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Webミステリーズ!』にて、東京創元社Sさんよりリーディングの話題が上がっていたので、逆に受注者およびシノプシス制作者サイドからリーディングについて、思うところを書いてみたいと思います。僕も誰かに教わったわけではないので、個人的に「こうやってます」みたいな感じですが、シノプシス歴も12年を越えて干支もひと回りしたので、自分宛にまとめる意味でも。

 その前に、業界外の「リーディングってなんですの?」という方のために、まずは解説。リーディングとは、まだ日本で出版が決まっていない外国語の本を読んで、ざっと「こんな本です」が分かる資料を作るお仕事のこと(資料は、シノプシスとかレジュメとか呼ばれます)。あらすじ、解説、著者紹介等々を含めてA4用紙でだいたい6、7枚。長いもので10枚程度でしょうか。300ページの本だったら、だいたいこの長さに収まります。この資料を元に日本の出版社が「この本の翻訳権を取ろうか取るまいか」と検討し、「よし、取るか」となったら出版が実現するわけですね。地味だけど、超大事なお仕事です。僕としては、あらゆる原書にシノプシスが付いていたら、検討される本の点数が増えていいなと思っています(ちなみに今まで読んだ中でものすごく感動した某有名訳者さんのシノプシスは、400ページ弱の原書に対し、あらすじと解説を合わせてA4用紙3枚でした。美しすぎた……)。

 長編小説をこの長さでまとめるとなるのはなかなか大変なんだけど、これを積み重ねるのは本当にいいトレーニングになります。訳者志望の方のみならず、一般の読書好きの方にもオススメ。ちょっと読書の仕方が変わる人もいるかもしれません。個人的には「完成品のプラモデルをバラバラにして、組立説明書を書くお仕事かな」と思ってます。

 講座などでいちばん反応があるのが「読むときは『なぜ』を考える」という話です。
「なぜこのキャラクターが必要なのか」
「なぜこの台詞が必要なのか」
「なぜこの設定になっているのか」
「なぜこのトラブルが起こったのか」
「そもそも、なぜこの作品が書かれたのか」

 などなど、僕の場合は頭の中にクエスチョンマークをたくさん浮かべながら原書と向き合います。なので常に、ストーリーを追う頭と「なぜ」を考える頭が同時に働いているような感じになります。たとえば『桃太郎』を読んでいても、「そういや、なぜ猿、犬、雉なんだろう?」と思うと、ストーリーの背景を支える当時の思想めいたものが見えてくるわけですが(ご興味ある方は「桃太郎 陰陽五行説」でぐぐってみてください)、「なぜ桃から生まれたんだろう?」にしても同じこと。これも「桃太郎 なぜ桃」あたりで検索すると、面白い考察があれこれ見つかります(インターネットってほんと便利)。こんな感じで、作品を成立させている時代的背景や思想的背景、そして著者の個人的背景などに関する情報は、可能な限り集めながら読みます(こうした背景があって作品が生まれているはずなので、これは個人的にかなり重視してます)。

 ストーリーを1本の柱だとするならば、「なぜ」を考えて収集した情報や脳内で立てた仮説はその影という感じになるわけですが、こうなると、作品が一気に立体的に見えてきます。この「柱と影」の形がビシッと一致したら、それは「自分に訳せる作品」ということになるんじゃないかな、という気がしています。無論「影」のほうについては多くの場合どこにも書かれていないので正解は分からず、こちらで仮説をいくつも立てながら読むしかなく、つまり1本の柱に対して何本も影が落ちている状態になるわけですが、これは読み込んでいくにつれてだんだん減っていきます。光源がはっきりして、不要な影が消えていく感じに似てるかもしれないですね。そうして最後に残った仮説に絡めながら解説部分を書くというやりかたを、僕はしています。 

 実例を出すと、たとえばマザーグースの「リトル・ジャック・ホーナー」は:

  ちびのジャック・ホーナー
  部屋の隅に座り
  クリスマス・パイを食べている
  親指を突っ込み
  プラムを引っ張り出し
  いわく「僕ってなんてお利口さん!」

 という内容ですが、「お前なんでクリスマス・パイをひとりで食ってんねん」という大きな「なぜ」がまず付きます。そういうのが出てきたら、「両親が共働きで、パイだけ置いて深夜まで帰って来ないのかも」とか「独り占めしたくて家族を殺したんかな」とか「もしかして逆に、プラムが嫌いなのでは?」とか「ひとつしか入ってない幸運のプラムを排除して、家族に嫌がらせをするつもりでは?」などなど、バックストーリーになり得るいろんな「なぜなら」が思い浮かびます。これが、さっき書いた「影」ということですね。この詩では結局意味がさっぱり分からないのですが、思い浮かんだ分だけこうしたバックストーリーを胸ポケットにしまいながら読んでいると、物語の展開と矛盾するものが出てきて「あ、これは違うわ」と自然淘汰されて消えていくわけです。

 で、いざ執筆編なわけですが、上記までがあらかたできていると、もう「この本のどこが重要なのか」ということがおおむね仮定できているはずなので、シノプシスはそんなに長くなりません。あらすじも、ちゃんとあらすじ然としてきます。あらすじをまとめるときにするべきではないのが、「原書のページ順どおりにかいつまんで書く」ということで、これをやってしまうと、あらゆる箇所が「ここは書かなくては」みたいに思えてきてしまい、めちゃくちゃ長くなる上に要点がよく分からなくなってしまいます。たとえばさっきの『桃太郎』ならば:

 ある日老夫婦は、拾ってきた桃の中から生まれた少年に「桃太郎」という名をつけ大事に育てる。桃太郎少年は、ずっと子宝に恵まれなかった夫婦の寵愛を受けて逞しく成長すると、鬼ヶ島の鬼たちが人びとを苦しめていることを知り、鬼退治のために立ち上がる。おばあさんにきびだんごを貰って旅立った桃太郎は、道中、犬、雉、猿にそのだんごを分けて仲間にし、鬼ヶ島に向かう。そして酒盛り中の鬼たちを見事に退治し、金銀財宝を手に凱旋して幸せに暮らしたのであった。

 くらいで十分なのですが、ページを追いながらやってしまうと:

 ある日、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ洗濯に行くと、川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきた。この桃をひろって帰り、おじいさんと一緒に食べようとしたところ、中から元気な男の子が生まれてきた。(中略)イヌは鬼のお尻に噛みつき、猿は鬼の(中略)「まいった! もう降参だ!」と鬼たちは(中略)とっぴんからりのぷう。

 といった具合に、インパクトのある箇所をいちいち拾ってしまい、延々とあらすじには不要なディティールが連なってしまうわけです。なので、一度読んだら本を閉じて原書のページ順や文章表現は忘れ、頭に残ったことを頼りに骨組みを書いてしまうようにしています。小説では章ごとに時系列が前後することも多いのですが、あらすじでそれまで再現するとわけが分からなくなってしまいがちなので、並べ変えちゃってから解説で補足することが多いです。

 解説は、必要十分くらいがいちばんいいと思います。短くなってしまうと「うーん、なんか不安……」という気持ちになってしまうわけですが、水増しすればするほどぼやけて分かりにくくるので、余計なことは書き足さないに尽きると思ってます。たとえば「作品を覆う空気感がいい」とか「ページをめくる手が止まらない」とか、そういうことが書かれたシノプシスに出会うこともありますが、これはもう完全に主観の域ですし、往々にして無記名であるシノプシスにおいては「お前誰やねん」という話にもなりかねないので、僕は書かないようにしています。「手に汗握るアクション巨編」みたいな、映画のキャッチコピーみたいなことも排除かな。それ読んで「おお、だったらこの本出しましょう」って話には絶対ならないし。ただ、自分を指名してもらったシノプシスでは、いちばん最後に「涙腺を刺激されっぱなしでした。個人的には名作だと思います」くらいの、私信めいたことは書いちゃうかもしれないですが。

 あとは、やっぱシノプシスは「その本を理解するための資料」なわけで、訳者の売り込み材料ではないわけだから、自分に見える短所があったらちゃんと書いておくようにしてます。面白そうなことばかり書いて、いざ仕事になって原稿ができあがってから「え……こんな本だったの……?」ってことになったら大変ですからね。まあこの辺は、「どんな情報があったら助かるのか」と読み手の気持ちになると、自然と内容は決まってくると思います。

 これからシノプシスを書けるようになりたいという人は、まず日本昔話やアンデルセンの童話など、今でもあらすじを諳んじられるような、分かりやすい童話や寓話の類から手を着けてみるといいのではないでしょうか。

 長くなりましたが、さよなら、さよなら、さよなら。