2012年02月10日

小淵沢発 新米田舎暮らし 《テレビの音声》

何とか、様々な疑いを払拭し、この歳まで命を永らえ、テニスもこなしていける身体を、有り難いと思う。両親から授かった肉体である。父は90、母は92歳まで生きた。だからと言って、自分がその能力を授かったかどうかは分らない。
然し、唯生きただけでは何の価値も無い。生きている内に出来ることは何か、何時も考えているのだが、お釈迦様ではない身に、いい考えは浮かばない。

今の体調を考えるに、骨が固くなった。玄関に降りて、屈んで靴を履く。そんな動作が不安定になった。手摺に摑まる、など若い頃に想像もしなかったが、今では手の方が自然に動く。普通の動作をしていても、肘でどっかを引っ掛け、物を落として割ったりする。筋肉だか、神経だかが不活発になってきたのだろうか。

それは置き、差し当たって、目下老化を感じるのは聴力である。耳鼻科にも行った。検査で聴力の落ちているのは歴然だった。何とか回復しないものか医師に訊いてみたが、如何なる処方も持っていないようだった。では、現状を維持出来ないか?これにもノー・コメントだった。
耳が遠くなって困ったのは、テレビの音声だ。それも、人間の声だ。音楽などは、聞こえていればいい。ところがアナウンスメントや台詞が困る。ちゃんとしたNHKのアナウンサーなら問題は無い。
問題は、テーブルに並んだタレントなどが一斉に喋り捲る番組だ。以前なら、何の問題も無かった。ところが今では、声が重なると聞こえ難い。

それと、ドキュメント番組など、解説ばかりだと、ナレーターが深刻振るのか、勿体をつけるのか、声を殺して、囁くように喋る場合が多い。BGMもあるので、聞こえ難いこと甚だしい。
又、日本のドラマは、ラジオ放送の名残か知らないが、役者の喋りの合間に、オフで“ナレーション”が大事なところを皆解説して仕舞う。本来なら、それも役者の台詞や映像で説明すべきなのだが、あの“ナレーション”はドラマ制作者としては狡い方法だ。手抜きだ。
外国の映画やテレビドラマを見ていても、間をナレーションで誤魔化す手法を取る所は無い。日本の放送ドラマ独自の悪癖と思うのだが、テレビ局などはどう思っているのだろうか?芝居では、場面転換でも観衆は何ら苦労なく即いて行けると言うのにだ。

解説文を喋るのは、歴としたナレーターと称する専門家である。彼らは、耳から明瞭に伝えるのが技術の筈だが、声を作り過ぎて聞こえ難い。テレビの宿命として、映画館と違い、様々な音が周りに氾濫している中で、それを考慮してレベルなどを按配しなくてはいけない。コマーシャルばかり良く聞こえるのは、勘弁ならない。
台詞には、囁くこともあろう。舞台役者は、囁き声も天井桟敷にまで聞こえるような工夫があると聞く。

老人の視聴者のために、テレビ局にお願いしたい。ドラマの肝心な流れを、ナレーションで済ませようと言う魂胆を捨てて欲しい。そのナレーター諸兄、諸姉には、思い入れかも知れないが、視聴者に聞こえているかどうか、プレビューでチェックして欲しい。タレント番組では、アナウンサーまで一緒になって、他人が喋っている声に被さってまで発言しないで欲しい。
そう言えば、CMではそういう場面は無い。多分、広告主が、自社のメッセージがきちんと伝わるかどうかチェックしているからであろう。


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2012年02月09日

小淵沢発 新米田舎暮らし 《Thank you》

テニスのグランド・スラム(slamとはコントラクト・ブリッジで圧勝すること)などのテレビ放送を見ていると、白熱したゲームで観客が大声を上げたりして応援するため、選手が次のサービス動作に中々入れないことがある。初っ端のサービスから駆け引きは始まっているので、選手は精神を集中させなければいけない。
昔のテニスの試合は、観客の拍手の他に声を発することはなかったのだが、最近では声を出しての応援を平気でやるようになった。其処で、審判がそれを静止することになる。日本でなら差し詰め『お静かに願います』と言うのだろうが、向こうでは単に“Thank you
 !”である。フレンチ・オープンなら“Merci !”である。

「一寸待ってくれ。
Quiet, please !”とでも言って、静まってから“Thank you !”じゃないのか?」と日本人なら思う筈である。
そう、毎日トーナメントだったか、昔のことで定かではないが、ある日本人審判が、その『お静かに願います』の意味合いのアナウンスを日本語でした後、“Thank you
 !”とやった。何で、其処だけ英語なの、と観衆は爆笑し、暫しサービスが出来なかったのを思い出す。
確かに、厳密に言えば『静かに!』そして『有難う!』である。でも、其処まで言わなくても分るので“Thank you
 !”で済ますのだ。

竹村健一氏も書いておられたが、ロンドンの二階建てバスで、後ろの方で矢鱈“Thank you
 !”が繰り返される。振り返ってみると、車掌が切符の検札する声だったそうだ。『恐れ入りますが、切符を拝見出来ませんでしょうか?』など、かったるいことは言わないのである。渡仏した著名な日本人画家に依ると、「俺はMonsieur(ムッシュー)Madam(マダーム) だけでパリ生活が出来た」と豪語した。
ヨット、マーメイドでアメリカまで太平洋を横断した堀江健一青年(この人は幾つになっても“青年”の呼び方が似合っている)も、“Thank you”と“How do you do
 “しか知らなかったそうだ。フランスなら” Merci(メルシー)“と”Pardon(パルドン)“も必要だろう、と思う。
ところが、地下鉄の入口で、前を行く人がドアを抑えていて呉れたとする。そんな時も、”
Monsieur(ムッシュー)“か”Madam(マダーム)“で済んで仕舞う。

お店に入ると”
Can
t I help you ?“と言いながら店員が寄って来る、とトラベル英語の本に書いてある。でも、実際には”Yes, madam ?“又は”Yes, sir?“だ。
Good morning“と言えば、「お早うございます」と思っていると、アクセントに依っては「左様なら」にもなるのでご注意あれ。

1152763空港
「海外旅行の魅力 フォトライブラリーより」

外国語を学びたい、と言う気持ちは日本人には強い。海外旅行には外国語の習得が欠かせない、と思ってしまう。だけど、実際には本当に少ない単語で足りるし、その単語の使い方を知らないで、難しい言い回しばかり覚えようと、無駄な努力をしては居ないだろうか?


sinmaiinakagurasi at 21:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!旅行 | 知ったか振り

2012年02月08日

小淵沢発 新米田舎暮らし 《元気玉プロジェクト》

毎度、NHKに纏わる話で申し訳無し。早速、今日の“あさイチ”だが、福島県飯館市の児童らが、卒業式をやっていないことを知った若い俳優らが、教育委員会を通じ、ユニークな卒業式をプレゼントした、と言う話である。

2049753卒業式
「卒業式のイメージ。フォトライブラリーより」

彼らならではのコンサートやタイムカプセルと言った企画を交えたものだったそうだ。彼らのは『元気玉プロジェクト』と言うもので、ネットで企画を公表し、賛同する人たちから小額の寄付を集めてやったのである。

思えば、今度の大震災への寄付も、どう使われたか、そもそも使われたかどうかも判然としない有様だ。寄付行為は、自己満足と言ってしまえば身も蓋も無いが、行ったきりで何の反応も無いと言うのでは、やる気が殺がれる。

そこで、ある事業を始めたいが、資金の無い人がネットに計画と目標金額を示す。その事業を応援したいと考えた人は、ワンコイン、500円からの寄付をする。寄付金が目標額に達すると、その人のところに寄付金が届き、事業が動き出す。その経緯はネットで公開され、寄付した人は事業主と共に成果の喜びを分かち合うと言うものだ。事業主には返済や配当の心配は無い。

寄付と言うものは、本来匿名でやるもので、見返りは一切求めない、と言う考え方も確かにある。
然し、中には匿名であっても、例えば「あしなが育英会」と言った、特定の人に寄付が確実に渡るタイプもある。仮令、寄付する人が誰か先方に分らずとも、それはそれで義務感、奉仕の精神などを満足させる。
そう、ジーン・ウェブスターの小説に出て来る「あしながおじさん」は大富豪で、彼方此方の学校に寄付をし、苦学生に教育の機会を与えている人、と言う設定だった。だから、飽く迄も匿名“John Smith”を通していたのだ。

話が逸れたが、相撲界での谷町も、贔屓の力士に金銭面で応援する点では、矢張り無報酬の寄付行為である。今では、サッカーには“サポーター”という支援者群が付いている。昔から、芸術家にはパトロンが付き物だったが、パトロンはイコール大金持ちであった。
又、通常寄付となると、一口10万円とかの金額になるし、日赤やNHKに郵便為替で送るとなると、小額では窓口で体裁が悪かったりするものだが、『元気玉プロジェクト』は500円以上なら幾らでも良いので、気楽である。あっちにも、こっちにも、と言う大判振る舞いも出来よう。珈琲一杯飲むのを我慢して、誰かの役に立ちたい、と言うのもこれからの寄付の在り方かも知れない。アメリカから始まったそうだ。

そこで思い出す話がある。1988年のソウル・オリンピックだが、アジアでは日本に続く開催であり、その前のモスクワ、モントリオールなどでボイコットが続いたりしたので、久々の、全世界から選手団が集まった大会となった。そこで、カナダの酒造メーカー、シーグラムは、アメリカでのワインクーラーの販売促進に、秘策を考え付いた。
それは、『オリンピック選手の家族をソウルに送ろう』と言うキャンペーンである。商品を買って、レシートとバーコードをメーカーに送ると、それに応じてメーカー、つまりシーグラム社が一定額をキャンペーンのために寄付する仕組みである。
選手は官費で派遣されるが、家族は自費である。家族の応援は一番の励みとなるのだが、どの選手の家族もおいそれと、あご足代(あごは食費、足は旅費)が調達出来る訳ではない。借金して拵えたり、テレビで我慢せざるを得ない家族も当然居る。
シーグラムのワインクーラーを自分が買えば、それが多少なりともそうした家族の支援になり、選手達が家族の見守る中で頑張れば、アメリカにメダルが余計に入るかも知れない、と言う期待でキャンペーンは成功したそうだ。
物質的な恩恵には飽きが来ている中で、精神的な満足感を得させようと言うものだ。『元気玉プロジェクト』の考えたことも、きっとそうであったに違いない。


sinmaiinakagurasi at 17:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!生き方 | 時事通信