くんは、バーの二階で、ただじっとして聴いていた。観てはいなかった。ときどき、りつこさんの笑い声が聞こえた。あとになって、バーの向こうに戻ったりつこさんは「笑うと怒られるのよ」と冗談っぽく言った。神里くんとりつこさんの関係。いまはりつこさんというひとがいる。でもあと40年経ったら、りつこさんを血や肉にしているバーそのものが、陰もかたちもなくなっているかもしれない。40年もバーを続けるという、嘘みたいなことをやっている、りつこさんという現象。40分かそこら、嘘をつきつづける、演劇という現象。どちらもあまり変わらないのだ。
演劇を観終わって、お酒を飲みながら、わたしたちはさっき入ってきた黒いコートのおじさんの左隣に座っていた。そのおじさんは話しだした。早稲田に通っていたころ、原宿の、いまはキャットストリートの入口となった角の三軒めに下宿していたこと。安田講堂事件の折で試験はレポートばかりだったこと。ドイツ研究会に入ってカフカやサルトルやニーチェを読んだ。髪は伸びほうだい、警官に職務質問されて調べられた鞄のなかには、本ばかりいっぱい詰めてあった。先輩の議論に啓発されて、思想を、哲学をやめないために、倫理の先生になる道を選んだ。そして、そのひとが差しだしてくれた名刺には、「校長」と印刷されてあった。自分の地元の山梨の高校の校長先生に、そのひとは、最近なったのだそうだ。僕はね、保健の教諭のレポートをね、実に興味深く読んだんです。とそのひとは言った。いまの若者が保健室で訴えるのはね、吐き気と、倦怠感。そしてそのひとは、それがただの吐き気ではない、サルトルのいう吐き気のことだと、僕は考えるんです。と言った。そのひとの40年も、そのバーで、全部がいまのことだった。
わたしはその夜、2つの40年の演劇を、ひとつの小屋で観たのだと思う。こういうのを、わたしは、愛と呼ぶのだ、愛と呼びたいのだ。
「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」
岡崎藝術座/作・演出:神里雄大
@高田馬場・バー異邦人
12月8日