2006年03月30日

王平・荀論

2006年3月30日現在、私の周りで熱い議論が交わされている三国志上の人物が二人居ます。一人は漢中太守王平(〜248)、もう一人は曹操の覇業をささえた荀彧です。せっかくなので王平についてちょっと紹介してみましょう。

まず王平については、USHISUKEさんの三国志漂流(【独占!】王平は南蛮非漢民族出身か!?〜おまけ編〜)で、王平が異民族であるという点について言及がなされました。さらにその特殊な生い立ちをもとに、彼が洛陽で出世しつつも蜀漢に転じて特殊部隊を組織してから蜀漢に身命を賭した経緯を、我らが(三国志愛好会 )で長尾景虎さんと閑話翁氏との話で説明がされています。

閑話翁氏の話では、「当時の中国は農耕民と武士を区分けするときに、身体能力に優れる異民族を軍事に、そうでない漢民族を農耕に従事させることが往々にしてある」ということでした。

たとえば現在の人間の身体能力を見てもわかるように、黒色人種は白色人種に比べて身体能力に優れ、スポーツや歌手・あるいは踊りなど体を使った分野で神かかった素質を発揮しています(優れた身体能力と恵まれた身体を要求されるバスケットボール選手のほとんどは黒人です)。古代中国においても異民族と漢民族には身体的な違い・身体の作りの違いがあり、それらを理解していた人々が「それぞれの能力に応じた仕事」を振り分けたときに、「身体能力の優れた異民族を軍人にする」という発想が出たと見ることは十分可能です。

ところで、古代ヨーロッパの集団生活においては労働者階級(いわゆる奴隷階級)と知識人らのような非労働階級とがごく自然に分かれていたと聞きます。アテネとかスパルタの時代だったでしょうか、記憶があいまいですが。特に身分差をつけるという意味ではなく、それぞれの役割に応じて「難しい話は頭を使うのが得意なやつらに任せた。俺は体を動かして飯が食えればいい」という労働者たちが集まって肉体労働を行っていたということですが、「得意分野においておのおのが与えられた役割を果たして集団として生活していく」という姿は、社会を形成して生きる人間にとってはごく当たり前のことでしょう。人の頭の作りは数千年前からそれほど変わっていないとのことなので、古代ヨーロッパにおける役割分担が中国においても有効であることは十分に考えられます。

話を中国に戻します。

ネット掲示板などで魏呉蜀三国時代が引き合いに出されるとき、曹丕の魏の圧倒的な国力をもってしても蜀や呉を併呑できなかったのは呉には長江と水軍が、蜀には天然の要害と異民族がいたからだという話をする人がわりといます。わたしはたんに大国になってしまった以上、狭い地域での戦闘に勝利したからといって国家間の領土的問題が簡単には動かなくなった「膠着状態」こそが曹丕の天下統一を妨げたのだと思いますが、それはさておき、ここでは蜀漢の民は屈強であったという指摘(説)に注目します。

そこで出てくるのが板楯蛮です。板楯蛮とは読んで字のごとく、「板盾を用いる南の方に住んでいるやんちゃなやつら」です。蛮の一文字で南の意味があるというのは周王室時代からの常識です。

で、今回取りざたされている王平さんは、まあここまで引っ張れば分かると思いますが板楯蛮です。閑話翁氏の話では板楯蛮の勇猛さは昔から評判だったようで、周の武王や高祖劉邦をよく守ったということでした(周王室の時代に異民族を積極的に取り入れていたとは意外でしたが、案外古代中国における異民族に対する蔑視感情というのはそれほど大きなものではないようです)。

この点、王平が文盲でありながら陣中において軍事書物を読ませて記憶し、あとで質問するときちんとした回答ができたという文が光ります。頭がいいけど字が読めない。まぁ文盲など珍しくもない時代ですが、彼がもともと異文化の中で成長して、しかるのち都会にあこがれる若者よろしく洛陽に飛び込んだのだとしたら、いわゆる漢民族の文化を完全に取り入れるのは難しいでしょう。

そして王平が異民族の出身であるという点を挙げると、彼がいわゆる中国文化(この時代の「中国」は平野部を中心とした中原部分がメイン)になじめず上官とも意見が合わず、魏から蜀漢に鞍替えした理由も分かる気がします。職場環境が合わない、浮いている、オー人事オー人事ですね。切羽詰った呂布みたいなものかもしれません。

さらに同じような異国の風(王平にとっては郷土の風)を運ぶ蜀に居場所を求めて命をかけたというのも分かる気がします。さらにさらに蜀漢の指導者として大一番のひのき舞台を与えられた馬謖が王平の忠告を無視してしまったのも理解できます。文字が読めない異民族ごときの意見なんぞに従えるかと、そういうわけですね。

なんだか紹介ばかりになってしまいましたが、王平が外の人であるという点だけで魏や蜀といった中国の風が感じられたようで、個人的にかなり得をした気がしました。嫌いではなかった馬謖の無理攻めも、細かい人間関係を追っていけば、現在の日本でもありそうな話で興味深かったです。

とりあえず王平が好きになったので、三国無双4Empの君主にして修羅争覇天下統一に挑戦してきます。馬謖つれて。

PS). 次回は荀彧の野望と曹操の野望について紹介します。荀彧は漢の忠臣ではなく、自分が国事を取ることを狙っていたという説についてです。

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