俺ジャーナル

翻訳やったり物書いたりしています。文章の著作権は私に帰属します。

2012年10月

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 数年ぶりに出場したジャパン・オープン予選、敗退しました……。

 初戦で普段どおりに球が入って、自分のコンディションを誤解してしまったかな。あとはまったく入らず。2勝2敗で決定戦にもつれこんで、そこで敗退。2−2の段階で「このまま行っても勝てるわけないなー」と、自分としてはもう出場してもしょうがないみたいな気持ちだったので、結果には納得。同グループから抜けた船瀬選手、名越選手、がんばってきてください!

 ともあれ、ここ半年間鍛えたストロークは無駄ではなかった。プレッシャーの下でも、ストロークをちゃんと信じることができたのは、収穫としてはとても大きいこと。これからまた、愚直にキューを振る日々を続けよう。あと筋トレとジョギングね。

 次の目標は、半年後の全日本。それまでに、2、3回くらいは試合に出ようかな。

 ツイッターなどで応援メッセージくださったみなさま、ありがとうございました。

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 スヌーカーを通して出会った大切な友人は多いが、中でもとても大切な友人のひとり、アレックス・プアン。現在、シンガポールのナンバーワン・プレイヤーだ。彼との出会いは、2005年あたりまで遡る。俺がスヌーカーをプレイしはじめた直後のことだ。その日、当時新宿にあったサムタイムという店に、スヌーカーをしにいった。ひとりで撞いていたら、横のテーブルでひとりで撞いている外人を見つけた。何となく声をかけて、一緒に撞いた。

 彼のプレイは、心底衝撃的だった。テレビで見るのとほぼ変わらないレベルの、ものすごい球。日本人選手以外のプレイを実際に見るのは初めてだったが、あまりのレベルの違いにびっくり仰天した。話を聞いてみれば、シンガポール代表。最高戦績は、アジア選手権準決勝らしい。普段はシンガポール航空のキャビン・アテンダントをしており、トランジットでちょくちょく日本には立ち寄るのだという。

 それ以来俺たちは、彼が来日するときには必ず会って球を撞き、酒を飲むようになった。特に、2007年にカラチで開催されたアジア選手権で一緒になってからは仲良くなり、いつの間にか「シンガポールの兄、日本の弟」みたいに呼び合う仲になっていた。優しくて、球好きで、女好きで、頭がよくてウィットがある。こいつと一緒にいて退屈することは、まずない。

 2008年、彼に誘われるままシンガポールを訪れて、2週間ほどスヌーカーのコーチングを受けることにした。しかし出発直前になり、彼から「悪い! 最初の1週間は仕事で俺いないわ。ウチに泊まってる分には問題ないから」と連絡が入る。初対面の家族の中で1週間……。いきなりレベルの高い旅になった。

 空港に着いてみると、ミーティング・ポイントでアレックスの親父と思われるおっさんが立って、こっちに手を振っていた。キューケースを担いでいたからすぐに分かったのだろう。 この親父、アラン・プアン氏がまたできる男で、イングリッシュ・ビリヤードという競技のシンガポール代表である。もう70歳近いはずだが、驚くことに未だに現役だ。しかも、若いころは背泳ぎのシンガポール代表選手だったらしい。やはり、運動神経のいい人はビリヤードでも有利だということか。ちなみにこのおっさん、元はTat Lee Bankの偉い人で、六本木支店にいたこともあったらしい。

 親父に連れられて家に行くと、そのまま夕食になった。なぜかアランとふたりの孫(つまりアレックスの息子どもね)は、上半身裸である。初対面だというのに、なんというフレンドリーさ。フレンドリーなのはいいんだが、シンガポール訛りがキツくて半分くらい何を言っているのか分からない。

「どうする? 今日は球撞くの?」アランが訊ねた。
「今日は長旅だったし、休もうかな」俺が答えた。

 だというのに、食後に荷物を整理してリビングに行くと、アランがなんと、キューケースを用意して着替えて待っているではないか。

「なるほど。まあ球を撞く者同士、テーブル挟まないと挨拶したことにもならんだろうな」と思い、俺たちはアランやアレックスがホームにしている『クラシック・キュースポーツ・センター』へと出かけた。

 で、いきなり7時間。帰宅したのは深夜1時とかで。

 俺はもうくったくたに疲れ果てて、シャワーも浴びずに泥のように眠った。
 翌朝、シャワーを浴び、朝食をご馳走になり、着替えてリビングに行くと、アランはもうキューケースを用意して待っていた。

 で、12時間とか13時間とか。帰宅したのはまたまた深夜1時とか。

 そんな調子で、初対面の家族との妙な1週間が過ぎたのだった。 

 1週間が過ぎてアレックスが帰ってくると、こいつもやはり、自宅では上半身裸である。みんなそうなのか、シンガポールは。以降、アレックスも交えて毎日12、3時間はトレーニングをした。チャイニーズ・スイミングクラブというスポーツ施設で撞いたり、シンガポール航空の社員向けスポーツ施設で撞いたりと、すばらしいクラブをあちこち紹介してもらった。贅沢である。当時は確か、俺の国内ランキングは4位とか5位とかそのくらいだったと思うが、クラブではその辺の素人プレイヤーにこてんぱんにされたものだ。その時に「必ず戻ってきてやり返してやるから、お前ら待ってろよ」と胸に誓った。

 結局、2週間で休んだのは1日だけ。その日は、アレックスの家族とシンガポール動物園に行った。ホワイトタイガーが3頭いるのだが、俺たちが見に行った翌日、従業員が虎たちに襲われて自殺する事件が起こったのを憶えている。日本では事故と報じられているのを知って、ニュースの情報とは操作されているんだなと強く実感したものだ。

 最後の日、2週間も滞在しつつマーライオンすら見ていない俺を気づかってか、練習後、夜景の綺麗なスポットに行こうと彼らが俺を連れ出してくれた。車で山を登り、広いパーキングに車を止めた。眼下に広がるシンガポールの景色は、とにかく美しかった。周りは、あちらこちらにカップルだらけ。俺たちだけ、30代半ばのおっさん2人と60オーバーのおっさんの3人組。あらゆる意味で、印象深いできごとの多いシンガポール修行になったのだった。

 今月の8日に一緒にスヌーカーをしたのだけど、今回は、ちょっと自信があった。無論アレックスに勝てるわけではないのだけど、そこそこやれる気はしていた。最近俺は、けっこう球を入れる。

 で、実際かなりやれた。ほぼすべてのフレームがもつれる展開になったし、ポットだけなら負けていなかったと思う。アレックスは俺の上達っぷりに感動するあまり、テレビ電話を自宅にかけたほどだった。

「ちょっと待って。今おやじ出るから」と、カメラを俺に向けるアレックス。

「おお、シモン、久しぶりじゃないか!」すぐにアランのどアップが、彼のスマホに映し出された。

 上半身裸だった。

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  すっかり一ヶ月近く放置している間に、季節は秋。月を見上げることの多い季節である。

 秋の月は、好きじゃない。美しいと感じるから、好きじゃない。

 秋の月が美しいと感じるのは、いったいなぜなのだろう。毎年秋になると、3度か4度は、そんなことをじっくり考える。本当に、秋の月がことさら美しいのだろうか。もしかしたら、40年近く生きてきた中で、いろんな情報や知識を得て、そう思い込んでいるだけなのではないだろうか。だとしたらそれは、創造力のかけらもない、実にくだらない話だ。秋の月を美しいと思えば思うほど、自分がなにか、おかしな罠にはまってしまったかのような、妙に嫌な気持ちに俺はなる。

  日本海を望む断崖絶壁を見に、ツーリングに出かけたことがあった。ごつごつとした切り立った崖に立つ展望台から海を見下ろし、そこに打ち寄せる波の音を聞きながら、すこし離れたところに立つカップルの男のほうが言った。

「パトカーの音が聞こえてこねえかな。犯人がぺらぺらと犯行を自供する場面だよ、これは」

  男は、荒涼としたその美しさなど見てはいなかった。そこに辿り着くまでに、火曜サスペンス劇場に意識が支配されてしまったのだ。おそらく、わざわざ景色を見に来たのだろう。しかしそんな言葉しか出てこないのであれば、火曜サスペンス劇場を見ているのと大して変わりはしない。彼は景色など見てはいないのだ。

 さて、秋の月は美しいのだろうか。

 すっかり車も通らない深夜のバス通りで縁石に腰掛け缶コーヒーを飲みながら、俺は月を見上げる。 見つめれば見つめるほど月は美しいが、果たして秋の月だから美しいのかどうか、いくら見つめても分かりはしない。

「中秋の名月」なんて言葉もある。もしかしたら、その言葉のせいで美しいと感じるのだろうか。

 だとしたら、俺はその言葉のせいで、純粋に月を見つめる楽しみを歪められてしまう不幸にいいように踊らされているとんだ間抜けだ。
 さっきのカップルの男と大して変わりはしない。

「時刻表に書いてあるから電車は来る」
「残り時間が20分だから、この映画の犯人はこの男で間違いない」 
「花嫁が手紙を読んだら新婦の父が泣くはずだから、感動する準備をしておこう」 

 エトセトラ、エトセトラ。

 今初めてしているはずの経験や、 今初めて見ているはずの物事と向き合いながら、俺はそんなふうに考える。それは、そこにある物語を無視して素通りし、代わりに、どこかで見たり聞いたりした物語のことばかりを考えることだ。あらゆるものは今この瞬間にしか存在していないはずなのに、その瞬間を否定し、存在を認めないのと同じことだ。 毎日馬鹿みたいに座っているこの椅子も、向き合っているこのモニターも、今日こうして座り、向き合うのは、人生で初めてなのだ。

 たぶん、秋の月だからことさら美しいということはない。それは確かなことだと分かっていても、秋の月はなぜか美しく感じる。美しく感じれば感じるほど、自分がそこにある物語に届いていないような気持ちになる。その美しさに心洗われ、満足して眠りに落ちるような間抜けであるような気持ちになる。

 だから俺は秋の月が好きじゃなくて、だから俺は肉眼でクレーターのひとつひとつも見えんばかりに秋の月を見つめ続ける。

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