新米田舎暮らし

八ヶ岳南麓の暮らし 紹介 世の中の懸案事項を掘り出しましょう 日本人から「卑怯」を恥とする心根を広げましょう

選挙戦闌である。山梨では選挙公報が18日になってやっと配達された。本来なら公示日には届いて居なくてはならない筈だ。そうでなければ期日前投票の意味が無かろう。
田舎に居ると、この選挙公報とNHKの政見放送しか情報が無い。
各党の政策を見渡した処、希望の党だけが「ベーシック・インカム制度」を導入し、低所得者層の可処分所得を増やすと言って居る。

通常「可処分所得」と言う時は、収入から諸税を支払った後に手元に残る金額のことだ。だがこの場合は、諸税の他にも食費、衣類、家賃などの生活費をも含めて居ると思える。ベーシック・インカムとはそもそも最低限度の生活が成り立つ(ベーシック)ための生活費(インカム)を国家で保障しようと言うものだ。従って、働いた分は可処分所得として自由に使える。

例を挙げれば、三度の食事はベーシック・インカムで賄えるが、其処に働いた収入で子供のおやつが買って上げられること、と理解出来よう。今迄1LDKに暮らしていた家族が、働いて得た収入で2LDKのアパートに移れ、人並みの暮しが出来る様に成るのである。
働けば働く程その可処分所得は増える。その可処分所得には所得税が掛かるが、其れは現在も在る累進課税に依って、所得額に応じた負担をする。

言ってみれば、「ベーシック・インカム制度」とは、国民の生存権を確立する制度である。現在の憲法では、第三章の「国民の権利及び義務」の十五番目にやっと現れる。即ち、「
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」のであって、此処で言う「権利」とは、「資格がある」と言うだけで実に曖昧、且つ頼り無い。

「資格がある」と言えば”ゴルフ会員権“を思い浮かべる。ひと頃は億単位も在ったが、暴落した今でも1千万円を超える処が在るそうだ。其の権利は、割安でプレーが出来たり、クラブ内競技会への参加資格が有る程度のもので、ゴルフ場の株主でも無く、不動産として一坪の土地も所有はして居ない。況してやゴルフ人口が減ったり、閉鎖でもされ様ならば唯の紙切れにしか為らない。

憲法に戻ると、権利は主張しても闇と消えるものと相場が決まっている。現に第2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と努力目標にも似たものが書かれているに過ぎない。
今回の選挙でもそうだが、票集めの為に子育て支援だとか、教育無償化を、どの党派も看板にはして居る。目指すと言った以上、多少の数字が上がり、実績を作る程度のことは遣るだろうが、飽く迄も努めている様な振りをするだけだ。

今や少子化を抱え、子育て支援が問題に成って居るが、其れはゼロ歳児からの保育施設を作ることを意味する。抑々ゼロ歳児を施設に預け、家族が外に働きに出なければ生活が成り立たない状況が異常なのである。
男女平等、女性の社会進出が当たり前で有るかの如き風潮を政府が煽るが、其れには子供を犠牲にして居る、との批判が出て来ない。子供が可哀そうではないかと言う声が、有識者からも聞こえて来ない。

最近都市部を歩き回る機会があった。小生の目が向かったのは、街を家族に連れられて行く赤ん坊や幼児である。田舎には珍しい光景なのだ。乳母車、抱っこ、おんぶ、手を繋ぐ等、年齢に応じて形態は様々だが、いずれも両親、祖父母らに子供達は守られて街を行く。
哺乳動物の中でも、人間は一番自立が遅い。歩ける様になった子供でも、嬉々として保護者の手に縋る。其れは親子の絆でも在り、愛情表現でも在る訳で、小生はその姿を見ると心が和む。と同時に、親は常に子供の傍に居て遣らなければ、親から子への自立の為の教育が出来ないとも思う。

其れをゼロ歳児から、親から離され、他人に依る一括保育で良いだろうか、皆さんはどうお考えに成るだろう?
保育士は他人である。組織の論理として、保育児は平等に扱う様訓練されて居る。食事時間も一定ならば、昼寝も一緒である。核家族、閉鎖社会に於いて、同年代の子供と遊べる利点が在るとは言え、家族(親、祖父母、兄弟)と過ごす時間は極めて少ない。親が勤めている8時間、通勤時間を含めれば9時間以上と言うもの、彼等は口では言えないものの、孤独を感じている筈だ。
だから、家に戻された子供は父母に甘え、少しでも一緒に居たいと思う。其の結果幼児の睡眠時間が少なくなって起こる弊害が、一部医学者から指摘される様に成った。

思えば、国家に依る「男女平等、女性の社会進出」と言う風潮は、生理学的に幼児には虐待に当たる。もう少し上の小学生以上でも、両親が外に働きに出ている間は、学童保育、塾、習い事等で、家の外で時間を過ごすことを余儀なくされるか、鍵っ子として一人アパートの一室に閉じ籠る。
親子間の愛情、躾の面での不足・欠如は明らかで、将来親への恩も薄れるに違いない。

此れまでの何処の国の歴史を振り返っても、親が外に働きに出ざるを得ず、其の為に保育児童が発生したことは無く、ごく最近の社会現象だ。この様な生活の大展開が許される様ではいけない。人類の生き様は一朝一夕で変えてはならない。
昔でも、親の死、破産、天災等で幼児が社会に放り出されることは有った。然し其の様な場合でも、祖父母が、親戚が、隣近所が面倒を見て来たものだ。其の様な連帯感が現代は薄らいで終った。公共施設に預けるとなると金も掛かる。其れも、是も、政治に依る主導が誤って居たからである。
だからこそ、
「ベーシック・インカム制度」を実現させ、家族の在り方、働く意義を考え直そうと思うのだ。

「ベーシック・インカム制度」を考えるに当って、国民の暮し振り、企業の収益と税収、国家予算に占める生活保護予算の額が分かって居なくては話が進まない。
所謂社会保障費の年間の合計は2016年度の合計が32兆円で、一般会計97.5兆円の33%に当たる。

内訳は年金給付金11.3兆円(35.4%)、医療給付費9.9兆円(31%)、生活保護費2.9兆円(9.1%)、介護給付費2.8兆円(9%)、社会福祉費2.5兆円(7.9%)、少子化対策費2兆(6.3%)、保健衛生費0.3兆円(0.9%)、雇用労災対策費.0.1兆円(0.3%)である。

断って置くが、国家予算には特別会計が有って、此方は201.5兆円にも成る。他にも政府関連機関予算(?)も有り、是も実態は分からない。小生の知識では不確かだが、国は299兆円の税金と国債を使って居ることに成る。
一般会計と特別会計とがどう違うのか、皆さんは理解して居られるだろうか?小生にはさっぱり分からない。先ず、夫々の収入が何に拠るのか、其れがどう使われるのかが分からない。

テレビの国会中継を視聴して居ても、「予算委員会」で個々の予算の妥当性を討論して居る場面にお目に掛ったことが無い。特別会計は抑々審議そのものがされて居ないとも聞く。
其れと予算委員会は名目上あるが、決算委員会為るものは聞いたことが無い。予算さえ立てれば、どう使われたのか、余ったのか、不足したのかも分からない。
国会議員は予算の妥当性、決算の有効性に関して監視することが第一の職務の筈だ。

処が実際の予算会議では議事の殆どが一般質問であり、政党同士のイデオロギー【此処では”特定(各党)の政治的立場に立った考え”、或は”政治的思想“を指す】論争を交わすだけに留まっている。見る処、自分の属する派閥(党)の宣伝合戦であり、其の為の他派攻撃に明け暮れているとしか思えない。全ては票に結び付いている。其れが今の民主主義の実態だ。

経済、取り分け国の予算の収支は複雑で、国民は報道されるほんの一部しか分からず、選挙に臨むことに成る。マスコミのインタビューに答える市民は、「消費税10%?仕方無いでしょうね」と分かったような口を利く。税の仕組み、その収支が分かって居る市民は皆無に近いだろう。この様な意見は全てマスコミの受け売りでしかない。
皆さんは消費税が二重課税だと言う認識をお持ちだろうか?年収195万円以下の人でも5%の所得税を払って居る。その上、生活費(消耗品購入)から8%を二重に取られて居て、更に其れが10%に成ろうかと言うのだ。

年収195万円の人が、手持ちの金が全て消費に回ったとして使える金額は166.5万円、月に直せば14万円に満たない(住民税など他の税は更に其処から引かれるのである)。
平成29年度の一般会計の内、所得税の占める割合が18.4%で、消費税17.6%、法人税12.7%である。法人税が個人の収める税金より遥かに安いからこう為る。
其の法人税率は政府の方針で年々安くなり、昭和59年度では43.3%、中小法人の軽減税率でも31%だったが、今や23.4%、年収が800万以下ならば15%であり、赤字であれば納付の義務は無い。其の見せ掛け赤字に持って行く手法は大企業のお手の物だろう。

抑々法人税は資金を持つ人の節税の為に設けられた制度なのだ。だから法人税を下げる政策に因って税収が減り、消費税率を上げざるを得ないのが実情だ。
其の消費税は、低所得者には負担が大きいが、高額所得者には負担とは言えない。以前は物品税と言って、謂わば贅沢税に当たるものだったが、その課税品目と課税率が複雑で直ぐに廃止となり、一律の消費税となった経緯がある。

政府は他国と比較して、日本の消費税率は低いことを名目にこれを上げようとして居るが、イギリス・アイルランド・オーストラリア・メキシコでは食料品には消費税はゼロであり、消費税率19.6%のフランスも5.5%であり、庶民の生活に影響は少なくしている。
デンマークの消費税は食料品も同じ25%だが、社会福祉は其れこそ「揺り籠から墓場まで」で日本とは比べものに成らない。
日本では10%に成れば、食料品のみ軽減税率が適用されるが、現状と変わらぬ8%に据え置かれるだけだ。

法人税率を下げたことで、大企業の売り上げは増し、社内留保が増え、高額所得者と低所得者層の格差が進んだ。其処で、「ベーシック・インカム制度」が持ち上がるのだが、是は高額所得者に負担を求める以外無く、其処が一番の難関であるが、希望は捨てたものでは無い。
昨年度長者番付第二位のウォーレン・バフェット氏がオバマ元大統領に嘗て言った言葉が在る。
Tax me more!」

日本国憲法の前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。
つまり、誰もが願う「平和」には「欠乏」から免れることも入って居ると解釈出来る。是こそが「ベーシック・インカム制度」の理念だと思う。つまり、少なくとも生存の為の衣食住に就いて、最低限の保障を国家が行う、と言うことだ。

勿論、所謂福祉政策は其の為の方策だが、これが公平・公正に成されているか、効果は上がって居るか、其の為の経費は妥当か、其れが国民の平和・平安に結びついて居るかを検証しなければ為らない。解り易い例を挙げれば、生活保護を受けて居た老人がクーラーを付けようとしたら、其れは贅沢品なのだから生活保護を打ち切ると言われて、熱中症で死亡したと言うニュースがあった。
一方、生活保護を受け乍らパチンコ店通いをして居る人は野放しである。

憲法第十三条には、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と謳われている。
此処では個人の自由が保障されており、自由と言う以上クーラーを付けようが、パチンコを仕様が、国が文句を言う筋合いはない。
「ベーシック・インカム制度」でも、金の使い道に関しては無条件を保証するのだ。女だからとか、幼児だからと言った様な差別もしないことを約束するのである。つまり、個人の自由は認めるが、個人の責任範囲で遣れと言うことなのだ。

然し此れまで何処の国でも、人は幾ら苦労を仕様が、生活費は自分で稼ぐことが常識だった。病気、怪我、障害、高齢などから、どうしても生活費を自分で稼ぐことが出来ない人のみ、生活保護などで救済して来た。
其れを、人を問わず、国民全てに最低限度の生活費を保障仕様とするのだから、大転換である。

「働く」と言うことは古から一家が食っていく手段であった。新約聖書にも「働かざる者、食うべからず」とあるが、是は正確には“If any would not work, neither should he eat.
であって、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」のである。つまり、働きたい意志はあるが、働けない状態の人には該当しないのだ。

話は急転するが、我々年金生活者の多くは、働かずに食って行ける事に後ろめたい気持ち、自責の念を持って居る。何も、聖書に則って居るからでは無く、自然の気持ちがそうさせる。
孫に遣る小遣い稼ぎだ、とか何とか云いながらシルバー派遣の仕事をしたり、何かとヴォランティアの仕事を探そうとする。ヴォランティアの仕事を見付けると、其れが免罪符に為った気分になる。町内のヴォランティア仕事に皆進んで出て来るのはそうした気持ちが在るからだ。
本来ならば、定年退職者に出来る仕事が容易に見付けられる制度が有って欲しいと思う。定年退職者も、労働力として認めて貰いたい。

小生の住む山梨では、手入れのされない山の間伐材の伐採とか、耕作放置地の草刈り等を続けている人も多い。都会だと、踏切や交差点などで学童の見守りをして居る人も多いと聞く。
人は食べる為以外にも労働をしたい気持ちを持って居るのだ。それが生きる張り合いにも成って居る。

扨其処で、最低限度の生活費が、働かなくても貰えるとなると、箍が外れた様に遊んで暮らす人が出やしないかと言う問題が出て来る。定年退職者の全てが、ヴォランティアに勤しむ訳じゃないことが証明している、と懸念する人が居る筈だ。
その点が、「ベーシック・インカム制度」を実行に移す国が未だ現れない理由の最大のものだろう。聖書に書かれて居るからと言って、人類全てが聖書の教えに忠実とは言えない。
人間は生来、怠惰な生き物だと言う説も有る。事務所でパソコンを叩いて仕事をして居る振りをし、ゲームに夢中に成って居る労働者も居る。

「ベーシック・インカム制度」は社会の理想だが、其れには人は「善」と言う前提が必要だ。つまり「良心」を持って居ると信じなければ、ことは運ばない。
小生が“「卑怯」を憎む心根を広げたい”と言い続けて居るのも、理想の社会を築く為にはお互いの信頼感が無くてはならず、其れを邪魔するのが「卑怯」だからだ。
「卑怯」を無くすのは、何も学校からいじめを無くす為だけではない。オレオレ詐欺の様な犯罪を無くすだけでもない。より良い人間社会を作るためには、「卑怯」を恥と思って戒め合い、自らも律して行かなければ為らない。

お断り:家を留守にするので、ブログを1週間程お休みします

↑このページのトップヘ