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「山梨の韮崎市の新府は桃の産地で、今花が真っ盛りだが、良い桃を実らせる為摘花が行われるので、今が見頃だ」



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「畑の周りに植えた水仙が、この陽気で一斉に開花した」



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「枝垂桜が淡いピンクの花を咲かせた」

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「こちらは花桃」



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「雪柳も・・・・」



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「こちらは連翹何もかも一度に咲くのが山梨だ



日本語は表記としては漢字、平仮名、片仮名が混在し、発音にしても古来からの日本語(大和言葉)に中国の読み方まで有る上、近年は英語その他の外来語が加わり、言葉としての理解の範囲が広がった。

英語を始め多くの言語は、喋り言葉(単語)に意味が伴って居るので、喋ったり、聞いたりすることで意思が通じ合える。処が日本語と成ると、紙に文字を書かなければ通じない場合がある。

 

例えば普段自分の名前を他人に伝える時、「私の名前は"ひろし"、弘法大師の“弘”です」等と言わなければならない。

勿論、外国人でも発音は同じでも綴りの異なる名前は幾らも有る。「カーン」と言う名前では、「煙が目に沁みる」を作曲したJerome Kern、「Love And Marriage」を作詞したGas Kahn、「It's Magic」を作詞したSammy Cahnと言った例が有る。

 

「光は」英語で”light“で、「軽い」も“light“、「夜」は”night”で、「騎士」は“knight”、「知る」は”know“で、「否」は“no”、「太陽」は“sun”で、「息子」も“son”。

フランス語だって、「高い」は“haut(オー)”で、「水」も“eau(オー)”、「海」は“mer(メール)”で、「母」も“mère(メール)”だ。

 

唯、何処の国語でも同音異語は日本語ほど多くは無い。何故なら、日本語には母音が少ないので(アイウエオの5個のみ:英語では26個ある)勢い同じ音声で別の意味を持つ単語が多くなる。例えば、「め」を辞書で引くと、「目」、「眼」、「芽」、「女」、「雌」、「奴」等が有る。

「は」はどうだろう?「歯」、「葉」、「派」、「刃」、「波」、「覇」、「破」、「羽」、「把」、「端」、「播」等だ。

二文字に成るともっと多い。因みに同音異語の最も多い言葉は「こうしょう」の48個だそうだ。皆さんも国語辞典で「こうしょう」を引いて御覧に成ると良い。

 

此の同音異語は実に厄介で、漢字で書かないことには意味が伝わらない。

頓智で有名な一休和尚は「此の橋を渡るな」と言われて、橋の真ん中を渡って見せた。「端を渡っては居ない」と言う訳である。

 

漢字で書けば其れで意味が分かるか、と言うとそうでも無いのだ。官僚の書いた答弁書にあった「石巻市」が読めない大臣が居たが、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだり、「訂正云々」を「ていせいでんでん」と読む総理大臣が居る。漢字の意味と発音は教養と言って仕舞えば其れ迄だが、日常使われるだけに教養の程度で済まされないものが有る。

 

小生は前々回に採り上げた”ワープロ“の発明が如何に画期的であったかを知って貰いたいが為に敢えて漢字の難しさを述べたのだが、だからと言って仮名書き論者では無い。寧ろ仮名書き、ローマ字論者(漢字廃止論者)には真っ向反対であるのだ。其処で、”ワープロ“の話に移る前に、日本語が多言語に無い優れた利点を沢山持って居ることをお話したい。其れには鈴木孝夫慶応義塾大学名誉教授の学説からの引用が多い事をお断りしなければならない。

 

我々は多かれ少なかれ学校で英語を勉強して来た。処が、英語の本を読むのも、会話も苦手である。英語で書かれた文章を読むには辞書が欠かせない。何故なら、英単語の意味をすぐ忘れるからである。同じ単語を何回辞書で当たったか、どなたにも経験がお有りだろう。一方、国語辞典や漢和辞典のお世話に成ることは少ない。其れは母語だから当然なのだろうか?
アルファベットが26文字に対し、常用漢字(熟語、複合語は含まず)は4千字以上ある。大漢和辞典には5万の漢字が収められて居る程だ。この差から考えれば、日本語の本を読むのに、辞書は欠かせない筈では無いか?

 

複雑多岐な漢字が理解出来て、僅か26文字の組み合わせでしかない英文だと辞書が欠かせないのは何故か、考えたい。(続く)