『北方領土はソ連との戦争で失ったもので、取り返すには戦争をするしかない』と言う趣旨の発言をした衆議院議員が居た。

議員除名だ、ロシアへの謝罪だ、とマスコミは騒いで居るが、それはマスコミが良識の有る所を見せ、自紙への国民の信頼を繋ぎ止める為の方便であって、実際に政府や議員たちの中にそうした考え方が有る事に就いて、事を構える姿勢は全く見られない。

マスコミは事件が有ればニュースにして、ああだ、こうだと自説を述べたがるし、自説をはっきり述べ無い迄も、其れを代弁して呉れそうな学者や評論家の論評を採り上げ、自分達は矢面に立たないで済むと言う姑息な手を使う。


戦争を起こすのは、何れの時代、何処の国でも、其処の国民の意志からでは無く、国を牛耳る首脳陣で在る事に思いを巡らせなければ成らない。国民はそうした政治家、或は国王と言った指導者に、偏った情報のみ吹聴され、洗脳され、或は脅され、銃を取る、取らざるを得ない状況にさせられて来た。

今から48年前に起こった大東亜戦争(太平洋戦争)に就いて、戦争に至った過程を述べたいところだが、其れは歴史家に任せて、現代の我々は二度とあの悲惨な戦争を起こさない為には如何するかを検証しなければ成らないと思って居る。


当時兵隊として戦った我々の父や祖父達は「お国の為」との信念で戦地に赴き、残された家族も「お国の為」と其れを受け止め、銃後の家庭を守った。

其れは施政者がその様に国民を洗脳したからだ。「お国の為」とは、家族が生き延びる為と人々は解釈した。戦と言う事態そのものは殺し合いだから、自分と家族が殺されない為には、敵を徹底的に殺さねばならない。昔の様に、兵士同士が戦い、其れで決着が付いたことは現代では在り得ない。

先の戦争では原爆が使われ、無差別に人が殺された。現在世界各地で起きている紛争でも、戦いに関係のない住民が殺されている。戦争を指導する人は、国を守ると言う口実の下、国民を犠牲にすることを憚らない。

「国破れて山河在り」の様に、核戦争が再び始まれば、残るは山河だけなのだが、それでも戦争を遣りたがる人間が一部居る。


お調子者の国会議員が、誘導尋問に引っ掛かったか如何かは知らないが、「北方領土(妙な言葉だが)が欲しければ戦争をするしか無い」と、嘗てその地で生活して居た人達の前で喋った。

政府役人や国会議員達は、間違っても戦争に駆り出されることは無い。戦争指導者は自分がそう言う立場にあることが分かって居て、戦争をおっぱじめるのだ。金も地位も名誉も得た人間が最後に目指す優越感は、国民に”死んで来い“と命令出来ることだろう。


我々、多少なりとも日本が嘗て踏み込んだ戦争を経験した者は、戦争が敵味方双方に齎した不幸を次世代にも伝えて行かなければ成らない。戦争体験の無い、今の政治家や、若い人達に教える義務が有ろう。

日本人なら広島平和記念館や長崎原爆資料館に足を運ぶ様督促しなければ成らない。他にも、沖縄県平和祈念資料館、靖国神社遊就館(九段)、平和祈念展示資料館(西新宿)、昭和館(九段)、大刀洗平和記念館(福岡)、万世特攻平和祈念館(鹿児島)、ひめゆり平和祈念資料館の他、全国各地に空襲や戦後の暮しの資料を展示する会館が多く在る。

戦争を知らない国民全てがその悲惨さを受け止め、戦争を憎む様に駆り立て、指導者が戦争に向かわせるのを阻止する力にしなければ成らない。全国民が其の一線に並ばないことには実現しない。憲法第九条を知って居るだけでは本当の理解には成らない。


然しそうした資料館には、日本が、日本国民が戦地で、或は内地で蒙った戦争の悲惨さ、苦しみ、悲しみだけが採り上げられて居て、日本軍が相手国、或は戦場と成った国や地域の住民に与えた悲劇、惨事に就いては一言も触れられて居ない。

そうした資料は得難いし、体験者も死亡し、或は高齢となり、今資料を集めて置かなければ何も残らない。政府の不作為を咎める必要がある。其の先鋒を担うのがマスコミであり、学識経験者であるのだが、誰も声を上げて居ない。之で良いのだろうか?

小生が戦争体験を後世の人が学ぶ場として此の類の施設に足を運んで欲しいと言うのは、此の偏狭振りを知って貰いたいが為である。


靖国神社の遊就館が他国から非難されるのも、日本人の悲劇のみが採り上げられて居るだけでなく、恰も日本の軍事力や作戦が如何に優秀であったかを知らしめる目的の展示ばかりだからである。是の偏執振りは驚くべきことで、小生は日本人の本質がこうしたものである限り、邪な指導者に依って再び戦争に掻き立てられる可能性が在ると推測する。

現に、“我が国の安全保障“と言葉巧みに軍備を拡張し続けて居るし、法律も何時戦時体制に向かっても好い様に整備されて来た。国連の要請を隠れ蓑に、海外への出兵も可能に成った。


「安全保障」の為の軍事力強化を推し進める為に、日本国民の受けた悲惨さを忘れさせない様にするのが「平和祈念館」の目的である。

皆さんはこうした偏見、片手落ちをどう思われるだろうか?


我々日本人は中国大陸で、中国国民に対し酷い仕打ちをして来たことを忘れてはならない筈だ。南京大虐殺の真意は分からないが、七三一部隊は本来の目的以外に、細菌戦を目的とした生物兵器を開発し、中国兵捕虜に生体実験をしたことは紛れもない事実である。是はナチの毒ガスに依るユダヤ人殺戮よりも道徳的に卑劣だと小生は思う。


又太平洋戦争で各地に展開した日本軍は、糧秣を現地調達として、略奪したと聞く。現地人を強制的に軍人に徴用し、戦死させたこともあった。

戦争だから、日本国民だけが被害者であったりかのように歴史を塗抹することは許されることではない。


ユダヤ人に対するナチの仕打ちを反省する為に、ドイツでは“
トポグラフィー・オブ・テラー博物館”や“ベルリン・ユダヤ博物館”で、ナチの行動、仕打ちを国民に解き明かしているそうでは無いか!

世界中の人々は、ドイツの遣り方を見て今では彼等を許して居るだろう。

日本の「平和資料館」は幸いにして余り海外には知られて居ないので、戦争を行った日本の罪に対する国家としての反省が無いことも分からないで済んで居るが、日本人としてこの片手落ちの態度は恥ずかしい。管轄は法務省だそうで、何度か手紙で訴えたのだが、反応は無い。