2017年02月26日

「人類「本来」の食性と、糖質制限食で長寿になるかどうかは別問題!」

「人類は本来糖質をほとんど摂取しない食性だから、糖質制限食が良い!」という主張を見掛けます。ホモ・サピエンスの場合の「本来」がいつの時点のどのような食生活なのかがそもそも問題ですが、仮に糖質をあまり摂らない食性だったとしても、それは世代交代可能な寿命を全うするためには合理性があるだろう、というに過ぎません。

ホモ・サピエンスの場合10代半ばから繁殖可能になりますが、40歳まで生きれば十分に世代交代が可能です。極端に言えば60歳くらいで心臓が止まって死ぬような食生活でも、集団の維持に支障ありません。80歳まで健康に生きようとするには不利な食生活でも、淘汰圧が働かないために「残って」しまうのです。

前回触れたように、タンパク質の過剰摂取は心血管疾患・耀尿病・がんの発症リスク(例えば赤肉は100g/日摂取で17%大腸がんが増える)を増やし、高齢者の骨量を減らすという研究があります。過剰摂取とは2.0g/kg体重/日、エネルギー比率20%くらいが境目です。ところで、そもそもホモ・サピエンスの食性は本当に糖質が少ないのでしょうか?

現生人類に繋がるホモ属の食性は、約230〜280万年前のホモ属の未発見の直接祖先から、約180万年前のホモ・エルガステル→約60万年前のホモ・ハイデルベルゲンシス→約20万年前のホモ・サピエンスと進化する過程(注1)で、「ほぼ植物食」から「雑食」に変化してきました。化石時代の食性は以下のような方法で推定されています。

全身骨格が見つかっていて比較的情報の多いアウストラロピテクスを例にとりますが、まず長大な腸を抱えていたことが分かる骨格や、歯の形状といった解剖学的特徴からほぼ植物食と分かります(ただし人類の場合、道具や火の使用で解剖学的な機能では食べられないものも利用できるので、時代が新しくなるほど注意が必要となります)。

もう少し具体的に何を食べていたかということになると、化石人骨と同時にみつかる他の遺物(食べ残しと推定できるもの)、化石人骨の元素同位体分析などから推定することになります。アウストラロピテクスは、時代が下るにつれC4植物(新生代に登場した、熱帯草原に適応した新しい植物群)を食べる割合を増やしてきたことが分かっています。

チンパンジーはC4植物が優勢な環境に住んでいるのにほとんど食べません。アウストラロピテクスは森を出て恐らく水辺のC4植物の塊茎を食べるように食性を変えたのでしょう(この段階では肉食の開始で脳容量が増大したのではなく、塊茎類のデンプン質(糖質の一種です)によって脳容量が増大したのかもしれないということです)。

※骨無機質のストロンチウム/カルシウム比を同時代の他の動物と比較する(肉食動物と草食動物のどちらに近いか)、歯のエナメル質の炭素同位体比を同様に比較する、窒素同位体比からタンパク質摂取割合を推定する、など。C3食物とC4植物は炭素同位体比が異なるのでどちらを食べていたかで人骨の同位体比も変わる(注2)。

そして現代において狩猟採集生活をしている人類集団を調査したこちらの論文では、「動物性食品エネルギー比45〜65%、タンパク質19〜35%、糖質22〜40%」という結果です。ちなみに国民健康栄養調査(H27)では動物性食品21%、タンパク質14.8%、炭水化物(≒糖質)58.8%となっています。

約230〜280万年前の「ほぼ植物食」から少しずつ肉食割合を増やし、約4万年以降のホモ・サピエンス(注3)の「約半々の雑食」に至ったと言ってよいでしょう(注4)。ただし骨の無機質は化石化する際に周囲の土壌の元素を取り込みやすいため、特に古い時代の信頼性は意外と低いことが分かってきました(肉食割合が高くなる方向に誤差が出やすい)。

骨の有機質(コラーゲン)が残っていれば、土壌中でも安定性があるので精度が高くなるのですが、コラーゲンはせいぜい1〜2万年しか残りません。尚、ネアンデルタール人は非常に高い肉食率が推定されてきたのですが、5万年前の歯石を分析したところ植物を調理して食べた痕跡が多く肉食の痕跡は少なかったという報告もあります。

現代の一般人よりは確実にホモ・サピエンスの「本来の」食性に近いと思われる現代狩猟採集民集団の食生活でも、糖質は22〜40%摂っています。「狩猟採集民」という表記が一般的ですが、実態は「採集狩猟民」で、狩猟で得られる動物性食品だけでなく、採集で得られる塊茎類や堅果類などの糖質・脂質のエネルギーが重要なのです。

そして新石器時代以降、定住生活を営むようになった人類集団は、農耕と牧畜の開始により、更に糖質と脂質の割合を増やしていき、狩猟採集民を圧倒していくことになります。それはすなわちこのような定住生活民の食生活の方が、様々な面で生き残るのに有利だったということを示しているのではないかと思います。

(注1)最近の人類の歴史の主流(?)学説(複数の人類が並存してきた)
1.アウストラロピテクス属とは異なるホモ属の未知の直接祖先(約230〜280万年前)
1´アウストラロピテクス属は華奢型(雑食)と頑丈型(植物食)に進化したが約180万年前の気候変動に対処できずに絶滅
2.約180万年前、初期原人ホモ・エルガステルに進化していた集団が生き残る(肉食の開始により脳が増大して気候変動に適応)
2´アフリカを出たエルガステルはユーラシアに広がり、ホモ・エレクトスとして約100万年繁栄する(植物食主体だが手斧で狩もできた)
3.約60万年前アフリカに残ったエルガステルからホモ・ハイデルベルゲンシスが現れる(火の常時使用で肉食割合増大)
3´アフリカを出たハイデルベルグはエレクトスを駆逐しつつ約40万年前欧州でネアンデルタールに進化(寒冷適応)。
3“欧州と中東はネアンデルタールのみになる。アジアではハイデルベルグのほかエレクトスも一部残る。
4.約20万年前アフリカに残ったハイデルベルグの一部から華奢なホモ・サピエンスが現れる。
5.約10万年前の気候変動でアフリカのハイデルベルグは絶滅し、アフリカの人類はサピエンスのみになる。更に脳が増大したサピエンスはアラビア半島の南を迂回してアフリカを出る(中東のネアンデルタールに勝てないため)。
6.約7万年前の気候変動で世界に生き残っていたハイデルベルグ以前の人類は絶滅。アフリカを出ていたサピエンスも恐らく全滅。人類は欧州・中東のネアンデルタールとアフリカのサピエンスのみとなる。
7.アフリカで生き残ったサピエンスが再度の出アフリカ(衣服、飛び道具発明、まだネアンデルタールに勝てない)で人口急増。
8.サピエンスが約4万年前に欧州に始めて進出(ようやくネアンデルタールを圧倒)。
(これ以降は行動的現代性を持つと区別されることも。抽象思考、計画性、芸術、宗教など現代人と同等の理解力を持つ)
9.約2.5万年前、ネアンデルタールが絶滅。人類はサピエンスのみに。
10.BC1万年、サピエンスは新石器時代に突入(定住化、のち農耕牧畜の開始)
※ハビリス:かつてアウストラロピテクスの次の段階と言われてきたハビリスだが、最近はアウストラロピテクス属の「最終進化型」という意見も出てきて、位置づけが定まらなくなってきている。

(注2)昆虫を食べていれば間接的にC4植物を食べることになります。ただしホモ・サピエンスは昆虫を効率的に栄養吸収するために必要なキチナーゼを持っていません。キチナーゼをもつ小型霊長類が存在するとはいえ、アウストラロピテクス属がキチナーゼをもっていてホモ属で消えたとは考え難いでしょう。

(注3)ホモ・サピエンスの登場は約20万年前ですが、約10万年前に脳容量増大(出アフリカ)、約7万年前に再度の出アフリカ(衣服、飛び道具発明)、約4万年前に欧州進出(ようやくネアンデルタールに勝てるようになった)、約1.2万年前に定住化(新石器時代、牧畜農耕の開始)、と大きな変化をいくつか経験しています(急な変化ではなかったという説もあります)。
 特に約4万年前に抽象思考、計画性、芸術、宗教など現代人と同様の理解力のある「行動的現代性をもつ現生人類」となったとされていますので、食性もそれ以前とは異なっている可能性があります。現代の狩猟採集民族の食性から過去の人類のそれを推定する場合、せいぜい約4万年前以降にしか当てはめられないと思います。

(注4)植物食に戻ったパラントロプス(いわゆる頑丈型アウストラロピテクス)、動物食約8割と推定されてきたネアンデルタールなどの例外はあります。尚、ネアンデルタールの肉食率が高いと推定されてきたのは、衣服をもたず毛皮を巻きつけるだけの彼らが現在より寒い氷期の欧州の冬を越すには約4000kal/日のエネルギーが必要と計算されることも一因です。
 ここでもし、ネアンデルタールは自分自身の毛皮に覆われていたとすると、必要エネルギーは大きく減り、歯石の調査による半分以下の雑食という結果に矛盾しなくなります。ホモ・サピエンスだけが「裸」だった!「裸」こそ我々の特徴だ!という異端ながら興味深い説は既に島泰三氏が提唱されています。
 この説は極端としても、ホモ属の体毛がいつからどのように薄くなったのか、はっきりと分かっていません。その他、例えば白目がいつ白くなったのか(類人猿の白目は濃茶です)なども分かっていません。これもコミュニケーション能力(目で会話できるか。狩猟採集の共同作業で有利)に関わるので進化の上で意外と重要なポイントかもしれません。

silflay at 02:30|Permalink 「食の安全」 

2017年02月19日

クーゲリ・パステーテ

スイスの人気観光地、ルツェルンの郷土料理です。意味は「球状パイ」。半球ドーム状に焼き上げたパイ生地の中に、細切れにした仔牛肉や茸類のクリーム煮込みを詰めたものです。

ルツェルンの老舗ホテルのレストラン「ブルガーシュトゥーベ」の名物メニューなのですが、人気を博したために他のレストランでも出されるようになり、近年では家庭でも作られています。

チューリッヒ料理のゲシュネッツェルツ(薄切り仔牛肉のクリーム煮込みロースティ添え)の同類で、ともに牧夫料理が元になっています。お腹いっぱいにするためにクリーム煮込みをパイやロースティと組み合わせた、という次第です。

土台のパイ生地の上にクッキングシートを丸めて乗せ、パイ生地をドーム状に被せて焼き、クッキングシートを取り出せば中空のパイ生地の「型」が出来ます。このやり方は他の料理やデザートでも応用が利きそうです。

お味の方は、材料からして解説の必要はないでしょう。安心してどなたにもお薦めできます。ただし現地ではかなりボリューミーな一品になっているようです。

クーゲリパステーテ

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2017年02月12日

バカリャウ・ア・ブラース

ポルトガル料理、バカリャウとフライドポテトの卵とじです。ポルトガルの数あるバカリャウ料理の中でも定番で、家庭でもレストランでも必ずと言って良いほどメニューにのぼる一品です。

リスボンの歓楽街バイロ・アルト地区のとある酒場の主人ブラース氏が考案してお店に出したところ評判を呼び、あっという間にポルトガルじゅうに広まったと言う「伝説」があります。

現地ではバカリャウですが、日本では生鱈で美味しく作れます(生鱈を使う場合は塩を振って一晩寝かせる)。千切りジャガイモを揚げておきます(ポルトガルでは市販品を使うのが一般的だそうです)。

オリーブ油で薄切りにした玉葱を炒め、好みの大きさに裂いた鱈を加えて更に炒め、塩胡椒で味付けをします。溶き卵とフライドポテトを加えて軽く炒め、パセリと黒オリーブで飾れば出来上がりです。

生クリームを加えるレシピもありますのでお好みで。鱈の風味が適度に残りながら、卵のお陰でマイルドな口当たりになります。フライドポテトの食感も丁度良いアクセントになっており、どなたにも食べ易いお料理だと思います。

バカリャウ・ア・ブラース

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2017年02月05日

ブラックベリー・フール

スノウ、シラバブ、トライフルなどとともに古くから英国で食べられている冷製デザート(コールド・プディング)の一種です。ベリー類をピュレ状にして、ホイップした砂糖入り生クリームと混ぜて冷やしたものです。

フランス語のフールfoule(押し潰した)が語源とされているのですが、実際にはフールfoolの意味そのまま(お馬鹿さんでも作れるくらいに簡単)だったのに、後付けでフランス語起源説が出てきたようです。

もともとはグーズベリー(セイヨウスグリ)を甘く煮て卵と混ぜてエルダーフラワー(ニワトコ)の風味を付けたものでしたが、生クリームが加わり、卵が抜け、生クリームをホイップするようになって18世紀頃に現在のレシピになりました。

フルーツも、ルバーブやブラックベリーやラズベリーなどバリエーションが増えて、風味付けもバラ水やオレンジ水やヴァニラなど様々なものが使われるようになりました(グーズベリーとエルダーフラワーは定番の組合せです)。

「とびきりおいしいデザート」(E.ジェンキンズ著)のブラックベリー・フールのレシピを参考にしています。1710年、1810年、1910年、2010年の四つの家族がそれぞれの時代のやり方でフールを作る様が描かれる絵本です。

道具や作る人が変わっても美味しさは変わらず(服装などは時代考証がなされているようです)、また「最後のお楽しみ」はいつの時代でも変わらないことを教えてくれる楽しい作品です。

フール

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2017年01月29日

ニプスン・パルハート・リハプッラ

「ムーミンママのお料理の本」の「スニフの最高のミートボール」(ニプスン(スニフの)・パルハート(最上の)・リハプッラ(肉団子))を参考に作りました。フィンランド風肉団子のアレンジです。

リハプッラは、スウェーデン風肉団子のチェットブッラと同様に「焼いただけ」でリンゴンベリー等のソースに付けていただくことが多いのですが、クリームソースやブラウンソースを掛けることもあります。

こちらのレシピでは、肉団子のつなぎのパン粉を生クリームと水でのばして挽肉と混ぜ、バターで焼き目を付けてから、焼き汁とカッテージとトマトで作ったソースをかけ、オーブン焼きにしています。隠し味にはバジルとそして何と醤油です。

北欧の肉団子はシンプルで肉肉しいタイプが多いのですが、このレシピはふんわりとした食感でコクもあり、なるほどスニフのような我侭な子供でも大喜びしてくれそうです。ソースも大変に美味でパスタソースとしてもお薦めです。

※「スニフ」はスウェーデン語とそれを基にした英語版からの翻訳で、フィンランド語では「ニプス」です。

ニプスン・リハプッラ

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2017年01月22日

ペリメニ

ロシアの水餃子です。ペリメニの語源はフィン・ウゴル系先住民のペリニャニ(耳のような小麦生地)とされており(テュルク系のペリマンという説もあります)、多数派のロシア人が食べるようになったのは16世紀頃と言われています。

中国起源でモンゴルが広めたと主張する向きもありますが、最古の実物の出土は7世紀の中央アジア(テュルク系民族の故地)で、「麦粉の生地で何かを包む料理」に限ればメソポタミアで数千年の歴史があります。

餃子はユーラシア大陸で広く見られますが、茹でる水餃子タイプの西端はドイツのマウルタッシェでイベリア半島では見掛けません。ロシアでの広まり方から見てもテュルク系の民族の食べ物だったのではないかと思います。

ロシア料理としてのペリメニは、挽肉に玉葱と塩胡椒を混ぜる程度のシンプルな餡を包み、熱湯やブイヨンで茹でます。甘い餡を詰めることはありません。先住民はそのままか酢を掛けますが、ロシア人はバターやスメタナで食べるのを好みます。

生地の一部にビーツを混ぜて、紅白のペリメニにしてみました。バターで揚げ焼きにすることもあるのですが、日本人にはその方が馴染みのある焼き餃子に近くなって、より美味しくいただけるかもしれません。

ペリメニ

silflay at 01:30|Permalink ロシア料理 

2017年01月15日

スイッツユースツ・スップ

バルト三国の中で最北に位置するエストニアの料理、スモークチーズのスープです。スイッツが煙でユーストがチーズです。バルト三国と一纏めに扱われることが多いですが、文化的にはエストニアと他の二国(ラトビア、リトアニア)で大きく異なります。

大雑把に言ってエストニアは北のフィンランドとの結びつきが強く、ラトビア、リトアニアは南のドイツとの結びつきが強いのです(もっとも三国とも20世紀の歴史を反映してロシアの影響もかなりあります)。

エストニアはレイブ(ライ麦パン)をよく食べますがより伝統的なカーシャ(麦粥)やカマ(はったい粉)も健在で、ハプコール(サワークリーム)やケフィール(発酵ミルク)などの酪農製品もよく利用します。

ローストしたり煮込んだりした肉料理にカルトゥル(ジャガイモ)、ハプカプサス(ザウアークラウト)を付け合せるのが典型的なスタイルです(魚介類はバルト三国の中でもっとも少量しか食べません)。

スイッツユースツ・スップも他国ではみかけないエストニアらしいお料理です。バターでみじん玉葱を炒め、ブイヨンとチーズを加えてチーズが溶けるまで煮込み、クルトンを浮かべていただくのが基本的なスタイルです。

ケフィール(発酵ミルク)や牛乳で伸ばしたり、ジャガイモやカボチャを加えたり、などのバリエーションもあります。スモークの独特な風味が味に奥行きを与えてくれます。見た目はシンプルですが、おすすめのスープです。

スイッツユースツスップ

silflay at 01:00|Permalink その他欧米料理 

2017年01月08日

ポルサルダ

バスク料理、リーキを主体とした野菜出汁のスープです。ポルがリーキ(仏語のポワローと似ていますね)、サルダが出汁です。本来は野菜だけのスープでしたが、近年は鱈などのお魚を加えることが増えました。

お肉は入れません。ベーコンなどの獣肉で出汁をとったらアラギサルダ、鶏肉で出汁をとったらオイロサルダになります。スープストックで作る場合でも、野菜出汁を使わないとポルサルダではなくなってしまいます。

鍋にオリーブ油を熱してみじん切りニンニクを炒め、香りが出たら一口大に切ったリーキ(長葱で代用)・人参・ジャガイモを入れて火を通します。水を注いでしばらく煮込み、バカリャオ(甘塩鱈で代用)を加えて煮て、味を調えて出来上がりです。

葱の甘味と鱈の旨味が効いた、「これこそ典型的な飽きない味!」という優しい味わいが堪能できるスープです。鱈の美味しい季節に一度は作りたい、日本人におすすめのバスク料理です。

ポルサルダ

silflay at 01:00|Permalink スペイン料理 

2017年01月01日

お節

明けましておめでとうございます。まだまだ世界には美味しい食べ物がたくさんありますので、本年も少しずつ更新していきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

お節料理はたくさん作りませんし、大して変わったことはしていませんが、黒豆はヴァニラ風味です。また、田作りは、平野レミさんのレシピを参考にして、甘味は加えずグリュイエールをまぶして塩味にしています。栗きんとんは、栗無しの薩摩芋のみでサフラン風味です。

17お節

silflay at 18:42|Permalink 東アジア料理 

2016年12月25日

クバ

チェコのボヘミア地方の料理、全粒穀物(クロウピー)を使った温前菜です。茸を加えることが多いので、ホウボビー(ホウバが茸)・クバとも言います。基本的には大麦ですがお米で作ることもあり、その場合はリゾビー・クバになります。

クリスマス・イヴに食べるお料理です。伝統的にはイヴにはお肉を食べない風習がありますが、「鯉のフライとポテトサラダ」とともに12月24日にいただく定番のチェコ料理です。日本で言うと御節の黒豆料理でしょうか。

押し麦を使いました。鍋にラードを溶かし、みじん玉葱とクミン・シードを炒め、戻しておいたマッシュルームを炒め合わせます。みじんニンニク、塩胡椒、マジョラムで味を調え、押し麦を加えて混ぜます。

シートを敷いた耐熱容器に広げ、表面にラードを塗ってアルミシートで覆い、オーブンで焼いて出来上がりです。今回はサワークリームとタイムを乗せましたが、オニオンフライが振られていることも多いです。

ラードの旨味を吸った大麦と茸は適度にコクがあります。チェコ料理は日本人には重いものが多いのですが、こちらは手軽に作れて食べ易い、おすすめのチェコ料理だと思います。

クバ

silflay at 12:30|Permalink その他欧米料理