新米田舎暮らし

八ヶ岳南麓の暮らし 紹介 世の中の懸案事項を掘り出しましょう 日本人から「卑怯」を恥とする心根を広げましょう

九州に続き、中国、四国、近畿で豪雨による水害、土砂崩れで甚大な被害が出て居る。テレビでは警察、消防、自衛隊、自治体職員、病院職員、ヴォランティア等の活躍が報じられ、全国民が復旧の進み具合に固唾を飲んで居る。

こうした災害が起こると、被害者や関係者達が頼りにするのは政府・自治体の財政支援だ。被害者は住む家が使い物に為らなくなったり、家族に犠牲者が出たり、生活物資が無くなったり破損したりする。病気や絶望感に取り込まれたりして、個人や家族だけでは立ち直れない人が居る。
復興には金が要る。多くの被害者に住宅や田畑を元通りにしたり、新たに作り替える資金は無い。復興支援とはその資金を援助することに成るが、何世代にも亘って祖先が築き上げて来た資産を国や自治体が全て肩代わりすることなど到底出来ない。

仮に住宅を手当てするにしても、優先順位を決めたり、抽選を行ったりして、極一部に恩恵が行き届くに過ぎない。不公平と言わざるを得ない。

 

実際にそうした援助が如何なる形で実施されて来たかは詳らかではない。想像するに、復興工事を委託された企業に金が落ち、其処が儲かる仕組みでは無いか、と邪推する。

被害地の報道写真を見るにつけ、畳屋は今後商売繁盛だろうなとか、車のメーカーも家電製品の関連事業も有卦に入るだろうなと思って仕舞う。食料だけは、品不足の処は今現在有るにせよ、災害の前と後とで消費量が変わる訳は無いので変化は無いに違いない。

 

自衛隊、と言うのはその名前からして国土と国民とを守る意味合いがあるから、災害時には頼りに成る。実際、重機を保持し、機動力が有り、組織化されて居る彼等は、日本に於いて災害時には無くては為らないものだ。
海外の被災地に派遣されて活動することで、各国の日本に対する信頼にも貢献して来た。

考えてみれば、戦争よりも頻繁で、予測不可で、多くの市民を巻き込む点で、災害は戦争よりも現実的だ。従って自衛隊の役割は重く、又必要不可欠と言えよう。

 

日本の自衛隊は戦争をする為では無く、世界の災害に立ち向かう義士としての評価が定着することを望まないではいられない。願わくば、自衛隊員は給料の貰える職業人では無く、徴兵制の様な国民の義務として、誰もがが経験することが望ましいと考える。参謀本部は差し詰め、災害の予知と防止とを研究する綜合研究所、拠点であって欲しい。

 

被災者の気持ち、突如として一文無しに成った家族の絶望感などを現地で直に体験することは、人間性形成の上でも、学校教育では得られない有意義なものに成るだろう。
思い遣りの気持ち、惻隠の情が日本人の性格、品格に加われば、世界中から尊敬され、お手本にされるだろう。其れこそは、国土保全への何よりの力に成る。そう為れば自衛隊は今後武器を保持する必要は無くなる。

敗戦前までは陸軍病院と海軍軍医学校が在って、傷病兵の治療に当たって居た。現在、埼玉県所沢市に防衛大学病院が在る。此処では自衛隊員の健康維持のみならず、災害時の国内外の救急医療や国際的な感染症への対策も行っているそうだ。将来は所沢のみならず、全国にこうした病院が出来、自衛官の中に専門家が育つことを期待したい。

 

我が国が戦後70余年を平和に過ごして来れたのも、戦争を心から反省し、賠償を行い、且つODAなどで各国から求められる援助を積んで来た結果、どの国からも恨まれることが無いからである。

 日本人に古来から備わって居た特有の品格と言うものがあって、勤勉、正直、協調性、親切と言った徳目は世界の人々が認めるところだ。

処が、昨今の経済界における不正事件は、祖先から受け継いで来た大切なものを蔑ろにし兼ねない。それは偏に「卑怯」な行為をして仕舞うことに良心の呵責が無くなったからである。

前任者たちも遣って来たからとか、判らなければ遣って仕舞えとか、自分と家族の為、昇進の為と理屈を付けて悪事と分かって居ても手を出して終う。

 

その結果は単に自分の属している組織、企業に損害と評価を落とすだけでない。日本と言う国、先人たちが血と汗で築き上げた日本製品に対する信用を失うのである。

検査データの改竄、捏造などを遣る動機は至ってお粗末だ。自分の保全の為に、上司に好い所を見せようと言う程度なのだ。コスト削減(それも僅かなパーセントでしかない)に繋がるから評価される、と言う考えなのだ。

だが、その代償は大きい。国内での裁判、マスコミ報道、上司の降格や辞任などの被害の他、海外からは罰金、制裁金、特許侵害などを課せられる。

こうした不祥事は職場の仲間を裏切ることに成る。

 

幾ら企業の上層部が、そうした不祥事が二度と起こらない様再発防止に努める、と言った処で、品格の供わって居ない社員が居れば、否社員よりも上層部かも知れないが、手を替え、品を変え不祥事は起こるだろう。品格、中でも卑怯な行為は死んでも行わない、と言う覚悟を国民全員が持たなくては為らない。

詐欺事件も後を絶たない。他人を騙して金を奪い、其れで自分の生活費にする、と言うのも卑怯である。詐欺は犯罪だ。

 

然し、商売上では詐欺紛いが横行して居る。誰かが努力の結果新製品を開発する。直ちに其れを真似した製品が、他社、其れも大企業から発売され、開発した企業は消えて無くなる事すらある。

テレビの報道で知ったのだが、アイリスオーヤマと言う会社がある。社長の大山健太郎氏はインタビューの中で、真似されるのは覚悟の上で、大メーカーが真似をして生産ラインを作っている間に、別の新製品を開発すると仰って居た。大山社長の覚悟は立派だが、日本国民として恥ずかしい風潮である。

BIの目指す処は、世の中から極貧を無くし国民の生活水準を上げること、国民に消費力を付け経済を押し上げること、人間らしい家庭生活を齎すこと、働くことに遣り甲斐を持たせることであろうか。

 

其の為にBIで幾ら支給すれば良いかは専門家にお願いするしかない。又、財源をどうするかだが、抑々BIが発案された根拠の一つに、過去・現在の福祉政策の欠陥が在り、其れは言ってみれば福祉サービスの実施・手続きに経費が掛かり過ぎ、実際受給者に渡る分が少ないことが有る。

 

此れまで述べて来た様に、政府・自治体、更に外部の福祉に携わる人々の数が膨大で、その人件費が、予算の少なく無い分を奪って居ることが有る。人件費のみならず、役所・施設の開設、維持管理にも多大の予算を奪取して居る筈である。尤も、社会福祉に何が有って、夫々にどれだけの予算を使い、其れに依って人々がどう助かって、暮らしが良く成って居るか、我々が知り得る手段は無いが。

 

然し、例えば貧困家庭ひと家族を助けるためにどれだけの人と、施設と役所が係って居るか、つまり税金を使っているか考えなければならない。福祉を実施する上で、其れに係る人、職員らが相当数食わせて貰って居ると言うのは無駄であり、本末転倒ではないかと考える。

其れよりも、福祉に掛かる費用を直接貧困家庭に届ける方が良いのではないか?中間経費を省いて、現金を渡した方が、利用価値が大きいと思う。金さえあれば福祉施設の世話に為らずとも、金でそう言うものは解決する筈である。

食料に事欠くような状況でも、金さえあれば食材を買って自分で料理したり、レストランで食べることだって出来る。

其れなのに、施設を作り、その中に食堂を設け、調理師初め職員を配し、材料を外から購入し、栄養価を考え、貧困者を集めて来て食事を提供するのが、果たして貧困者らも喜ぶ福祉なのだろうか?

 

生活保護一つを考えても、申請者の身元、資産、暮し振りなどを徹底的に調査し、誰を選別し、幾ら給付するのかを大勢の人間が集まって考える。其処に経費が掛かって居るのである。
更に、その人が仕事に就き、幾ら収入を得ているか、貧困の度合いを超える様な買い物をして居ないか迄職員が張り付いて調べて居るそうだ。

然も、申請者は窓口の役人から「10万円でも暮らしている人が居るのだから、もっと働いたらどうか」とまで言われるそうで、その屈辱感と貧困者の窮状を理解仕様として貰えない遣り切れなさから申請を断念する人も多い。

 

誰しも働いて家族を養って行ければ問題は無い。そうは行かない事情が何処の国にもあり、その対策が福祉行政と成って居る。困窮者全てに、公平に、支援をして行こうとする為に福祉予算は膨れる一方だ。其れで居て、生活に困窮しているにも拘らず福祉が受けられない、所謂落ちこぼれが生じ、不公平感が広がる。現に日本では国民年金の額が生活保護費より少ないことが問題に為って居る。それは地方の田舎程そうだ。家があり、田畑が有れば、其れでは金にはならなくても生活保護の対象からは外される。

 

働いても家族を養って行けない事情の大きな理由が、賃金の安さだ。以前にも指摘したが、世の中の人は綺麗な仕事を選ぶ様になり、3Kと言われる汚い、きつい、危険な仕事は敬遠される。勢いそうした仕事しか弱者には回って来ない。弱者とは、金に困って居る人、地理的に働く場所に恵まれない人、高等教育が受けられなかった人、身体的に弱い人、或はそうした家族を持って居る人達である。

彼ら弱者は仕方無く3Kの仕事でも引き受けざるを得ない。

そして決定的なのは、低賃金でも我慢させられることだ。パートの最低賃金は上がって来て居る、と政府は言う。然し、諸物価は其れにも増して上がり、何時まで経っても追い付くものでは無い。彼等は一生、暮らしが良くなる可能性は無く、病気や怪我、災害や年齢で何時働け無く成るかの心配を抱えたままである。

 

幾ら生活に困窮しようが、誰しも物やサービスを消費する。そのお蔭で、高給を貪れる人が一方には居る。彼等は然したる労働をしなくとも、金が金を生み、太る一方だ。彼等は自分等の儲けが社会福祉に回ることを忌避する様に成る。

資本主義の最も発展したアメリカがそうだ。自分の利権を守る為に、政府を動かし、貧乏人が決して浮上して来ない様策を巡らそうとする。貧乏人とは隔絶仕様とすらする。自分等の住む所には貧乏人が入り込まない様、独自の市迄作ろうとしている。自分等の払う税金は、自分等だけの為に使われるべきと考え、新しく作った町に逃げ出す。元の市は納税額が減り、市の福祉対策が挫折する様に成る。

 

トランプ大統領が輸入品に関税を掛けるのも、自国の資本家にせがまれてのことなのだ。関税を掛ければ、輸入品は少なく成り、値段も高騰する。20%の関税を掛ければ、アメリカ国内の市民は此れまで手に入れて居た物品が2割増しに成ると言うことだ。生活物資の値上げに富裕層はびくともしないだろうが、貧困層には死活問題になる。トランプ氏に其処まで分かって居るだろうか?

BIの議論が明確な方向に進んで行かない。それは一介の老人に政治、経済の詳細を識り様が無いからであろう。勉強が足らないと言われれば一言も無い。だが、政府、企業と言った組織では、他人に『知らしむべからず』が都合良いのである。『骨太の方針』と言う。骨が細いとなると虚弱体質を表し、誰しも骨太が望ましいと思う。然し実態を明かさないから、国民には何のことやらさっぱり分からない。こう言うのを『煙に巻く』と言う。政治家には自分達だけが了解して居れば良いと言う思い上りが有る。主権が国民に在ることを忘れて終うのだ。

 

インターネットの時代に成り、情報が誰にも、容易に得られる様に成ったと言う。然し、政府が提供しなければならない筈のデータは常に古く、殊更解り難く書かれている。ネットや報道だけでは現在の状況が分からないものだから、我々国民が理論を組み立てることが出来ない。其れが政治家の狙いでもある。

一体BI実現の筋道を付けるのにどれだけの知識、情報が有れば良いと言うのだろう。

 

BIの議論は、先ず国民に幾らの“ベーシック・インカム”を支給すれば好いかから始まるのだが、其れには国家の財源が現在如何使われて居て、何処を改善して行けば好いかが判断出来なければならない。その見通しが出来て初めて、BIにどれだけ予算を使えるかが判る。

其処が分からないから、国民年金を参考にすると、平均月額は一人55,464円で、夫婦二人だと110,928円に成る。年金は人に依って違うので、飽く迄平均値である。

 

正社員として厚生年金保険料を払って来た人の厚生年金は非常に複雑で、此処で単純に平均幾らと言う訳には行かない。原理としては、【生涯の平均給与 X 一定乗率 X 加入期間】と言うことらしいのだが、物価は変動するので30年前の給与と定年間際の給与とは単位が違い過ぎる。其処で昔の給与を現在の価値に換算しなければならない。換算すると言っても、盛り蕎麦一杯30円だったものが、今や600円だから20倍すれば良いと言うものでは無い。又、2003年以降はボーナスをも加える様になり、その代わり一定乗率が7.5から5.769に減ったのだ。我々の時代では、定年前2年間の給与が基準だった、と記憶している。斯くの如く複雑で、然も年代に依って変化するのでは基準も、平均値も無い。

 

2018年の厚生省の調査では、厚生年金の月額平均支給額は147,927円(男が166,863円、女が102,708円)と言う話だ。

仮に夫の厚生年金と妻の国民年金を合わせると222,327円となり、夫婦共稼ぎだと厚生年金二人分の269,544円の勘定に成る。

 

では、BIは何を基準に考えれば良いのだろう。国民年金だけでは生活出来ない。
因みに、生命保険文化センターの調査に依れば、勤労者世帯の内、2人以上の世帯の消費支出の全国平均は309,591円だそうだ。是でも前年より5,800円減少して居ると言う。此処にも、近年日本人が貧乏に成りつつある証が有る。

 

尤も、平均値と言うのは眉唾物で、データを子細に見れば、此の支出の中での住居費が6%と言う低い数値なのだ。6%と言うと、2万円にも満たない。マンションのローンを払って居る家族、アパート生活の家族からは信じられない筈だ。

全国的には日本には住宅は可成り普及して居るのでは無かろうか?小生の様に都会でサラリーマン生活を送って居た者には、マンションや自宅は夢でしか無かったが、土地の安い地方では持ち家も可能なのかも知れないと思う。或は親の家を受け継ぐ人も居よう。現に地方では空き家が多い。然し一度都会生活となると、住居費が生活費の大半を占めて仕舞う。住居費以外の食料、光熱費、被服、教育費などは都会も地方も差して変わるものでは無い。BIを考えるに当たっては、住居費と言うより、住み方を考える必要がありそうだ。

 

BIは「基礎的な収入」を意味するのであって、言ってみれば最低限度暮らして行ける生活費である。その金額は、国民年金に近いのではないだろうか?

然も、BIは全ての国民に同額支払われる。つまり夫婦二人暮らしの方が、世帯収入は増える。子供も大人と同額だから、子供が居ればその分も又、世帯収入は増える。

 

それに、BIは家族が仕事をすることを阻むものでは無い。仕事に就くことに何ら制限は無いのだ。寧ろ、国民が自分の望む仕事に就き、遣り甲斐を持って貰うことが根底にある。好きな道なら能率も上がり、創意工夫の効果もあろう。
遣りたくない仕事を、食わんが為に無理をしてまで遣る必要が無い。勢い、職場環境も改善される。そうでないと人が集まらないからだ。


遣り甲斐は家庭環境にも影響する。つまり、家族を養って行けるだけの収入が無いから、結婚や出産を諦めることは無くなる。

現在の様な少子化傾向は、偏に若者の収入が低くなる一方で、高収入が得られる機会と方策が見当たらないから起こる問題だからだ。

 

BIの給付で最低限の生活が保障された上で、本心遣りたい仕事に就き、更に好い暮しを目指して収入を増やすことが、各自の努力目標となれば良い。

働くことが自分の幸福追求、自己確立に適う様に成るだろう。

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