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「『そろた でそろた 早苗がそろた』 井上糾作詞、中山晋平作曲の『田植え』より」

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「我が家のユリノキに今年は花が初めて満開となった。此れまでは目を凝らして探さないと見付からなかったが・・・・。百合の花に似ている処から“ユリノキ”と言う。15年前に50センチ程の背丈だったのが、この通り立派な樹に育った」




梅雨入りも間近と成った。九州など雨の多い地域の人にはお気の毒だが、此処山梨では雨が殆ど降らない。畑の土はカラカラで砂漠の砂の様だ。少々の雨が降ったと言っても直ぐ地中に沁み込み、砂漠状態は変らない。其れが田舎暮らしにどうなのかと言えば、作物を干からびさせない為に畠や芝生に水遣りをしなければ成らない羽目に成るのである。

 

田舎では灌漑用水が整備されている処は概ね田圃で、畠はそれ以外の土地に成る。従って、畠の作物には何処かから水を汲んで来て撒かねばならない。昔は飲み水も、沢や井戸、湧き水のある所から人の力でバケツや桶で運んだものだ。今でもそう遣って飲み水、生活用水を得ている国も多い。日本でも災害地には自衛隊の給水車にペット・ボトルなどを持参して行列する風景がテレビで映る。

 

おしんにもあったが、水汲みは子供の仕事だった。距離が遠ければ重労働である。風呂を一杯にするまでは何往復もしなければ成らなかった。今の子は水汲みを遣ったことは無いだろう。水道の蛇口を捻るだけで、水もお湯すらも簡単に得られる。然し、其の為には水源から水道を引き、飲用に適する水として供給する施設が必要となり、更には使い終わった水を集めて下水道から浄水場へ導き、浄水処理を施してから最終的には海に戻す。其れには当然ながら莫大な経費が掛かって居ることを考えたい。

 

雨水を貯めたり、湧き水を汲んだりするのは労力と時間は要するが、只同然である。水道は其の代わり料金が掛かる。其の料金は他の労働と時間を要して得たものを転用して使っているに過ぎない。

 

自分は企画の仕事なので、水汲みの様な労力は使わないで済んで居る、と言う人が居たと仕様。彼の場合、確かに筋力は使って居ないが、頭の中では少なく無いエネルギーを要して居る筈だ。だから疲れもする。眠くなったりもする。第一、考え付いた企画がものに成らない、受け入れられない、不成功に終わる、実現するには金が掛かり過ぎて没に為ることもあって、一から遣り直し、詰まり徒労に終わることもある。

 

それに引き換え、バケツ一杯の水を1キロの山道を汲み上げる仕事は、転んでバケツをひっくり返すことさえ無ければ、汗は掻いても確実に生活の役に立つ。

バケツで水汲みをするのを肉体労働とするならば、頭脳労働である企画の仕事に従事して給料を受け取り、其れで水道を引き、水道代を賄うのも生き方である。

生活は両者が複雑に噛み合って居て、どちらが如何とは言えないが、肉体労働はどうやら嫌われものに成った。

一つには、肉体労働は単純労働で、自分の脳味噌には相応しくないと言う思いである。長年学校で勉強した知識が有効利用されないと言う不満である。自分より学歴の低い者が遣れば良いことだとの驕りである。

 

人一人の労力には限りがある。と言うことは幾ら頑張っても報酬は上がらない。其れよりも、労働者を多数雇って仕事を任せ、その上前を撥ねる方が楽な上に高収入が得られる。

人は元来怠惰を好む動物である。又奇妙なことに、見栄えを良くしたいとの習性がある。是は蝶々の羽の色や鳥の囀りの様に、単に異性の気を惹く為だけでは無い。だから、ブルー・カラーよりはホワイト・カラーの仕事を選ぶ。

 

教育の機会に恵まれた国では、卒業すると頭脳労働の道を選ぶ。肉体労働は家庭が貧しくて教育を満足に受けられなかった人か、外国人に任せ様とする。小生が仕事で初めて行ったパリの街で、早朝道路を掃除する黒人を嫌と言う程見た。白人のパリジャンやパリジエヌたちはスーツに身を固め、綺麗に成った街路樹の下を歩いてオフィスに消えて行く。

 

気が付けば、レストランの給仕や皿洗い、ホテルのボーイやベッド・メーキングをするのも、外国からの出稼ぎと思しき人ばかりだった。ヨーロッパは地続きである所為か、貧しい国の人は次第に欧州各都市の労働戦力と成って行った様だ。

ニュースで貨物船の沈没事件を見ると、船長や機関士を除く乗組員はフィリッピン人や中国人ばかりではないか。わが国でも、我々が普段窺い知れぬ鉱山や造船所、道路工事、建築現場などで働く人は外国人労働者が多くを占める様に成った。地方の旅館に泊まっても、国籍の判らない人達が働いて居る。

 

尤も、我々の祖先達も北米、南米、中南米、ハワイ諸島などへ移民として送り込まれた時期がつい最近まであった。

低賃金でも就労して生活費を稼がないと成らない人は何処の国、何時の時代にも居る。

そうで無い人はオフィス・ビルに就職し、パソコンと睨めっこをして居る。パソコンを幾ら叩こうと、肉体的には然して疲れはしないだろう。筋肉は使わなければ衰えて行くそうだ。従って彼等は自分の時間にはジムに通ったり、ジョギングをしたりすることで肉体を使っている。ジムの中で何人もが揃ってペダルを黙々と踏んで居る光景は異常である。飽食の挙句、バーベルを持ち上げて脂肪を減らすなど愚の骨頂だと思わないだろうか?誰もが言うのだが、其れを承知で言えば、三度の飯も満足に食えない家庭が多いと言うのに、だ。やっとこさ生活保護が貰える様に成った母子家庭で、娘が「マックが食べたい」と呟いたと言う話が有る。

 

トラックを走ったり、バーベルを持ち上げたりする力を、被災地の道普請や耕作放置田畑を耕したりすれば、どれだけ助かる事か?

上司や同僚の顔色を窺いながら、自分の才能を認めて貰おうとする努力と、自然を相手に汗するのと、どちらが人間らしいか、今一度考えたいものだ。今の世の中で、金だけが頼りと思って居るかも知れないが、仕合せな人生とは決してそう言うもので無い筈だ。

聞く処に依ると、オフィスでの事務作業はコンピューターで出来て仕舞う時代がもう其処迄来て居るそうだ。