今年4月にNHKBSでモンゴルの「マンホール・チルドレン」と題したドキュメント番組を観た。ホーム・レスの子供達は、冬零下30度にもなるので路上生活が出来ず、マンホールの温水パイプの上で暖を取って生活して居るが汚水で衛生状態は悪く、命の危険もある。ボルト(当時13)とダシャ(当時14)、(オユナ)も其処に居た。互いに助け合いながら懸命に生きていた。

 

このドキュメント番組は3回目だそうだ。

最初は1998年、NHKがマンホールの中で寄り添い、助け合って暮らして居る3人の子供達を取材する。

2008年の映画では、2004年、職を得たボルトは自力で小さな家を建てる。ダシャもそこに居候、2人はマンホールからの脱出を果たす。そして、ボルトは同じマンホール仲間のオユナと結婚、娘ナッサン(永遠の仕合せ)をもうける。未来は希望に満ちていた。

然しその後、ボルトとオユナは喧嘩別れし、娘は母親、オユナの許へ。其のオユナは、ボルトの家から出たダシャのねぐらに身を寄せる。ボルトとダシャの仲も決定的に断絶した。


2019
年の今回の放送では、オユナもダシャの元を去り、マンホール生活に戻り、或る日その中で死んでいるのが見付かった。

その後のボルトは数年間アルコール依存症施設で隔離されていたが、今はタイヤ修理工場を経営している、ダシャは、廃品回収の腕を見込まれ区の職員として働き、4人の子供の父親になっている。二人はマンホールを訪れ、オユナの好きだったアイスクリームを捧げ、その冥福を祈る。

 

モンゴルは経済成長が著しい国だが、一方経済発展に置いてきぼりを食う人達も多く、取り分け子供達はマンホールの中で生活する状況で、其処での仲間意識はこのドキュメントを感動的なものにして居る。

 

我々戦前生まれは、戦後の浮浪児を身近に見て来た。戦災で親を失った子供達は雨風と寒さを地下道の中で耐えて居た。コンクリートの上で隣に寝ていた子供が翌朝は死んで居たと言う光景は日常茶飯事だった。そんな時だけ、職員が来て死体を何処かに運んで行く。

GHQが目障りだとばかりに、刈込と言って一斉摘発を行い、トラックの荷台に積んで、収容所に送り込む。其処では子供達が職員に暴力を振るわれることもあり、脱走しては地下道に舞い戻った。かっぱらい、シケモク拾い、チャリンコ(掏り)、靴磨き等で暮らした。小生は大人になっても、街頭で靴磨きを頼んだことはない。GIの靴を懸命に磨く幼い子供達の姿が目に焼き付いて居て、抵抗があったからだ。

 

孤児達は親戚を盥回しにされたり、農村では働き手として人身売買まで行われて居た。

浮浪児が多く集まったのが上野である。当時普通の家庭でも、親の言うことを聞かない子供に「お前は上野の地下道で拾って来た」と冗談交じりに言って懲らしめたものだ。

 

このドキュメントを観て、戦争の無かったモンゴルでも、今の時代で戦後の日本と同じ境遇の子供達が居ることに胸を締め付けられる様な思いだった。否、世界中には同じ環境が幾らも有る。現に戦火に曝され続けて居る国さえ在る。

このドキュメントを観て、情けないことに自分には行動を起こすことが出来ない。唯、哀れだと思い、彼等が生き延びて行って欲しいと願い、自分が如何に仕合せか思いを致すだけだ。

トーチトリニティ神学大学院(韓国)の異文化学部教授の高見沢栄子氏は其れを観てモンゴルを訪ねたが、一人(オユナ)は既に死亡して居た。彼女は大清水良裕夫妻と「モンゴルキッズの家」を作り、寄付活動を続けている。

 

ドキュメントを観た「お披露目屋」としては、早速ブログに載せるべく内容を掻い摘んでご披露したいとネットで確認しながら取り組もうとしたのだが、その結果冒頭に書いた文がどうもぎこちない。第一回の放送と映画とを観て居ないこともあるが、頭の中で整理しようとしても辻褄が合わない所が有るのだ。ネットで是迄の番組を見た人の感想文を見ても違和感が有る様だ。中には、取材班の遣らせが有ると言う人も居る。三人のチルドレンの関係や、その家族、その後の生活振りに矛盾が在る様なのだ。

 

もし其の様なことが在ったならば、折角のドキュメントが台無しである。一つのドキュメントを20年の長きに亘って取材した努力と執念には感心するが、其れならばこそプロヂューサーは第一回目の取材から、現在までの経緯を分かり易く纏めた最終回を作って欲しい。