日々穴熊

穴熊はまいにち新しく穴熊です。
穴熊は明るい話題を提供します。

2007年12月

土曜日
わたしたちは高田馬場のふるいバーでお酒を飲んでいた。岡崎藝術座の一人芝居「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」を観たあとのことだった。さっきまでその中でひとりの若い女優さんが、バーのママの40年分の「いま」を演じていた、その同じカウンターの向こうで、そのバーの実のママであるりつこさんが、手に持った大きな氷を割りつづけ、ロックのウィスキーをつくり続けていた。その時、黒いコートのおじさんが入ってきた。狭いカウンターのまんなかの席にそのおじさんは座った。りつこさんが、あら、二年ぶりじゃない? と言った。言った傍から、こないだ誰それが電話してきたのよ、と普通に喋りだしたりつこさんとそのおじさんは、とても二年ぶりとは思えなかった。りつこさんの40年全部がいまなのだと、その会話はあかしていた。

岡崎芸術座の演劇はおもしろかった。観終わったあと、はじーに向かってぼんやりと、何がそんなにつまらない演劇と違うのかなぁ、と呟いてしまったほど、普通に、高度に、おもしろかった。はじーも困って、すべてが違う、と言った。毎回、毎回、神里くんの演劇は、ただ何かを読み、翻訳する。例えばベケットを、例えば安吾を、シェイクスピアを、りつこさんを。その速度を、質量を、湿度を、翻訳する。40年の演劇の繰りひろげられているあいだ、りつこさんと神里くんは、バーの二階で、ただじっとして聴いていた。観てはいなかった。ときどき、りつこさんの笑い声が聞こえた。あとになって、バーの向こうに戻ったりつこさんは「笑うと怒られるのよ」と冗談っぽく言った。神里くんとりつこさんの関係。いまはりつこさんというひとがいる。でもあと40年経ったら、りつこさんを血や肉にしているバーそのものが、陰もかたちもなくなっているかもしれない。40年もバーを続けるという、嘘みたいなことをやっている、りつこさんという現象。40分かそこら、嘘をつきつづける、演劇という現象。どちらもあまり変わらないのだ。

演劇を観終わって、お酒を飲みながら、わたしたちはさっき入ってきた黒いコートのおじさんの左隣に座っていた。そのおじさんは話しだした。早稲田に通っていたころ、原宿の、いまはキャットストリートの入口となった角の三軒めに下宿していたこと。安田講堂事件の折で試験はレポートばかりだったこと。ドイツ研究会に入ってカフカやサルトルやニーチェを読んだ。髪は伸びほうだい、警官に職務質問されて調べられた鞄のなかには、本ばかりいっぱい詰めてあった。先輩の議論に啓発されて、思想を、哲学をやめないために、倫理の先生になる道を選んだ。そして、そのひとが差しだしてくれた名刺には、「校長」と印刷されてあった。自分の地元の山梨の高校の校長先生に、そのひとは、最近なったのだそうだ。僕はね、保健の教諭のレポートをね、実に興味深く読んだんです。とそのひとは言った。いまの若者が保健室で訴えるのはね、吐き気と、倦怠感。そしてそのひとは、それがただの吐き気ではない、サルトルのいう吐き気のことだと、僕は考えるんです。と言った。そのひとの40年も、そのバーで、全部がいまのことだった。
わたしはその夜、2つの40年の演劇を、ひとつの小屋で観たのだと思う。こういうのを、わたしは、愛と呼ぶのだ、愛と呼びたいのだ。


「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」
岡崎藝術座/作・演出:神里雄大
@高田馬場・バー異邦人
12月8日

土曜
ながい、永遠のような一日。9時、オリンピックセンターでの待ち合わせに30分遅刻して行くと、予約した四階の会議室の窓から「見えた」とまりちゃんのメール。髪ふりみだしてわたしがセンター棟に入るのを、猛禽類の眼で見ていたまりちゃんである。4月の発表の準備に午前中を費やして、それからカフェ・フレンズで軽い昼食。初夏のころから、「何かふたりでやりたい」と、どちらからともなく始まった話はどんどん変わっていき、その変化をわたしもまりちゃんもためらうことがないから、健康な会話になる。発表することが、目的だけではないからだ。カフェで、まりちゃんがとったドライチェリー入りのクッキーも、私の抹茶スコーンもおいしい。店長さんに発表の日の相談をしているあいだ、店長さんの手元においしそうなエスプレッソのあるのをみて、ああこの人も心底カフェの時間を愛しているのだと知る。カフェを愛する身振り。店を出る間際に店長さんに挨拶して、まりちゃんが「わたしが(東京から)3ヶ月くらいいなくなっちゃうので、また年が明けたら来ます」と言うと、「ああ、じゃあ、よいお年を」と言ってくれる。今年最初の、そのせりふ。てくてく歩いて、ラセゾンで今日もまたパンを買って、そこでまりちゃんと別れた。はじーのバイトが終わるのを待つあいだ、こないだはじーが話していた公園に行ってみた。広い場所に風が流れこんで、からだまるごと冷たい水に浸されたみたいに気持ちいい。ベンチに座ってモツァレラチーズとトマトの挟まったオリーブパンをかじりながら、まりちゃんに借りた「チャイルドクラフト 植物の王国」を読む。76年に刷られた外国の絵本のような教科書で、たくさんの図や絵が全ページに散りばめられているすばらしい本だ。いまは絶版に違いないけれど、まりちゃんはこれを一冊100円で、ブックオフで買ったのだそうだ。運がいい。小学生男子が7,8人、私の座っているベンチの前の広場で遊んでいる。DSにくぎづけになっているおでぶふたり、そのおでぶにひとりずつとりついてDSの画面を覗いているのふたり、小柄の人気者ひとり、その子の名前を必死に呼んでいる、同じくらい小柄な淋しがりひとり。ソシアルである。ああ、いい公園である。いい公園の身振り。陽がゆっくり傾いていくうち、はじー来る。一緒にベンチに座ってはじーが持ってきたカレーを、わたしはラセゾンの紅茶パン、はじーはナンをつけて食べる。陽がゆっくり傾いていく。陽がゆっくり傾いていく永遠、永遠のような公園。

それからカフェ・ディ・エスプレッソに行ってコーヒーを飲み、はじーはカフェのトイレで歯を磨いてから、ソワソワしながら歯医者に行った。医者全般に行きつけないので、トイレを待っているあいだじゅうソワソワして、「歯医者って、ちょっとくらい遅れても大丈夫なもの?」とわたしに聞いたりする。「大丈夫だよ全然」とわたし言う。わたしは残って、まりちゃんと盛り上がった話の続きの勢いでぐんぐん書きはじめ、そのうちはじーから「おーい」とメールが来て顔をあげて店の外にはじーを発見するまで書いた。すっかり夜になっている。

家に戻ってひとやすみして、それからお犬(ハチ公バスのこと)に乗って渋谷へ行って、はじーとふたり仲良く携帯を機種変して、公園通りのモスでデータの移しを待っているあいだ、入不二基義さんのテキストを傍に、時間(いまとは何か?)の話。「いま」という点には延長がない。ということは、ひっくりかえせば、「いま」は永遠。写真のシャッターが切られるとき、一瞬の穴がひらく。その穴がひらく瞬間が0.01秒、0.001秒、もっともっと短くなっていったら、永遠が撮れるだろうか? 写真が、時間の単位を小さく小さく区切っていく、そちら側からアプローチする方法で、永遠にもっとも近いとしたら、対象をじっとみつめて描かれる絵画は永遠からもっとも遠い、というよりは、ながくながく一枚の絵を見続ける――それこそ、永遠のように見続ければ、絵画は永遠に近づくことが出来る。ルーブル美術館の床に仰向けに寝転がって、天井絵を見つめながら、ずーとずーっとこの絵を見続けていられたら、わたしは画家になれるだろう、と齋藤茂吉は言ったのだそうだ。だけどやっぱり、だめだった。

パルコのリブロに寄ってはじーはまた松本清張を買って、スペイン坂のフレッシュネスでビールを飲んで、宮益坂下の交差点であんぬとみおと待ち合わせして、今年最後のconjureへ。体温を奪われながらジョナサンで胃に重い朝食を食べ、朝日に照らされバスに揺られて、みお、あんぬ、はじーと四人でパタリと寝床に辿りつく日曜の朝まで、長い一日は続く。

日曜
「さやかちんは、わたしと買い物行くときいつもピアスを買ってる気がする」とかつらちゃんに言われて、初めてそのことに気がついた。初めてかつらちゃんと買い物に行ったとき、はじーとふくいさんも一緒だった。新宿駅の改札口で待ち合わせて、待っている間にゴディバの特設店で熱いチョコレートを飲んだのを覚えている。かつらちゃんは髪に、ふくいさんはシルクハットに、鮮やかな長い羽根をつけていた。そこからすぐに山手線に乗って移動して渋谷を一巡りして、それから今度は浅草線で人形町まで行って、マンションの一室にある821(ハニー)という店で、紫と白が互い違いに入った大きなボタンをリメイクしたピアスとブローチをセットで買った。821のお姉さんがセット付けにはまっていて、薦めてくれたのだ。そのときにはもうすっかり夜だったのに、人形町のお惣菜やさんでお惣菜を9種類も選べる素晴らしい定食を食べて、その足でお台場に向かって、ヴィーナスフォートが閉店するまで遊んでいた。
先月かつらちゃんとふたりで買いものしたときには、渋谷から代官山までたどり着く間に、吊るされた小ぶりのまるい金縁のなかに淡い茶色でトナカイのイラストが入っているピアスと、アメリカのKimというアクセサリーメーカーが70年代のオリエンタルブームに乗って作った、中国の陶器を模したような、白地に草色の花の描かれたまるいピアスを買った。それらの色や形と同時に、ほんとだ、わたしは毎回ピアスを買っている、そして買ったピアスを、きちんとときどき使っている、と思いだす。ピアスは買ったらすぐつけたくなる。すぐつけられるから買ってしまう。でも、そうして買ったものを別の日、別の人と会うときにちゃんと思い出してつけることができた、そのことのほうが、なんだかじわじわと嬉しいのだ。そのチャンス、それをつける機会までを含んでわたしたちは買いものをするのだ、そういう買いものができるかどうか、ほんとうはそれが問題なのだと思う。そして、かつらちゃんといるとき、わたしはそれができるのだ。

買った分だけ、ではなく、つけた機会の分だけ、ピアスは増える。同じピアスが、毎回違う新しい顔をして、機会ごとに生まれるからだ。わたしの会った人たちが、わたしを思い出すとき、どのピアスの亡霊が、わたしの耳についているだろう。

火曜
昼、まだ風邪っ腹でこころぼそく、同僚の女の子たちと和食のお店に行ったら休業日。その場の流れで同じビルのイタリアンに挑戦・大量に残して、お店の人に謝って出る。夜、はじーの作ったクリームシチュー半分、がんばって食べる。

水曜
昼、やっと歯医者に行く。夜は、10人くらいで制作会社の合同飲み会。恵比寿のどまんなかのお店で、ちゃんとソテーしてあるのに、エリンギのカルパッチョなどと名づけられて登場した、薄っぺらいエリンギに腹が立って仕方ない。このコースを考えた人、食べることなんてどうでもいいんだろうなぁ。きっと、骨抜きの、ふがふがの、雰囲気が好きなのだ。きっと、和も洋も、中途はんぱに甘えて勉強したのだ。
お腹の調子は良くなってきたのに、フルーツ入りのへんに甘いサラダにお刺身、そのエリンギのカルパッチョに続いて、たこの春巻きだの、いぶりがっこにクリームチーズを載せたのだの、ひつまぶしと名づけられたうなぎといくら入りのチャーハンだの、ぶりのお鍋だのが繰り出され、とにかくノリがよくわからない料理が延々とテーブルに並んだ。疲労。

木曜
夜、はじーの蒸した大きなしゅうまい、じゃがいものスライス入りの上品な混ぜごはん、味噌汁、おいしくよく食べる。

金曜
昼、韓国料理の店で、“腹”帰祝いの石焼ユッケビビンバ。
夜は串焼きの店で、会社先輩の送別会。普通の料理が並んでいてほっとする。ねぎ塩の載った冷奴がおいしくてすいすい三口食べ、サラダ、串揚げ、しめ鯖、鶏の唐揚げ、生春巻き、デザートは半凍りの果物を串に刺したの。駅まではじーに迎えに来てもらって、悪くない気分で部屋に戻って、月曜日にふすまをつけなおして温かい居間ではじーとじいばあのように過ごす。はじーは松本清張「黒革の手帖・下」を読んでいる。わたしは明日が早いのですぐ眠る。はじーはそのまま「黒革の手帖・下」に興奮して読み続けて、結局朝五時ごろまでかかって全部読みきってしまったのだそうだ。幸せな読書してるよなあ。

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