2006年11月06日

「ものもらい」考

幼少の頃、よく、目に「ものもらい」ができた記憶がある。まぶたのふちや内側に細菌が感染して起こり、医学的には「麦粒腫(ばくりゅうしゅ)」と呼ばれているものである。11月1日の毎日新聞の家庭欄によると、この「ものもらい」の呼び名は全国で250種類もあるそうだ。その主なものは「ものもらい」「めっぽ」「ばか」「めもらい」「めんぼ」「めぼ」などが紹介されている。

さらにロート製薬のHPにはものもらい呼び名全国マップ掲載されている。それによると「ものもらい」の語源は「共通語形「ものもらい」や地域語形「めこじき・めぼいと等」から、「これを治すために人からものをもらう」という無薬の治療行為と結びついて生まれたのではないかと余三重大助教授が述べている。

そういえば秋田県ではこの「ものもらい」を「ほえど(こ)」と呼んでいる。「ほえど」とは「乞食」のことで、まさに「ものもらい」である。「ほえど」の語源は「ほいとう(陪堂」)からきている。陪堂は僧堂の外の外堂で食事を受ける客僧、居候になっている僧のことで、これが乞食の意味に転じたといわれている。

「ものもらい」にはこのような謂れがあったわけだが、「ほえどこ」と悪童よりからかわれるのが屈辱であった。

 


 



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2006年10月06日

ある大学学長の話

先日、地元出身(高校の後輩)の大学長(宮城教育大)の講演会があった。中国近現代史専攻で中国問題について聞くことができると思ったが、内容は教員養成についてであった。教員養成大学なのでやむをえないが、話の節々に現代の大学の様変わりが出てきて驚いてしまった。

大学が法人化し、ですべて国立大学が文部科学省にその経営を報告し評価され予算もそれに応じた配当を頂く(?)のだそうである。かっては大学の自治は強調され教授会が大きな力を握っていたがその面影はないようである

さらに学生と言う商品をいかに教育界に売り込むか、そのノウハウは小中高の現場を踏んだ教師を大学に採用し徹底的に叩き込むそうである。少子化の現状で教員採用は難しく、秋田の教員採用試験でも県教委の発表によると小学校30.9倍、中学校38.3倍 高校18.4倍である。

その中から選考されるのだから優秀な教員と思われるが、受験や面接のノウハウを熟知した者が選ばれる可能性もある。新内閣は「教育再生」プログラムを検討するようであるが、型のはまった教員が出てくるのではないかと大学長の話を聞きながらそう思った。高校時代漫談だけしていた教師が懐かしい。それでもデキル奴は優秀な大学に入っていった。



sin15 at 20:34|PermalinkTrackBack(0)教育 

2006年09月17日

敬老会

明日9月18日は敬老の日である。2001年から9月の「第3月曜日」に改正。いわゆるハッピーマンデーで3日間の連休である。老人を敬うというより、祝日の連休を重視するというのは老人の僻めか?

現在各地でこの敬老の日の前後に「敬老会」の行事が開かれている。当市では参加資格は平成18年は71歳以上、19年は72歳以上、20年は73歳以上と現在70歳のものは75歳にならなければ参加できないことになっている。統計上の老齢人口は65歳以上であるが、敬老会参加資格はそれより10歳上ということになる。

これは老齢人口の増加により、制限しなければ会場に入れ切れない現状からのようだ。老人と言われたくないという人には有難い制限であるが、それよりも少子高齢化の時代、老人を大切にする政策は医療、年金を含めどうなるのか?それが心配である。自民党総裁選でいつも口を曲げてしゃべるある候補は「小金をもっている元気な老人が多い」と口を滑らしていたが、老人をほめているのか、それとも貶しているのか?どうも心もとない。



sin15 at 19:32|PermalinkTrackBack(0)生活 

2006年09月14日

一房の葡萄

grapeブドウの季節である。その種類は多いが、日本で食用として現在作られているブドウといえば、巨峰、デラウエア、マスカット、ピオーネなどが知られている。先日地元の市場にいったら「キャンベル」があった。これは中高年にとっては懐かしいブドウで、甘酢っぽくて他と一味違う。現在は巨峰やピオーネのような大粒の甘い種無しブドウが好まれ、このキャンベルのような酸味の強いものは敬遠され、北海道、東北でしか作られなくなったようだ。

このキャンベルは米国オハイオ州のG・Wキャンベルが開発した交配主種で日本には明治28年(1895年)に入り普及したといわれる。有島武郎の自伝的小説「一房の葡萄」で、泣きじゃくる主人公(有島武郎)に西洋の美人教師が一房の葡萄を与える場面が出てくる。この小説は小学校の教科書に載ったのでこのキャンベルの甘酢っぽい味と重なり鮮明に覚えている。

ところが彼は明治11年(1878年)生まれであるから、キャンベルが日本に入ってきた頃は17歳になっているので計算が合わない。武郎が手にしたブドウはこのキャンベルではないようだ。ブドウに詳しい研究者の話によると、明治のはじめに「コンコード」という黒ブドウが入ってきているので、彼が手にしたブドウはどうもそれらしい。「コンコード」は現在でもワイン製造に使用されている。



sin15 at 12:26|PermalinkTrackBack(0)自然 | 文学

2006年09月07日

鹿島様と鹿島流し

先日、藁人形道祖神「鹿島様」を紹介したが、今日、知人から秋田市新屋で行われている「鹿島(嶋)流し」の資料をいただいた。この行事は子供たちが小さな鹿島人形に笹巻きを背負わせて自分の息を3度吹きかけて自分の罪障を人形に託して鹿島舟で川に流す行事である。これと似た行事は男鹿、大曲、横手でも行われており、柳田國男の採集記録にもでてくる。

この鹿島船には鹿島大明神の幟(のぼり)を立てて流すのが通例で、厄病、穢れを川を経て大海原に霧散させようとするものである。なぜ鹿島大明神の幟を立てるのか、これは多分鹿嶋神宮へ向かってのものと思われる。

ここでこの「鹿島流し」と藁人形道祖神「鹿島様」との関連である。「鹿島流し」は厄病などを外に退散させるのに対し、「鹿島様」は村境で外からの疫病などを防ぐという対照的な役割を果たしている。

もともと鹿嶋神宮は大和朝廷が東征(蝦夷征服)のときに、この神社の武甕槌大神(タケミカズチのオオカミ武神))に武運長久を祈り出かけたのが始まりと言われている。この神に向かって悪疫退散をするのは理解できるが、いわば東北征伐の神が「鹿島様」であると言う説はおかしいと思っている。ちなみに秋田県内には」「鹿嶋神社」は殆どないのはこの東征と関係あるはずである。

それにもかかわらずこの藁人形道祖神をなぜ「鹿島様」と敬称をつけて呼んでいるのか、理解に苦しんでいるところである。江戸時代、常陸から移封した佐竹氏が伝えたという説もあるがその史料は見当たらない。



sin15 at 19:48|PermalinkTrackBack(0)歴史 | 民俗

2006年09月03日

藁人形道祖神「鹿島様」

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今日地元で「鹿島様」の模様替えがあった。前にもブログで紹介したが、江戸時代より続く民俗伝統行事である。この鹿島様は藁人形道祖神でムラ境で疫病を防ぐために作られたといわれる。身の丈約4m、おそらく藁人形の大きさでは日本一といわれている。頭の面以外は全部藁細工である。その技術を営々と引き継ぎ現在に至っている。一時なぜ鹿島様を作るのか疑問に持つ町民もいたが現在は協力体制が確立している。
 
町内52軒を10班にわけ、当番をきめて実施している(年2回)。当番は藁の確保、完成後の「尚来」(神に御酒をささげ祈願する)、各戸御初穂代500円、欠席の場合は「代納金」2千円を納めることになっている。これは昔から代納の義務を課さないと継続の困難が伴わないのでやむを得ない「掟」である。最近まで女性参加はお金を納める差別が続いていたが、ようやくその差別撤回をしたところである。
 
なぜこれを「鹿島様」というのか、鹿島信仰と関係があるのではないかという人もいるがはっきりしない。これについては小生のHP鹿島信仰特別展3を参照されたい。今日は完成後、町内会で些細な宴会を開き、鹿島様に健康保持、五穀豊穣を祈願し酒を酌み交わした。


sin15 at 18:51|PermalinkTrackBack(0)歴史 | 民俗

2006年09月02日

現代ムラ事情

わが町内は52軒で行政単位でもあり、昔からの村落共同体としての近隣的な相互扶助、祭りなどの伝統行事の連帯行動をとっている。最近は「住民会議」とか自治的な地域づくりを叫ぶ者もいるが、その活動は理念的で地域に定着していない。

昔はムラの統制力は厳しく、「村八分」などムラから除外されるのを恐れた記録が多く残されている。ムラを維持するためにはそのような規制も必要であったのだろう。現代においても近隣とは没交渉に生活できないのでそのような規制はなくても連帯的な精神は今でも残っているように思われる。

町内会長をして7年になるが、昨年予期せぬことが起きた。近隣から迫害(いじめ)にあい町内会を脱退したいという者が現れた。事情を確かめたが自分の思い込みであり慰留したが辞めてしまった。過去の「村八分」の火中の栗を自分が拾ったようなもので、現在、地域行事の不参加など一切町内と没交渉である。わずかに市からの広報などは届けている。

今日、その人物が血相変えて飛んできた。隣家の木にアメシロ(害虫アメリカシロヒトリ)がついて家に入ってきて困っているという苦情である。町内会を辞めたのに町内会長に苦情を訴える可笑しさに彼は気づいていない。「だから町内会を辞めなければよかったのに・・」とつい言葉が出た。

彼が帰った後、すぐにその隣家にその事情を話し消毒してもらうことにしたが、訴えた彼は町内会長に言われたことがいたく気に障ったようである。気に食わぬから町内会をやめる。しかし自分の迷惑は町内会に訴える。そのような身勝手な者がいることに考えさせられた。しかし地域社会のどんな人間も支えていかなければという気持ちもある。町内会長のつらさである。「地域づくり」委員会の「よりよく住みよい地域」をつくるという耳ざわりのよいスローガンはむなしく響く。


 



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2006年08月29日

土蜘蛛とは?

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8月27日、喜多流能楽師、粟屋師一行が秋田大仙市の「唐松城能楽殿」にやってきて能「井筒」、「土蜘蛛」、狂言「栗焼」を演じた。井筒は在原業平と井筒の女の恋物語であるが、動作の少ない井筒の女の語りと、後半業平形見の装束で踊る女の舞が圧巻。粟屋明生の好演である。

半能といわれる「土蜘蛛」病で苦しんでいる源頼光に対して鬼神が蜘蛛の単糸を投げつける。頼光の太刀で傷を負い姿を消すが血痕を見つけ追いかける。この鬼神は土蜘蛛の精魂でさんざん抵抗し単糸を投げつけるが退治される。その投げた糸は舞台いっぱいに広がり驚く。

ただ気になったのはパンフレットの「土蜘蛛」の解説である。「土蜘蛛は古代朝廷に屈しなかった先住民族です。背丈が低くく手足が長く、洞穴に住み狼のような性質、フクロウのよう心をもち、ネズミのように盗むと古い書物に書かれている。文化の低い土着民」

日本書紀や常陸風土記にこの「土蜘蛛」の記述が見られが、大和朝廷に抵抗した土着 の豪族の蔑称ではないかといわれている。決して文化の低い土着民ではない。大和朝廷は抵抗勢力にたいして、「土蜘蛛」のマイナスイメージを作り上げそれが伝承されていくわけである。東北の「蝦夷(えみし)」しかりである。抵抗勢力を悪者にしたてる伝統は現代の日本にも残っているようである。



sin15 at 18:43|PermalinkTrackBack(0)歴史 

2006年08月25日

茗荷(みょうが)を食べ過ぎると・・・

myouga2myouga1わが家の垣根には夏茗荷(みょうが)が成長し、採集しきれないほどでそのままにしてていたら花が咲いてしまった。花が咲くと美味しくなくなるそうだが、亡き母は、この花の部分だけおひたしにして食膳に出し美味しく食べた記憶がある。

昔から茗荷を食べ過ぎると「物覚えが悪くなる」という言い伝えがある。これは、釈迦の弟子に、自分の名前を忘れてしまうほど忘れっぽい人がおり、その男の墓から生えてきた草に「茗荷」と名づけたという伝説があるが、まったくの俗説で、母によるとあまり美味しいので食べ過ぎないようにという戒めである教えられたことがある。それでも別名「鈍根草(どんごんそう)」といわれ、たくさん食べて愚純になった、という昔話が今でも伝わっている。                   

しかし茗荷は冥加に通じ、縁起のよいものとされ、よく家紋に使われている。



sin15 at 19:19|Permalink生活 

2006年08月21日

本荘追分と北前船

今日の秋田魁新報によると、「本荘追分全国大会」(25回秋田県由利本荘市)が行われた記事が載っている。この本荘追分のルーツをたどると、江戸時代この地方を支配していた本荘藩の古雪(ふるき)港は日本海西廻り航路の寄港地でよく北前船が立ち寄ったことで知られている。

その寄航のさい伝えられたのが、信州追分宿の、もとは馬子唄であった「信濃追分」で、これが越後を経て、本荘で「本荘追分」になり、さらにそこから海路をはるばる北海道松前方面まで伝わり「江差追分」になったと言われている。

「本荘追分」は、古雪港の廓などで唄われるうち、独自の変化をとげて、土地の唄として根をおろしたもので、早間の三味線にのった陽気なお座敷唄として謡われたようである。

(キタサー キタサ)
  ハアー 本荘 (ハイハイ)
  ハアー 名物 (ハイハイ)
  ハアー 焼山の (ハイハイ)
  ハアー 蕨ヨー (キタサー キタサ)
  焼けば焼くほど (ハイハイ)
  ハアー 太くなる (キタサー キタサ)
で始まる「本荘追分」現在秋田の代表的な民謡の一つで、全国大会には他県から出場も多く、ちなみに今年の優勝は札幌市の女性であった。


北前船は物資の輸送ばかりでなく、このように文化の伝播の役割を担っている。秋田の北前船の最大寄港地は「土崎湊」(現秋田港)に司馬遼太郎の著書「菜の花の沖」には高田屋嘉兵衛が立ち寄り千石船築造を頼んだと書いている確かな史実は見当たらない。



sin15 at 18:04|Permalink歴史 | 文化

2006年08月17日

日展日本画出品作家湯沢展を見る

eisetu明日まで日展入選作家の名品をそろえた「日展日本画出品作家湯沢展」(秋田県湯沢市)が、湯沢市の湯沢文化会館で開かれている。なぜ秋田の片田舎で開かれているのか。これは数年前、湯沢の七夕の絵灯篭の美人画が当地を訪れた 日本芸術院会員で日展顧問の白鳥映雪さん(94)の目に留まり、それが縁で毎年七夕の時期に開かれている。

白鳥英雪さんは伊東深水の弟子で長野県小諸在住。今年も彼の最高傑作と言われる「羽衣」などを中心に23点、、彼の息のかかった7人の日展作家の作品92点を展示されている。

今日鑑賞してきたが、全体として花鳥風月、肖像画が多く、現代性のある作品が少なかった。伝統ある日展の作品という感じで、物足りなさを感じた。*写真は白鳥英雪作、「十八の舞妓」


 



sin15 at 18:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)文化 

2006年08月10日

秋田地方史研究の歴史と現状

昨日、秋田歴史研究者・研究団体会長の田口勝一郎氏の「秋田県郷土史研究の先人に学ぶ」という講演を聴く機会があった。それによるとすでに明治29年、旧秋田藩士の橋本宗彦が「秋田沿革史大成」を著し、明治41年には佐久間舜一郎の「北羽発達史」が出版されている。すでに明治の後半にまとまった秋田の歴史に目を向けた人物がいたことは驚きである。

なお秋田沿革史大成(2巻)は古書店で15、750円、また 北羽発達史 昭和49年発行復刻版が出ているが、古書店で8,400 円もしかなり貴重で高価な古書になっている。

歴史団体では明治42年「秋田史談会」が真崎勇助、東山多三郎、安藤和風らの手で結成されている。なお特筆すべきは横手郷土史編纂会が大正15年結成され、その組織が営々と継続され、現在横手市郷土史研究会として存続し80周年を迎えたことでるある。地方史研究会としては珍しい。このように見てくると秋田の地方史研究も大学の研究者ばかりでなく地方の好事家、歴史愛好者のよって研究がなされ、多くの民間歴史研究団体が存在している。


 



sin15 at 21:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)歴史 

2006年08月07日

湯沢・七夕絵灯篭祭り

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秋田・湯沢の「七夕絵灯篭まつり」が8月5・6・7日開かれた。この祭りは秋田・秋田藩佐竹南家五代目義安公に、京都の公卿鷹司家から「おこし入れ」された姫君が京都を偲んで五色の短冊をに託し青竹に飾りつけたとが始まりといわれる。

 

この七夕の特色は 期間中、家々では青竹に五色の短冊や吹流し等をつり下げて門前に飾るほか、浮世絵美人が描かれた大・小数100個の「絵灯篭」である。夕闇に浮ぶ美人画は幻想の世界に引きずりこむ。仙台の七夕は吹流しのが中心であるが、湯沢の七夕絵灯篭ははるかに趣がある。写真は湯沢で一番の絵灯篭作家の「絵灯篭」である。



sin15 at 20:10|Permalink民俗 | 美術

2006年08月03日

「石の記憶ーヒロシマ・ナガサキ」展

秋田の夏祭りの先頭を切って「秋田竿灯まつり」が今日から始まった。そしてまもなく「広島・長崎」の原爆記念日もやってくる。そのようななかで秋田大学附属鉱業博物館で「石の記憶ーヒロシマ・ナガサキ」展がひっそりと開かれている。

これは数年前から全国で開催されているものであるが、当時時東京帝大理学部の渡辺武男教授が旧文部省の被爆調査団地学班長として、建材などの被爆状況から爆発の中心や規模を特定する役割を担った。渡辺教授は昭和46年から51年まで秋田大の学長を務めている。(昭和61年死去)

渡辺教授の観察記録「フィールドノート」362冊が、秋田大鉱業博物館に保管されていることが東大に伝わり、東大出版会から石の記憶−ヒロシマ・ナガサキ 被爆試料に注がれた科学者の目が一昨年発行されている。ノートは手帳サイズ。日付や観察記録にスケッチを交えたもので、第1級の資料といわれている。企画展では被爆調査を記録したナンバー68、69のノートも展示されている。ぜひ見てほしい企画展である。



sin15 at 19:45|Permalink文化 | 歴史

2006年07月29日

「みちのく民の語り」

matagi秋田県能代市在住の野添憲治氏(71歳)は新制中学校卒業後、山林や土木の出稼ぎを7年、国有林の作業員しとして働き、苦労の生活を送ったが、その仕事の記録「出稼ぎ少年伐採夫の記録」(1968)を著し注目を浴び、その後、著述者として、県内の農民やまたぎの生活、花岡事件、県内の朝鮮強制連行、秋田の昔話など幅広く秋田の底辺を描いてきた人である。東京ジュンク堂だけで彼の著書が現在35冊扱っている。

その野添さんが今までの著書からセレクション、「東北の民俗」をシリーズ化して、社会評論社から「みちのく 民の語り」全6巻を出版することになり、既に第1巻「マタギを生業にした人たち」が出ている。これは儀礼や禁忌(きんき)を重んじるマタギの習俗とともに、過疎に悩む山間地の現状にも触れた野添さんの代表作である。独力で調査研究をし今でも精力的に活躍している彼の姿には頭が下がる。



sin15 at 20:05|Permalink文化 | 生活

2006年07月24日

わが家の畑は無農薬

namekujiわが家の猫の額のような畑には人並みにジャガイモ、大豆、トマト、きうり、ナス、トマト、パセリ、、とうもろこし、キャベツ、ほうれんそう(収穫終わり)、ささげ、ナンバン、ゴーヤ、ヤーコン、サツマイモ、カボチャ、サトイモ、パセリ、セロリ、と植えている。野菜は自給自足で二人家族で実際には食い切れない。

自慢は無農薬で虫が食った跡がみられるが結構美味しい。現在梅雨が明けず湿気が多く一番番困っているのは、野菜が「ナメクジ」の絶好の住処になっていることである。ナメクジは「蛞蝓」とかくが、「ナメ」は滑らかに移動することから、「滑」の意味があり、「クジ」は野菜に穴を開けたりするので「くじる」から来たとされるが、その語源ははっきりしない。

よく「ビール」が「誘引剤になるというので容器にビールを置き朝見ると確かに死んでいる。しかし何箇所におかなければならの容易ではない。毎日取り替えるとすると人間様が飲んだほうがよいのではないかと考えてしまう。


やはり収穫のとき見つけたら駆除するしかないようだ。今朝キャベツを採ったら十数匹のナメクジはひっそりと葉の陰に隠れていた。それを駆除してナメクジのつかない部分を食べたら新鮮でおいしかった。「虫」つくだけあってその野菜はおいしい。



sin15 at 19:44|Permalink生活 

2006年07月21日

ある無名写真家の死

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地元のアマチュアカメラマンとして活躍していた知人が亡くなった。特に彼は野鳥や動物たち、白鳥、クマゲラ、ヤマネ、オコジョなどを写真に収め私たちを楽しませてくれた。特にクマゲラなどは直ぐ撮れるものではなく何回も現地へで出かけて苦心作である。

県内外はもとより、北極圏の大自然にも魅せられ、夏場には毎年のようにアラスカを訪れた。その精力的は活動は目を見張るものがあった。近年白鳥の家族愛に心を打たれ、映像と音楽と詩のコラボレーション「白鳥の詩(うた)」を制作し発表、多くの人の絶賛を浴びた。白鳥の故郷ロシアでの上演にも意欲を燃やしているとが新聞に載っていたが、実現しなかったようだ。

特に写真団体に属するわけではなく、ある意味で孤高の写真家であった。しかし自然をこよなく愛し、動物の環境が悪化していくのを憂いていた。写真家というより自然愛護家といったほうが適切かもしれない。

トレードマークのあごひげを生やし、小さな目でシャッターチャンスを狙い独力で自然を写し続けた無名の写真家、  最上禄平 享年71歳 合掌。



sin15 at 20:42|Permalink自然 

2006年07月18日

やはり連続殺人事件だった。

今日18日 藤里町の藤里小4年、畠山彩香ちゃん=当時(9つ)=を橋から川に突き落とし殺害したとして、県警捜査本部は、殺人の疑いで母親の畠山鈴香容疑者(33)を再逮捕した。畠山容疑者は2軒隣に住む同小1年、米山豪憲君=当時(7つ)=殺害で、17日に殺人罪で秋田地裁に起訴されており、連続児童殺人事件に発展した。(秋田魁新聞18日)なお秋田魁新報はこのことに関して電子号外を出している。

やはり川から突き落としたのは本当だったわけである。何故?依然として謎は残る。TVの格好の餌食になり、心理学者、元刑事、はては音響学研究者まで動員してその推理をしているがとってつけた説明が多い。

その中で著名な精神病理学の学者、野田正彰氏の説明は説得力がある。「供述が二点三転したことから畠山被告は虚偽性の人格障害と考えられる」分析している。そして「荒唐無稽なことを話すのでなく一定の事実をつなげて話すのが特徴で、つじつまをを合わせる努力をせず、通常なら矛盾していると思われる感覚が並存している」という。そのうえで、「言動に一貫性がないのでこのような親がいる子どもは振り回されて苦しむ。若いころに上辺を装いながら他人に取り入ったり、その場をやり過ごすといった生き方を身につけたのだろう」と指摘している。(毎日新聞18日)

人格障害としても神を恐れぬ殺人行為には慄然としてしまう。そして、一貫性のない言動に振り回されながら母から離れずに生きてきた彩香ちゃん、そのとばっちりをうけた豪憲君が犠牲になったことに、むどさかないという秋田方言がでてしまった。

*むどさかない=かわいそう



sin15 at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)生活 

2006年07月16日

娘を突き落とした?

 秋田県藤里町の藤里小1年米山豪憲君(7つ)殺害事件で、殺人容疑で逮捕された畠山鈴香容疑者(33)が、能代署捜査本部の調べに対し、4月に水死した長女彩香ちゃん=当時(9つ)=を「橋から突き落とした」などと供述していることが15日、分かった。動機は「娘が邪魔になった」と話をしているという。(16日秋田魁新報)

今まで家庭での恵まれない境遇、父親の家庭内暴力、高校時代のクラスメートが文集に寄せた罵詈雑言、地域社会での孤立など居場所のない彼女にある意味で同情を寄せていたが、事件がおきてからの彼女の虚偽の言動に唖然としてしまう。チラシまでだして自分の娘は事故ではないかと泣き叫んだ彼女が自分の手で川に突き落とすとは?

以前から精神不安定で薬を飲んでいたようであるが、今までの演技的行動は彼女の心性のどこに起因しているのだろうか。白神山地の霊験あらたなお山の神々も決して彼女の行動を許しはしないだろう。人間として悲しいことである。

 



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2006年07月12日

シャッター通り寸景

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地方都市の中心街の衰退振りは目に余るものがある。半分以上がシャッターで店が閉じられている。商店会などはそれなりの工夫をしてイベントを開催しているが集まるのはそのときだけでそれが終わると閑古鳥である。行政もそれなりの努力をしているが成果が上がっていない。

今日、そのシャッター通りで写真のような光景に出くわした。中高年層の女性たちが閉じられた店の前で自分たちの畑で作った野菜や漬物を売っていた。しばらくそれを見ていたが通りすぎる人影が見えない。それでもじっくり腰をを据えて世間話をしながら客の来るのを待っていた。

このような人たちを集めて定期市を開かれないのか。日本の中世の商業はこの市から始まったのである。原点に帰れ!



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