俺ジャーナル

翻訳やったり物書いたりしています。文章の著作権は私に帰属します。

カテゴリ: お仕事

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 まずは、今月発売になった『レッド・クイーン』から。著者、ヴィクトリア・エイヴヤードのデビュー作にして大ベストセラーとなり、なんと初版25万部、25カ国で翻訳出版されているというのだから驚き。日本でも売れてくれますように。

  内容は、「シルバー」と呼ばれる銀の血を持つ支配階級と、「レッド」と呼ばれる赤い血を持つ奴隷階級が住まう世界の話。シルバーは強力な特殊能力を持っており、無力なレッドたちを蹂躙、支配しているのだけれど、ある時、ひょんなことからレッドであるはずの主人公メアが、シルバーしか持たないはずの特殊能力に目覚めてしまう。シルバーはそれを隠蔽するためメアの肌を塗りたくってシルバーに仕立て上げ、王宮に幽閉して王子の嫁にしようとたくらむが……。

 と、差し障りのない程度に書くと、そんな話。「ロマンス+X-MEN+シンデレラ+ちょっとスチーム・パンク」みたいな感じで、人気の要素がてんこ盛りなのが最大のウリだろうか。でも散らかった話というわけではなく、それを巧みにまとめあげて1本の小説にしているあたり、力のある著者だと思う。

  これは、俗に「エンタメ系」と分類されるタイプの小説ではあるけれど、支配層と被支配層に明確に、そして圧倒的に分けられたこの世界観は、僕たちが今暮らす現実にとても共通している。そういう意味でも時代が色濃く反映された小説だし、だからこそメアに共感を覚える読者がたくさんいたのではないだろうか。この本がベストセラーになったこととドナルド・トランプが大統領選に勝利したこととは、同じ文脈の中にあるような気もするわけだ。具体的な話はまだ聞こえてこないけど映像化もありそうなので、これは今から楽しみ。

 そして、来月25には『新訳 ジキル博士とハイド氏』が刊行される。これはもう、本当に本当に面白い小説。144ページと大した厚さでもなく、本棚に入れておいてもしょっちゅう迷子になるほどなのだけど、その分いろいろと想像を働かせながら読む楽しみに満ちていると思う。訳すにあたり『性のアナーキー 世紀末のジェンダーと文化』(E・ショーウォールター 富山太佳夫、上野直子、富永久美、坂梨健史郎訳 みすず書房)や『ナボコフの文学講義』(ウラジーミル・ナボコフ 野島秀勝訳 河出書房新社)の他、いろいろと海外のサイトや本を見てみたのだけど、ロンドンの富裕層の男性たちが持った密かな楽しみ、いわゆる同性愛的なものを扱った作品なんじゃないかと思い、そんな目で読んでみた。薄い本だし。

 ちなみに著者のスティーヴンソンは同性愛者でこそなかったものの、男性からものすごくモテた人物で、本人もそれを愉快に思っていたらしい。クレア・ハーマンという女性が書いた彼の伝記『Robert Louis Stevenson』にその辺が書かれているのだけど、やはり相当に面白い人だったんだな。

 この本は、不品行を働くことのできる状況、つまりハイドという別の肉体を手に入れたことにより悪行に走るうちに、だんだんと人間らしい善心や理性を失いすっかり悪人へと変容してしまうことへの恐怖を描いた、非常に道徳的テーマを持つ作品としても読むことができるし、いろんな読みかたを楽しめるはず。いずれにしろ「悪のハイドが悪事を行い善のジキル博士がそれに苦悩する、二重人格の人物を描いた小説」みたいな、さっぱりとした善悪の物語ではないので、もしそう思われている方がいるなら、ぜひこの機会にご一読いただきたい。ジキル博士自身、根っからの善人ではなくて、そこが面白いところなのだ。

 個人的には、友人ジキルの男色的所業の数々を必死に隠そうとするやんごとなき独身友人たちの奔走を描いた物語として読むのが、ものすごく楽しい。割と「そうとも読める」よりも「そうとしか読めない」といった感のあるちょっとした要素があちこちに散りばめられているので、そういうものを拾い上げながらほくそ笑むのも、この作品の楽しみかたとして正しいと思う。事前に、いわゆるソドミー法やラブシェール修正条項など、そしてその周辺事情や事件などなど、いろいろ調べてから読んでみると、面白さが増すかもしれない。クリーヴランド・ストリート・スキャンダルなんて、事件のあらましを読むだけでも壮絶だったろうな。

 ラブシェール修正条項では、公私を問わず男性同士の親密な関係を示唆するあらゆる行為が「著しいわいせつ行為」として取り締まりの対象になっていたわけだけど、そういう社会的背景のある時代だったわけだし、この『ジキル博士とハイド氏』は、かなり鮮烈な問題作として扱われたのではないかという想像もできる。この辺はオスカー・ワイルドの『幸福な王子』にしても同じことで、ついついそういう前提での裏読みをしてしまっていけない。

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 2年ほど前に着手してから少しずつ訳し、今年の頭にようやく訳了したままになっていた非常に楽しみな本のゲラが、いきなり届いた。そろそろどんな文を書いたのかも忘れていた自分の原稿を読み返すのは、楽しい。当たり前だけど自分好みである。たぶん自分史上いちばんくらいに薄い本なので、ゲラもさっさと見てしまうとしよう。刊行は、1月もしくは2月予定とのこと。「まだまだ先だな〜」なんて言ってたら、あっという間に2月だろうな。詳細はまだ伏せておくけど、とても面白いタイトルなので、お楽しみに。ちなみに古典新訳。


 そして、11月11日に刊行になる『奇妙という名の五人兄妹』の告知。お待たせしました、『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』のアンドリュー・カウフマン最新作!

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 この表紙。早く『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』と並べたい! 来週あたりに見本が届く予定なので、今からうずうずしている。

 どんな話かと言うと、生まれたときに祖母からひとつずつ特別な力を授かった5人の兄妹たちの、人生との葛藤、そして救済を描いた寓話的な小説である。銀行強盗もそうだったけど、アンドリュー・カウフマンは本当に、人生を寓話的に語らせるとものすごく上手い人。重苦しいテーマでも、オシャレに、そしてライトにパッケージングして楽しく読ませてくれる、特別な作家だと思う。

 兄妹たちが授かった力とは、たとえば「決して道に迷わない力」だとか、「人を許す力」だとか、そういった「ああ、こんな力があったら楽だろうな」といった、人生の祝福になるようなちょっとした力。しかし、その「ちょっとした力」は、兄妹を苦しめる呪いにもなっている。たとえば「道に迷わない」というのは、裏を返せば「道に迷う自由がない」ということ。「人を無条件に許す」というのは、ともすれば無条件に自分の非や責任を認めることでもあるだろう。そうして、せっかく授かった祝福と表裏一体の呪いが苦しみになったり、ときには他の苦しみの原因がそこにあるような気持ちになってしまったりして、力の持ち主を苦しめるわけだ。そんな苦悩を抱えた5人兄妹が、それぞれの人生と折り合いをつけるため、ずっと昔に行方不明になった父親を探す旅に出る、ロードムービー的な小説と言っていいと思う。

 この小説を訳しながらいちばん考えたのは、家庭で両親から受ける期待や教育のことだ。子供は親の庇護の元で育つわけだから、その人生はどうしても両親の意図に影響を受け、左右されることになる。ある程度の人生の道筋が、自分で選ぶよりも先に定まってしまっていることも、少なくないと思うのだ。この小説の主人公たちが授かった力とは、つまりそういうもののことではないかと思う。

 道に迷わない力があれば、それは便利だし、困ることよりも困らないことのほうが多いに違いない。しかし「これは自分が欲しくて身につけた力ではないのだ」と思った瞬間、どこか人生が自分のものではなくなってしまったかのような、そういう腑に落ちなさ、納得のいかなさを感じてしまうこともあるだろう。ここに対して折り合いが付かないと切れないスタート、みたいなものが人生にはあるような気がする。そういう、すごく根本的な人生の苦しみの源泉がとことん明るく描かれた、本当に面白い小説だ。見本が到着してから読み返すのが、今からとても楽しみ。

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 ずいぶん時間が経ってしまいましたが、また翻訳家が集まってまたトーク・イベントを開催します。ワークショップなどではあまり聞けない話が多いと思いますので、お時間とご興味のある方は、ぜひぜひ遊びにいらしてください。

 詳細は下記のとおりです。


【日時】10月27日(木) 18時スタート(入場1000円 コーヒーつき)
【場所】 珈琲専門 猫廼舎
http://cafenekonoya.com/
https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130903/13185712/
【ご予約】上記お店ホームページより。
もしくは
147@sukimaweb.com (田内)まで。 
私のツイッターアカウントにリプライやDMで申し込んで頂いても大丈夫です。




 出演は、以下4名です。

片山奈緒美
 社長、編集、営業、広報……個人でそのすべてをこなす「ひとり出版社」のなかでもユニークな、ロシア文学に特化した刊行を続けている〈群像社〉の島田進矢さんにインタビューします。
 なぜひとり出版社を? どうしてロシア文学? ロシア文学って暗そうだけど? みなさんの頭のなかにたくさんの「?」が浮かんでいることと思います。そんなかたにこそ、ぜひ島田さんのロシア文学に対する熱い想いを聞いていただきたい。お帰りになるころには「へえ! ロシア文学おもしろそう!」と、「?」が「!」になっているでしょう。
 ぜひ群像社の図書目録(http://gunzosha.com/)をご覧になり、気になる本を参加申込時にお知らせください。在庫があれば実物を会場に用意し、島田さんに解説していただきます。もちろん、そのまま購入もできます。
 
田内志文
 11月刊行のアンドリュー・カウフマン新刊『奇妙という名の五人兄妹』についていろいろ。その新刊では駄洒落やオリジナル言語など、いろいろ著者を呪いたくなるようなことが多々あったので、そのあたりの裏話も含めて話したいと思っています。本はまだ未刊行なので、ざっくりあらすじを紹介しつつ、面白みなどをお伝えできたらと考えています。また、現在映画の撮影が中断されている『メイズ・ランナー』シリーズや、9月に刊行された『イヴの聖杯』についても、せっかくだからいろいろ話ができたらと思っています。「このタイトルの話が聞きたい」ということがあれば、お訊きいただければだいたいお話いたします。

田辺千幸
 今回紹介させていただくのは、1930年代のイギリスを舞台にした『貧乏お嬢様』シリーズです。主人公は王位継承権三四番という、普通に考えれば絶対に王位につくことなどない順位でありながら世間からは王族の一員として見られ、にもかかわらず、生活は苦しいというなんとも微妙な立場の女性です。貴族というのも楽ではないのだなぁと、彼女を見ているとしみじみ思います。 “王冠を賭けた恋”の相手としてロマンチックに語られることが多いシンプソン夫人も登場しますが、イギリス人の目にはこんなふうに映っているのかと改めて思い知らされたりも。
 今回は間に合いませんでしたが、来月刊行される第六巻は古きよきイギリスのクリスマスがテーマになっていて、当時のご馳走やパーティーゲームがこれでもかというほど出てきます。巻末にレシピもついているので、本物のクリスマスプディングも作れます!
 実はこのシリーズ、わたしが担当することになったのは三巻からでした。そのあたりの裏話もちょっとだけお話しさせていただこうと思っています。

夏目大
 今回紹介させていただくのは、『〔ダイジェスト版〕オリバー・ストーンの「アメリカ史」講義』、という本です。映画監督オリバー・ストーンが歴史学者ピーター・カズニックとともに書き上げたアメリカ史の本。たぶんほとんどの人が学校では習わなかっただろうけど、読むと「どうしてこれを習わなかったんだろう」と思うことが書いてあります。アメリカという国、そしてアメリカと日本の関係についての見方が大きく変わります。同時に制作されたテレビドキュメンタリーも見るとさらに理解が深まります。

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 先日リーディングの話題を書いたら、報酬や作業期間などのことも知りたいという方がちょっといらっしゃったので、今日は「それ書いてもいいのかしら」と思いつつ、書くぞ。

 まず作業期間だけど、だいたい2週間くらいです。400ページを大幅に超えるクラスの厚い本の場合は、3週間とかもらったりすることもあります。他の仕事が立て込んでいて時間が取れないときも、期間は長めにもらいます。

 そして皆さんお待ちかね、リーディングの報酬ですが、今の相場では1万円から3万円。 もっとも多いのが、1万5千円から2万円ではないかと思います。とはいえ、もらえないこともあります。先日もあったのですが、「企画が通った場合は翻訳もお願いするので、その場合はリーディング料はナシになります」というパターンがちらほらあるのです。この辺は、翻訳業界に入って「独特だなあ」と感じたところでした。

 現在は、たぶん出版社が「この本出したいぞ」という本に限ってリーディングに出す、みたいな傾向だと思うので、実はリーディングにかけられることなく埋もれていってしまう本もずいぶん多いはずです。とはいえ、そんな本の中にもいい本はたくさんあるのです。最近だと『失われたものたちの本』や『定職をもたない息子への手紙』なんかがそれで、これはどちらも自分で勝手にシノプシスを作って「こんなのありますよ」と持ち込みをかけた本でした。なので、個人的には「シノプシスがついた本が増えれば、それだけ面白い本が出る機会も増えるんじゃないかな」と思い続けて久しいわけですが、なかなか難しいんでしょうね。

 空いた時間にどんどん原書を探してリーディングし、持ち込み素材を作りたいところなのだけど、翻訳作業に追われてなかなか思うように行かず、苦しい年末です。 

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Webミステリーズ!』にて、東京創元社Sさんよりリーディングの話題が上がっていたので、逆に受注者およびシノプシス制作者サイドからリーディングについて、思うところを書いてみたいと思います。僕も誰かに教わったわけではないので、個人的に「こうやってます」みたいな感じですが、シノプシス歴も12年を越えて干支もひと回りしたので、自分宛にまとめる意味でも。

 その前に、業界外の「リーディングってなんですの?」という方のために、まずは解説。リーディングとは、まだ日本で出版が決まっていない外国語の本を読んで、ざっと「こんな本です」が分かる資料を作るお仕事のこと(資料は、シノプシスとかレジュメとか呼ばれます)。あらすじ、解説、著者紹介等々を含めてA4用紙でだいたい6、7枚。長いもので10枚程度でしょうか。300ページの本だったら、だいたいこの長さに収まります。この資料を元に日本の出版社が「この本の翻訳権を取ろうか取るまいか」と検討し、「よし、取るか」となったら出版が実現するわけですね。地味だけど、超大事なお仕事です。僕としては、あらゆる原書にシノプシスが付いていたら、検討される本の点数が増えていいなと思っています(ちなみに今まで読んだ中でものすごく感動した某有名訳者さんのシノプシスは、400ページ弱の原書に対し、あらすじと解説を合わせてA4用紙3枚でした。美しすぎた……)。

 長編小説をこの長さでまとめるとなるのはなかなか大変なんだけど、これを積み重ねるのは本当にいいトレーニングになります。訳者志望の方のみならず、一般の読書好きの方にもオススメ。ちょっと読書の仕方が変わる人もいるかもしれません。個人的には「完成品のプラモデルをバラバラにして、組立説明書を書くお仕事かな」と思ってます。

 講座などでいちばん反応があるのが「読むときは『なぜ』を考える」という話です。
「なぜこのキャラクターが必要なのか」
「なぜこの台詞が必要なのか」
「なぜこの設定になっているのか」
「なぜこのトラブルが起こったのか」
「そもそも、なぜこの作品が書かれたのか」

 などなど、僕の場合は頭の中にクエスチョンマークをたくさん浮かべながら原書と向き合います。なので常に、ストーリーを追う頭と「なぜ」を考える頭が同時に働いているような感じになります。たとえば『桃太郎』を読んでいても、「そういや、なぜ猿、犬、雉なんだろう?」と思うと、ストーリーの背景を支える当時の思想めいたものが見えてくるわけですが(ご興味ある方は「桃太郎 陰陽五行説」でぐぐってみてください)、「なぜ桃から生まれたんだろう?」にしても同じこと。これも「桃太郎 なぜ桃」あたりで検索すると、面白い考察があれこれ見つかります(インターネットってほんと便利)。こんな感じで、作品を成立させている時代的背景や思想的背景、そして著者の個人的背景などに関する情報は、可能な限り集めながら読みます(こうした背景があって作品が生まれているはずなので、これは個人的にかなり重視してます)。

 ストーリーを1本の柱だとするならば、「なぜ」を考えて収集した情報や脳内で立てた仮説はその影という感じになるわけですが、こうなると、作品が一気に立体的に見えてきます。この「柱と影」の形がビシッと一致したら、それは「自分に訳せる作品」ということになるんじゃないかな、という気がしています。無論「影」のほうについては多くの場合どこにも書かれていないので正解は分からず、こちらで仮説をいくつも立てながら読むしかなく、つまり1本の柱に対して何本も影が落ちている状態になるわけですが、これは読み込んでいくにつれてだんだん減っていきます。光源がはっきりして、不要な影が消えていく感じに似てるかもしれないですね。そうして最後に残った仮説に絡めながら解説部分を書くというやりかたを、僕はしています。 

 実例を出すと、たとえばマザーグースの「リトル・ジャック・ホーナー」は:

  ちびのジャック・ホーナー
  部屋の隅に座り
  クリスマス・パイを食べている
  親指を突っ込み
  プラムを引っ張り出し
  いわく「僕ってなんてお利口さん!」

 という内容ですが、「お前なんでクリスマス・パイをひとりで食ってんねん」という大きな「なぜ」がまず付きます。そういうのが出てきたら、「両親が共働きで、パイだけ置いて深夜まで帰って来ないのかも」とか「独り占めしたくて家族を殺したんかな」とか「もしかして逆に、プラムが嫌いなのでは?」とか「ひとつしか入ってない幸運のプラムを排除して、家族に嫌がらせをするつもりでは?」などなど、バックストーリーになり得るいろんな「なぜなら」が思い浮かびます。これが、さっき書いた「影」ということですね。この詩では結局意味がさっぱり分からないのですが、思い浮かんだ分だけこうしたバックストーリーを胸ポケットにしまいながら読んでいると、物語の展開と矛盾するものが出てきて「あ、これは違うわ」と自然淘汰されて消えていくわけです。

 で、いざ執筆編なわけですが、上記までがあらかたできていると、もう「この本のどこが重要なのか」ということがおおむね仮定できているはずなので、シノプシスはそんなに長くなりません。あらすじも、ちゃんとあらすじ然としてきます。あらすじをまとめるときにするべきではないのが、「原書のページ順どおりにかいつまんで書く」ということで、これをやってしまうと、あらゆる箇所が「ここは書かなくては」みたいに思えてきてしまい、めちゃくちゃ長くなる上に要点がよく分からなくなってしまいます。たとえばさっきの『桃太郎』ならば:

 ある日老夫婦は、拾ってきた桃の中から生まれた少年に「桃太郎」という名をつけ大事に育てる。桃太郎少年は、ずっと子宝に恵まれなかった夫婦の寵愛を受けて逞しく成長すると、鬼ヶ島の鬼たちが人びとを苦しめていることを知り、鬼退治のために立ち上がる。おばあさんにきびだんごを貰って旅立った桃太郎は、道中、犬、雉、猿にそのだんごを分けて仲間にし、鬼ヶ島に向かう。そして酒盛り中の鬼たちを見事に退治し、金銀財宝を手に凱旋して幸せに暮らしたのであった。

 くらいで十分なのですが、ページを追いながらやってしまうと:

 ある日、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ洗濯に行くと、川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきた。この桃をひろって帰り、おじいさんと一緒に食べようとしたところ、中から元気な男の子が生まれてきた。(中略)イヌは鬼のお尻に噛みつき、猿は鬼の(中略)「まいった! もう降参だ!」と鬼たちは(中略)とっぴんからりのぷう。

 といった具合に、インパクトのある箇所をいちいち拾ってしまい、延々とあらすじには不要なディティールが連なってしまうわけです。なので、一度読んだら本を閉じて原書のページ順や文章表現は忘れ、頭に残ったことを頼りに骨組みを書いてしまうようにしています。小説では章ごとに時系列が前後することも多いのですが、あらすじでそれまで再現するとわけが分からなくなってしまいがちなので、並べ変えちゃってから解説で補足することが多いです。

 解説は、必要十分くらいがいちばんいいと思います。短くなってしまうと「うーん、なんか不安……」という気持ちになってしまうわけですが、水増しすればするほどぼやけて分かりにくくるので、余計なことは書き足さないに尽きると思ってます。たとえば「作品を覆う空気感がいい」とか「ページをめくる手が止まらない」とか、そういうことが書かれたシノプシスに出会うこともありますが、これはもう完全に主観の域ですし、往々にして無記名であるシノプシスにおいては「お前誰やねん」という話にもなりかねないので、僕は書かないようにしています。「手に汗握るアクション巨編」みたいな、映画のキャッチコピーみたいなことも排除かな。それ読んで「おお、だったらこの本出しましょう」って話には絶対ならないし。ただ、自分を指名してもらったシノプシスでは、いちばん最後に「涙腺を刺激されっぱなしでした。個人的には名作だと思います」くらいの、私信めいたことは書いちゃうかもしれないですが。

 あとは、やっぱシノプシスは「その本を理解するための資料」なわけで、訳者の売り込み材料ではないわけだから、自分に見える短所があったらちゃんと書いておくようにしてます。面白そうなことばかり書いて、いざ仕事になって原稿ができあがってから「え……こんな本だったの……?」ってことになったら大変ですからね。まあこの辺は、「どんな情報があったら助かるのか」と読み手の気持ちになると、自然と内容は決まってくると思います。

 これからシノプシスを書けるようになりたいという人は、まず日本昔話やアンデルセンの童話など、今でもあらすじを諳んじられるような、分かりやすい童話や寓話の類から手を着けてみるといいのではないでしょうか。

 長くなりましたが、さよなら、さよなら、さよなら。




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