新米田舎暮らし

八ヶ岳南麓の暮らし 紹介 世の中の懸案事項を掘り出しましょう 日本人から「卑怯」を恥とする心根を広げましょう

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「我が家から赤石山脈方面を見て居る。鋸岳、雨乞岳等が釜無川を挟んで七里が岩ラインの崖から此方八ヶ岳南麓裾野に続いて居る。其の間に湧き上がる雲は釜無川の水面から立ち上がったもので、川上に向かって流れて行く。梅雨の雨雲は太平洋、東支那海の海面からの水蒸気に加え、日本列島の森林や河川から立ち上る水蒸気が冷やされて雨雲となるのだ」

コロナと言い、九州を始めとした梅雨の集中豪雨、線状降水帯での洪水、土砂崩れの被害は甚大と為った。
不可抗力と言う言葉が有るが、『外部から発生した原因の為、通常必要とされる注意や予防方法を尽くしても、尚損害を防ぎ切れないこと』を言い、洪水、台風・突風、地震、雷、津波、地滑り、火災、火山爆発、伝染病、海難、戦争、大規模騒乱などが有る。だが、夏の高気圧が弱く、北上しない為梅雨前線が停滞することは経験もし、予期出来ることでは無いか?

其れは置き、不可抗力の中で自然災害は我が国では通常起こり得る。国は国民の生命、財産を守る義務が有り、不可抗力にも対応しなければならない筈で、其の為に各自治体には警察、消防、保健所などが有り、国には自衛隊が有る。
其れ以外に重要なのは被害者への経済的支援である。然し、憲法の何処を探しても自然災害への経済支援は謳って居ない様だ。生存権として憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に含まれるのかな、と推測するだけだ。更に絞れば、その中の公的扶助かと思うのだが、其れは生活保護法が主体で在って、災害被害補償とは別物だ。

では一体、政府はどの法律に基づいてコロナでの自粛への救済として、国民一人当たり10万円の補償金を出せたのだろうか?国会の議決と言うだろうが、憲法に定めの無い事が国会で通るのだろうか?
自粛を要請されたために収入が減った企業に対しての現金支援も在る。企業への融資に応える金融機関へも当然支援が必要だ。
だがこうした支援に応えるだけの予算の準備は無く、補正予算に成る。其れとて税金から出資するとなると無尽蔵には行かない。税収は毎年余るのではなく、足りずに国債を発行し続けて居るのが現状だからだ。

如何すれば国民の生命、財産を守って行けるのか、社会的インフラ(生活基盤)を整備出来るのかを考えなければ成らない。インフラには「産業基盤」、「社会基盤」、「通信基盤」、「交通基盤」等が有る。

是迄、「リバース・モーゲージ(reverse mortgage)」や「ベーシック・インカム制度」をブログで採り上げて来たが、どちらも結論に至らず、中途半端に終わって居たことをお詫びしたい。元より小生には荷が重かったことが一番の理由である。
リバース・モーゲージは高齢者が対象で、自治体毎に制度が異なり、制度そのものに必ずしも理想通りに行かないことが分かって来たことが有る。
ベーシック・インカムは予算の規模が大きく、現実的には難しいことが挙げられる。

いずれにせよ現状では所得税、法人税、資産課税で国家の財源が賄われて居るが、其れに新たな消費税の割合が大きく成って来た。斯の消費税は二重課税であると小生は考える。其れが許されるとなると、将来「消費」という文言を変えれば、例えば不動産所得などにも範囲を広げることが出来る様に成る惧れがある。
「働かざる者食うべからず」と言う言葉が有る様に、抑々働くと言うことは家族が食べて行く為の金を得る為の刻苦・苦行であり、其れに税金を課すことが本来理不尽なのだが、いざ食べる(生活する)段階で追い打ちをかけて消費税を課すのは間違って居ると考えざるを得ない。フランスが発祥だそうだが、多くの国が実施して居るから日本で遣っても好い、と言う理屈は通らない。

国家が生活の場を提供し、収入の道を拓き、教育と娯楽を提供し、安全を確保する等国の福祉を享受して居る事への報償、見返りとして収入額に応じて個々人が負担する税金なら解る。だが、其れ等が万全であるとは誰も信じて居ない。
例えば国が高速道路を作る。其れを利用することで商売上利益が上がるとか、旅行が便利に成った等、恩恵を受けた立場の者が利用税として支払うなら文句は無い。国が電力を供給し、其れを利用し商品が生産出来、電灯で夜でも読書が出来る等の恩恵を受けた者が利用税を払うなら納得が行く。
斯の様に、国家の福祉に対し、個人・法人が報償を税として直接納めるなら話が分かる。

ところが実際は、社会福祉の殆どは民間企業が行って居て、利用税に当たる料金は当事者が民間企業に支払う仕組みに成って居る。詰まり受けた福祉に対し、夫々の民間企業に料金として支払い済みなのに、何故国や自治体に税金を払わねばならないのか?
國は税金の正当性を明確にし、不公平なく、恒常的に、尚且つ人口や生産性に比例して接収出来ることが必要であり、その使い道としても平等で、国民の福祉に貢献し、生産性を挙げるに役立つことを目的としなければ成らない。

其の為に、累進課税が平等の精神に合致すると成って居るが、では何に如何課税すれば良いか、考え直す必要を感じる。



他県への移動が自粛の対象と成ったこともあって、田舎暮らしも影を潜めて居たが、そんな最中感染者の多い都会から地方に逃げたいと言う人が現れて来た、と不動産業を営む友人の話。処が、先方の注文は今直ぐ住める家が500万円以下で手に入らないかと言うものだったそうな。彼は幾ら山梨が田舎だとは言え、その金額で土地付きの家は無いと断ったそうだ。余程山奥へ入るならば別だが、生活圏ならば土地代は兎も角、家までは考えられない。

「馬鹿にしないで貰いたい」と彼は言いたかった処だろう。然し、考えてみるとマスコミが田舎暮らしをそうした面で見ていることも事実だ。マスコミの狙いは読者に興味を持たせることで、嘘八百で有ろうと無かろうと煽情的(センセーショナル)に描けば読者が満足することを知って居る。民放では多分500万円で家付き土地が手に入ると宣伝し、其れを真面に受け取る視聴者が居たと言うことになる。

彼等の関心は田舎の土地の安さであり、マスコミや広告は其れだけを強調する。中には「月10万円で暮せる」とタイトルでぶちあげ、餌に食らいつくおっちょこちょいを吊り上げようとする。田舎で10万円で暮らせる人なら、都会でも10万円で暮らして行ける人だ。
田舎暮らしを扱ったテレビ番組も幾つかあるそうだ。視聴者を掴む為には良いことしか採り上げない。視聴者が「そう言うものか」と思ったとしても、嘘ややらせでない限りテレビ局に責任は無いと言い張るだろう。

人が何か新しいことを始める時、先ず情報を集める。其の対象は書物であり、新聞、テレビ、広告と言ったマスコミもそうだし、家族や知人の意見であったりする。「下手な考え休むに似たり」と言う諺が有るが、情報を集め過ぎるのも考えものである。集めた情報が役に立つか否かを斟酌し、自分の遣りたいこととの整合性を判断し、長所と短所とを秤に掛け行動に移す。長所のみを採り上げたり、逆に短所ばかりに目が行く様では正確な、賢い選択は出来ない。物には一長一短が在ることを常に頭に入れて置く冷静さが必要だ。

田舎暮らしを考えた時、長所として土地代の安さが有ることは否めない。場所に依っては都会の百分の一、或は其れ以下だって在る。其れと言うのも都会の土地が高過ぎるのだ。
日本人の年収の中央値(平均値では無い)は360万円である。尤も、此処で言う年収がサラリーマンを対象にして居るのか、自営業者も含まれるのかは不明である。又、非勤労者(例えば年金受給者、未成年者等)が含まれるかどうかも不明であるし、個人なのか家族単位かも明確で無い。ネット上のデータは其れ等の条件に触れて居らず、実にいい加減だから、ネット情報は鵜呑みには出来ない。(ブログを書きながら、間違って居ないかどうか絶えず気を配って居るので、執筆に時間が掛かる)

いずれにせよ、都会で坪100万円の土地を50坪買おうと思ったら5000万円掛かり、360万円の年収を丸ごと叩いても14年掛かる計算だ。実際には年収360万円の人は税金と社会保険とを差し引いた手取りは283万円なのだから、実際には18年は掛ることになる。
詰まり一般市民が都会で土地を手に入れることは現実には出来ないと言うことになる。個人での土地所有が叶わないので、狭い土地に高層マンションを建て、土地代を各戸に割り振って凌ぐのだ。

仮に坪単価1千万円の土地千坪に40階建てのタワー・マンションを建て、500戸の世帯が入れば、1世帯当たりの地代は2千万円に成る。専有面積が25坪とすれば2億5千万円の土地代が8%で済むことに成る。こうして、高額な土地代の都会でも人が住める様に為るのだ。とは言え、こんなマンションでも購入には2億円程掛かるので、とても一般市民が住める所では無い。

コロナ然り、唯でさえ災害国日本では何時職を失い、商売が破綻するか分からない中で、ローンを組んでマンションや建売住宅を購入しても返済が出来なく為る懼れは附いて回る。
其処で地方に住居を移すことを考える人が増えても不思議では無い。コロナを良いことに、早くも住宅建築業者、不動産業者或は自治体が動き出した。此処でも地方の最大の売りは土地代が都会に比べ格段に安いことだ。自然が、景観が、人情が、菜園がは如何でも良いのである。

マスコミや広告で「田舎暮らし」に「地方=過疎地」を刷り込まれて居る人が、土地や家を買って遣ると言う意識で乗り込んで来て、地元不動産屋を値切りに掛る。土地と中古物件を見、粗を探しては値切ろうとする。売主も、仲介する業者も其れは承知で値段を付けて居ることに思いが及ばない。物件には相場と言うものがある。其れを一番知って居るのは不動産業者である。売値は確かに売主の要望に違いないが、其れを決めるには業者との遣り取りを重ねた後なのだ。

誰しも掘り出し物を狙いたい。相場より安い物件は在る筈だと思う。処がそんな物件なら業者が先に買って居る、と言うものだ。
文楽や志ん生の十八番、落語の「富久」で、幇間の久蔵が富籤を買わないかと誘われ、相手に「どんな番号が当りましょうかね?」と探りを入れると、「其れが判れば私が買ってますよ」と往なされる様なものだ。
と言うのは、中間省略登記(2007年に改定)と言う制度が有って、売主Aから不動産業者Bが買い、Bが実際の買主Cに売るのだが、Bの登記を省略すると言うものである。是だけでは何のことか分からないだろうが、相場を意識しつつ不動産売買を成り立たせる方法だと思って居る。まぁ一般の人が知らなくても損をすることは無い。

都会でも田舎でも、生活費に掛かる金額に然したる差が有ろう筈が無い。地方なら電気代が安いとか、年金が倍になるとか、健康保険に割引が在る等と言うことは金輪際無いのだ。寧ろ、電気、水道を自費で引いて来ないと成らなかったり、スーパーへの買い物、駅へ行くにも車が必要だったり、都会の様には行かないのだ。小生が小淵沢に移住して最初に驚いたのは、バス停の時間割に1日3便と有ったことでは無く、週に2日の運行だったことだ。
道路だって舗装が無く、道普請や道路掃除は自分等で遣らねばならない。都会と違って自治体は予算の規模が小さい。行政には頼れず、何もかも住民が遣る。其れに慣れないと地方では暮らして行けない。都会から来た住民は、何でも行政が遣って呉れるものと思って居て、地元の人の顰蹙を買って居る。

何だかんだと言っても、都会人が地方に住もうと言うのは歓迎である。ご本人も住んでみれば、不便は有っても此方での暮らしが余程人間らしいと思って呉れる筈である。草毟りは大変だが、一寸でも庭が有ればどんなに気が休まることか!外で犬も飼えるのだ。広い空を仰ぎ、遠くが見晴らせるのは気分爽快である。道をすれ違う人は滅多に居ないが、知らない人にもお互いに挨拶を交わすことは都会では在り得ない。
田舎でも少子化であり、老齢化は即ち人口減少だ。人口が多いのも厄介だが、少なければ経済が発展しない。商売が成り立たなければ、商店も、スーパーも寄り付かない。益々人が減る訳だ。

都会の人が田舎暮らしを目論んで物件探しに地方を訪れても、値段は兎も角、中々気に入った土地が見付からなかったりする。小生も土地探しには半年以上掛った。尤も、懐具合が大きな理由だったが・・・・。
地方には土地が余る程在る。売りに出て居ないだけなのだ。其れが証拠に、耕作放置地や原野、山林は其処いら中に在って草ぼうぼうの有様である。草を通り越して雑木林に成った田圃も在る。

日本中の土地は誰かの所有に成って居ると言う。勿論国有地、県有地なども有るだろうが、中には所有者が不明で放置されて居ることが多い。其れは相続であやふやになった例が多いそうである。

友人の一人は立派な家に住んで居るが、大工に言わせると「元の山林がこの様な住宅地に生まれ変わるとは思わなかっただろう」。家に依って土地は化ける。
別の友人は、散々物件を探し回って、或る時車を停め「こんなところに住みたいね」と神さんに話し掛けた。すると畑で鍬を振るって居た農夫が「売りましょうか?」と言って名刺を差し出したそうだ。其れには〇〇不動産と書かれてあった。
我が家も以前は赤松林だったし、もっと昔は桑畑だった。
ユートピア(utopia)は「何処にも無い場所」と言う意味だそうで、見付けた場所を自ら開拓して理想郷に仕立てなければ成らない。

小生自身は、土地が個人の所有であることに疑問を持って居る。領土と言うものは本来国に属し、全てが国有地であり、民間人は企業も含め国からの借地を利用すると考えては如何だろう?そうすれば都会の馬鹿げた土地代も解消し、地方の過疎地も活性化するだろう。
国家予算は借地料で賄え、所得税、法人税は無くなり、経済は今以上発展するだろう。其のことは、封建主義や共産主義、今の自由民主主義とも違った新しい思想を生むだろう。














非常事態宣言が解除され、じわじわと感染者が増えて来た。想定されたとは言え、店舗の営業自粛、オフィスや工場での出勤者制限の要請、海外との人と物との交通遮断等に因り経済は停滞し、倒産、解雇が雇用不安を増長し、解除と共に自粛の反動が出て居る。やっと息を吹き返せると皆が思った。斯の流れは政治家では止められないだろう。日本政府に強権は持ち合わせて居ないからだ。

新型コロナは生物では無いと言う。生物でなければ、生きる為の栄養素は必要無い。では如何して繁殖するのか?人間の体内、肺の中で増殖し、其れが体外に排出することで他の人が感染し、その体内で様々な症状を起こしながら温存されると考えられる。小生には生物で無いものが如何して増殖するか理解出来ないが・・・・。尤も、放射能だって人間の体内で悪さをする。似ては居るが、放射能は人に感染させないだけ増しか?

唯、我々の身体には抗体が在る。抗体は免疫グロブリンと言う蛋白質で出来て居る。其れが体内に侵入して来た異物(細菌やウィルス)に結合し、貧食(むさぼり食う)細胞であるマクロファージや好中球を活性化し異物を除去するのだそうである。
ワクチンは病原体を殺すか、弱くしたものを接種することで体内に抗体を作り、免疫性が備わり、新たに侵入する病原体に直ちに対応出来ることで病気に罹り難くする。

今度のコロナウィルスに適合したワクチンが出来るかどうか不明だが、コロナの抗体が抗体検査の結果体内で出来て居る以上、コロナを殺すワクチンは出来る筈である。其れ迄は、コロナウィルスを体内に侵入させない予防策で対応するしか無い。
その結果編み出されたのが「三密」、「消毒(石鹸を含む)」なのだが、其れを効果有らしめ様とすれば経済活動が制限され、精神的満足度が削がれる。
田舎では道を歩いて居ても他人に会わないが、都会では三密状態で、其れを避けるには自宅に籠り、仕事場へ行かず、テレ・ワークで熟せるものは熟さねば成らなかった。

其れが自粛解禁と同時に、東京に隣接する山梨では来県者がどっと増えた。山梨は都会人の別荘が多い土地である。放って置かれた別荘の状態を確かめる為も有ろうが、庭の草刈、庭木の剪定も気掛りだろう。何処へも出掛けられなかった家族に罪滅ぼしもしたい思いも分からんでは無い。山梨は一時10万人当たりの感染者が一気に全国三位に跳ね上がった時期もあった。

地方自治体では観光客誘致が至上命題と捉えられ、知事や市長の選挙では其れが謳い文句である。実際、東南アジアの経済が発展した時期と重なり、治安の良さと清潔さから日本が選ばれたのか、海外観光客がじわじわ増えた。お蔭で観光地と観光業が潤ったのは事実だ。然し観光に頼った分、コロナで一気呵成に窮地に追い込まれたのである。

名所旧跡の名前に負ぶさって棚から牡丹餅で稼げたのだったが、所詮は砂上楼閣である。箱根饅頭の如く、全国の観光地に在る饅頭、団子の類には知恵も努力も見られない。其れで居て「元祖」争いは笑止の沙汰では無いか?
政府は海外観光客目当てにカジノで一旗揚げようと企むが、愚の骨頂としか思われない。どうやら韓国に先を遣られたのが政府を後押しした様だが。安直な考えは後で吠え面をかくのが落ちだ。

カジノと言えばモナコを思い出す人が多いが、カジノ経営のSBM社は赤字で、国家財政への貢献は全く無い。タックス・ヘイブンに就いても税務執行共助条約他にも参加して居て現在は無い。観光産業の他、化粧品関連と化学薬品とで国民総所得では世界で最も裕福な国(2018年現在の国民名目GDPは$184,808で1位)、財政余剰の基金はGDP一年分に当たる額を積み立てて居る。人口3.5万人のモナコがカジノを見限って是だけの経済効果を上げているのに、なぜ日本が韓国に追従しなければ成らないのか、実に不甲斐無い。

コロナでは副産物として、テレ・ワークが実証された。是からの若い人は否が応でもコンピューターに精通して居なければ役に立たないし、現に然して苦労も感じないで斯の世界に馴染んで居る。行き着く先は都市集中が緩和されるかも知れない。従業員が在宅のまま仕事が出来るならば通勤の苦労と時間の節約になる。企業には立派なオフィスの必要が無くなり、経費節減と成ろう。本社が地方に在っても一向に差し支えないことも考えられる。

都市集中は土地の高額化を招き、市民にとっては住宅費が生活費の大半を占め、嘗てのエンゲル係数の元に成った飲食費に取って代わった。土地代が高額な為、高層マンションが出来、是は単身者、乃至は少人数の家庭向きが専らである。言うならば核家族が対象であって、子供が二人以上とも成ると早速困る。二世帯、三世帯の暮らせる住居では元より無い。

核家族では親の面倒は看ない。施設(他人)任せである。その逆もある。若い夫婦は親の助けが頼れない。此方も子供は施設任せに成る。住む所が違えば、親から子へ伝わるべきものが伝わって行かない。その中には教育、躾の面で揺るがせに出来ないものがある。老人には孫との接触が少ない。詰まり核家族は人間らしい生活から食み出すものなのだ。極端なことを言えば、都会生活は働く場が中心で、家庭は単に寝に帰るだけの存在に成り兼ねない。言うならば塒である。

其れを何とかしようとすれば、亭主の単身赴任と言うことになる。我が国の企業には転勤と言う可笑しな制度が在る。中には二年、三年で転勤させる会社が在る。銀行等金融関係の会社に多いが、癒着防止の理由からだそうだ。癒着防止と言うが、得意先、下請け業者と癒着する程信頼関係が深まることは益こそあれ、損は無い。癒着はその言葉の中に賄賂が含まれるからで、其れさえ防止出来れば良いことでは無いか?談合だって本来の意味は「話し合い」で、悪い意味は無かった。
折角社員が築き上げた得意先、下請け業者との信頼関係を棄てさせ、新天地で又一からやり直すのは本人にとっても企業に取っても大損で在る筈だ。

関東大震災、及び東京大空襲で都市改造の機会を逃してきた東京だが、このコロナを切っ掛けに生活の仕方と都市構造を考え直すのは如何であろう?




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